第二十七話 不都合な真実
翌朝、母エレノアにやはり詳しい説明はしないまま、クリストファーはただ、自分が傍にいない間ヴィヴィアンを守って欲しい、と母に頭を下げた。
エレノアは絶句しつつも、息子のどこか必死な様子に、結局訳を尋ねることを諦めた。そして、ヴィヴィアンはもう自分にとって実の娘も同然だから、彼女を守るのは母親として当然だ、と言った。
クリストファーはその言葉に安堵と、心からの感謝を示し、ダンデノンを後にし再び王都へと舞い戻った。
だが自分の屋敷に行くわけには行かない。ヴィクトールの血縁者としてヴィヴィアンへの調査も始まっているはずだ。自分がのこのこ顔を出せば、ヴィヴィアンはどこにいると問われるに決まっている。
代わりに、クリストファーは王都の一角にある一つの古びた民家に足を運んだ。
「……やっぱり来たな、クリストファー。そんで、嫁さんは安全な場所に避難させてきたんだろ?」
「……お見通しか。ゼノン」
民家の中で待っていたのは、クリストファーと同じように簡易な服装に身を包み身分を隠した姿の、第二王子でクリストファーの長年の友ゼノンだった。
この民家は、ゼノンとまだ知り合ったばかりの子供の頃、ユングの武術訓練のあとに二人がよく利用した遊び場だった。
やんちゃなゼノンに振り回される形で、王都に暴動が発生したとか、謎の組織が王宮を占拠したとか、はたまたクーデターが起こったという設定で、自分達はそれを制圧する正義の特殊部隊であり、この民家はそのための秘密基地であるという遊びを幼い二人は飽きもせず何度も繰り返した。その思い出の場所を、こんな形で本当に必要とする日がくるとは。
「ヴィクトール殿は今、どういう状況だ?なんでルキウス殿下がヴィクトール殿の逮捕を命じる流れになったんだ」
「……たれこみがあったらしい。情報源は、ベンジャミン・マクレガー。ブランでも有数の商人で、準貴族の地位を金で買った男だ。その男から、ヴィクトールがノワールの出であることが知らされた」
「……それだけか?たったそれだけのことで、ルキウス殿下はヴィクトール殿を逮捕せよと命じたのか?……確かに、外国人が貴族の位を持つことは珍しいことだが、それは違法じゃない。そんなことで罪に問えないはずだ」
ゼノンは簡素な木の椅子に座ったまま肩を竦めた。
「どうやら、ただのノワール出ってだけじゃないらしい。最後の元首の息子、つまりアゼルの末裔さ」
「……そんなところまで、ベンジャミンは掴んでいたのか!」
クリストファーはちっと舌打ちした。あの悪徳商人め、ただの欲深い中年男かと思っていたが、予想よりもやっかいな人物だったらしい。
「……いや、その男自身も、昨日知ったばかりだったらしい。その本当の告発者は謎のままだ……ベンジャミン自身が不可解な死を遂げたからな」
「……なんだって!?」
「……昼頃にベンジャミンの使いが兄上のところにやって来て、兄上の取り巻きが真相を問い質そうとベンジャミンの屋敷を訪れた時、すでに奴の命はなかったそうだ。なぜか心臓を細い針のようなもので一突きされてな」
(ナシェル……!!!)
