02.メガネ君、アルバト村からの出発
俺のせいで微妙な空気になったそのまま選定の儀式は終わり、成人を迎える宴となった。
まあ特に娯楽もない田舎なので、酒や食い物が出ればそれなりに盛り上がってきた。
面白みはないけど、誰にとってもわかりやすい「素養」を引いたシャロンとナーバルは、例年通りに大人たちから大人の仲間入りを祝福され。
面白みしかない、もはやネタなんじゃないかとすでに思われつつある、非常にわかりづらい「素養」を引いた俺は、なんとも腫物みたいな扱いだ。いっぱい大人たちから慰めだかなんだかわからない言葉を掛けられた。
面倒な上に居心地も悪いので、早々に気配を絶って存在感を消し、唯一楽しみにしていた料理をむさぼることにする。
うーん、うまい。
やっぱり肉……と言いたいところだが、野菜も嫌いじゃない。アルバト村特産の大葱は最高だ。火を通せば甘くなり、焼いてそのまま食べてもうまいし、煮ればほかの食材とうまく溶け合って優しい甘みが調和する。
子供の頃は嫌いだったけど、食べ慣れた今では好物である。肉と煮ると最高だ。
「おい」
木陰に座り、宴の広場から離れ隠れて食べている俺を見つけられるのは、師匠だけである。
いつもは毛皮の服を着て、人間らしさを覆い隠すような野暮ったい狩人の格好をしている師匠が、今日は普通の村人の姿だ。
狩人ベクト。
熊みたいな大男で、ヒゲもモジャモジャで、およそ粗雑で豪快なおっさんにしか見えないが。
実際は、繊細にして精密な動きで獲物を追い仕留める、凄腕の狩人だ。
俺はまだ、師匠には敵わないと思う。
見上げるほどの大男だが、実際には実力も見上げるほど上にいると思う。そのうち追いつけるかな?
「今日くらいみんなに混じれよ」
俺の隣に座る。
師匠も、料理を皿に山ほど盛って来ていた。
「俺はここでいいよ」
目立ちたくないし、見られたくない。もっと言うと見つかりたくない。
狩場ではそういう技が求められる。
だから俺は狩人がいいんだ。
「はあ……夢がねえな、おまえは。都会で一旗上げたいとかねえのか? 俺がおまえくらいの頃は、ずっとそんなことばっか考えてたぞ」
師匠のその手の話は、何度も聞いた。
いつもは「はいはい」と適当に流していたが。
でも、今日くらいは、聞いてもいいのかもしれない。
だって、今日から俺も、大人の仲間入りだから。
「実際そうしたの?」
「おう。十年くらい都会でがんばったんだ」
「結果は?」
「都会が合わなくてな。ちょうど狩人がいない村があるから行かないかって紹介されて、この村に流れてきた」
へえ。
「その頃、ちょっと気になってた女を誘ってな。つまり嫁にプロポーズしたのと同時に移住したんだ」
あ、その話はいいです。
「言っとくが、俺は気になる程度だったけど、嫁の方が先に俺のこと好きになったんだぜ? おっとみんなには内緒だぜ?」
もう百回くらい聞いてるからその話はいいです。実際どうであってもあんまり興味ないです。
「…………」
「……こんな時でも聞かねえな、おまえは」
無反応な俺に諦めたのか、師匠は興味がない話をやめた。
「それで、その『メガネ』、どうだ?」
「気に入った」
すごくよく見える。師匠もよく見える。でもよく見なくてもよかった。おっさんを鮮明にはっきりくっきり見たって仕方ないし、なぜか気が滅入る。それに思ったより額が広……いや、これ以上の発見はやめておこう。
「にしても、よくわからん『素養』だな」
みたいだね。
傍から見ると、そういう微妙な感じらしい。
俺からすれば、すばらしい代物だと言わざるを得ないんだけど。
――特別な日のはずなのに、いつものように師匠とどうでもいい話をしながら、飯を食い。
腹がいっぱいになってうとうとしかけた時、師匠が立ち上がった。
「エイル、ちょっと来い」
師匠の家は、村のはずれにある。
