94.夏の仕事を納める日に
午前中の撮影が一段落し、アルトワール王国の紋章が入ったヒルデトーラの飛行船に乗り込む。
次の撮影場所に移動しつつ、昼食を取ることになった。
「この分なら予定通りお休みが貰えそうです」
ヒルデトーラと私、そして王都撮影班代表ミルコ・タイルがテーブルに着く。
この夏の撮影に、ミルコはずっとついてきた。
やはり王族たるヒルデトーラを放置するわけにはいかないのだろう。責任者として。
テーブルに着くなり、グラスに食前酒……ではなく水が注がれ、料理が運ばれてくる。
いくら王族でも、さすがに子供に酒はまだ早いということだ。例外が許されるのは私くらいだろう。……リノキスがいる限り絶対無理だが。今もすぐ後ろにいるし。
ミルコも、さすがに仕事中に飲む習慣はないようだ。
日程では、あと二日ほどで夏休みの撮影は終わりである。
そしてヒルデトーラの言葉を信じるなら、日程通りバカンスに行けるようだ。
「そうですね。多少の誤差はありますが、すべて予定通り進んでいると言えるでしょう。五日間のお休みでしたね? 大丈夫だと思います」
夏の撮影スケジュールを管理しているミルコが言うなら、確定と言っていいだろう。
「ありがたいわね。この夏はそれだけが楽しみだったわ」
本当に地獄のような夏だった。
いや、地獄はリストン領だけか。他の放送局は程々に遠慮したからな! いくら身内とはいえリストン領は遠慮がなさすぎる!
王都に来てからは、ずっとヒルデトーラと一緒になって撮影である。
さすがに憎きベンデリオ並の無理な撮影スケジュールが組まれることはなく、しかしそれなりの量の仕事をこなしてきた。
ヒルデトーラの撮影は、やはり王族の公務であるかのような慰問や訪問が多いようで、私が入ることでむしろ私寄りの撮影内容になることが多々あった。
もしかしたら、ヒルデトーラには活動の制限が付いているのかもしれない。
いくら階級社会の意味合いが薄れてきている昨今でも、ただの貴人の娘と、正統なる王族の一人では、周囲の意見も違うだろうから。
意見が、あるいは圧力さえ掛かっているのかもしれない。
それこそ彼女が目指すところの、支配者階級の権威復興絡みで。
却って権威を損なうような内容では本末転倒だから、みたいな活動方針もあるのかもしれない。
「それにしてもニアさんは落ち着いているのね」
ん?
前菜をつついていると、ミルコに話を振られた。
「ヒルデ様でも子供には出来過ぎだと思っていたけれど、あなたの落ち着きぶりはそれ以上だわ」
それはそうだろう。
中身は子供じゃないんだから。
「度胸もあるし、どんな現場でもどんな人が相手でも物怖じしないし。子供であることを忘れそうになる」
それはそうだろう。
いざとなったら殴り飛ばせばなんとかなるから、怖気づく理由がない。
「この髪の通り、
髪の色は戻らないままだ。
入学の際に調べた魔力測定でも、その辺の回路が壊れていることがわかった。
「まあ何にせよ、生きているだけで幸運ですから」
――本当は、私のような老人ではなく、本物のニア・リストンにこそ生きてもらいたかったが。
……いや、もう考えまい。
悔いて取り戻せるものではない。
なんの因果かこういうことになってしまった以上、この身体で精一杯生きてこそ、ニアの供養にもなるだろう。
差しあたっての目標は、リストン家の建て直しだ。
「何か新しい企画は――」
「できれば長期でできるものが――」
「魔晶板の購入者層を考えると、まだ富裕層が多いから――」
今日の昼食も、いつの間にか企画の話をしていた。
「
「大型犬はちょっと……ニアさんの大きさを考えると対比がひどすぎて――」
「私は別になんでも構いませんが。そもそもの話、勝ちにはこだわりません。負けた方が盛り上がるタイミングもあるのではないかと――」
「待って! ならわたくしとの勝負に負けてもよかったのでは――」
「ヒルデは犬より遅かったじゃない。その程度だとさすがにわざとらしいから――」
「その程度!? く、屈辱ですわ……――」
色々なアイディアは出るが、これと言ったものはなかなか出ないものである。
そんな具体的なバカンスの話をした、翌日のことだった。
「ごめんなさい、ニア。少々事情が変わってしまったの」
いよいよ夏休みの仕事納めという日を迎えた今日。
会うなり困った顔をしたヒルデトーラから、不吉極まりない言葉が発せられた。
「待って。それ以上聞きたくない」
なんだ。
バカンスがダメになったのか。中止なのか。
やめてくれ。
この最終五日を憂いなく過ごすために、ここまでどれだけがんばってきたことか。
無茶な撮影スケジュールをこなし、腕がなまらない程度の修行も行い、夏休みの宿題だって毎日コツコツやってきたのだ。
全ては!
全ては、明日からの五日間のために!
なのに!
だのに!
……この怒り、とりあえずベンデリオにぶつけに行くべきか……!
「いえ、ニア、中止ではないの」
私の表情の変化、あるいは感情の変化、もしくは溢れる怒気から殺気でも感じたのか、動こうとした護衛を制してヒルデトーラは言った。
「予定通り、休日はあります。今日の夜に行き、明日から丸々五日間、しっかり遊べるし休めますから」
それだけ聞ければ充分、なんの不満もないのだが。
だが、やはり付くのである。
「ただし」、と。接続詞が。
「あの……実は今朝、お父様が島へ行ったという報告がありまして……」
…………
うん?
「つまり休日はヒルデの父親が一緒にいるけどいいのか、と?」
「まあ、簡単に言えば。お父様もバカンスのようです」
そういえば、行く予定だった浮嶋は、王族がプライベートで利用するって話だったな。ならばヒルデトーラ以外の王族が利用し、その予定が重なることもあるか。
……ふうん。そうか。
「ヒルデのお父様は子供に絡んでくるタイプなの?」
「いえ全然。むしろ目が合わないと言うか、大人げなく無視しますね」
「じゃあ大丈夫ね」
「え? 本当に?」
うむ、大丈夫だ。
干渉されすぎるのはかなり困るが、そうじゃないならいいだろう。
どうせリノキスほか身の回りの世話をしてくれる大人は、常にたくさんいる状態だ。子供だけの集まりではない。
「本当に大丈夫ですか?
その辺を薄着の王様がうろうろ徘徊したり、木陰でハンモックに揺られながら本を読んでいる王様がいたり、バーベキューではしゃいでる王様がいたりするかもしれないけど、本当に大丈夫? 委縮しない? 邪魔じゃない?」
まあ、邪魔なのは間違いないだろうが。
「王様もバカンスでしょ。仕事をがんばってようやくたどり着いた休日でしょ。気持ちがよくわかるだけに強く拒否する気にはなれないわ」
それに、相手が王様でも同じことだ。
いざとなったらどうとでもなる。いざって時は殴り飛ばせばいい。邪魔だったら気絶させてしまおう。
休みに来たのなら休めばいい。ゆっくりとな。
「ただ、心配なのはレリアね」
「それですよね」
ヒルデトーラでも緊張気味だったが、果たして王が相手となると、平静でいられるだろうか。
まあ、無理だろうが。