44.メガネ君、狩りに向かう
二人きりになると襲われるかもしれないので、可愛い邪神の人形 (仮)を掘っているフロランタンから少し離れたところで、セリエに本を読んでもらった。
どうせ部屋もかなり薄暗いので、今なら外の方がまだマシだ。
開き癖と手垢が付いている、何度も捲られたページを重点的に読んでもらった。
わからない言葉などはその都度聞き返し、内容はしっかりと、文字もなんとなくレベルで一緒に頭に叩き込んでおく。
とりあえず「大変美味」と「この部位は確実に押さえたい」と「心臓の位置」という文字は憶えた。
言い換えると、食えるかどうか、高く売れる獲物として最も価値がある部分、生命としての弱点、となる。
獣型や人型なら頭部や心臓部といった弱点もわかりやすいが、虫型や爬虫類型は実戦経験不足ゆえによくわからない部分も多い。アルバト村付近ではあまり出なかったから。
本が読めなくなる……太陽が沈む頃まで読んでもらい、ひとまずここまでとした。
「そろそろ夕飯にしよう。ちょっと待ってて」
俺は一旦村から離れ、すぐに戻ってきた。
山の入り口付近で羽を休めていた羽青鳥という渡り鳥を仕留めて持ってきたのだ。まったく「メガネ」の力はすごいものだ。数少ない獲物を見逃さない。
「……」
うわ、猫がのそのそと寄ってきた。というか本当にずっと一緒だったな。
猫は興味津々という感じで、俺の手にある仕留めた鳥を見ている。こいつ絶対猫じゃないだろ。立ち上がると目線がやや下……つまり同じくらいなんだよ。四足状態でこれだから、後ろ足だけで立ったら倍くらいあるんじゃなかろうか。猫って胴が長いから。
「君の分はないんだけど」
「……」
「あっち行け」の意を込めて言うと、なんか悲しげに見詰められた。言葉が通じたとも思えないが……というか、猫じゃないけど、どこかの飼い猫だろ。自分の家でエサ貰って来いよ。
「あーあ、かわいそうに。罪のない子猫に」
そんな一部始終を見ていたフロランタンが、俺に罪悪感を植え付けつつ猫の首に抱き着く。今子猫って言った? それはもう猫呼ばわりよりも無理な相談だろ。
「良識のある者なら多少の肉を与えてもええはずじゃがのう。かわいそうにのう。われには良識とか善意とかいう人間らしい感情がないんかのう。恐ろしい時代になったのう」
時代は関係ないと思うけど。
「君の分のイノシシを上げれば済むと思うけど」
「それはできん」
うーん。言葉に困るほどに潔い。
「でもこの子に肉はやってほしい。それが親心じゃ」
うん。君は親ではない。そもそもこの猫は「この子」呼ばわりが許されるガタイじゃない。というか根本的に猫じゃない。
……フロランタンのゴネも、猫の視線も面倒臭くなってきたので、結局もう一羽狩ることにした。
というか、たぶんあの猫は、自力で狩れると思う。猫じゃないし。
夕飯を済ませて部屋に戻る。
自前の樹脂ローソクに火を灯し、明かりの下で改めて図鑑を眺める。
頭に入れた魔物の情報を租借しつつ、形状から考えうる魔物の動きを幾通りも予想し、イメージトレーニングを重ねる。
すべてがぶっつけ本番になるのはまずい。とっさの判断に迷いが生じかねない。
実際に経験を積むことはできないが、イメージ上ならそれが可能だ。
幸運にも事前に入手できた情報の理解度を深めつつ、夜は過ぎていった。
まだ暗いうちに目が覚めた。
暗殺者の村に到着してから二日目。さすがに旅疲れも癒えたようだ。
さすがに誰も起きていない寮を……いや、一人起きているな。二人寝ている寮を出て、朝の支度をした。
弓を引いて軽く練習し、それから朝食の準備をする。
まだ時間は早い。村も起き出す前である。猫もいない。猫じゃないけど。
――俺が標的に選んだ魔物は、昼夜動くが基本は夜行性で、日の出頃に寝入り昼すぎくらいからまた活動を始めるそうだ。
まあ、腹が減っていれば昼でもお構いなしに獲物を襲うそうだが。
だから、あくまでも基本は夜行性、だ。
というか、身体的特徴から、夜の方が圧倒的に強いみたいだ。
だから、魔物が疲れて寝入るタイミングに合わせて、狩りに向かうつもりだ。
「……」
「……おっと」
視線を感じて上を見れば、寮の屋根の上から巨大猫が顔を出していた。いや猫じゃないけど。どうやら昨夜はあそこで寝たようだ。
しかも降りてきた。飯時を狙って来やがった。飼い猫だろ。飼い主の家に帰ればいいのに。猫じゃないけど。
一人で食うのもアレなので、仕方なく昨日狩った鳥肉を猫にも分け与えつつ、狩猟道具のチェックをしながら時間を潰す。
……それにしても、骨から肉を削いで葉っぱに乗せるという手の掛けぶりに、我ながら甘さを感じずにはいられない。この猫を擁護するフロランタンとあまり変わらない気がする。……まあいいか。
彼方から太陽が姿を見せ始め、世界が明るくなってきた頃、俺は立ち上がった。
「……」
遠慮なく鳥肉を食ったあと俺の傍で伏せていた猫に見送られて、俺は山へ向かう――途中で一度振り返った。
「君、猫じゃないだろ」
「……」
猫は「なんのこと?」と言いたげに前足をなめだした。……猫らしいしぐさしても猫じゃないだろ。
この狩猟は短期決戦である。
麻痺毒の効果がある内に。
血が流れれば魔物が寄ってくる。
騒いでも魔物が寄ってくる。
手負いの魔物が仲間を呼ぶ場合もある、かもしれない。
以上の理由から、早めに片を付けて回収し、村に戻ってくるつもりだ。
なお、最後の情報は図鑑にも載っていなかった、あくまでも俺自身が推測の中に入れたものだ。
もしかしたら同種同士の繋がりがあるんじゃないかと思っただけである。もちろんそうじゃなければいいが。
色々と考えたが、一人で獲物の回収までできそうな魔物は、あまりいなかった。割と消去法で狙うことを決めた魔物である。
そして、完全に「メガネ」に頼ったものでもある。
山に入り進むと、すぐにその魔物を見つけた。
――やっぱりすごい。
他の魔物の気配は感じるのに、そいつの気配は一切感じない。
虫よりも静かに呼吸し、山鳥よりも希薄な魔物が存在するなんて、思ってもいなかった。
別名、闇夜の狩人だ。