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21.メガネ君、移動する





「神秘的っていうのは、ああいうのを言うんだろうね。


 秘境と呼ばれる森の奥地に、湖があってね。その湖のど真ん中には霊木がそびえていた。


 木漏れ日を帯びて揺れる湖面と不思議な生命力を感じさせる大木は、それはそれは美しい光景だった。

 息をするのを忘れるほど、そこが危険な森の奥地であることも忘れるほどに。


 そして、湖の水を飲んでいる動物たち。


 霊木が魔物を遠ざけているのか、そこだけ明らかに空気が違うんだ。聖なる存在に守られているというか……とにかく神秘的な場所だったんだ」


 …………


「集まった動物たちの中に、それはいた。

 かすかに発行する、金色の毛皮をまとったウサギ。


 ――そう、希少性から伝説とまで言われる黄金兎だ。


 私の目の前に、伝説がいたんだ」


 静かに語っていた姉は、くわっと目を見開いた。


「食べちゃったよね! 有無を言わさず狩って! 食べるしかないよね!」


 …………


 そのオチ聞くの、すでに五回目なんだけど。


 一回目は、かつて乱獲され数が激減し、昨今では目撃情報さえ出ない幻の一角鹿。


 ――「食べちゃうよねぇ!」って。


 二回目は、一生に一度会えれば幸運とまで言われる白銀の大型魚。


 ――「食べちゃったよねぇ!」って。


 三回目は、三ツ星の冒険者でさえ避ける狂暴な大型獣で知られる鈍足竜。


 ――「焼けばだいたいの肉はイケちゃうよねぇ!」って。


 四回目は、見かけることは簡単だが狩ることは難しいと言われる渡り鳥・銀鳥。


 ――「焼き鳥感覚で食べちゃったよねぇ!」って。


 で、五回目は、黄金兎と。





 急に姉が語り出したので何事かと思えば、そう、アレだ。


 これは自慢話だ。


 貧しい村に生まれた俺やレクストンにとっては、基本的に肉はごちそうだ。祭りや祝い事にしか食べられないごちそうだ。


 俺だって肉は好きだ。

 姉が引くほど喜ぶから霞むが、姉より俺の方が肉が好きだと自負している。そう見えないだけで内心は俺の方が好きだ。


 俺が狩人になったのだって、祭りや祝い事以外で肉が食えると判断したから。


「どうだエイル? お姉ちゃん、いっぱい食べたんだぞ」


 うん…………


 …………


 正直、ものすごく悔しいし、羨ましい。


 今出てきた五つの獲物は、田舎者でも知っている伝説の存在と言っていい。

 アルバト村近くの森では絶対にお目に掛かれない者たちである。なんなら実在するのかしないのかわからないってくらいの者たちである。


 そうか。

 俺は、俺がやりたいことは村でもできると思っていたが、違うのか。


 俺も、名前は知っているが出会うのは困難という獲物たちに会いたい。珍しい動物の肉を食べてみたい。


「というか……あの」


 俺同様に黙って聞いていたライラが、おずおずと言った。


「たった二年でそんなに珍しい動物たちと出会えるのが、すでに奇跡っていうか……」


 あ、そうなの?


