16.メガネ君、数字の謎を解く
数字のことは気になるが、まずは赤熊を仕留めてからだ。
俺の予想が当たっていれば、ここから数字は高くなっていくはず。
矢をつがえ、弦を引く。
――一つ、攻め手封じ。
「グオオァァ!!」
上体を起こして身体ごと振り下ろす、体重を乗せた右手の一撃。
振り上げ、俺目掛けて振り下ろされると同時に、矢が走る。
「グギャァォ!?」
矢は寸分違わず狙い通りに走り、迫る右前足のてのひらを撃ち抜いた。
――二つ、足止め。
痛みに攻撃を中断した赤熊を目前に、二本目の矢を構える。
狙いは、バランス悪く立ち上がったままの左後ろ足の膝。
「グゥゥ!?」
――三つ、……は、まあ、いらないか。
膝を貫かれて上半身が折れ、倒れるように赤熊の頭が下がった。
俺と赤熊の距離はない。
手を伸ばせば鼻に触れられるという零距離で、俺はすでに三本目の矢を構えている。
怒り、動揺、そして恐怖。
俺と同じ視点の高さで合わせた赤熊の目が、一瞬で感情が移り変わる。
己の死を予期して。
自分が負けたことを悟った瞬間、鉄の矢は赤熊の右目から頭部を貫通した。
「……よし、終わりっと」
三本目の矢を撃ったところで、頭上の数字は「100」になっていた。
そして、ゆっくりと身を横たえる赤熊から、数字が消え失せた。
あの数字は、たぶん、勝率だと思う。
どういう計算で割り出された数値かはわからないが、たぶんそうだと思う。
木の矢を構えた時、見つかった時、向かい合った時。
赤熊の動向で数字が変動した理由も、そう考えると説明がつく。
これまでロロベルにしか見えなかったのは、ここ数日、俺が敵と見なして警戒した相手が彼女以外いなかったからだ。
ロロベルは強い。
初対面から、俺より強いと判断した。
だから俺は警戒し、勝てるかどうか推し量った。
そんな時に数字が見えた。
最初、俺の隣に座った時、数字は「52」だった。
あの数字は、きっと「不意打ちで仕掛けて勝てる確率」だろう。
逆に言うと、不意打ちしても五割は勝てない相手、となる。俺の勘もそれくらいだと判断する。
ロロベルには、不意打ちからの戦闘でも、勝てる気がしないから。
しかもあの時の彼女は、警戒らしい警戒もしてなかったと思う。それでも勝率五割。まともにやれば俺では勝てない相手だ。
次は、俺の部屋に来た時だ。
ライラと並んでベッドに座るロロベルの数字は「31」だったかな。
単純に、俺と向かい合っていたからだ。
隣にいる時より勝率が下がるのは、単純に目の前にいたからだろう。変な動きをすればバレバレだから。
そして最後に、メガネをあげた瞬間。
数字は「74」まで跳ね上がった。
普通に考えて「メガネ」を貰って喜ぶと同時に、俺から注意が逸れて油断したのだろう。
そう考えると、筋は通る。
――何せ、そう意識して木から降りてきたライラを見れば、頭上に「99」という数字が見えるのだから。
うん。
ライラなら、どんな状態でも勝てる自信がある。
そんな風に「敵じゃない」と認識している対象には働かないようだが、意識すれば生き物は全部見えるかもしれない。
「……あ、あのさ! あたし『火炎球』が得意だからさ! これがあたしの実力って思われると、なんというか、アレっていう感じなんだけどさ!」
ライラがなんか言い出した。
数字のことはもう少し色々試してみるってことで、今は置いておこう。
「うん、わかった。じゃあさばくの手伝って」
「いやなんか言えよ! 感想を!」
いや別に感想なんてないんだけど。
「魔法が使えてすごいね」
「言葉だけ聞くとすごいイヤミだけどその感情のこもってなさは適当に言ってるよね!?」
「毛皮がもったいないなぁ」
「聞け! 興味持って! もうイヤミでもいいから言って!」
赤熊の毛皮は、よく洗ってなめして柔軟剤で仕上げると、刃も通さなかった剛毛が赤ちゃんの肌にも優しいってくらいにふわあっと仕上がるのだ。一番価値がある部位と言える。
こんなに無駄に無意味に無作為に毛を刈られてしまうと、絶対に毛皮の換金額は下がるだろう。もったいない。
「……あのさ、こういう結果にはなったけどさ、あたし来てよかったわ」
解体用ナイフを取り出してさばき始めた俺の後ろで、ライラがなんか言っている。
「ほら、同じチームの人とかさ、かなり強くてさ。赤熊なんて剣一振りで仕留めちゃうのよ。それより強いとされている魔物なんかも簡単に倒しちゃってさ。
おかげであたしは、赤熊が弱い魔物だとばかり思ってた。違うね。全然強いんだね」
ふーんそう。
「学ぶことがあったんならいいんじゃない?」
