82.家族の晩餐
まだ遠くが陽に燃える夕刻。
「ニール! ニア!」
「二人とも、おかえり!」
兄とのんびり話しつつ、テーブルに着いて夕食を待っていると、仕事に出ていた両親が駆けるようにして帰ってきた。
二人が帰ってくるにはちょっと早い時刻である。
子供の里帰りに合わせて、せめて夕食は一緒に取れるよう、早めに仕事を切り上げてきたのだろう。
「ただいま戻りました、父上。母上」
「お二人もお変わりなく」
数ヵ月ぶりの再会だが、見たところ両親に変わりはない。……ちょっと疲れが溜まっているくらいだろうか。「氣」の巡りが乱れている。
なんとか夕食の時間に間に合った両親も椅子に座り、久しぶりにリストン家の団欒が始まる。
色々と話すネタはあるが、それでも話題の中心は、やはり武闘大会の放送についてだった。
学院内部の映像――部外者立入禁止である子供たちの生活空間に踏み込んだとあって、親でもあり
まだ継続されるかどうか確定していない試験的なものだが、聞くまでもなく、両親は次の映像を期待しているようだ。
「もう少しで入賞だったね、ニール」
かつては男の子だった父親は、息子の大会結果に誇らしげである。
武闘大会で活躍した兄は、惜しくも六位という結果に終わった。五位までは表彰台に立てたのだが。
しかし、小学部三年生でそこまで行けば大したものだろう。三年生と六年生ではかなり体格が違う。
父親が誇らしげなのも、その辺の事情を加味してだろう。
「ニアも立派な仕事ぶりだったわよ」
母親も、兄と分け隔てることなく私についても触れてくれた。
大会に出なかった私は、インタビューや雑用をこなした。
兄より出ていた時間は長いのである。
でもまあ、お褒めの言葉を貰うほどではないかな。
「私はいつも通りやっただけです。
それよりお兄様をこれ以上ないほど褒めてあげてください。観たでしょう? がんばっていたでしょう? お兄様は立派なものです」
「……やめろよニア……」
お、恥ずかしそうな兄の顔とは珍しい。美貌ゆえになかなかの破壊力である。控える彼専属の侍女リネットをはじめ、屋敷の使用人たちがときめいているのがわかる。
「そうか。じゃあしっかり褒めてやろうかな」
「そうね。リストン家の跡継ぎは立派に育っているわ」
「いえ、もう、やめてください……」
数ヵ月ぶりに再会した家族。
両親が我が子を褒めるという平和な晩餐。
それをほんの少しだけ離れて見ている食事は、悪くない時間だった。
つつがなく食事が終わり、ムースのようなデザートが運ばれてきた。
「ニア。夏休みのスケジュールはもう決まっているのかい?」
目に見えない仕切り直しがあったようだ。
今父親が言ったのは家族の話ではなく、仕事の話である。
「明日から毎日撮影だと聞いています。――そうよね?」
「――はい。予定を前倒ししていますので、少なくとも二週間はぎっしりと」
私の撮影スケジュールは、リノキスに管理してもらっている。後ろに控えている彼女に確認すると、肯定の返事をした。
夏休み以降――秋から冬までに放送する職業訪問の撮り溜めをするのだ。
「せっかく帰ってきたのに休む間もないのか。……そんなに頑張らなくてもいいんだよ?」
「お構いなく。好きでやっていることなので」
それに、スケジュールの前倒しは、私が頼んだことである。
夏休み前半で撮影を済ませ、レリアレッドの実家であるシルヴァー領に泊まりがけで行くのだ。
まだ詳しい内容は聞いていないが、向こうの番組に出る約束をしている。
そして最後の五日間。
ここに、私の楽しみのすべてを注ぎ込んでいる。
――最後の五日は、ヒルデトーラがバカンス用の浮島で過ごすのに便乗する予定だ。
私もヒルデトーラも、レリアレッドも、夏休みはほぼほぼ
そんな私たちが最後の五日だけは、頭からつま先まで、徹頭徹尾、首尾一貫、確実に休もうと。
絶対に、休んで遊んで食って飲んで吐いて修行して休もうと。
示し合わせて決めた、絶対に揺るがすことのできぬ日程を組み込んだ。
なんでもヒルデトーラ……というか王族が管理していてプライベートで利用するという浮島は、小さいながらダンジョンがあるそうだ。
ダンジョン探索ができるかもしれない。
いや、できなくてもいい。
そろそろ魔獣どもを仕留めたい。
この身体でどこまでできるかわからないが、本気の拳を振るってみたい。
まだニア・リストンになってからは、一度たりとも本気を出せてはいないのだ。
魔獣なら本気で殴って殴り殺しても、誰からも文句は言われない。
――まあ、言えるわけがないが。
「詳しいスケジュールは追って伝えますので」
「うん、そうしてくれ」
「あとお兄様も、たまには撮影に付き合ってくれてもいいのよ?」
「……ん!?」
無関係みたいな顔をしてムースを食べていた兄に話を振ってみた。おいおい無関係じゃないぞ。
「いや、私はいいよ……ただでさえあの大会の再放送がまだ流れているのに。しばらく映りたくない」
ファンレターか。
やはり言葉の刃が仕込まれたファンレターで、心に傷を負ったのか。
まあ、そう言うだろうとは思っていたけど。
「別に映らなくても、同行するだけというのもありだと思うわ。夏休み、特に何かする用事もどこかへ行く予定もないなら、観光がてら一緒に行かない? 普段行かない場所に行くのは楽しいわよ」
「……なるほど。そういうことか」
…………
思案げな兄ニールを、父親はひっそりと溜息を吐きながら、母親は絶えぬ微笑みを浮かべて見守る。
――甘いぞ兄。
現場に行けば後はどうとでも撮影できるんだぞ。
行った時点で終わりだ。「ただ同行してるだけ」なんて、現場では通じないんだぞ。
私の本心がしっかりわかっている両親が何も言わない辺り――これも大人になるための通過儀礼のようなものなのだろう。
大人は子供を騙すものだ。
時には巧妙に、時にはわかりやすく。
その真意を見抜いた上で、あえて乗るのが粋というものなのだが――さすがに十歳にもならない子供に求めるのは難しいか。