52.メガネ君、留まるところを知らない
近くに来て思ったのは、「荒れてるなぁ」だった。
ただひたすら、木の棒を剣に見立てて振り続けるサッシュがそこにいた。
怒りの感情の気配が強い。
動きも雑。
何も考えてなさそうだ。
無心で繰り返すのも大事だが、それは「できていること」を繰り返すから有効なんだ。型ができてないでたらめを繰り返しても仕方ないだろうに。
全身が濡れるほど汗を掻き、血豆でもできて潰れたのだろう手に巻いた布には血がにじんでいる。
やる気はあるんだろう。
本気も感じられる。
いつだったか「強くなりたい」と言った通り、その想いはまぎれもなく本物だということだ。
そうじゃなければ、ここまで自分を追い込めないだろうから。
――しかし、それにしても、やっぱり気になる。
見ていても仕方ないので、声を掛けてみた。
「おーい。サッシュー。そこのチンピラー。おーい。おーい。逆立てた髪がしなびてきたサッシュー。路地裏のチンピラみたいなサッシュー。口も悪いし目つきも悪い悪党ヅラのサッシュー。口も目つきも悪いし剣の腕も良くはないサッシュー。剣の才能が怪しいサッシュー。というか見た感じ全然素振りが身になってなさそうなサッシュー。露骨に言うと剣の才能ないから無駄な努力を――」
「うるせーなてめえこの野郎!! 殺すぞ!!」
おっと。
サッシュは振り返るなり、木の棒を投げつけてきた。俺は普通に避けた。あー危ない。才能ないから余裕で避けられた。よかった。
「訓練中に近づくと危ないから声を掛けてたんだけど。やっと聞こえた?」
「最初から聞こえてたっつーの! 聞こえてて無視してたんだよ! てゆーか一方的にけなされまくった俺の方がなんの説明してんだよ!」
「ちょっと何言ってるかわかんないんだけど、ちょっといい?」
「さすがに言ってることはわかるだろ! おまえにけなされて怒ってるんだよ! それ以外がねえよ!」
まあ、なんかサッシュはわけのわからないことを言って怒っているみたいだけど、それはいい。
「二つ三つ言いたいことがあってきたんだけど」
「もう二つ三つじゃ済まないことを散々言ったよな!? まだなんかあんのかよ!?」
いやあ、全然本題に入ってませんよ。まだ。
ひとしきり怒って落ち着いたのか、不機嫌そうなサッシュは「なんだよ」と、顔の汗を拭きながら聞いてくる。
「ずっと気になってたことがあって。それを言いに来た」
「あ? 気になってること? ……本当にさっき言ったことじゃねえのか? 口も目付きも悪いチンピラとか、剣の才能がないとか」
いや。
「それは誰の目から見てもわかりきってることだから。改まって言う必要ないよ」
「……おまえ、マジでケンカ売ってるわけじゃねえんだよな? ケンカ売りに来たんじゃねえんだよな? 素で言ってんだよな?」
「人にケンカ売ってるほど暇じゃない」と答えると、呆れたような顔でしみじみ「すげえなおまえ」と言われてしまった。別に普通だと思うけど。サッシュみたいにわかりやすい性格ではないかもしれないけど。
「てゆーか俺、剣の才能ないのか?」
「俺から見た感じはないよ。まったくないよ」
「少しは遠慮して言葉選べよ……」
「才能ないのに誰にも教わらず自己流で鍛錬とか始めて本当に強くなりたいのかなって正気を疑ってたけど。……え? 正気だよね? 正気じゃない感じかな?」
「言葉を選んでくれ。あとナチュラルに毒吐くのやめろ。おまえそういう奴だっけ?」
うーん。まあ、俺が言うには珍しくはあるかもしれない。
「どうでもいい相手なら言わないと思うけど」
俺がサッシュをどう思っているかは、俺もよくわからない。
ただ、気になっていたのは確かで、気になる時点で決して「どうでもいい他人」ではないのだとは思う。
だから言いたいこともあるのだろう。
そして言っているのだろう。言葉を選ばずに。選ぶほどの関係じゃないと思うし。
フロランタンじゃないが、きつい旅を一緒に乗り越えたり、一緒に飯を食ったりして、俺もそれなりの情は湧いているってことなのかもしれない。
「……で? なんだよ。言いたいことって」
あ、そうそう。自己分析なんてどうでもいいや。
「あの時、俺は君に『弱いから武器を作ってくれない』って言ったよね」
「ああ。言ったな。傷ついたぜ」
「うん、それはどうでもいいんだけど」
「…………おまえ、本当は俺のこと、どうでもいいと思ってるだろ?」
それはさっき違うと言ったから、あえて言う必要もないかな。
「訂正する。君は弱くない。強いと思う」
「はあ? ……そういうのはいい。俺はおっさんに負けたんだ。おまえの言う通り弱いんだよ。もう認めたよ」
それはサッシュの判断であって、俺は違う見解を持っている。
ただ。
そう、ただ。
「君は強いけど、ただバカなだけだよね」
「ああ、わかった。よくわかったぜ。おまえやっぱケンカ売りに来たんだな」
「じゃあ俺からは以上です。それじゃ失礼しまーす――ぅぐ」
「さすがに行かせねえぞコラ」
