35.メガネ君、馬車に揺られる
馬車が揺れる。
重い沈黙の中、馬車はごとごとと揺れる。
だいぶ居心地が悪い。
これから七日から十日ほど同乗することになるのを考えたら、多少は打ち解けるべきだろう。元凶だってこんな雰囲気でいたいわけでもないだろうに。
俺は、正面でつまらなそうに外を見ている男を見た。
名前はサッシュ。藍色の短い髪を逆立てた目つきの悪い男である。身体は細く大きくはないが、それでも俺よりは大きい。というか俺が小さいだけだが。
それにしても、何度見ても、どう見ても、ただの路地裏にいそうなチンピラっぽい。
「あ? 何見てんだよ」
ほらチンピラだ。
敵意を剥き出しにしないと素直におしゃべりできないタイプのチンピラだ。一目でチンピラだなーってわかったね。
「えっと……額の生え際?」
「どこ見てんだよ!」
だから生え際だよ。でこだよ。安心していい。まだ大丈夫だから。
これ以上相手するのは面倒なので無視し、彼の隣に目を向ける。
そこには、やはりつまらそうな顔でちょこんと座る忌子がいた。
そう、忌子だ。初めて見た。
灰色の髪に赤い瞳という、何万人に一人生まれるという悪魔の生まれ変わり――忌子と呼ばれる人物だ。田舎者の俺でさえ知っている世界の常識、になるのかな。
名前はフロランタン。十四歳になったばかりの小さな女の子。
ただし目つきは隣のチンピラより鋭く、血のように赤い瞳がギラギラしている。間違いなく不良少女である。路地裏でチンピラと一緒にいそうな不良少女である。間違いない。
「……あ? 何見とんじゃ」
しかも地方なまりがひどい。そのせいか年齢にあるまじき迫力がある。これは間違いなく不良集団を牛耳ってるタイプの不良だろう。あるいは裏社会のボスの娘とか。そんなんだろう。恐ろしい。
「えっと……生肉と焼いた肉、どっちを食べる派?」
「はあ? ……普通生肉は食わんじゃろ」
「つまり逆に食べない派?」
「逆の意味がわからんのじゃが」
そうか。ボスの娘でも生肉は食べない、と。勉強になるな。
「へえ? 忌子なら生肉くらい食いそうだけどな? ほんとは食ってんだろ、犬とか猫とかまるかじりしてよ。前世は人殺しの大罪人だもんなぁ?」
「黙っとれ小僧。われと話す気はねぇわ」
「俺の方が年上なんだよ。クソガキ」
「中身は幼児じゃろうが。幼稚な小僧が」
チンピラとボスの娘が睨み合う。……うん、だよな。この雰囲気の悪さ、居心地の悪さは、絶対に君らのせいだよな。
俺の隣にいる金髪のメガネは、一番この雰囲気の悪さの影響を受けて、今や顔色が青くなっている。……もしかしたら単に馬車酔いしているのかもしれないが。
隣の女の子は、セリエ・リーヴァント。あの暗殺者屋敷で会った一流の暗殺者志望の女の子である。
長く美しい金髪に、透き通った空色の瞳。俺とチンピラとボスの娘みたいなよれよれのぼろっちい服ではなく、仕立ての良いワンピースを着ている。どこからどう見ても貴族の娘っぽい。まあでも場違い感で言えば間違いなく彼女が一番である。
「……あの、エイル君、なんか袋的なの持ってません……?」
口元を押さえて、小さく囁く。やはり馬車酔いかもしれない。
チンピラのサッシュ。
裏社会のボスの娘フロランタン。
暗殺者志望のセリエ。
そして俺。
この四人が、今年の暗殺者育成学校に入学する生徒となる。
一応サッシュが一番年上になるのかな? 彼が十六歳で、俺とセリエが十五歳、フロランタンが十四歳である。
入学を決めて、狩猟ギルド兼暗殺者ギルドに紹介状を渡したあの日から、少しの時が過ぎていた。
――ちなみに、狩猟ギルドと暗殺者ギルドは兼業だったらしい。表の顔と裏の顔、といった感じになっていたみたいだ。
なんでも、各地にいる入学者たちが集まるまで待機とのことで、その間に俺はアルバト村の両親と師匠に手紙を書き、三度冒険者チーム「夜明けの黒鳥」に挨拶に行った。
手紙と挨拶を要約すると、しばらく王都を離れて色々見て回ろうと思う、という予定を告げたのだ。
これから一年間、俺は暗殺者育成学校で学ぶから。
身内が心配しないように、ちゃんとしばらく帰らない旨伝えておかないといけない。
そして、お城から注文を受けていた「メガネ」を納品した頃、他の入学者が集まったと連絡が入り。
すぐに顔合わせと出発が決行されたのが、昨日のことである。
そしてその結果が、この有様である。
狭い馬車に押し込まれ、雰囲気の悪い車内に一日ほど詰められた後。
休憩がてら夕食を食べている時に無口な御者のおっさんに聞いたところ、ここから七日から十日を掛けて暗殺者育成学校へと移動するそうだ。
ちなみに御者のおっさんも、暗殺者関係の人であるらしい。
一日でもすでにだいぶきつかったのに、まだまだ先は長いという悪夢。
俺も基本的に人のことは気にしないようにしているが、それでも、この重苦しい雰囲気はかなりきつい。
さてどうするか。
もう少し打ち解けてもらわないと、本当につらい。これから何日も地獄のような旅路になってしまう。
……うーん。
…………
とりあえず、セリエに使ってない革袋を渡してから、気にせず寝るか。ひとまず寝てから考えよう。
「……洗って返します、ね……」
あ、返さなくて結構です。存分にお使いください。
最悪な馬車の旅は、まだまだ始まったばかりである。