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第二十九話 狂王子


 『王家の庭』は王宮の最奥、王族のうちでも限られた人間しか入ることを許されない。クリストファーもその存在は知っていたが足を踏み入れたことはもちろん、近づいたことすらなかった。


 まさかそこに、伝説の『禁忌の扉』があるなんて。


 ゼノンの道案内のまま、二人はやはり王族しか知らない王宮内秘密の地下通路を足早に通り抜けていく。


 「クリストファー」


 息が上がらない手前の速さでクリストファーと一緒に通路を進むゼノンが、ふいに呼び掛けて来た。


 「……前にお前言っただろう、俺が無用な争いを避けるために身を引いていると」

 「……?」


 クリストファーは視線だけをゼノンに送った。彼の言わんとすることを測りかねていたからだ。


 「……本当は違う、そんな綺麗なもんじゃない。……俺は心の中でルキウスを嘲笑っていたんだよ。名もなき側室の子供に生まれ、生まれながらに日陰の存在を余儀なくされた俺は、心の底であいつを妬んでいた。だから王の器にない狭量な人間が王位を得て、周囲の圧力に負けて己の無力さを思い知ればいいと。あいつが失敗する度に俺がその後始末をしてやればあいつへの風当たりは強まり、俺への評価は上がり続ける。そうやってあいつを一生風下に立たせてボロボロに朽ちて行く様を見てやろうと思っていた」

 「……それは……!」


 クリストファーは親友の言葉に絶句した。


 いつも快活な彼の中にこんなどす黒い願望が渦を巻いていたなど、長年共に過ごしていても露ほども感じなかったからだ。


 「本当は俺だって王の器じゃない。だがあいつを矢面に立たせている限り俺は『失敗』しない。常に安全な場所にいて高みの見物を決め込んでいた。本当の意味で王族の自覚や、ブランを憂う気持ちがあったとは言えない。だから今回のあいつの暴走を許してしまった」

 「ルキウス王子の暴走と、お前の想いは関係ないだろう。お前が気に病むことじゃ……」


 クリストファーの宥める声に、立ち止まりゼノンは大きく横に手を振った。


 「違う、俺の曖昧な態度が今のブランの混乱、政治のねじれを生んでいる。本当はもっと早く自分の立場をはっきりさせ、俺は王位継承者ではなく王を支える臣下の一人にすぎないと示すべきだったんだ。何故なら俺は本当は……!!」

 「もういい、ゼノン、自分を責めるのはよせ!!」


 クリストファーは叫び、親友の両肩を強く揺さぶった。


 「今ここで悔やんでいても仕方ないだろう。今は一刻も早くルキウス王子の乱心をとめないと。僕は『王家の庭』がどんなものか知らないが、そこに『禁忌の扉』が実在するなら嫌な予感しかしない。下手したら王家とかブラン一国の問題ではなくなるかもしれないんだ!!」


 伝承や歴史書で伝え知る『禁忌の扉』は不吉の象徴であり、この世に未曽有の災厄をもたらす存在だ。


 これまでは神話の中の話とその実在を半信半疑だったが……ヴィヴィアンが女神セレニスの子孫であり彼女の血が自分にもたらした奇跡を考えれば、あながち完全な作り話とは言い切れない。


 クリストファーの言葉に、ゼノンは項垂れた。


 「……こんなことを言っても無駄だろうし、言うとお前は怒るかもしれんが」


 そう切り出し、彼にしては嫌に神妙な様子で続けた。


 「……ヴィヴィアン嬢と離婚して、ヴィクトールと縁を切れば、少なくともお前に降りかかる火の粉はなくなる。お前は背負わなくていい苦労をする必要もないんだぞ?」

 「ゼノン!」


 ゼノンの予想通りに、クリストファーは厳しい表情で抗議の声を上げた。


 「今回のことでヴィクトールが処刑されたとしても、それは表面上はただの犯罪者への刑罰であるとして内々に処理されるだろう。この先ルキウスが王になり、おかしな真似をしようものなら今度こそ俺が全力でそれを阻止する。王家の一員の責任として。だがお前がわざわざ首を突っ込む必要はない。これまで通り、一文官として好きな本でも読んで平和に過ごす選択肢もお前にはある。再婚でもすれば昔からの夢だった『幸せな家庭』だって手に入れるのは難しい話じゃないだろうさ」


 ゼノンの口調はおどけているようで、ひどく真剣だ。


 クリストファーも彼の性格は知っている。道化を装っているが、誰よりも責任感厚く、また親友を気にかける義理堅い人物だ。


 「……せっかくの忠告だが、僕はそれに応えることは出来ないな。ヴィヴィアンは僕にとって他の誰とも代えがたい、ただ一人の大切な人だ」

 

 クリストファーも極めて真剣な態度で、しかしはっきりと意思表示をした。


 「……クリストファー。かつてルカとアゼルの兄弟は血を分けた双子でありながら、争った。女神の寵愛を求めて。どうもこの二人の血というものは長い時間を経た今でも女神を追い求めるものらしい。……お前にもルカの血が流れている。もしかしたら、お前が嫁さんに惹かれたのは、お前自身の感情じゃなく、その遺伝子に刻まれた刷り込みかもしれないぞ?」


 ヴィヴィアンへのこの感情が、自分個人のものではなく、遺伝子に刻まれた刷り込み―――?


