40.メガネ君、暗殺者の村を見て回る
「ここを使え」と案内された家は、そこらの家より少し大きかった。
二階建てで、外観からすると安宿っぽい。ただ寝るだけ、みたいな感じの。
まあ、実際中身もそうだったけど。
中は、薄い板で仕切られた狭い個室が並んでいるだけの代物で、ここまで案内してくれた御者のおっさんが言っていた通り、中にはなにもなかった。一応掃除だけはしっかりされている、程度のものだった。なお、おっさんはすぐ帰った。
まさか王都で泊まっていたあの宿より狭い宿泊場所なんてあったのかと衝撃を受けたが、旅で疲れた体は、ベッドがなくても生活用品がなくても、なんなら床に雑魚寝でも、すぐに受け入れてくれた。
各々が自分の部屋を決めると、台所もないこの家では料理もできない。表に出て村の中で野宿道具を広げて、夕飯を済ませた。
本当に、本当に文字通り、住むだけの場所を与えられただけだった。
考えることは多いし、必要な物も足りていない。
でも、今日だけは言葉も少なく、足りない物を数えることもなく。
ただただ屋根があって雨風しのげる、村の正体からして逆に安全性だけは保証された場所で眠るのだった。
翌日。
狩人の朝は早いものの、疲れ切っていた俺は少々寝坊をして起き出す。
自分が思う以上に、身体は休息を求めていたらしい。まあ固い床で寝たので身体中痛いけど。
節々が痛い身体を伸ばし、「メガネ」を掛けて顔を洗うために表に出て、改めて陽の下に照らされた村を見た。
……やっぱり普通の村だ。見た目は。
早くから畑仕事を始める者、棒で素振りしている者、洗い物や洗濯物を干している女性たち。それぞれがそれぞれの仕事をしている。
かすかに金属を打つ音が聞こえるので、村のはずれに鍛冶場もあるみたいだ。規模は小さいだろう。簡単な物なら作ってもらえるかもしれない。
意外なのか、そういうものなのかはわからないが。
明らかに暗殺者じゃない者……いわゆる普通の人もいるんだな。どういう役回りなんだろう。さすがに暗殺者の集まっている村だ、という事情くらいは知っていると思うけど。
まあ、その辺のことも追々わかっていくかな。
近くにある井戸で水を汲み、顔を洗い、喉を潤す。
――さてと。
馬車の旅ではサッシュたちと共同生活でやり過ごしてきたが、ここからは個別の行動となる。
好きに過ごしていい、と御者のおっさんは言っていた。
自堕落に寝て過ごしてもいい。
当然何も身に付かないが。
がんばって生活してもいい。
ただし自給自足が基本だから、学ぶだけに集中すると生活基盤が揺らぐ。最低限の栄養を摂取しておかないと体調を崩したりもするだろう。そうなれば暗殺者の技術を学ぶどころではなくなる。
つまり、自分で何を学びたいか、どれだけ学ぶかは、各々のペースに委ねるということだ。きっとここで生活している村人……元暗殺者の人たちが教えてくれるんだろう。
俺は……まだ、かな。
生活基盤を整え、ここでの生活に慣れるまでは、誰かに教えを乞うのはやめておこう。まず生活できるようになることが第一だ。最優先だ。
安定した食料の確保とか、ベッドが欲しい……とまでは言わないけど、敷物くらいはないと寝苦しい。
それに、今はいいが、季節が巡ってその内寒くなってくる。
いずれ冬を越すだけの準備も必要になるだろう。
やはり、まずは安定を求めたい。学ぶのはそれからだ。
――よし、俺の方針は決まったな。まず村を見て回ってみよう。
明らかに玄人……という人もいるが、完全にただの村人になり切っている人もいる。そして実際ただの村人、という人もいる。子供もいるんだよな。本当に普通の村っぽい。
見た目だけは、本当に普通の村なんだけどな。
……まあ、一番危ない人は、すぐに見つけたけど。
とある家の前で、丸太を輪切りにしたような簡素な椅子に座り、こっくりこっくり居眠りしているおじいちゃん。頭もハゲてるし、手もしわしわで、どこからどう見ても完全におじいちゃんだ。
でも、あれが一番、俺は怖いと思った。
気配は普通だし、隙がない、というわけでもない。ただ座っているだけの老人にしか見えない。
だが、あれは危険だ。
そう思うだけの具体的な理由はない……いや、俺の中でまだ名前がわからない警戒心の一種なのかもしれないが。あれには近づかない方がいいと、生存本能が激しく警鐘を鳴らしている。
試しに「メガネ」で「数字」を見てみると……案の定の「0」である。俺には逆立ちしたって勝てない相手である。
「――おまえは目がいいな」
おっと。
声を掛けられるまで気配が読めなかった。
驚き振り返ると、昨日までずっと一緒にいた御者のおっさんが立っていた。そういやこの人もここの住人だったっけ。
「あのおじいちゃん、強すぎない?」
「わかるか。あれはかつて、ナスティアラに古くから存在する暗殺者の歴史で、一番の凄腕と言われた者だ。ドラゴンすら平然と暗殺したという逸話も残っている」
ほんとかよ。
……本当っぽいな。なんかあのおじいさん見ていると納得できてしまう。
「ところでエイル。狩りに出るのか?」
「え? 出るけど」
俺はそれ以外で食料を調達する術を知らない。やめるわけにはいかない。
「そうか。止めはせんが、ここらの魔物は強い。気を付けていくように」
それからおっさんは、近くの狩場のことを教えてくれた。
ここは山のふもとにある村である。一番近い狩場となる山はすでに見えているのだが。でもほかにも獲物が獲れる場所があるみたいだ。
「それから、これを」
と、おっさんが出したのは、本である。……魔物図鑑?
「この本に、近辺で出没する魔物の情報が載っている――まだ駄目だ」
受け取ろうとしたら避けられた。なんだよ。じゃあなんで出したんだよ。
「食べられる魔物と簡単な調理法、解体のしかたなどが載っている。これは絶対におまえに必要なものだと思う」
ああそうだね。事前に魔物の情報を知っていれば、大いに狩りに役立つよね。早く渡してくれよ。
「だが、ここでは自給自足が鉄則だ。一方的に貰うことはないし、一方的に与えることもない」
……ああ、なるほど。つまり本を与えてもいいけど何かを出せと。そういうことか。
「昨日狩ったイノシシの肉と革は?」
「成立だ」
あ、どうも。簡単に済んだな。
「もう一度言うが、狩りに行くなら気を付けろよ。早々に脱落者なんて出てほしくない」
それは狩場を見ないとなんとも言えないが……まあ、精々気を付けようかな。