48.向こう側の事情 1
馬小屋の掃除をしている最中、客が来た。
「“
野太い声と威圧感のある気配。そして新鮮な血の臭い。
いつもは鉄と汗の臭いしかしないのだが――だからここに来たのかもしれない。
「“
“霧馬”と呼ばれたあまり特徴のない男は、フォークを持つ作業の手を止めず答える。馬は二頭しかいない程度の広さである。続けようがやめようがさして時間は掛からないので、込み入った話になろうがなるまいが丁度よく終えられるだろう。
「緊急事態だからな。話がある」
「新入りの話だろう?」
「そうだ。それも、おまえが言っていた“メガネの小僧”だ」
――ついに殺ったか。
“霧馬”と呼ばれた男は、それだけで、“鉄牛”がここに来た理由を察した。
「山の魔物を狩ったのか?」
「そうだ。しかも――」
しかも?
“メガネの小僧”が山の魔物を狩ることは、充分予想できていたことである。
しかし、予想外に付いた気になる接続詞に、“霧馬”と呼ばれた男の手が止まり、意識が向けられる。
「空蜥蜴だ。奴を殺ってきやがった。想定外すぎるぜ」
「……なんだと」
意識どころか視線まで奪われた。
それは確かに緊急事態だった。
手早く作業を終え、“霧馬”は“鉄牛”を自宅の方に招いた。外で片手間にできるような話ではない。
元々大きな家ではないが、身体の大きい男が一人入るだけで圧迫感がすごい。
“鉄牛”に椅子を勧める。
すると、すぐにもう一人の客もやってきた。
「まずいよ“霧馬”。あの子……あ、“鉄牛”」
「ああ、“
ノックもせず家に飛び込んできたのは、目深にフードを被った黒ローブを来た老婆――いや。老いているには声が若い。
「そっちにも行ったの?」
「つーかタイミング的には俺んとこが先だったと思うぜ。
「あ、そうなんだ……そりゃよかったよ。あたしじゃ説明できない部分もあったから」
勧められるまでもなく、勝手知ったる友人の家に入ると“毒梟”はフードを上げた。
そこには老いた女……ではなく、妙齢の美女の顔があった。
かつては「傾国の毒婦」とまで呼ばれた女である。
その美貌には未だ一切の衰えはない。
まあ、完全に化粧気のない素顔なので、毒婦と言うにはややすっきりしているが。毒と言うには肌色も健康的だ。眉毛は薄いが。
「どこまで話したの?」
「まだ全然話してねえよ。これからだ」
今回は間がよかったか、と“毒梟”は呟く。
「あの子、なんかすっごい間が悪いんだよね。あたしと相性悪いみたい。たまんないわほんと……着替え見られそうになるし。しかも二日連続で。なんでノックしないのあの子」
かつては権力者どもを手玉に取りまくり、本気で怒らせれば一国を毒漬けにして滅ぼせると言われた女である。今更裸を見られるくらいどうってことない。まあ別に見せびらかすつもりもないが。痴女ではないから。
だが、この村に来るゲスト……生徒には、正体を隠している。
彼女の着る黒ローブには魔法の細工がしてあり、着ている者の年齢をかなり多めに……端的に言うと老いて見せる効果がある。オン・オフも自由にできるので、かなり重宝している。まさに変装用のアイテムである。
そして、まさかのノック無しの襲来が、二日連続であった。
着替える間もなく、正体を見られそうになったのだ。しかも二日連続だ。
「そもそもを言えば、なんであの“メガネ君”は常に気配を消して動くの? 何? くせ? そういうイタズラとか好きなの?」
村の住人の多くは察知できるかもしれないが、荒事ではなく薬品や諜報関係に特化している“毒梟”には、あれはかなり厄介だ。常人の気配ならまだ読めるが……
「それはおまえががんばれ」
「そうだ。実技をサボッて鍛えなかったおまえが悪い」
「はいはいできる奴の意見できる奴の意見」
“霧馬”と“鉄牛”は、荒事方面専門の者である。そりゃ気配を絶っている者を察知するのも得意だろう。対応だってできるってものだ。
――完全に話が逸れたが。
「話を聞こう」
一応この村の責任者ということになっている“霧馬”が言うと、“鉄牛”と“毒梟”は、ついさっき起こった緊急事態を告げた。
内容は、やはり、緊急事態である。
二人が駆けてくる程度には。
「村に到着してすぐに空蜥蜴の討伐、か」