 一瞬、どくん、とクリストファーの心臓が跳ねた。


 何故かそれが真理に思えたからだ。


 この身に流れるルカの血が、女神ヴィヴィアンを欲している―――?1000年も経った、今でも―――?


 「……関係ない」


 クリストファーは自分自身、驚くほど無意識に、しかし断固とした声音で呟いていた。


 例えそれが、真実だとしても、二人が夫婦として築いて来た時間、過ち、苦しみ、そしてその果ての絆は二人の間に確かに存在している。


 「この気持ちの出所がどこか、だとか、彼女が何者か、だなんて、どうでもいい。ただ一つ、僕の中ではっきりしているのは、『彼女を守ることこそが僕の存在の全て』だということだけだ。僕の血、僕の身体、僕の魂。彼女のためなら何でも捧げてやる」

 「……冗談じゃなく、命懸けになるかもしれんぞ?」

 「本望だ。何でも持って行けばいい。この命がある限り、僕は彼女のものだ」


 ゼノンはクリストファーの言葉に、親友の後ろ頭をくしゃっと撫でた。一つ年下のクリストファーは、ゼノンにとって、友であり、弟のような存在でもあった。


 「……上等だ。お前はいい男になったよ」

 



 ―――『王家の庭』は、まるでそこだけ1000年の時が止まったかのように、深い原生林に覆われ、その中にまるで隠されていたかのように今にも朽ちそうな屋外劇場のような形をした、古い石造りの遺跡が遺されていた。


 数十本もの太い円柱があたりを取り囲み、その円柱と舞台の床が一つの絵のようになった文様が刻まれている。


 その中心にある一際太い大理石の柱の周りに、数人の人間が集まっていた。


 一人は、この騒動の首謀者でありブラン聖王国第一王子であるルキウスだ。そして彼の周りにはその護衛の騎士と、取り巻きの貴族子息が数人、皆物々しく武装している。


 そして柱に鎖で縛りつけられ、手と足に枷を嵌められ床に座り込んでいる人物―――ヴィヴィアンの父、ヴィクトールの姿だった。


 洒落者で知られ、いつも身なりのきちんとした彼は、今は礼服のあちこちが乱れ、破れておりその奥に鞭で打たれた痕の紫色の痣や血が滲んでいた。


 顔を俯けており、その長い黒髪がかかっているため表情は見えない。意識があるのかどうかさえ分からない。


 原生林と、柱の陰にゼノンと身を潜めながらクリストファーは様子を窺った。


 ヴィクトールの姿を見れば、彼がどれだけの拷問を既に受けているかは一目瞭然だった。


 (むごい……こんなの、理性ある人間がやることじゃないぞ)


 確かにヴィクトールが過去に犯した罪は重罪に違いない。だがブラン聖王国の法律上、正式な裁判を経て刑が決まるまでは容疑者は王宮地下の牢に収容しておくのが決まりだ。そして収容している間も最低限、人道的に扱わなければならない。判決も出ていないのに折檻するなど許されない。


 そして、ブラン聖王国の法律では、重罪であっても鞭打ち刑など存在しない。これはただの私刑だ。


 「……くそっ!」

 「待て、クリストファー!」

 

 頭にカッと血が上り、舞台上に飛び出そうとしたクリストファーを、ゼノンが制した。


 「ゼノン、何故止める!ルキウス王子がやっていることは人でなしの行為だ!こんなの見過ごすわけには……!」

 「……シッやつらの目的を探る方が先だ。なんでこんな王家の最大の秘密の場所に犯罪者を連れて来て折檻などせねばならん?ヴィクトールを痛めつけたいだけなら、城の地下牢で十分だ」

 「……それは……!」


 ゼノンの強い口調に、クリストファーは思わず口ごもる。


 確かに、妙だ。


 王家でも一部の者しか立ち入りを許されていないこんな場所に、ノワール共和国の出身であるヴィクトールを連れて来るなんて。


 「……おかしいな。何も起こらないではないか、気を失うまで血を流させたのに。……まさかあやつめ、俺に嘘を吹き込みおったのではないな?」


 物言わず、糸の切れたマリオネットのように床に座り込んでいるヴィクトールの様子を見てルキウスがちっと腹立たし気に舌打ちした。


 「そ、そんなことは……!何せ、1000年も時が経っているのですから、いくら直系と言えどだいぶその血が薄れている可能性もあります。今、娘の方も連れて来るよう、手はずをとっておりますから……!」


 その様子にとりまきの一人で、鞭を振るっていたとみられる騎士の一人が慌てた。


 その騎士の姿を見て、クリストファーはどこかで見たことがあると思った。あの騎士は確か―――ユングが連れていた副官の男だ!