あの時は足を取られたが、今度は襟首を掴まれてしまった。なんだよまだ絡むのかよ。面倒臭い。
「何? 俺の言いたいことは言ったんだけど」
「俺の用事が今できたんだよ」
そうか。聞きたくないな。
「このままおまえをボコボコにするのは簡単だ」
うーん。……そうだね。サッシュの「素養」を考えると、逃げるのは難しそうだ。ケンカか。勝てるかな? ……無理かな。
「ただ、おまえが普通にケンカ売りに来ただけとも思えねえ。だから理由を聞かせろ」
「え? 自分のことバカじゃないと思ってる?」
「バカだけど! どうせ俺は学も教養もねえよ! おまえがどうしてそう思ったかを言えっつってんだよ!」
ああ、そうか。
そうだよな。
全然気づいてないからあの有様だったんだよな。
「剣じゃないからだよ」
「……あ?」
「君の『素養』には槍だ。剣じゃない。移動速度が速いんでしょ? なんでその速さを武器に乗せないの?」
「…………」
おっ、と。
サッシュは襟首掴んでいた手を離すと、俺の肩を掴んで反転させた。おいおい、男と見つめ合う趣味はないんだけど。……真剣な顔してるなぁ。これは逃げられそうにないなぁ。
「俺は、槍か? 槍なのか?」
「俺の見立てでは。だって君、剣は素人でしょ」
一瞬で終わったおっさんとの勝負を思い出すと、如実である。
傍から見ていたら丸わかりなんだけど、それこそ本人だけは気づかないものなのかもしれない。
「基本的に、攻撃の行程は三つあるんだよ。
一が構え。
二、攻撃範囲の把握……移動や迎撃だね。
そして三つ目に攻撃。
これをどれだけ早くこなすか、またどれだけ行程を減らせるかが、強い戦士への道となる」
……と、俺は師匠に学び、訓練を重ねて実感してきた。
「で、あの時おっさんに攻撃をしかけたサッシュの行動を分けると、こうなる。
一、構え。
二、攻撃範囲の把握。
三、構え。
四、攻撃。
君はおっさんの前で減速したんだよ。攻撃するために『構え』たんだ。
緩急差で止まったようにさえ見えたよ。つまり速度をまったく活かせてなかった。
その『素養』を活かすなら、『移動と攻撃』を同時にこなすのが基本的な使い方だと思うんだけど。移動したと同時に攻撃が成立する、って感じで」
だから槍となる。
おっさんに足を掛けられて転がっていったところを見ると、サッシュの「素養」は瞬間移動ではない。移動時に体重が乗っている。
つまり「先が鋭い突起物を持ったままぶつかる」だけで攻撃になる。移動速度が攻撃に上乗せされるからだ。
恐ろしいのは、それが未熟な槍使いでも、大抵の魔物に致命傷を与えられるくらいのダメージが期待できることだ。
簡単に言えば、鋭く重く早い槍の一撃が真正面からでも狙える、ってことだから。
しかも、槍の扱いが上達すればするほど、もっともっと伸びるのだ。未熟の段階でも強いのに、まだまだ伸びしろがある。
たとえ剣と同様に槍の才能がなくても、サッシュの強くなりたいという想いと、槍を教えてくれる優秀な師匠がいれば、強くなる可能性しかない。そもそも今が弱い状態だ、これ以上弱くなる理由がない。
――ちょっと面倒だったけど、ちゃんと説明してみた。
そう、俺は気になっていた。
なんで槍という自分の「素養」に合う最適な武器を選ばず、剣で強くなろうとしているのかと。
「あと見た感じ剣の才能が……力任せに振り回してるだけだったから。血豆ができるほど無駄な努力してるから、はっきり言わないとかわいそうだと思って。やるならもっと効率を考えて、全身を剣の一撃に収束させるように」
「剣の話はもういい! 才能ねえのわかったからもういい!」
「なんなら素手の方が強いと思うよ。そっちなら移動から攻撃がたぶんできると思う。やったことあるでしょ? 『素養』を織り込んでケンカとかしたでしょ? 君の短絡的な思考を思えば、一直線に向かって殴るのと同じ理屈で槍が使えるんじゃないかな。一直線に向かって突く槍は性格的にも向いてると」
「おまえ饒舌だな! 無表情で淡々と! そんな話す奴だったっけ!?」
「この際言っといた方がいいと思って。次はいつこんなに話をする気になるかわからないし」
「気分で続けてんのかよ!」
「口が悪いからまともに話してるとイライラさせられそうだし」
「いや今のおまえも大概だぞ!? 丁寧に罵ってくれてるけど!? つか止まんねえな! 暴言が留まるところを知らねえな!?」
「あと基本あんまりサッシュとは話とかしたくないし。面倒ごとばかり持ってきそうだし。今後も適度な距離は保ちたいかな。そういうことでよろしくお願いします」
「わかった。おまえマジでいつか殺す」
――うん。
ようやく、あの地獄の馬車の旅で一緒に過ごした、俺の知ってるサッシュには戻ったかな。これでこじれた感情は多少ほぐれただろう。平常心って大事だからね。
これだけ感情を揺さぶれば、もう繰り返さないだろう。
無駄なくせに、無駄に身体を磨り減らすような無茶な訓練に、走らないだろう。
やれやれ。言わなくていいことをいっぱい言って疲れたよ。