事細かに聞いたという“鉄牛”の話を聞き。
“鉄牛”の下を去った“メガネの小僧”は、そのあと討伐した証として丸のまま空蜥蜴の頭を持ってきて“毒梟”に見せたらしい。
「恐ろしい人材がやってきたものだな」
生徒たちにはまだ教えていないが、すぐ近くにある山には、平均すると二ツ星の冒険者が苦戦するような魔物たちが生息している。
暗殺者を育成してきたこの村での、これまでの慣例としてはこうである。
生徒が村に到着してからは、各々が自分にあった暗殺技術を見つけて約半年ほど訓練し、そして山の魔物を実戦相手として腕を磨くのだ。
この時は護衛も兼ねた教官役もつき、みっちり教え込むことになる。
やはり実戦でしか培えない技術と経験があるからだ。
そして、その最終試練……いわば卒業試験に多く使われるのが、空蜥蜴の討伐だ。
空蜥蜴は、見つけづらい、戦いづらい、逃げ足も速いと、一筋縄ではいかない。
戦闘力が高いだけでは倒せないし、また小手先の技だけあっても決定打に欠ける。
一つの技術だけを高めただけでは狩れない、そんな魔物である。
しかも、おあつらえ向きに、実は高い殺傷能力を有さない。
攻撃方法は、噛みつくか体当たりくらいしかしないのだ。それなりに重量はあるし、見えない状態で仕掛けてくるので、それでも脅威と言えば脅威ではあるが。
更に言うと、空蜥蜴は雑食なので、人も食べることは食べるが、基本的には自分が丸呑みできるサイズの獲物しか襲わないのだ。
よっぽど空腹の時か、それとも繁殖期の気が昂っている時に縄張りに入るかしないと、まず人は襲わない。
そんな空蜥蜴を、村で身に着けたあらゆる暗殺技術を駆使して討伐することで、暗殺者育成学校の卒業となる。
だから緊急事態なのだ。
到着してすぐ、何一つ暗殺者としての技術を学んでいない小僧が狩れるような魔物では、断じてないのに。
なのにそれをやった奴が現れた。
ここ二十年ほどで、ようやく村として過不足なく過ごせる、地に足を付けた隠れ蓑を作って後進を育ててきたが。
二十年の間、こんなことをやらかす生徒は一人としていなかった。
「元々実力があるのはわかっていた」
“霧馬”は、道中の生徒たちの動向をちゃんと見ていた。
例年通りなら、強行する馬車の長旅で心底疲弊し、狭い馬車に押し込められた生徒同士はストレスや体調から八つ当たりやケンカを繰り返し、かなり仲が悪くなるのだが。
しかし今年は、かなり余裕を持って乗り越えていた。
すでに才能が開花し始めている魔術師と、瞬時に食料を調達できる狩人がいたからだ。
その辺からして、今年の生徒たちは一味違ったのだ。
特に“メガネの小僧”は、目を見張るものがあった。
「あの“メガネ”は、ワイズが自ら見出し、推薦した者だからな」
言おうか言うまいが迷ったが、すでに想定外の問題は起こっている。もはや隠す理由もないだろう。
あの“メガネの小僧”は、当初は予定になかった生徒だ。
ワイズ・リーヴァントがギリギリになってねじ込んできた者である。
“鉄牛”と“毒梟”の顔色が変わった。
「あのワイズが自らか?」
「……はあ、道理で歳不相応にできるわけだわ……」
ワイズは、ナスティアラ王国が抱える暗殺者集団の頭である。
暗殺者業界に世襲はない。
実力がある者だけが上に立つ。
つまり誰もが認め、一目置くような人物がトップに立つのだ。
現代の首領であるワイズこそ、唯一「暗号ではなく名前で呼ばれる者」なのである。
「……で、どうするんだ“霧馬”?」
人によって課題は違うが、“メガネの小僧”は間違いなく、すでに一つの卒業試験が終わった状態にある。
彼が到着してすぐにこなしてしまった以上、同じ課題を卒業試験でほかの生徒に出す、なんてことはできない。
絶対に「でもあいつ到着してすぐやったよね」と言われる。人によっては自尊心がひどく傷つけられることになる。
暗殺者は孤独な商売である。それなりの自尊心がないと続けられない。
パッと思いつく解決法としては、卒業試験の難易度を“メガネの小僧”基準に上げるしかなくなるが……
しかしそんなことをしたら、卒業できる者がいなくなる可能性もある。
この緊急事態を前に、果たして“霧馬”は――
「わからん。少し考える」
とりあえず保留とした。