 それに、今彼が言ったことの言葉が意味するのは―――。


 「娘も連れて来るとは、どういう意味だ!!」

 「あっ、クリストファー、馬鹿!」


 激情のまま、舞台に躍り出たクリストファーに、ゼノンは色めき立った。だがもう遅い。


 「クリストファー!?それに、ゼノンも……貴様ら、邪魔だてをする気か!!」


 二人の姿を認めたルキウスがはっきりと焦りと怒りの表情を浮かべた。


 「ルキウス王子、一体これはどういうつもりです!?なぜヴィクトール殿をこんなところに連れて来て、違法な拷問をしているんだ!!」

 「黙れ!!こやつはノワールの生き残りの奴隷ぞ、ブランの法律が守ってやる道理はなかろう!」

 「奴隷なんてブランでは認められない!!何人も、等しく法律に守られるべきであり、例えあなたが次期王位継承者であっても、いや、王位継承者であるからこそ法を尊ぶべきだ!!」


 無茶苦茶な理論を述べるルキウスに、クリストファーはいきり立って抗議した。


 「クリストファーの言う通りです、兄上。何故こんな非道なことをしているのです?」


 クリストファーに続いて出て来たゼノンは、冷静に兄王子に問うた。ゼノンの登場に、ルキウスは憎々し気にぎりっと歯ぎしりをした。


 「黙れ!!兄などと言うな、下賤の血の者め!!貴様など、弟と認めないぞ、王位は俺のものだ!!」

 「落ち着いて下さい、兄上。王位はあなたのものだ、あなたの言う通り俺にはそれを望む資格などない。あなたが王位継承に拘ってこんな愚行を起こしているのならばこれは意味のないことです」

 「うるさい!!小さい頃から、皆が俺に後ろ指を指していたことを俺は知っているぞ。臣下どもだけではない、父上すら、俺の前でため息をつくのだ。なぜ、お前の方が先に産まれたのだと。この気持ちが貴様に分かるか!!!」


 ありったけの憎悪を込めて、ルキウスはゼノンを罵った。ゼノンは無言でそれを受け止めた。


 「ならば、自分で認められる努力をすれば良かったでしょう。なぜ、自らの不足を周囲に責任転嫁するのです。それに足りない能力は、誰かに補って貰えばいい。完璧な人間など存在しない、誰もがそうやって支え合って生きているのですよ、貴賤の関係なく」


 俺だって必要ならいくらでも手を貸すのに、とゼノンが続けると、ルキウスはわなわなと顔を真っ赤にして震えた。


 「貴様……!!やはり俺を無能力者と馬鹿にしておったのだな!!貴様の戯言になど惑わされんぞ!!俺は、この地で絶対的な力を手にする。扉を開き、女神を復活させ、この地を再び楽園として蘇らせる!!さすれば俺を嘲笑っていた人間どもも、俺を偉大な王として崇め奉るだろうよ!!」


 狂ったようにそう叫ぶと、ルキウスは悲鳴とも笑い声ともつかない奇怪な声を響かせた。


 「扉を開き、女神を復活させる!?それは、一体どういうことだ!?!?」


 クリストファーは叫んだ。


 「『封印』なのだよ、扉を開けるための!!こやつに流れるアゼルと女神セレニスの血がな……!!」

 「何だって!?」


 だから、わざわざこの立ち入り禁止領域にまでヴィクトールを連れて来て、拷問にかけその血を流させたと言う事か。


 そして、1000年の時を経て血が薄まり、それでは足らないと言った。娘も連れて来ると。


 その瞬間、クリストファーの中で、血が沸騰するかのような激しい怒りが込み上げた。


 「そんなこと、許すものか!!ヴィヴィアンには指一本触れさせないぞ!!!」

 「黙れ、劣化した眷属風情が大口を叩くな!!」


 クリストファーの怒声に、ルキウスが狂気の咆哮を上げた。その時―――。


 「―――馬鹿に何言っても無駄だぜ」

 

 という、いやにこの場にはそぐわない、落ち着いた男の声音が後方から降って来た。


 (この声は、ユング団長……!?)


 クリストファーは驚いて振り返った。


 「――――――!!!」


 次の瞬間、その目はさらに驚愕のものを目にして、あらん限りに見開かれた。

 

 「……お父様っ……!!」


 そこには、両手で口元を押さえ、自分の父親の凄惨な姿を目にし言葉を失くしている、愛しい妻の姿があった―――。



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