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第三十三話 良き王の資質


 時は少し、遡る。


 自然ならざる力で、ヴィクトールが自分の娘を連れいずこかに姿を消した後、一人取り残されたゼノンはあまりの展開に言葉を失い、立ち尽くしていた。


 状況は最悪だ。


 兄王子と剣の師は死に、長年の親友も裏切りの凶刃に倒れた。

 

 伝承の中の存在と思っていた『禁忌の扉』はこじ開けられ、世界にその凶暴な牙を剥いた。


 荒れ狂う天、四方から響く地響き、吹きすさぶ突風に世界が騒めいている。


 王家に伝えられてきた『扉』にまつわる伝承はその在りかまで。いかようにしてこの未曽有の災厄を収めることが出来るのかは全く見当もつかない。


 「……嘘だろう?……こんなことって、あるかよ……」


 ただの無力な自分だけが残されても、一体何が出来る―――!


 ゼノンは絶望に打ちのめされ、片膝を地面に落とした。


 悔し涙が込み上げた。


 自分が、もっとしっかりしていれば。


 もっと早く、兄王子に本当のことを話していれば、理解し合えていたかもしれない。あるいは少なくとも、ルキウスが劣等感のために自らの国を危険に晒すような愚行を犯すことは無かっただろう。


 今回のことは、おそらくルキウスが王家に伝わる口伝を、自らの取り巻き貴族に口を滑らせでもしたのをユングに知られてしまったのが発端だっただろう。ユングがあれ程の野心を隠し持っていたことは、ゼノンですらも予想していなかったことだが、もし自分と比較されることもなければルキウスももう少し王族としての自分を誇示する欲に駆られることも無かっただろうに。


 小さなことが積み重なり、それは大きなひずみとなって今、ブランを大きく揺るがせている。


 「……くっそ……っ……俺がっ……早く、真実を告げていれば……っ……!!」


 ゼノンは胸を大きく掻き毟り、苦悶に表情を歪めた。その時―――。


 「……っう……くっ……!」


 という、かすかな苦し気な声を耳にした。


 ハッとゼノンは俯けていた顔を上げた。この声は、まさか―――!


 「……!!ク、クリストファーっ!?」


 顔を向けた先に、信じられないものを見た。


 僅かに痛みに顔をしかめたクリストファーが、うっすらとその目を開けているのを。


 「お前っ、生きていたのか!!!」


 ゼノンは歓喜の声を上げ、クリストファーに駆け寄った。


 信じられないことだった。胸を深く斬りつけられ、大量の血を流し命を落としたかに見えたクリストファーが、苦しそうにそれでもゆっくりと起き上がり始めた。


 「……っぐぅっ……ハァッハァッ……うっ……」


 胸を押さえながら起き上がったクリストファーの手に新たな血が滲む。だが、その息遣いも次第にしっかりと整って行く。


 「……ゼノン……悔やんでいても仕方ないだろう。後悔なら後からでも出来る、それより、今出来ることをしよう……」

 「クリストファー!!……お前、ああっ、本当にお前、生きているんだな!!神よ……!!!」


 上半身を起こしたクリストファーにゼノンはその身体を支えるように手を添えた。その手から、しっかりとした生者の体温、感触が伝わって来た。


 「……ヴィヴィアンのおかげだ」

 「……何だって?」

 「……見てくれ、傷口がもう、こんなに塞がって来ている。ヴィヴィアンは前にも、その血で僕が含んだ毒を打ち消し、救ってくれたことがあった。たぶん、『禁忌の扉』が開いたことで、ヴィヴィアンの中の『女神』の力がさらに強まり彼女の涙が僕の傷口を癒したんだ」


破れ、血に汚れた上衣をはだけ、ゼノンに胸元の傷を見せながらクリストファーは説明する。


 「……!!」


 ゼノンは驚愕に目を大きく見開いた。確かにそこにはすでに新しい皮膚が再生を始めていた。


 クリストファーはその効果を実感するように、傷をもう一度撫でた。まだ体を動かすと痛むものの、出血は驚くほど減り、意識もはっきりしている。おそらく、時間が経つほどに胸の傷はさらに塞がり、小さくなるだろう。それはクリストファーにとって予感と言うよりもむしろ、既知の事実だった。


 「『扉』を閉めなければ」

 

