32.メガネ君、誘われる
通されたのは、応接間だろうか。
広い部屋のど真ん中には低いテーブルがあり、それを挟んで革張りのソファが対になっている。
絨毯も立派だし、暖炉もあるし、細々した細工物があるが……なぜだろう。何か空々しい印象がある。
なんていえばいいんだろう。
借りもの、というか、新しい、というか。
……そう、人が利用した痕跡がない気がした。あまり利用されていない部屋なのかもしれない。
まああくまで俺の印象だ。単に掃除が行き届いているだけかもしれない。
「そちらへお掛けください。主人を呼んで参りますので」
爺さんの進めるまま椅子に座る。
そして爺さんが部屋を出ていくと――背筋が凍った。
「ひっ」
横に座った金髪の女の子は、ちゃんと表に出して怯えていた。だよね。さすがにそうなるよね。俺もなりかけたよ。
「――まあ、可愛らしいお客様だこと」
いつからいた。
俺たちの後ろから、メイド服を着たどこにでもいそうなおばあさんが現れ、運んできた紅茶と茶菓子を並べ出す。――この婆さんもまずい。ニコニコしているくせに全然笑っているように見えない。危険すぎる。
さっきの爺さんといい、このおばあさんといい、いったいなんなんだ。
「……何か?」
不気味な笑顔で俺を見ている婆さんに、俺は問う。
「いいえ?」
しかし婆さんは、温度を感じさせない手ごたえのない返事を返すだけ。
用がないなら見るのやめてもらえますかね。かなり怖い。さっきの爺さんと同じくらいの危機感を感じる。
なんなのこの屋敷。化け物揃いか。普通の人はいないのか。……隣にいたか。かわいそうなくらい震えあがってる。そうだよね。普通そうなるよね。異常だよね、ここ。この家の娘でもこの有様ってどういうことだ。これが貴族のやり方か。
疑問ばかりだが、とりあえず、気を落ち着かせよう。
紅茶のカップを手に取り、口に運び――飲まずに置いた。
……かすかに臭った。
これ、紅茶に麻痺系の毒が入ってるんだけど。俺が知っているのだと思うから、死にはしない奴だ。でも動きに影響が出るかもしれないから、飲まない。というか普通は飲めない。
「……」
婆さんが下がった。俺の見えない、俺の背後に。そして危険な気配も消えた。
ゆっくり振り返ると、もういなかった。
ドアがあるのでそこから出ていったのだとは思うが、開けた音もなかったし、空気の流れも感じなかった。本当になんなんだ。
「こ、こわ……」
隣の女の子が、まだ震えている手でカップを取り、口に運ぶ。……飲んだなこいつ。
「味はどう?」
「え? 美味しいですけど……あれ? なんだかちょっとピリピリしますね」
やっぱり麻痺毒か。え、この子この屋敷の娘なんじゃないのか? この屋敷の貴族の娘じゃないのか? 普通に毒盛られてるんだけど。
……まあ死なない奴だから大丈夫だろう。そもそも各ご家庭の教育方針に口を出す気はない。ましてや貴族だし。貴族界隈では普通のことなのかもしれないし。貴族怖い。
「あ、こっちもなんかピリピリ……」
お茶請けのクッキーにも麻痺毒。……貴族の娘が自分の家で普通に毒盛られてるんだけど。
なんなんだ。この屋敷。
それから程なくして、待ち人がやってきた。
「すまない。待たせた」
言いながら入ってきた人物は……どこかで見た老紳士である。白髪に染まった髪とヒゲに革のベストという品の良い姿。どこかで見ている気がする。
老紳士は、俺と女の子の向かいに座り――言った。
「私はワイズ・リーヴァント。リーヴァント家の当主だ。よろしく」
…………
まあ、予想はしていたけど。この人もまずいね。貴族ってこんな怖い人たちなんだな。……俺、生きて帰れるかな。
「まず、君。エイル君」
はい。なんすか。
「色々試してすまなかった。リーヴァント家は少々特殊でな」
……はあ。ここまでの歓迎の数々のことですね。
「結局なんの意味があったんでしょう?」
試されたことはどうでもいいが、どうして試したかは非常に気になる。試される理由がわからない。
「率直に言うと、君という人間がどういう人なのかを知りたかった」
なんつーか……そのままだな。
試すって結局、なんらかの問題を突きつけて相手の反応を探るってことだからね。具体的な答えのようで最初からわかってることだよね。
まあ、理由がそうだと言われれば、納得せざるを得ないが。それ以上の意味がないのに追及しても答えが変わるわけじゃないだろうし。
「それで、何かわかりました?」
「すばらしい逸材だということがわかった。大したポーカーフェイスだ。あれだけ脅されて感情の揺れも少ない。おまけに判断力にも優れている。敷地に入るのはまだしも屋敷に入ったら間違いなく死ぬ、そう思って入るのを躊躇っただろう? 毒物にも精通しているかね?
その歳でそこまでできれば大したものだ。
私はすでに、君が欲しい」
…………
…………
あっ。
「ごめんなさい。さすがにおじいちゃんと恋愛はできません」
「ああ、私も君と恋愛する気はないよ。そういう意味ではないから安心しなさい」
あ、そうですか。……この屋敷に来てから、さっきのが一番怖かったな。ぞっとしたよ。答えにも躊躇したよ。貴族怖い。
「して――セリエ」
老紳士……ワイズは、隣の女の子を見る。
「あ、はい。ワイズ様」
「お父様と呼びなさい」
「……はい、お父様」
ん? この二人、親子じゃないのか? ……貴族のご家庭の事情には関わらない方がいいか。気にしないでおこう。
「よろしい。――これが最終確認になる。君の意思は、変わらないか?」
まっすぐに向けられた視線に、隣の女の子はしっかりと目を見て答えた。
「はい。わたしは、セリエは、お父様の下で暗殺者になります」
え、ちょっと待って。
今なんかさすがに無視できない言葉が。無視できないフレーズが。
「結構。認めよう」
結構じゃないだろ。認めるなよ。娘が暗殺者になるとか言ってなかった? ……え、暗殺者って言ったよね? 俺の聞き違いか? アーサッチャとかいう国があるとかそういう意味か? そうであってほしい。俺はそうであってほしい。
「エイル君」
うわ、またこっち見た。というかまだ暗殺者の衝撃があれなんだが。表には出てないだろうけどすごい戸惑ってるよ。
そう考えると色々と辻褄があって納得できてきたとか。
爺さんとかおばあさんとかこのワイズとかが、裏社会で生きる暗殺者だと言われると、嘘でも冗談でもないと直感でわかるというか。
「娘を助けてくれてありがとう。お礼に、君を招きたい」
いや、招かなくていいです。
「――暗殺者育成学校へ」
ほらー。招かなくてよかったのにー。招かなくていいのにー。何言ってんのこの人。
「あ、お断りします。ではこれで失礼します」
決断に迷う余地がなさすぎるだろ。人助けするような奴が殺しの世界に入るかよ。