狩った獲物を解体したり、革をなめしたり、肉の処理をしたりと、獣の血の臭いが染みつくことを考慮してのことである。
肉や革は、村で育てている野菜などと物々交換したり、行商人に売ったりしている。
俺も、狩った獲物でわずかながら貯金ができた。
まあこの村でのお金の使い道なんて、行商人から何か買うくらいしかないが。でも俺は欲しいものなんて特になかったからなぁ。
今なら、「お金で買えるならメガネが欲しい」と思ったかもしれない。
でもそれさえもお金を使わず手に入れてしまった。
「そこで待ってろ」
師匠は家の中に消えた。ちなみに噂の師匠の嫁は、今は宴の方にいるはずだ。
家の前には、なめしている途中の革や、天日干ししている毛皮が並んでいる。今日は狩りに出る気はなさそうだ。
「ほれ。成人祝いだ」
ほどなく戻ってきた師匠は、俺に向かって一本の弓を突き出した。
何本か弓を持っている師匠だが、それは俺の記憶にない一本だった。
「作ったの? わざわざ?」
「あたりまえだ。おまえは俺の弟子だぞ。弟子の祝いをしねえ師がいるか」
弓を受け取る。
軽いが、堅い、複合弓だ。たぶん材質は幽霊樹。
木を丁寧に削り湾曲させ、曲げ、樹脂を染みこませ、更に研磨した黒山羊の角を張って補強してある。
まだ誰にも使い込まれていない新品の弓だ。
大人用の短弓。
それも、かなり威力が出るやつだ。
あまり身体が大きくない俺は、子供の頃に貰った子供用短弓を、特に不便もなく今日まで使ってきた。
目が悪いおかげで、獲物に近づかないと狙えなかったからのだ。
だから、たとえ弓の威力が低くても弱点を外さず狙う――威力よりも確実に急所に当てる、精度を磨いてきた。
さすがに大物は狙えなかったが、それで中型の獲物や魔物くらいなら、たくさん狩ってきた。
だが、この複合弓なら、大型の獲物も狙えるだろう。
「それくらいの弓なら、エイルでも引けるだろう。やってみな」
勧められるまま、肌身離さず持っている弦を取り出し、複合弓に張る。
弓を曲げないようにし、しかしピンと弦を張る。幾度も繰り返し、教えられた通りに。師匠がたまに使う長弓なんかは張り方も難しいみたいだけど、これなら今まで使っていたものと同じように張れる。
きちんと張れたかどうか、軽く指で弦を弾く。乾いた歌が響く。
うん、まあ、こんなもんだな。
当たり前だが、今日まで使ってきた弓とは、重さも長さも、弓を引く力も違う。全てのバランスも違う。慣れるまでに時間が掛かるかもしれない。
「狙ってみろ」
渡された木の矢も、使ったことがない長さだ。重量も違う。もっと深く穿ち、もっと遠くまで飛ぶ矢だ。
きっとこれまで通りに射たところで、思った通りには飛ばないだろう。
これも慣れなければいけない課題か。
足を固定し、弓を構え、矢を番えて弦を引く。
――速い。
的の案山子に掛けてあるなめし皮に、自分が想像する以上の速度で、矢が突き刺さっていた。
「お、いきなり当てたな」
いや、俺的にははずれだ。俺は隅っこを狙ったから。しかし矢はど真ん中に生えている。
この近距離で狙いを外すようじゃダメだな。まだ実戦じゃ使えない。
練習しなきゃな。
…………あ。
「師匠」
「あ?」
「ありがとう。すごく嬉しい」
「メガネ」も嬉しかったけど、この贈り物はそれ以上に嬉しかった。
「へへ、気に入ったんならいい」
師匠が照れ臭そうに笑う。やっぱりあんまり鮮明にくっきりはっきり見たいもんじゃなかなった。額が……いや、これ以上は見ないでおこう。
「ま、今度いらねーって言ったらブン殴ってたけどな」
ああ、うん。
「そろそろ新しい弓を」って話をされるたびに、いらないって言ってたからな。俺。
――遠くを狙える弓になったら、目が悪いのがバレると思ったから。
師匠の屁で死にかけたあの事故で、俺の目が悪くなったことは、誰にも話していないし、今後も話すつもりはない。
