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第一話 混迷の序曲

 

 亜麻色の美しく波打つ髪、神秘的な菫色の瞳。


 まるで、女神のように美しい、と彼女は形容された。


 当代一の淑女、社交界の華と呼び声高い伯爵令嬢ヴィヴィアン・バートリーが、まだ社交界デビューしたばかりのブラン聖王国屈指の名家クロイツ家の嫡男、クリストファー・クロイツと婚約をしたことは、ちょっとしたニュースとして上流貴族らの話題をさらった。


 それはちょうど、ヴィヴィアンの母で、由緒ある伯爵家の一人娘であったグレースが、新進気鋭の商人として成功を収め準貴族の地位を手に入れていた美貌の青年ヴィクトールを婿に迎えた時に似た、ゴシップ誌が皮肉と好奇を込めて一面を飾り立てるような現象だった。




 「―――……クリストファー様、緊張していらっしゃるのね」


 ヴィヴィアンは、自分の隣でガチガチに体を強張らせて立っている正装した新郎を見て、思わず声をかけた。

 

 「ヴィ、ヴィ、ヴィヴィアン。そ、そんなことはないですよ!僕は至って冷静です!!」


 誰がどう見てもテンパっている年若の婚約者の姿に、彼とこれから神の御前で夫婦の誓いを交わすヴィヴィアンは苦笑いを隠せない。


 生涯の苦楽を共にする相手としては、何とも頼りない伴侶である。しかし、それも致し方ないだろう、彼はヴィヴィアンよりも4つも年下で、まだこの国で成人年齢とされる15歳になったばかりの少年なのだから。聖王国中から招待された名だたる来賓の前に、緊張するなという方が酷だろう。


 そしてそんな未熟でまだ染まり切っていない彼だからこそ、ヴィヴィアンは自分の夫に選んだ。


 ―――ある、【計画】のために。


 ヴィヴィアンはまだ背が伸び途中の、自分と同じほどの背丈の夫の腕に自らの手を絡ませた。


 もうじき盛大な楽団による聖歌の合図とともに大聖堂の扉が開けられ、自分達は中へ足を踏み入れる。


 目を瞑り厳かにその瞬間を待ちながら、ヴィヴィアンは脳裏に少年との出逢いを思い出していた。





 ―――クリストファーとの出会いは、婚礼の日からちょうど半年ほど前のことだった。


 14歳で社交界デビューをして以来、ヴィヴィアンは数々の夜会に顔を出し、他の令嬢と同じように将来の伴侶探しに心血を注いでいた。


 父親譲りの類稀な美貌はすぐに社交界の羨望を集め、その高い教養と慎ましく品のある振る舞いから彼女に求婚する貴族は後を絶えなかった。しかし、どれだけ好条件の相手が来ても父親のヴィクトールはなかなか首を縦に振らず、通常、17、18歳には形だけでも整う婚約は成立することは無かった。


 誰もが野心家のヴィクトールが娘の売値をやたらに吊り上げたいがために、貴族らの申し出に難色を示しているのだろうと考えた。実際、ヴィヴィアンも内心ではそう考えていた。


 一代で聖王国屈指の大商会を築き上げ、平民から伯爵位を得るまでに成り上がった父だ、彼の野望は天井を知らない。一人娘の自分にいかに彼にとって都合の良い婿をあてがうか、計算していない訳がない。


 父が適当な相手を見つけてしまう前に、父親も断れないような大物を、それでいて自分の目的の妨げにならない人材を見つけなければ。表面には出さなかったものの、ヴィヴィアンは焦っていた。家柄だけは立派だが、妻を壁にかかる絵画や、ホールを飾る置物のように扱う頭に苔でも生えていそうな前時代的考えの貴族を連れて来られては堪らない。

 

 このブラン聖王国での女性の地位は男性に比べて圧倒的に低い。家督の相続権がないのはもちろん、妻が不貞を働いたら死罪もやむなしと考えられているくせに夫が愛人を作っても妻側からの離婚請求権は認められない。それどころか、夫の体面を保つために自分が産んでいない子供すら表向き実子であるように振舞うよう強要されることすら珍しくないのだ。


 そんな価値観が公然とまかり通っている社会であるからこそ、ヴィヴィアンは非常に慎重に相手を吟味していた。


 

