45.メガネ君、イメージトレーニングで勝利する
とある高い木の上に、そいつの姿があった。
「暗視」で見ると、赤く浮かび上がっている。大きさといいトカゲの形状といい、図鑑で得た情報と相違ない。あいつで間違いないだろう。
しかし恐ろしい。
いるのがわかっているのに、気配はまったく感じない。こんな生き物、会ったことがなかった。……いやあった。あったなそう言えば。むしろ最近会ってばっかだったな。リーヴァント家にも暗殺者の村にもいたからね。気配がないけどいる人。真後ろにおばあさんとか。主に高齢者ばかりが。
あんなのが、いきなり頭上から襲い掛かってくることを考えると……魔物でさえ「狩人」と呼ばれるのも無理はない。あと全然今は関係ないが、真後ろババアがいきなり出てくるのもショック死くらいは狙える気がする。俺はそれくらいあのおばあさんは怖かった。
しかもあのトカゲは、
まだそこそこの距離はあるが、それでも俺は警戒し、その場で攻撃態勢に入った。
弓を取り、矢尻に麻痺毒を仕込み、弓を引いて構える。
そのまま音を殺しながら少しずつ移動し、木々や枝葉などが射線を塞がない、開けた直線位置を陣取り。
――静かに矢を放った。
「ギッ!?」
当たった。
空蜥蜴は突然の攻撃に悲鳴を上げて、木から落ちた。
それを確認する前に、すでに俺は走り出している。こんなこともあろうかとイメージトレーニングで予想済みである。
麻痺毒はすぐに効く。
問題はどれだけ早く回収し、村に戻れるかだ。すでに血は流れている。騒いでもいる、新たな魔物が合流する前に事を済ませなければ。
果たして空蜥蜴が落ちた場所には……何もなかった。
いや、ある。
ぶるぶる震える矢が宙に浮き、赤い液体が
驚いた。
本当に
この空蜥蜴という魔物は、「風景に溶け込む」という擬態能力を持っている。
水のように透明化するのだ。
昼でも恐ろしい力だが、光の屈折などで、よく見るとぼんやりとは見えるらしい。
だが、夜となると話は別だ。
光が乏しい夜となると、本当に見えなくなるそうだ
夜出会えば死を覚悟せねばならない、と図鑑に書いてあった。あと本当に全然関係ないが、図鑑の著者は「このような夜の狩人となって華麗に女性を落としてみたいものだ。」と空蜥蜴の項目を閉じていた。よくそのまま出版されたなと思った。
確かに、じっと見れば、何かがあるのはわかる。
もやっとしているというか。
景色が若干歪んで見えるし、たとえ透明になろうと、地面や草を押しつぶす実体まではどうにもならない。
いや。驚いている場合じゃない。
「見えない」ということは、「まだ生きている」ということだ。空蜥蜴は今も特技を使用して擬態している状態なのだから。
矢は、狙い通り首付近に刺さっている。
一撃で仕留めてもいい射撃ポイントだが、ポイントを外していないのに仕留められなかった。
ならば、矢が致命傷になるほど深く刺さらなかったということである。
強い魔核の影響だろう。
単純に防御力が高いのだ。
弓で仕留め切るのは無理かもしれないと思った俺は、解体用ナイフを抜いた。
こういう展開もあるだろうと考えていた。こんなこともあろうかと、入念なイメージトレーニングのおかげで迷うことなく行動を選ぶことができた。
「暗視」で「見えない魔物」の体勢を確認し、弓が刺さっている辺りを狙い。
腰にナイフを構えて、身体ごとぶつかるようにして、下から突き刺した。
「ギッ、グッ」
狙いは喉辺り。刃は多少の抵抗を受けつつも、重さを掛けたそれは一気に根元まで入った。
やはりこの部位は多くの魔物・動物の柔らかい部分の一つである。エサを食らう時に伸縮性が必要になるからだろう。
麻痺毒が効いているので大きくは動かないものの、それでも可能な限り全力で暴れているのだろうことが、ナイフを通じて伝わってくる。
生きようという生命力そのものの抵抗、その力は非常に強い。
こんなこともあろうかとイメージトレーニングは万全だ。俺は更に全身の力を込めて、ナイフを奥へと押し込む。
――バキン
嫌な音が聞こえた。
両手に持ったナイフから、獲物の抵抗する力が消え失せた。
ナイフを支点に拮抗していた力の片方がなくなったせいで、俺は空蜥蜴を乗り越えるようにしてバランスを崩した。
ぶっちゃけ派手につまずいた的な形である。だがこういうことも起こりうるかもしれないとイメージトレーニングで予想はしていた。
わずかな打身も存在しない前転で体制を整え、再び構える。まだ手の中にあるナイフは――あ、そうですか。そういうことですか。
ナイフは、根元から折れていた。手には真新しい血と柄だけが残っていた。
元々寿命だろうと思っていただけに、何より先にナイフが逝ってしまったようだ。俺の体重と空蜥蜴の抵抗力を受け止めきれなかったのだろう。
しかしながら、この程度のアクシデントはイメージトレーニングの想定内である。
俺はナイフだった柄を捨てて弓を構え、接射に近い距離で三本ほど続けざまに放った。狙いは頭である。
「……」
四本目を構えたところで、静かになった――音のない生命の鼓動を感じられなくなった。
俺は動きを止め、じっと空蜥蜴を見る。
――と、見えなかったそれに、すぅっと色が付き、ようやく本体が見えるようになった。
土と枯れ木と枯れ葉の色――まだらな黄土色の鱗に包まれた大きなトカゲが、目の前に現れたのだった。
力なく目を伏せられ、物言わぬものへとなっていた。
一応「メガネ」で数字が出なくなったことを確認すると、俺は弓と矢をしまい、トカゲの背中に上半身を倒した。
「よい、しょっとっ」
今回の狩りは、回収して村に帰るまでが、狩猟内容である。まだ油断はできない。
トカゲは、イメージトレーニングで想定した重量である。だいたい大人一人分――俺よりちょっと軽いくらいだ。俺が持ち運べるギリギリの重さだ。
これまたイメージトレーニングで考えていた亡くなった態勢であるトカゲを、一度ひっくり返し、腹側を両肩に担いで持ち上げる。
イメージトレーニングで苦慮したのは、ここから村へ帰る速度である。
俺はイメージトレーニングを何度も突き詰めて考え、ようやく一つの結論に至った。
――とにかく全力で走るしかない、と。
情け容赦なく考え抜いたイメージトレーニング通りなら、このまま何事もなく村まで戻れるはずだ。
何度か転んだり落としたり危険な気配を察知して「臭気袋」を投下したりしてごまかし、本当に文字通り転げるようにして山から脱出した。
危なかった。
絶対に魔物の何匹かに追われ、狙われていた。
山から出て、追ってきていた気配がなくなっているのを確認し、ようやく息を吐いた。
なんとかうまくいったか……でもこんなギリギリの狩りは、よくないな。
こんなの何度もやっていたら、近い内に絶対に失敗する。
いや、失敗ならまだいい。
結構な確率で、死ぬ。
今回はなんとか、自分でもえげつないと思えるほどありとあらゆるイメージトレーニングで足りない部分を補ったが、こんなえげつない思考を何度もできるほど、俺の本質はえげつなくはないのだ。
狩りは上手くいった。
だが、課題の残る狩りだった。
浮き彫りになった課題こそが、俺が暗殺者の村で克服すべきものなのだろう。
狩りが上手くいったのに、あまり嬉しくない。
足取りも重く、俺はトカゲを担いで帰途を急いだのだった。