直感的に誰が裏で手を引いたのか、クリストファーは悟った。
「でも、アゼルの末裔だからと言って、結局は同じ事だ。外国人差別に他ならない」
「ところが、俺達王族にとってはそれはただの外国人差別では終わらないんだよな……世に知られては困る『不都合な真実』がある」
「『不都合な真実』……?」
ゼノンのその言葉に、クリストファーはぞくり、と背筋に怖気が走るのを感じた。
ゼノンが言わんとすること、まさかそれは……。
「王族だけに口伝で伝えられている史実がある。それは、俺達の祖、聖人ルカこそがこの世を楽園でなくした罪人に他ならないということだ。そして女神はルカではなくアゼルを選び、その子孫を残したと言う事もな」
「……!」
ゼノンは、クリストファーの反応を探るようにその金色の瞳の光を強くさせた。それはまるで猛禽類のような鋭さだ。
「……どうやらお前も知っていたか。そう、ブランの歴史は改ざんされている。本来の歴史を記した文書がブランとノワールそれぞれに保管されその首長が受け継いで来ていた。しかし、俺達の祖先は自分達に都合の悪い歴史を捻じ曲げ自分達の正当性を主張した。ブランがノワールと初めから国交を閉ざし、ついに攻め滅ぼしたのは何も領土問題やノワールが医学や技術面で優れていたからじゃない。書き換えた歴史を真実にするためなんだよ……兄上……ルキウスは、ヴィクトールを裁判にもかけず殺すつもりだ」
クリストファーは唖然とした。
歴史とは、勝者の創作であると、かつて自分がヴィヴィアンに語ったことが、こうまで皮肉に返って来るとは。
「王家の血塗られた過去のために、ヴィクトール殿を……アゼルの血を残す人間を抹殺しようと言うのか!そんな横暴が許されるものか!!!」
「……どうやらおあつらえ向きな手頃な罪状も見つかったらしいぜ。過去の奴隷売買と、ユングが調べていた麻薬取引の疑いな。これらは十分逮捕の大義名分になる」
「仮にその二つがあっても、裁判もかけずに死刑は重すぎる!!ブランは法治国家だぞ!!」
クリストファーの怒号に、ゼノンは顔をしかめた。
「そうだ。……だから、俺達が今ここで集まったんだろ。ブランの歴史をこれ以上血で汚すわけにはいかない。それに、俺達は俺達の神に背くことは許されない」
「……ヴィクトール殿は、どこに?」
ゼノンは立ち上がり、厳かに告げた。
「……古くから王族が管理する『王家の庭』……かつて、ルカが開けた『禁忌の扉』がある場所だよ」
―――複数の蹄の音と、馬車の車輪が急ブレーキをする音に、ヴィヴィアンはハッと反応した。
一瞬、クリストファーが帰って来たのかと思った。
……そんなはずはない。クリストファーは今朝出て行ったばかりだし、そもそも機動力を重視して自ら馬を駆って王都へ向かったはずだ。
それでも気になり、ヴィヴィアンは宛がわれている自室をそっと抜け出し、廊下を伝って辺りの様子に意識を凝らしてみた。すると、ヴィヴィアンのいる2階ではなく、吹き抜けの階段の下から男女の言い争う声が聞こえて来た。
「……妻の分際で私に逆らうのか!!」
「……何度も言いますが、今やこのダンデノンの城の主は私です。礼儀も弁えない者を立ち入らせる訳には参りません」
階段の手すりに身を隠しながらヴィヴィアンが下階を覗き見ると、そこには客人に自ら対応するエレノアと、過去に数度顔を合わせたことのあるクリストファーの父親で現クロイツ家当主のルドルフの姿があった。
「そうまでして拒むところを見ると、やはりお前があの極悪人の娘を庇っておるな!!揃いも揃って性悪な人間達め!!!あの小娘の父親、ただの薄汚い成り上がりかと思えば、卑しい自らの出自を謀っておった!!神聖なクロイツ家の家名に泥を塗りおって!!すぐにルキウス殿下に突き出してくれる!!良いから貴様は道を開けろ!!」
「どこの世界に自らの娘を悪人に売る親がいますか。お引き取り下さい!」
唾を飛ばし、乱暴な口調で横柄に命じたルドルフにエレノアは片手を横に振り上げ、毅然とした態度で言い放った。
「貴様!!」
怒りに目が眩んだルドルフが、腰に差していた剣の柄に手を伸ばした。その瞬間、ヴィヴィアンは戦慄し、階段を夢中で駆けおりた。
「やめて下さい!!私ならここにおります!!!」
「ヴィヴィアン!出て来ては駄目!!」
ヴィヴィアンの登場に、エレノアが初めて顔色を変えた。咄嗟にヴィヴィアンを背に庇うように駆け寄る。
「やはりここにいたか、この逆賊の娘が!!」
そう叫び、エレノアに掴み掛らんばかりで襲い掛かろうとしたルドルフに、エレノアを助けようとヴィヴィアンはその間に躍り出た。
「乱暴はやめて下さい!!私をルキウス殿下に忠誠の証として献上するおつもりなのでしょう?傷物にしては、殿下のご不興を買うのでは?」
