35.お楽しみの時間だぁ!……と思っていたのに
深夜、私はホテルから抜け出し――
「あ、ほんとに来た」
ホテルの前で待ち合わせと指定していたシャロと合流し、彼女の案内で目的の場所へ向かう。
深夜でも街灯が輝き、建物から漏れる灯りでずいぶん明るいメインストリートだが――一本脇の路地に入るだけで、かなり暗く寂しい道になる。
「シャロは知っていたんじゃないの? あいつらのこと」
「あいつら? ああ、確か……『ジグザグドッグ』とかいう不良グループだったっけ? 私は名前くらいしか知らなかったんだけど」
そう、そのジグザグドッグだ。
あの
ほかにもいくつか、王都にはチンピラのグループがあるようだが、俄然興味ないのでどうでもいい。
今は、今夜は、今夜こそ、大勢の犬と遊ぶことしか考えられないから。
聞いてすぐ情報が得られたくらいだから、件の犬たちは王都ではそこそこ有名だったらしい。
もちろん悪い意味でだ。
――つまり、ますます良心の痛まない拳ということでいいわけだ。
メインストリートからどんどん離れていくと、綺麗なものばかりだった王都の汚い部分が目立つようになる。
いかにも、という風の悪そうな人間がいたり、溜まっていたり、飲んだくれていたり。
「おい――がっ!」
「てめ――いでっ!」
「ガキが――あっ痛い!」
露骨に絡まれるたびに瞬殺しておく。
これはこれで楽しいが、若干良心が痛むので、あまりやりたくはない。
――言葉遣いは悪いけど一応心配している、という理由で絡んでくる輩もいなくはないだろうから。
何せこっちは子供だし。
女連れだし。
明らかに悪い感情を持っていない輩もいたし。
……いや、傍目には子供連れの女という見方になるのかな。私が主導とはなかなか思えない構図だろう。
「ニアって本当に強いね。正直何が起こってるのかよくわかんないんだけど」
「リストン家に代々伝わる秘伝武術なの。誰にも言わないでね。秘伝だから」
「わかった」
「ついでに言うと、実戦経験が欲しいのよ。だから行くの」
「ふうん」
シャロはあんまりよくわかってなさそうだし興味もなさそうだが、それで構わない。詳しく説明できることでもないし。
時々道を訪ねつつ更に十人くらい瞬殺していくと――その店はあった。
ちゃんとした名前が書かれていたのだろう看板に、「ジグザグドッグ」とペイントされている、荒んだ大きな酒場。
あそこがジグザグドッグの溜まり場……というか、縄張りなのだろう。
……ん? 人の気配が少ないな……歓迎の準備ができていないのか?
「シャロ。あなたはここまで」
「――うん。そこの建物の屋上から見てるから」
と、酒場の向かいにある廃墟を指さす。気配を探れば無人なので、ここなら入っても大丈夫だろう。――この分じゃそんなに時間も掛からないだろうし。
「気を付けてね」
はいはい。
もし人の気配が多かったら、これ見よがしに罠とか警戒して気分よく窓とか裏口から強襲したのだが。
人の気配が多くないので、堂々と正面から入ってみた。
寂れた店内は荒れ放題で、椅子やテーブルも壊れていたり転がっていたりしている。外観からしても予想はできたが、まともに営業はしていないようだ。
「――あ、ほんとに来ちゃったよ」
入ってすぐの真正面。
薄暗い店内。
なんとか無事だったのだろう椅子に座る、きっちりしたスーツ姿を着込んだ男と目が合う。――そして彼の周りには三人の男が倒れていた。
うん、わからん。
「これはどういう状況かしら? 私は彼らの復讐に仕方なく付き合う体で来たのだけど」
私がちょっと流れでおしおきしたことを彼らは恨み、私への恨みを卑怯極まりない人数で囲んで晴らす。
そして私は、あえて恨みを晴らしたい彼らの待ち伏せする場に飛び込んできた者、という形になる。
あくまでも被害者、巻き込まれた側、復讐という恨みつらみに対して真っ向から受けて立つという、まあ数人くらい殺しても正当防衛が成立する体で来た。
――乗り気だったのに!
ちょっと強めに殴るのを楽しみにしてたのに!
一対一ではついつい弾みやついでやノリや勢いやその他の事情でやり過ぎることができないじゃないか!
「どうもこうもないでしょ」
と、スーツの男はだらけた口調で煙草を咥え、火を点けた。
「こんな小さな子供にやられるような奴ら、俺らの下にはいらないってことね」
俺らの下、ね。
「あなたは本物のマフィア?」
「まあそれに近いかな」
なるほど。犬たちはマフィアの下っ端みたいなものだった、と。
「――でもちょっと事情が変わったなぁ。君、強いねぇ。こりゃこいつらが負けるのも無理はないかもねぇ」
スーツの男は立ち上がると、転がっている男の一人を蹴り上げた。
「運が良かったな。誰も来なかったら死んでたよ、おまえら。――もう行っていいよ」
倒れていた男たち――スーツの男にシメられたのだろう彼らは、至るところが痛むのだろう身体を引きずるようにして、這う這うの体で裏口へと去っていった。
「でさぁ、君はどうするの?」
「どうする、とは?」
「だからぁ、俺たちのメンツを潰してくれたわけじゃん? 俺もわざわざ出張ってきちゃったわけだし。
あいつらのことはどうでもいいけどねぇ、でもこの業界ナメられたら終わりなわけ。
――で、君は今、俺たちのことをナメちゃってるよね? べろんべろんにナメまくってるよね」
ああ、はあ。
「けじめを取ると。そういうことかしら」
「ご名答。利発な子だねぇ。伊達にこんなところまで一人で来ないね」
……けじめか。けじめね。
「それはこっちのセリフだわ」
腹が立つ。本当に腹が立つ。
何がけじめだ。
こっちはもう今夜は百人を相手に暴れてやる気で来たのに、蓋を開けたらこの様だ。なんだこのがっかり感。ふざけるな。
どうしてくれる。
今宵の私の拳は血に飢えていたのに。満たされないこの心、どうしてくれる。
「私は巻き込まれたケンカに対応しているだけで、それ以上は何もないの。
けじめ?
私は今夜、ここに、それを付けに来たんだけど。
あなたが邪魔しなければ、それだけで済んだのに」
なのに、なんの事情があるのか知らないが、犬どもの上役みたいなのが出張って邪魔してきたのだ。
しかも、至極弱そうなのが。
「彼らが私に払うはずだったツケは、あなたが今すぐ払いなさい。全力でいじめてあげるわ」
「……ああそう。ちょっと泣かすくらいで許してやろうとは思ってたんだけどなぁ」
私の戦闘態勢を察し、煙草を弾き飛ばしてスーツの男が歩み寄ってくる。
――意外と若い。いや、かなり若いな。上背もある方ではないし、体格も恵まれている方ではない。細身である。
やる気のなさそうな表情だが、しかし、鳶色の瞳だけは異様に輝く。
――暴力への渇望か、あるいは強い敵意の色か。
「おまえ殺すわ」
速い。
ひどく脱力していた男の身体がしなる。
派手な緩急が生み出す動作と、無駄のない暴力への動きは、想像を超える速さだ。
彼の放った初手、右の拳は、私の顔面を深くえぐった。
――好い。
この初手からの躊躇のなさ。ひどく好い。
よろしい。
雑魚百人の方が絶対に楽しいだろうが、今夜は