 自分の夫となる人物は、父親がそうやすやすと手を出せないほどの身分と財力を持ち、それでいてあまり我が強くなく、何より自分に盲目的に惚れていることが望ましい。 


 

 父譲りの美貌が、どれほどの武器になるかを齢14歳にしてヴィヴィアンは熟知していた。


 


 当初は早くに配偶者を失った高齢の男やもめであれば、彼女が甘えればどんなお願いも聞き届けてくれるのではないかと、試しに50代の上位貴族を恋に仕掛けてみた。男は若く美しいヴィヴィアンにすぐに夢中になったが、既に女性の扱い方に対する固定観念が凝り固まっており、ヴィヴィアンを見下すような態度が端々に現れた。また、正式な婚約をしたわけでも交際に至ったわけでもないヴィヴィアンを、早々に自分の寝室に誘い込もうとしたものだから、ヴィヴィアンは素早くその男からは手を引いた。その後にも同じような年齢の貴族で試してみたが結果は似たり寄ったりだった。


 それではやはり同年代かと、家格が自分より上の品行方正そうな貴族子息らの誘いに何度か乗ってみたが、血気盛んな彼らもまた己の欲望をむき出しにするばかりでヴィヴィアンの理想の夫像には程遠かった。


 ―――父親が自分の野心を叶えるための駒を見つけるのが先か、それとも自分が父親の目を晦ますことの出来る強力な後ろ盾を手に入れるのが先か。


 結論から言うと、その賭けにヴィヴィアンは勝利した。


 


 ―――ある夜会での出来事だった。


 もう何度顔を出したか分からない貴族の舞踏会。とうの昔に失格判定を下したほとんど変わり映えのない面子しかいないその場に、社交界デビューしたばかりの幼さの抜けない少年が彗星のごとく現れたのは。


 その日も、以前に何度か踊ったことがあるさる伯爵子息に、ヴィヴィアンはしつこく言い寄られていた。


 彼は伯爵家とは言え家柄としてもそれほどでもなく、彼自身の性格もまさに貴族のドラ息子と言った我の強い利己的な人物だったため、たった数度顔を合わせただけでヴィヴィアンは彼に近寄るのを止めていた。しかし、彼の方はすっかりヴィヴィアンを気に入ってしまったようで、すでに求婚の申し入れも来ていたし、夜会で顔を合わせた時は必ずダンスを申し込まれていた。父ヴィクトールにしても、彼はお眼鏡に敵わないようで早々に断りの返事をしてくれていたはずだが、一向に諦める様子はない。


 ヴィヴィアンはその強引さにすっかり閉口し、何とかその子息から距離を置こうと会場から一度庭園に逃げ込んだが、どうやらそれは彼の思惑通りだったようで彼の配下の者に回り込まれ、さらに身を隠した場所に例のドラ息子が待ち受けていた。このままでは貞操の危機、それでなくても醜聞を流されてしまえばこの男性優位の貴族社会のこと、彼と結婚せざるを得なくなる。


 まさに絶体絶命の危機に陥っていた。


 『放して下さい、ゼロ―デル様!人を呼びますよ!!』


 厳しい声で自分の腕を掴む相手を牽制しながら、ヴィヴィアンは内心何とも情けない気持ちでいっぱいだった。


 父親が選ぶ相手と結婚しなくてはならない事態になるよりも、こんな小者の罠にかかってしまったことの方がよほど屈辱的だ。どうにかしてこの場を切り抜けなければ。

 

 『是非とも呼んで頂きたいですね、ヴィヴィアン嬢。我々の仲を知らしめてやろうではありませんか』

 『あなたとはどんな関係でもありません!!』


 心の中で舌打ちしながら、ヴィヴィアンは有能な侍女シェルナを控えの間に置いて来るんじゃなかったと自分の甘さを叱咤した。付き合いで顔を出した知り合いばかりの夜会で、すっかり油断していた。もしシェルナがこの場にいれば、主人の危機を察して瞬時に有効な手だて打ってくれていたに違いない。


 しかし、白薔薇を至る所に植えられた庭園は迷路のように入り組んでいて、シェルナどころか他に異常に気付いて駆け付けてくれる衛兵の姿すら見えない。


 力づくで両腕を掴まれ、植え込みの陰に押し倒されそうになるのをすんでで躱しながら、ヴィヴィアンは力の限り抵抗を試みた。しかしドラ息子ゼロ―デルの力は予想以上に強く、バランスを崩したが最後、そのままなし崩しに体重で押さえ込まれてしまいそうだ。


 これは、絶対にまずい―――!