それより早く解体を手伝ってほしいんだが。
「あたしはまだ、強い人と組んじゃダメだ。まだその段階にさえいない」
うーん。水汲んできてくれないかなぁ。
「そ、それより……メガネって強いんだね」
ああ、うん。
「『このメガネ』はすごいと思う」
「…?」
言葉にすれば不自然だったかもしれないが、意味はわからなくていい。
この「メガネ」があれば、本当にいろんなことができるのかもしれない。
それこそ、世界に名を馳せる英雄にだってなれるかもしれない。
面倒だからなりたくはないけど。
てきぱきと赤熊の毛皮を剥ぎ、魔物には必ずある魔核を心臓から取り出す。この二つが一番高く売れる、一番大切な部分である。
次に、食べてうまいとされる肉の部位を切り出す。これも換金対象である。
重量が重量なので、俺とライラではすべては持って帰れない。
売れない部分、売っても小銭にしかならない部分は、置いていくしかない。
あとは――ああ、そうそう。忘れちゃいけないのがあったな。
「寄せ肉って知ってる?」
なんか言い出していたライラも解体に参加し、ようやく処理が終わった。
巨大な肉塊と内臓が残るというアレな光景だが、このまま放置はできない。血の臭いが遠くの獣を呼ぶかもしれないので、穴を掘って埋めておこう。
だが、その前に。
「寄せ肉? 何それ?」
「肉を細かく刻んで固めて焼く料理なんだけど」
「……いや、知らない」
説明されて想像したものの、それに適応する料理を思いつかなかったらしい。
「そう」
じゃあ本当に師匠のオリジナルなのかな。
師匠が自慢げに料理の方法を教えてくれた上で、「俺が発明したんだぜ」と自信満々で言っていたが、あんまり信じてなかったんだよな。
自慢げなところが胡散臭いって思ったから。
まあ真偽はともかく、俺も久しぶりの寄せ肉だ。やっぱり赤熊を狩ったらこれをしないとな。
「食べる?」
「何を食べるのかよくわかんないだけど……一食浮くと思えばいい?」
「そうだね」
「じゃあ食べる」
よし、二人分だな。
俺は、赤熊のあばら骨の一本から赤身の肉をこそげ取る。赤熊の肉はどこもかしこも固いので、ここが一番柔らかいと教えられた。
二人分を取り、それを持ってきた臭み取り作用のある葉っぱに包む。これでよし。
残りの赤熊の骨や内臓等を地面に埋め、その場を離れた。
俺がいつも狩りをしている川の付近まで移動すると、川の水で手や解体用ナイフなどの血を落とし、そして葉っぱに包んだあばら肉も良く洗う。
ちょうど昼時である。ここで食べてしまおう。
「お湯を沸かしてくれる?」
「あ、うん」
小さいながらも、調理道具一式は冒険者には必須アイテムであるらしい。俺も一応持ってきているけど、ライラの自前の鍋で川の水を火にかける。
その間に、俺は調理だ。
よく洗ったあばら肉を細かく叩き刻み、臭み取りの葉っぱも刻み、持ってきた大葱も刻み、塩を入れて全部混ぜ合わせてこねる。よく混ぜるがよくこねないのがポイントだ。
一人分が一つである。丸く平らに形を整えて寄せた肉を、沸かしたお湯に投下し――すぐにお湯を捨てる。
「え、捨てちゃうの?」
「うん。脂を軽く落とすだけでいいんだ」
乾いた布で寄せ肉の水分を取り、今度はじっくり焼く。これで焼けたら完成だ。すでにおいしそうな脂が溶ける匂いがしている。
「パンもあるから」
挟んで食べればうまいのだ。
「準備いいね……あたしのことには興味ないくせに」
それとこれとは話が違うだろう。俺がうまい肉を食いたいだけのことだし。
「赤熊の肉ねぇ……あたしあんまり好きじゃないんだよね。臭みが強いっていうか」
「ああ、わかる。俺も
焦げ目も鮮やかにしっかり焼きあがった寄せ肉をパンに挟み、先にライラに渡す。俺の分はこれから焼く。小さいフライパンなので二つ同時には焼けないのだ。
「あんまり期待してないけど……ん? え、うまっ!? え、これ赤熊の肉!?」
そうです。
驚きましたか?
俺もはじめて食べた時は驚きました。
料理人がしっかり料理したらおいしいらしいけど、そんな高尚な調理方法は俺の村にはなかったからね。
幼少の頃に食べた赤熊は、固いし臭い肉という悪印象しかなかったけど、師匠に教えられたこの寄せ肉で食べると、非常においしいのだ。
「もう少し置いておくと臭みも消えるんだけどね」
「うん、かすかにあるけど気にならないくらい弱い! 肉の味をしっかり感じる! おいしい!」
そう。そりゃよかった。
俺も食うか。
こうして、赤熊の狩猟は完了した。
あの数字については、これからもっと細かく調べていこうと思う。