「くっ……小癪な……!まぁ良い、誰かこの娘を捕らえよ!」
凛とした口調でヴィヴィアンが問うと、ルドルフは悔しそうに歯ぎしりした。そして、これ以上ヴィヴィアンが抵抗しないと判断すると、連れて来ていた配下にヴィヴィアンを縄で縛り、乗って来た馬車に放り込むように指示を下した。
―――昨日通った同じ道を、馬車は再び逆方向へと駆けてゆく。
上半身を縄で縛られた状態で、無言でヴィヴィアンは窓の流れゆく景色を眺めていた。
向かい斜めに座るルドルフは横柄な態度でふんぞり返っている。顔のパーツや、髪の色などはクリストファーにそっくりなのに、驚くほど印象が真逆だ。
ヴィヴィアンはこんな狭量な男と暮らしておきながら、ひねくれずに育ったクリストファーの精神力を改めて称賛した。
そして、心の中で小さく謝った。せっかくクリストファーが自分を安全な場所に匿ってくれようとしたのに、こうもあっさりと捕まってしまった。
(でも……お義母様に無体なことはさせないわ)
エレノアは、今やヴィヴィアンにとって温かな親の愛情を感じさせてくれる唯一の存在になっていた。もちろん、ヴィヴィアンの実母グレースとエレノアは全くタイプが違う。だが、不器用に向けられる優しさの出所は似ていると感じることが出来る。
(クリストファーは私に約束したもの。私達はかならずまた会えるわ)
そう、ヴィヴィアンは自分自身を奮い立たせた、その時―――。
ふいに、馬車は急ブレーキをかけ大きく揺れながら急停車した。
「なっなんだ……!?何事だ!!」
慌てふためいたルドルフが、車内から御者に問い質した。
「そっそれが!一人の若い男が行く手に立ち塞がり、衛兵らが現在対応しております!!」
「何だと!?金目当ての野盗か!?この馬車がクロイツ公爵家のものと分かっての狼藉か!早くひっとらえよ!!」
「そ、それが、異常にすばしこい手練れでして、衛兵らも苦戦しておりまして……すでに一人倒されております!!」
「何だと!?くそっどういうことだ!!」
逼迫した状況に苛立ったのか、ルドルフは自ら剣を手に取った。その動きは無駄がなく、彼がそれなりに腕に覚えがあることを感じさせた。
ルドルフが馬車から出て行くと、ヴィヴィアンはこの混乱は逃げ出すチャンスかもしれないと思った。仮に失敗して再度捕まったとしても、ルドルフからしたら状況は同じだ。ヴィヴィアン自身に彼は手を下せない。
そう冷静に判断したヴィヴィアンは、上体と首を出来る限り曲げて口元を着ているドレスの襟ぐりに近づけた。胸元と脇の間に、ヴィヴィアンが隠し持っているもの……自衛用の編針だ。わざと先を鋭く尖らせる加工をしてある。
何とか器用に口の間にその針の本体部分をくわえ、ヴィヴィアンは落さないように慎重に抜き取る。そしてそれをくわえたまま少しずつ、自分を縛る縄にその切っ先を打ち付け、縄を削り切って行く。
プツ、プツ、プツと、緩慢な動きで、それでも確実に縄は細くなって行く。そして数十分格闘した後、ついに縄はその繋がりを絶ち、一気に緩んでいく。
拘束から抜け出たヴィヴィアンは、まず強張った体を確かめるように両腕を左右に振った。そして外の様子を窺おうとして、ルドルフの苦痛に満ちた叫び声が耳に飛び込んで来た。
(何……一体、どういう状況!?)
普通の野盗くらいでは、きちんと訓練をうけた衛兵や騎士としての腕の覚えがあるルドルフの敵ではないはずだ。
だが、窓越しに見えた光景は衛兵らが血を流して倒れ、ルドルフも腹部を押さえながら地面に突っ伏していた。あの傷と出血量は尋常じゃない。もう彼は助からない。
ヴィヴィアンは動揺した。
どれほどの手練れがこの馬車を襲ったのだろう。
(……必ず生きてクリストファーに会う)
ヴィヴィアンはそう決意を込めて、護身用の針を握りしめた。
―――完全に停まっている馬車の扉を何者かが外側に引いた。
車内に太陽光が入り、一瞬、ヴィヴィアンはその人物の姿が見えなかった。
「……お嬢様」
その声は、あまりにも懐かしい、よく耳に馴染んだ声だ。
たった昨日、別れたばかりだけども。
「シェ……ナシェル……」
そこには、微笑を浮かべたナシェルが、いつもの侍女姿ではなくどこかの異国の衣装を身に着け特徴的な曲刀を持って立っていた。
助けが現れた。
そう、ヴィヴィアンは安堵した。
ナシェルはヴィヴィアンの忠実な下僕だ。この12年間片時も離れず、守り続けてくれた。
今となっては父親のヴィクトールよりもよほど肉親に近い。
だが、次の瞬間、ヴィヴィアンは自らの考えが誤りであると、悟った。
ナシェルの、ガラス玉のような褐色の瞳、それに宿る鬼火のような狂気―――。
乾いた声で、ヴィヴィアンは問いかけた。
「……お前は、私を殺しに来たのね……?」