 『ヴィヴィアン嬢、ああ、なんて美しいんだ。あなたこそ我が妻に相応しい……!』


 ゼロ―デルが無理やりに顔を近付けて来る。ヴィヴィアンは必死にそれを押し返そうとするも、その手は彼の手に引き剥がされてしまう。


 彼女の意志など完全に無視した、まるで愛玩動物のような扱いにこれ以上の辱めはないと思った。たとえ死んでも、こんな男の妻になるのは御免だ。今この場でこうやって触れられていることさえ耐えがたい。


 ヴィヴィアンは例え自分の社交界での評判が地に落ちようと、こんな男に身体を好きに弄ばれるわけには行かないと、貴族の令嬢にはあるまじき大声で助けを呼ぼうとした、その時―――。


 ガサガサッ……パキッボキッ……ガサガサガサッ

 『うわっ……うわわわっ……!!!」


 おかしな物音と素っ頓狂な声が白薔薇の植え込みの間からしたかと思うと、その次の瞬間ドスンッと大きな音を立てて何かの塊が植え込みから転がり落ちて来て、それが丁度ゼロ―デルの腰に横からヒットしゼロ―デルもろとも地面に倒れ込んだ。衝撃で手を離されたヴィヴィアンは、すんでのところで巻き込まれるのを免れ、電光石火の速さでその場からさっと身を引いた。……良かった、着衣にも特に乱れはない。


 『な、なんだ!?!?』

 『……うっ……ううっ……いたたたた~』


 素っ頓狂なゼロ―デルの声と、まだ完全に変声期を終えていない、やや高い少年の声が響いた。


 『だ、誰だ!!私をベルグ伯爵家のゼロ―デルと知っての狼藉か!!』


 立ち上がり顔を真っ赤にして叫ぶゼロ―デルの視線の先にヴィヴィアンも目をやると、そこには木の枝やら葉っぱやら白い花びらやらをあちこちにくっ付けた少年が、地面に尻もちをついていた。 


 いかにも育ちの良さそうな、最上級の礼服に身を包み痛そうに尻をさすっているその少年を見て、ゼロ―デルはヒッと声を上げた。そしてその次の瞬間、片膝を着きその少年が起き上がれるよう手を差し伸べていた。


 (誰……?)


 ヴィヴィアンの知らない少年だった。しかし、大抵の相手に横柄に振舞うゼロ―デルが瞬時に畏まるのだから、相当な身分の相手だろう。


 『お、お怪我はありませんか!クリストファー殿!!』

 『いたたた……ゼロ―デル殿、面目ありません。慣れない夜会で、お酒に酔ってしまって庭園に迷い込んでしまいました』


 恥ずかしそうな様子で差し出された手を取り起き上がった少年は、何度かパンパンと自分の礼服の埃や葉っぱを払うと、おや、と小首を傾げた。


 『そう言えば、ゼロ―デル殿はここで何を?そちらの女性は、以前から噂になっているアヤレーナ嬢ではないようですが?たしか両家でご婚約の話が進んでいるはずじゃ……』

 『な、な、何でもありません!!私も酔いを醒まそうと庭園で涼んでいた時にこちらのヴィヴィアン嬢をたまたまお見かけして、お声がけをしたまで!!』


 声をひっくり返しながらしどろもどろに弁明するゼロ―デルに、ああ、そうでしたか、と相槌を打ちながら、クリストファーと呼ばれたその少年はヴィヴィアンに向かってぱちりとウインクをした。


 『そ、それでは、私は従者を待たせてありますので、これで!!お先に失礼します!!』


 そう言うと、ゼロ―デルは勢いよく礼をして脱兎のごとくその場を逃げ出していった。ヴィヴィアンはそのほんの数秒のやり取りを、あっけにとられながらただ眺めるしか出来なかった。


