73.ミス・サーバント
「――ニア殿。汗が止まりません」
「――堂々と構えてなさいよ」
死合いが進むに連れて、目の前にあるローテーブルには色とりどりのチップが山積みになっていった。
単純計算で、これで魔晶板が二つ三つは買えるかも、というくらいの大金になるらしい。もちろん換金しなければいけないが。
私としては金なんて今はいい、繰り広げられる血と肉の祭典とも言うべき死合いの方が楽しいのだが。
しかしガンドルフは、目の前に積まれる大金の方が気になるようだ。
「――しかしこんな大金、俺は見たこともありません……」
賭けは順調である。
今のところすべての死合いに全額投資を続け、すべてに勝利している。まあ私からすれば、結果がわかりやすい組み合わせだったというだけだが。
「――じゃあもう賭けはいいのね?」
「――はい……これ以上はちょっと、怖いです……」
大きな身体をして、気が小さい男である。――いや、金銭面で気が小さいのは美徳と言っていいのかもしれない。
まあ私としても、特に儲けようとも思っていない。ただ賭けをするから参加していた、程度のことである。
なんなら、今、現在進行形で迷惑を掛けているガンドルフの小遣いくらいになれば、程度の軽い気持ちだった。
当人がもういいと言うなら、無理に続ける理由はない。
「よろしいのですか? これからメインイベントが始まりますが……」
「いい。もう賭けない」
次の賭け札を持ってきたバニーに、ガンドルフはもう賭けはしないことを告げる。
「……?」
そのついでに、私はバニーを手招きした。
そして近くに跪いた彼女の胸の谷間に、これ見よがしに寄せてあげているその峡谷に、布地が少ない服からこぼれんばかりの二つの丘の深い狭間に、こぼれんばかりに大量の高額チップをねじ込んでやった。それはもうぐいっと。ぐいいっと。むにゅっと変形するのも構わず無理やりに。
「酒代とジュース代とチップです。気にせず取っておいてください」
「……ど、どうも」
ガンドルフに任せてもケチりそうなので、自分でやった。
さすがに子供にこんなチップの貰い方をしたことはなかったのだろう彼女は、戸惑いながら礼を言い、行ってしまった。
ここまで勝ってしまったら、たとえ貰いが少なくなろうと、賭け元に少しは返すものだ。そうしないと恨まれるから。それも常連ではなく新顔がやったのであれば猶更だ。
きっと半分くらいは彼女のチップになるだろう。それでもかなり多そうだが。だがそれでいいのだ。
もう彼女はこの席には来ないだろう。
少なくとも死合いが終わるまでは。
客の様子をよく見ているようなので、人払いを兼ねてチップを渡されたことを察してくれているはずだ。
「せっかくだから、ここからは死合いに集中しましょう」
「はい。ぜひニア殿の見立てと解説を踏まえて観戦したいです」
もう金が増えも減りもしないとあって、ガンドルフの汗も落ち着いたようだ。
それから二戦ほど勝負の行方を見守ったところで、気になる選手が出てきた。
「――あれは……」
出てきたのは、ピッタリした短パンとただのシャツという、かなり軽装の女だ。ガンドルフほかここにいる貴人たちのように、顔にマスクを着けて出てきた。
一目見てわかった。
あの女、「氣」をまとっている。
ここまでの死合い、そこまでの境界線に到達している者はいなかった。「到達しようとしている者」なら何人かいたが。
彼らのおかげで私も楽しんで見ていられた。
だって、そこまで行けば、ちょっとしたきっかけで辿り着くことがあるからだ。
それがこの死合い、この時に起こるかもしれない。
そう思うと、なかなか目が離せなかった。
――まあ、そんな奇跡は起こらなかったけど。
しかし、彼女は違う。
明確にもう「到達」している。
全身にみなぎる「氣」は、まだまだ生まれたてのヒヨコ程度のものだが――到達してしまえば大きく育てることは容易である。
彼女はこれからどんどん伸びていくだろう。
しかもあの身体付きはどうだ。
丹精に鍛えている筋肉で構成されたそれは、細身である。さっきのバニーのようにムッチムチの肉が付いていることもない。
だが、鍛えすぎていないのがポイントなのだ。
そうだ、瞬発的な筋力は「氣」で充分補える。速度を殺すような筋肉は付けるべきではない。
女性なら尚更だ。
どうしても、男と比べると体格や筋肉量で劣るシーンが多い。
ならばどうするか?
自分の優位を伸ばすのだ。
真っ向から体格や筋力で勝負する必要はない。
速度を活かし、体格も筋力も意味をなさない一撃を繰り出せばいい。難しく考える必要はない。ただただシンプルにそれだけでいいのだ。
「――いいじゃない、彼女」
気に入った。
何から何まで私の理想に近い身体の作り方だ。私もいずれあんな肉体を作り上げたい。
「――え? ……あの、ニア殿?」
「――対戦相手は誰? 相手も
一目見てから目が釘付けになってしまったが、問題は対戦相手だ。
果たして彼女と張り合える存在なのか――あ、まあ、そう都合よくはいかないか。
「次は女同士の対決! 今夜が初出場、謎の女戦士ミス・サーバント! 弱冠十代にしてこの大舞台に立つ実力はいかほどか!?」
ほう、彼女はミス・サーバントというのか。覚えておこう。
そして相手は……
「対するは、夜の魔蝶スカーレット! 今日も得意のムチが可愛そうな獲物の鮮血を散らす!」
うん……まあ、覚えなくていいかな。露出度が高いムチムチが鞭を振るうって感じの女性だ。
同じ女性で、女性同士だから対戦相手に選ばれたのか……そこはさすがに可哀そうだな。ここまで明確な実力差があると同情する。
まったく。組み合わせを考えたのは誰だ。見る目のない。
全体的にこのくらいのレベルなら、ミス・サーバントはメインイベントで使ってもいいくらいなのに。
「――マスクの方が勝つわよ」
「――いえニア殿。あの……ニア殿。ニア殿? それは本気で…………ニア殿?」
なんだうるさいな。何度も名前を呼ぶな。
「――何? もうすぐ始まるわよ。あなたもちゃんと見てなさいよ」
恐らく一撃だ。
ミス・サーバントは、開始直後の一手で勝負を決める。一秒も掛けないだろう。時間を掛けるほどの死合いでもないし。
その一瞬を見逃すまいと構えているのに、ガンドルフのうるさいこと。
「――いえ、何、というか……」
さすがに腹が立つタイミングで声を掛けてきた大男に非難を込めた視線を向けると、彼はすごく困ったような顔をしていた。
……なんだ? 何その言いづらいことを抱えているような顔。なんか言いづらいことでもあるのか?
「――あの、ニア殿。これは俺の勘違いかもしれませんが……」
「――何よ。早く言いなさい」
「――その、なんと言いますか……」
ここまで言っておいて口ごもるガンドルフに、早くしろ早くしろと急かしまくると、彼は意を決したように言った。
「――あれは、あなたの侍女では?」
…………
「えっ」
なんて言った?
こいつ今なんて言った?
「――試合開始ぃ! ……おおっ!? な、何が起こった!? ミス・サーバントの拳でスカーレットがぶっ飛んだ……か!?」
一瞬で決まった勝負の行方を一切見ること叶わず。
賭け金の行方に阿鼻叫喚の声が上がり、今日一番の大騒ぎとなった。
――その大騒ぎの中、私たちのいる個室だけ、動きも声も何もなかった。