93.王女も犬も走る
「ニア!」
王都撮影班の代表ミルコ・タイルと向かった先の浮島で、無事に第三王女ヒルデトーラと合流することができた。
「久しぶり、ヒルデ」
先に着いていた飛行船の横に着け、船を降りた先に彼女はいた。身分ある立場なので私服の護衛が数人付いていた。恐らく騎士だろう。ちょっと頼りなさそうだ。
それはともかく。
一ヵ月くらい会っていなかったヒルデトーラは、子供らしく元気そうである。
「珍しい恰好をしているのね」
王族の証たる透き通った緑色の瞳に赤い点が打ってあるのは、いつも通りだ。
だが、格好は違う。
長い金髪を結い、更にはピンク色の可愛らしいつなぎを着ている。
長靴を履いて手袋もしていて、完全に作業服である。
歴とした王族にして王女なだけに、優雅な格好のヒルデトーラしか見たことがなかったが……まあ子供なのでこういう元気そうな服装も似合わなくもない。
――というか私の作業着とほぼ同じ作りで色違いなので、きっとあえて揃えたのだろう。
「これから牧場仕事のお手伝いです。ニアも付き合ってくれるのでしょう?」
「ええ、この通りよ」
何せ私も、色は違うものの、すでに彼女と同じ格好で準備万端だから。
この島は小さい。
世帯は少なく、十数人ほどで牧場と畑をやっているようだ。
浮島の生体は、その多くがそれぞれ独自の進化を遂げている。
その結果、ここでは野菜や穀物、そして家畜が育てやすい土地となったのだろう。
かつて、海に根付いていた大地を割ったという特級魔獣「大地を裂く者ヴィケランダ」が暴れたことで、数多の浮島が生まれた。
ここもその内の一つである。
なんでも、急激に変わる気圧や気候や風、太陽などの影響を受け、海にあった時より周辺環境が変わり過ぎたことが原因で、特に作物に強く変化が表れているそうだ。
単純に言えば、牧場をやっている浮島なら、家畜用の牧草が育ちやすいだとか、その牧草の質が異様にいいとか、そういう理由がある。
私も王都周辺の浮島にある牧場に行き、そこで育てられているムーアムーラ牛という王族貴人ご用達の高級牛肉を食べたことがある。
適した環境で育つとこうも違うものなのか、と驚いたのは記憶に新しい。
もちろん環境だけではなく、牧場主の弛まぬ努力の賜物でもあるのだろうが。
「これまでの仕事と傾向が違うんじゃない?」
これまでのヒルデトーラの仕事は、病院の慰問や、騎士の訓練場や訓練風景を案内したり、王都や王都周辺の観光地を訪れたりと、王族の公務みたいなことをしていた。
特に病院や孤児院への慰問が多く、そこから国民に人気の第三王女になったのだ。
「意外と会えるお姫様」――そのキャッチフレーズは伊達ではない。
だからこそ、一緒に牧場の仕事をするヒルデトーラは、私の目には新鮮である。こういう仕事はしていなかったはずだ。
ちなみに私は職業訪問で何度もしていたし、最近は犬関係でよく来ているが。
「そうですね。この夏から、少し仕事の幅を広げた感はあります」
へえ、そうなのか。
「リストン家のお嬢さんやシルヴァー家のお嬢さんががんばっていますからね。わたくしも負けていられません」
そうか。
まあ、そうだよな。
私たちの誰よりも
王女がやることではない気もするが、むしろ王女であるからこそ身体を張っているとも言える。
正直なところ、まだ満足な利益は得られていない。
ヒルデトーラにとっては、本当に他人事じゃないのだ。
「それに、今回の仕事も、わたくしにはそこまで別種というわけでもないのです」
「そうなの?」
私にとってはいつも通りの職業訪問なのだが。
業務の撮影が終わり、青空の下に用意したテーブルには、牧場や畑で育てた食材を使った料理が並べられる。とてもおいしそうだ。
「――この牧場では、若い働き手を探しています」
「――わたしたちはもう歳で、力仕事はなかなか難しいんです。でも人手が足りないのでやめるにやめられず……」
最後の撮りで、ヒルデトーラに話を振られた牧場主である老夫婦が、この牧場の現状を訴える。
ああなるほど、人材募集も兼ねての撮影だったか。
国民に優しい「意外と会えるお姫様」からすれば、こういう形で国民に協力すると。そういう体なわけだ。
牧場主の老夫婦から簡単な牧場の紹介が終わり、人気者の王女が付け加えた。
「正直に言うと、牧場のお仕事は大変でした。朝は早いし、力仕事だし、生き物を相手にするから決まった休みもありません。
でも、こんな畑や牧場で汗水流して働いてくれる人がいて、食料が作られるから、わたくしも皆も飢えずに暮らしていけるのです。
牧場仕事は大変です。
もしかしたら苦労に反して対価は低いかもしれません。
でも、誰にも恥じることのない誇り高いお仕事だと、わたくしは思っています。
興味のある方は、ぜひご検討をお願いします」
…………
なるほど、普段は変な部分も多いヒルデトーラだが、真摯な表情と言葉がよく似合う。
こういう場面で妙な説得力がある点は、とても王族らしい気がした。
ところで、だ。
「さあニア、勝負です!」
牧場での撮影が終わり、せっかく作ってくれた料理で撮影班と一緒に早めの昼食としていただく。
そして、仕事は次の段階に移る。
――そう、犬である。
この牧場にも、羊などを追う牧羊犬がいた。
元気に野を駆けまわっているだけに、足も速そうだ。犬なりに。
そして、今日も普通に勝ちそうだな、と思っていた矢先に、なぜだかヒルデトーラが割って入ってきた、というのが今である。
「わたくし、こう見えても幼少より、自衛のために王宮秘伝の古武術を習っておりまして。いささか運動の方には自信があります」
はあ、古武術。……まあ、鍛えているのはわかっていたが。
「犬に勝てるのがあなただけだと思わないことですね!」
はあ、うん。
「犬に嫌われる覚悟はできてるの?」
今すごいヒルデトーラの手を舐めている、ものすごくべろんべろん舐め上げている、白と黒のツートンカラーの毛皮を持つ中型犬。
毛もふさふさで人懐っこい、かわいい牧羊犬ではあるが。
――勝負の後は、だいたい嫌われるのだ。激しく吠えられるのだ。「おまえ帰れよ早く帰れよ」と言わんばかりに。
その人懐っこさが嘘のように、豹変するのだ。
果たして耐えられるものか?
さっきまで懐いてくれていた犬に嫌われるのは、まあまあショックだぞ。
「フッ……勝者は孤独なものですよ」
それは同感だが。
「――あなたの不敗記録、今ここで泥を付けてあげましょう!」
結果、犬とヒルデトーラに嫌われた。