 『あらら……行ってしまいましたね』


 どこかのんびりした口調で少年はゼロ―デルの背中を見送っていた。


 『あ、あの……ありがとうございます。危ないところを助けて頂いて……』

 『……危ないところ?』


 再び小首を傾げてヴィヴィアンに顔を向けた少年の様子に、ヴィヴィアンは拍子抜けした。なんだ、特に状況を理解して救いの手を差し伸べてくれた訳ではなかったのか。たしかに助け舟にしては随分な登場の仕方だったが。


 『い、いえ、こちらの話ですわ。それより、お初お目にかかります、私はバートリー伯爵が娘、ヴィヴィアン・バートリーと申します。どうぞ、お見知りおき下さいませ』

 

 ヴィヴィアンは気を取り直し、淑女の礼をして名乗った。ゼロ―デルの態度から推測するに、彼は間違いなく自分よりも身分が上に違いない。


 『ヴィヴィアン……バートリー嬢……』


 改めてヴィヴィアンに向き直った少年は、なぜか熱に浮かされたようにぼうっとしてヴィヴィアンの名を反芻した。その時ヴィヴィアンもようやくその少年の姿に注意を向ける心の余裕が出来た。


 多少乱れてはいるものの首の後ろできちんとリボンで結われた黄金の癖のない髪、澄み渡る青空のような瞳。まるで天使が庭園に舞い降りたのではないか、と錯覚するほど美しい少年だった。しかもそこかしこにくっつけた薔薇の花弁が、真っ白な羽根のようでますますその錯覚を助長する。


 普段父親で美しい男性を見慣れているヴィヴィアンですら、一瞬息を呑んでしまったほどだった。


 真っ直ぐに向けられた穢れのない澄んだ瞳に気圧されてしまったヴィヴィアンだが、その少年の髪に残る白い花弁が目に留まると思わず笑みがこぼれた。


 『失礼致しますわ』


 ヴィヴィアンは一度そう詫びを入れ、その少年に近づくと彼の髪を手で梳った。はらりと白い花びらが宙を舞った。さらり、とした感触が指の間を通り過ぎた。


 少年は抵抗するでもなく、素直にされるがままになっている。


 (何だか神聖なものに触れているみたいね……いけない気持ちになってしまいそうだわ)


 少なくとも、自分は名乗りを上げているのだから、ここでこの場を辞しても失礼にはあたらないだろう。

 

 そうしてヴィヴィアンが少年から離れようとした次の瞬間―――。


 グイっと思いがけぬ強い力で、伸ばしていた手を両手で掴まれたかと思うと、少年が勢いよく目の前で片膝を着いた。


 『ヴィヴィアン・バートリー嬢、お目にかかれて光栄です。僕は、クロイツ公爵家が長男、クリストファー・クロイツ』


 その家名を聞いて、ヴィヴィアンはびっくりした。なるほど、ゼロ―デルがあれほど平身低頭になる訳だ、クロイツ公爵家と言えば聖王家にも連なるブラン聖王国きっての名門中の名門だ。


 たしかその長男と言えば、数ヶ月前に社交界にデビューしたばかりの13歳だか14歳だかの少年だったはず。


 突然跪いたクリストファーの動作に目を瞬きながら、ヴィヴィアンはそんなことを思い出していた。


 しかし、次の瞬間、もう一度、いや前回を大きく上回って驚く羽目になった。


 『ヴィヴィアン嬢……出逢ったばかりで突然このようなことを申し上げるのは恐縮ですが、あなたに惹かれています。どうか、僕と結婚して下さい』


 真剣そのものの、曇りのない真っ直ぐな瞳。



 『………はい?』



 母の死以来、大抵のことには動じないと自負しているヴィヴィアンだが、流石に思考が停止するのを否定出来なかった。



 

 青天の霹靂とはこのことだと、ヴィヴィアンは思った。


 これまで、夫候補に考えた人物らとクリストファーはあまりにもかけ離れていた。


 聖王家にも並ぶほどの名門公爵家の跡取り息子であり、ヴィヴィアンに見劣りしない美しい容姿と温室育ちの素直な性格の持ち主。しかもヴィヴィアンより4つも年下。


 出逢って数分で求婚をされたのも初めてだった。さしものヴィヴィアンもその場で鵜呑みにはせず、クリストファーを説き伏せ返事を保留にした。慣れない夜会で口にしたワインに、彼が酔っ払っているのだろうと思ったし、そもそも彼ほどの身分では当人同士の惚れた腫れたで結婚は有り得ない。