 クリストファーは無意識にそう、呟いた。


 「……え?」


 驚いて声を上げるゼノンに、クリストファーは冷静に顔を向けた。


 「ゼノン、ここでこうしていても何もならない。『扉』が開かれたせいで、今世界中で急激な自然災害が起ころうとしている。大きな地震、吹雪、もしくは干ばつ、空は厚い雲に覆われ、作物に被害をもたらすだろう。それによる飢えや、怪我に苦しむ人々がたくさん出て来る。君は王族として、国王に進言し各地に兵を派遣し食糧、医薬品といった物資を送るんだ。これは、王命で王国軍、兵士全体を動かさないといけない」

 「ちょっ、ちょっと待て、クリストファー!!い、一体、何をお前は知っているんだ!?」

 

 クリストファーの突然の提案に、ゼノンは面食らい、声を上ずらせる。クリストファーはあくまでも冷静だった。


 「……分かるんだ。……どうやら、僕にも、『ルカ』の意識が宿ったみたいだ。もう、1000年前と同じ過ちを繰り返したくない。ルカはずっと悔やんでいたんだ、そして孤独だった。それは、自分が愛する兄と女神を裏切ったからだ」

 「ク、クリストファー……!?」


 そう、今クリストファーに湧き上がって来る知識、記憶はルカの血が延々と言葉なく語り継いできたものだった。これまでほとんど意識していなかったが、はっきりと分かった。自分はルカの末裔だと。

 

 「1000年前のルカは、自分がしでかした重大な罪に、恐れおののき、兄アゼルに縋るだけだった。自分が『禁忌の扉』を開いて世界を存亡の危機に陥らせたくせに、逃げ出し、兄に人々の非難を差し向けたんだ。最低な卑怯者だった。それなのに、アゼルはルカを責めるどころか、その不名誉を受け入れたんだ。血を分けた弟への愛情のために」


 そして目覚めたのは知識だけではなかった。


 ルカの持つ能力、『すべてを見通す力』。


 クリストファーは立ち上がり、遠い彼方を見つめた。それは、亡きノワール共和国がある方角だった。


 「分かるんだ。なぜ、セレニスが、『扉』の封印を3人の血にしたのか。それは、この罪を分け合うため。ルカだけに十字架を背負わせないためだ。でも、ルカは最後まで彼らの手をとる勇気を持てなかった。そうやって卑怯なまま、孤独な王になったんだ。なら、過ちを正すのは―――今だ」

 

 アゼルと女神セレニスの想いは、いつだって人々の宥和だった。それなのに、ルカの子孫たちはいつも争いを止めなかった。その負の連鎖を、断ち切りたい―――。


 「……お前にルカの意識が宿ったなら、分かっているんだろう?……俺は、『王族』じゃない。俺には一滴もルカの血は流れていない」


 項垂れながら、ゼノンは自嘲するように嗤った。


 そうだ。


 本当は以前からそうではないかと、薄々感じていた。自分は、国王の子ではないのではないかと。


 それが、『禁忌の扉』が開いたことではっきりと事実として突き付けられた。『アゼル』『ルカ』『セレニス』の血に呼応し、苦しむ子孫たちを前に、ゼノンは『扉』の影響を自身にはほんのひとかけらも感じなかった。それはつまり、自分は王の不義の子であるどころか、顔も知らぬ亡き生母の偽りの産物であるということだ。


 「ゼノン……!!目の前の目くらましに囚われるな!もっと広く世界を見てくれ!」


 クリストファーは座り込んでいるゼノンの片腕を掴み引き上げた。


 「人々を正しく導くのは、血でも、特別な能力でもない!事実、ルカは良い王じゃなかったんだ。良き王の資質とは、人々を想い、自ら混乱に身を投じられること。誰かのために、努力し続けることが出来ることだ!!僕は知ってる、ゼノンが今までどれだけブラン国民を想い、自らの足で各地を回り、自分の目でこの国を見つめ続けて来たのかを!!」


 ハッ、とゼノンがその金色の目を瞠った。引き上げられ、バランスを崩しつつもしっかりと地に足をつける。


 「友よ、自分を見失わないでくれ。他者のために涙を流すことが出来るなら、君は良き王たり得るんだ」


 クリストファーは、涙を流す親友をしっかり見つめて言った。


 その信頼に、微塵も揺らぎはなかった。


 「……分かった。王族の犯した過ちだ、同じ王族の俺が贖おう。それが亡き兄上へのせめてもの手向けだ」



 しっかりと頷いたゼノンの瞳には既に迷いは無かった。


 

 ―――二人が別れる時、ゼノンはクリストファーに尋ねた。お前はどうするのか、と。


 愚問だな、とクリストファーは笑った。


 

 「愛する奥方殿を迎えに行くのさ」、と。




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