 田舎では絶対に会えない獲物たちではあるが、都会では違うかと思ったけど。

 それも違うのか。


「いいか?」


 ホルンはキリッと言い放った。


「人がいないところへ行くんだ。人がいるところにはいないんだ」


 まあ、基本的な狩りの鉄則である。人、というか、外敵が近づけば獲物はだいたい逃げるからね。


「でも、人が入らない場所は、危ないですし……」


「冒険者が冒険しないでどうする」


 極端な意見だなぁ。……ライラはなぜか感銘を受けているっぽいが。


「おまえは大人になっても落ち着かないな」


 それらの出会いは知らないレクストンが、もう呆れているというより半ば感心している。

 そうだね、ホルンは村にいた時からどこにでも行っていたからね。成人の日以降は行動範囲が異様に広がったみたいだね。


「でも目の前に肉があったらレクスだって食べちゃうだろ?」


 そういう問題じゃない。食べちゃうだろうけどそこじゃない。


「肉が落ちてたら食べちゃうだろ?」


 それは食べない。普通の人は拾い食いはしない。


「野菜だって土に落ちてるだろ。それを食べるだろ。肉が落ちてるのと野菜が落ちてるのと何が違うんだ」


 その理屈は子供の頃から聞いてる。拾い食いをやめろと俺や両親や村の大人に言われるたびに返していた言葉だ。大人になってからも聞くとは思わなかった。

 そもそも野菜は土に落ちているわけじゃないって何度言わせれば気が済むんだ。


「でも拾って食べるのはさすがにやめたよ」


 当たり前のことだけど、幼少時のホルンを知っている側からすれば大した進歩である。


「洗ってから食べるよ」


 …………


 もうまともに相手しなくていいかな。疲れた。


 親には「ホルンは肉食って元気。少しだけ成長の足跡有り。あと数年で人並みの常識は身に着くかもしれない」と報告しておこう。


「ホルン」


「ん?」


「お疲れ様でした」


 元気な姿を確認したし、近況も本人から聞いた。幼馴染の話も聞いた。


 もう姉に用はない。 


「『メガネ』返せ」


 姉に取り上げられていた「メガネ」を回収し、俺は席を立った。


 怒るかと思えば、何事もなかったように姉は俺を見上げる。怒ったら速攻で走り去ろうと思っていたのだが。


「変わらないね、エイル。お姉ちゃんに全然構ってくれないね」


 構うだけ疲れるからね。昔から。


 …………


 姉もあんまり変わってなければ、俺もあんまり変わってないのかもな。納得はいかないけど似た者姉弟と言えるのかもしれない。





 どちらにせよ姉は予定があり、そろそろ出かけるつもりだったようだ。


「ひよっこ冒険者チームの、一ツ星昇格試験の付き添いの依頼だよ」


 何日も掛けて仕事をし帰ってきたのが昨日なのに、翌日にはまた仕事に行くつもりだったらしい。

 じっとしてられない性分も、変わってないようだ。


 ちなみにレクストンもそれに同行する予定だったみたいだ。今メンテに出している鎧や剣を取りに行き、そこで装着して一緒に出るらしい。


「ご馳走様でした」


「おう。まだ王都にいるんだろ? 予定があえばまた会おうぜ」


 ここは年長者である俺が、と飯代を払ったレクストンに礼を言い、店の外で見送る。


「じゃーな弟。今度はそのメガネくれよな」


 おう、がんばれよ姉。「メガネ」はあげないけど。


 思った以上に成長が見えなかった姉も見送り。

 さてと横にいるライラに向き直る。

 

「『黒鳥』のリーダーに挨拶したいんだけど、案内頼める?」


「……案内はいいんだけどさ」


 ライラは微妙な顔をしている。


「それよりなんでホルンお姉さまの弟って言わなかったの?」


 まだ引っかかってるのか。

 まあそれに関しては俺から何も言っていないから、理由を聞きたくはあるのだろう。


「まず本当にライラがホルンの知り合いかわからない。ホルンと知り合いであることを公言したくない。関係者であることを公言したくない。

 現在の姉がどうなっているかわからない以上、周囲に知られて面倒に巻き込まれたくないと思ったから。姉に迷惑を掛けることにもなりかねないし。

 言う方が不自然だと思わない? 田舎者だって警戒くらいするよ」


「…………」


「……というわけで、納得できた?」


「い、意外とちゃんとした理由があったんだね……」


 ちゃんとしてるかな? 普通だと思うんだけど。


 バカみたいに「ホルンの弟でーす」って吹聴して回るような真似して、いいことがあるとは思えないし。俺にとっても、姉にとっても。


「てっきりあたしに興味がないからだと思ってたけど」


 …………


「あれ? なんで黙るの? ……おい待て。なんで何も言わないの?」


 いや、うん。


「理由の九割はそうだったから、もう返事いいかなって思って」


「ダメだろ! 返事しろよ! ……え、さっきのもっともらしい理由、全体の一割しかないの!? 九割興味ないから!? そんなにあたしに興味ないの!?」


「興味はあるよ」


「いや嘘だろ! それ嘘でしょ!」


「そういうこともあるよ。ところでそろそろ案内してくれる?」


「どういうことがあるんだよ!! メガネは聞いてない時は相槌が雑になるからわかるんだぞ!! 興味を持て!!」


 うーん。


 興味って、人に言われて持つようなものじゃないし。


 言ったら絶対怒りそうだから言わないけど。


 あんまり騒がれて目立つのも嫌なので、猛る赤毛の少女をなだめ、とにかく移動することにした。







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