 しかし、その後も彼は驚くほどの情熱と少年らしい真っ直ぐさでヴィヴィアンに求愛を続けた。彼は臆面もなくヴィヴィアンを初恋だと公言し、毎日あまりにも実直すぎる愛の言葉を書いたカードを季節の花に添えて送って来て、週末は必ず直接甘いお菓子や花束を持って会いに来た。


 それまで多くの遊び慣れた貴族らをあしらって来たヴィヴィアンですら圧倒される一生懸命さだった。正直あまりにも真っ直ぐすぎてどう事故にならないようにいなすか、頭を悩ませたほどだ。


 そうして少年と交流を続けていくうちに彼がヴィヴィアンの目的におあつらえ向きな存在であることに徐々にヴィヴィアンは気付き始めた。


 父がたやすく手を出せない家格の高さ、所有する莫大な財産、汚れを知らない善良な性格。また争いが嫌いで、他の貴族の様に権力欲にまみれていないところも好感が持て、打算や嘘偽りなくヴィヴィアンに恋しているところもヴィヴィアンには都合が良かった。要は手綱をしっかり握っていればいいのだ。50代の男やもめよりよほど、扱いやすい。


 そう考え始めてから、ヴィヴィアンはクリストファーへの態度を少しずつ好意的なものに変えて行った。疑うことを知らないクリストファーはそれにいちいち素直な喜びを示した。


 うぶな少年は、面白い程簡単にヴィヴィアンの手のひらの上で転がされていく。


 だが、ヴィヴィアンは伯爵家の一人娘であり、本来跡取りとして婿を取らなければならない立場。公爵家が長男であるクリストファーを家格の低いバートリー家に婿にやる訳もない。


 彼を恋の罠に落としながらも、ヴィヴィアンは冷静な判断を下していた。どうせまた新たな夫候補を探さなければならないだろう、と。

 

 しかし、予想に反して最終的に破談になるしかないだろうと思われたこの縁談は、意外なほどあっさりとまとまった。


 ヴィクトールが将来的にバートリー家には遠縁から養子を迎えると表明し、娘を公爵家に嫁がせることに同意したのだ。


 また、気位の高いことで有名なクリストファーの父、現クロイツ公爵であるルドルフも成り上がりの娘とヴィヴィアンを認めないかとも心配されたが、どうやらルドルフとヴィクトールの父親同士で通じ合うものがあったらしい。ほどなく正式な申し入れが公爵家からバートリー家にもたらされ、結婚資格を満たす15歳にクリストファーが達すると同時に婚姻するという合意が瞬く間にされた。


 父ヴィクトールにとっても何らかの思惑があっての婚約に間違いはない。しかし、ヴィヴィアンにとって、生家を出ることが出来るということが最大の喜ぶべき誤算だった。


 完全に父の管理下から逃れた上で、【計画】を進められる。


 母を殺した父への復讐という。


 


 ―――盛大なファンファーレの音と共に、ヴィヴィアンは現実に引き戻された。


 大きく扉を開けられた目の前には、豪奢な赤い絨毯が大聖堂の祭壇まで続き、その両脇をこの婚礼を立ち会う早々たる国の要人達が自分達を見守るように並んでいる。


 「……さぁ、クリストファー様、参りましょう?皆様がお待ちですわ」

 「う、うん、そうだね。僕と君の、新しい人生が始まるんだ。……行こう!」


 緊張しながらも一歩足を踏み出したクリストファーに続き、ヴィヴィアンも歩き出した。しかし、その睫毛がわずかに伏せられていることに気付いた人物は、果たしてその場にどれだけいただろうか。


 


 ……クリストファー様、ごめんなさい。あなたを、私の【計画】に巻き込んでしまって。


 心の中で、ヴィヴィアンは呟いた。騙していることへのこの少年に対する良心の呵責が全くないわけではない。


 これから神の御前で私が口にする夫婦の誓いは偽りだけれど、地獄に落ちるのは私だけだから……。


 そう、道連れにするのはこの少年ではない。私は、私がこの世に生まれ落ちたという誤りをその元凶から糾さなくてはならない。


 ちら、とヴィヴィアンは上座の一角から自分を見つめる父親に視線を向け、艶やかに微笑んだ―――。


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