言ってもどうにもならないし、ただ気にするだけだから。
多少視力は落ちたが、五体満足で今も生きているんだから、それで充分。
もし師匠が、俺の元の視力を知らなかったらよかったが、弟子入りしてすぐに検査したからな。
まあそりゃ検査はするよね。視力は弓で狙える距離に関わるから。
もし長距離を狙える弓に変えたら、すぐに俺の視力が落ちたことに気づいただろう。
そして、派手な怪我やミスは、あれ以来一度もないので、あれが原因だとすぐに察したはず。
そもそも、あの事故は俺の失態でもあるのだ。
師匠一人に罪を負わせたくはない。臭いと故意に直撃させた件はいまだ謝ってほしいが。そっちは結構根に持ってはいるが。あの時は絶対に師匠の体内に生じた悪意を野に放っていいタイミングではなかったはずだが。
まあそれさえも、「メガネ」のおかげで解決したも同然だけど。
早速、新しい弓に慣れるように訓練を始める。
一本の弓を長く使い続けたせいか、まだまだ新しい弓に違和感がある。早いところ手に、身体に、目や耳に、感覚に馴染ませないと。
「エイル、おまえはきっと、明日村を出ることになる」
ん?
十本ほどを撃ったところで、それを見ていた師匠が妙なことを言い出した。
「なんで?」
「『メガネ』だよ」
……? メガネが何か? めちゃくちゃ便利だけど?
「正直俺にも、その『メガネの素養』がどんなものかよくわからん。多少世界を見てきた俺だが、それでも初めて聞いたしな。悪ふざけのようにも思えるし、ちゃんとした意味や用途があるようにも思える。
だが、確かに言えることは、それは間違いなく物理召喚で生まれたものだ。おまえには魔術師の才能があるってことだ」
まあ、そういうことになるんだろうね。
「だから、一度は王都に行くことになる。ホルンと同じようにな」
あ、そうか。
たとえ「メガネが作り出せる」というよくわからない「素養」でも、物理召喚は魔術師の領分ではあるんだよな。
「明日、村に来た兵士たちと一緒に行くことになるんだな」
「そういうことだ」
「わかった。さっさと行って、すぐ村に戻るよ」
訓練を再開しようと視線を外した俺に、師匠は「まあ待てよ」と話を続けた。
「せっかくの機会だ。王都どころか世界を見てこい」
「え? なんで?」
「おまえには弓の才能があるからだ。俺よりもよっぽどな。きっとおまえの力を必要とする人がたくさんいて、おまえの存在を待っている人もたくさんいる。そしておまえ自身、もっと成長するためにもな。
村に戻るのはいい。
一生をここで過ごすのもおまえの自由だ。
だが、人生において今しかできないことってのは、確実にあるんだぜ?
無理に見つけろとは言わねえ、だが探してはみろよ。おまえはまだそれさえしてねえだろ。自分の可能性を探してみろ」
可能性。
可能性、ねえ。
……って言われてもなぁ。
「俺は誰にも見つからずに過ごしたいんだよなぁ……」
人の視線を受けるのが嫌で、目立つのも嫌だ。
できれば、このまま静かに村で暮らしたいんだけどな。
翌日。
朝早くに、選定の儀式をしに来た兵士が、家を訪ねてきた。
「かなり判断に迷ったが……一応、『魔術師の素養』があるものと見なし、アルバト村のエイルの城への出頭を命じる。これは王命である」
言葉の端々に、本当に判断に迷ったのだろうことを伺わせつつ、俺を連れていく旨を報せに来た。
出発は朝飯が終わってから。
兵士たちと一緒に、乗ってきた馬車で連れていかれることになる。王命で。顔も見たことがない奴の命令で。
二年前、姉がそうだったように。
ただ、姉の時は、村人総出で快く送り出したが。
俺の場合は相変わらず「メガネ?」「メガネ……?」と、微妙な空気を漂わせながらの見送りだった。
――こうして俺は、生まれ育った村から出発するのだった。