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26.「恋した女」稽古の日々





「お嬢様」


「何?」


「あいつ殺しましょうよ」


「やめなさい」


 劇団氷結薔薇(アイスローズ)の稽古が始まり、そしてリノキスが血沸くことを言い始めて四日が経った。


「じゃあせめて手伝いを――」


「私の役目よ」


 渇いたモップを持って、一気に壁から壁に走り抜ける。

 何度も何度も往復する。


 拭き掃除は週に一回。

 渇いたモップで埃を払うのは、朝稽古の始まりと終わりに一回ずつ。


「……よし、と」


 そしてそれは、新人である私の仕事である。

 というか、シャロに言われたのが発端ではあるが、結局私が買って出たことでもある。


 ――なんとも懐かしいのだ。


 鍛錬する場を清めるのは、己が武に拘わる全てへの敬意である。

 そう語ったのは誰だったか。


 記憶がないので思い出すことはできないが、己の強さに奢り高ぶった私を戒める言葉だったのではないか、という気がする。


 己と向き合い磨くのが武。

 しかし武とは、外へ放つ力である。


 鍛錬の場に、競い合う同門や同志に、己と向き合う環境に、血肉となるものに、全てに感謝と敬意を示せ。

 それがなければ、武ではなく暴力であると。


 初日を除き、早朝の空拭きは今日で三回目。

 やればやるほど、かつての何かを思い出しそうになる。


 ――だからなのか、それとも単純に身体を使うことが嫌いじゃないのか。


 この作業に、あまり悪い気はしないのである。





 なんだかんだ殺意表明したがるリノキスはいったん追っ払い、掃除を終えて道具をしまう。彼女は昨日から、昼食を作って昼また来る。いるとうるさいから。


「――おはよう」


 そうこうしている内に、劇団員たちがやってくる。


 一番最初に来るのは座長のユリアンである。彼はいつも早い。

 最初こそ、新人らしい雑用を任された私に気を遣っているのかと思ったが、いつものことなのだそうだ。


 それから他の役者たちがやってきて――その中に彼女もいる。


 初日に私に一発かました、赤色の混じった金髪の娘シャロ・ホワイトだ。


 そして時間通りにやってくるのが、座長の妹にして看板女優氷結薔薇(アイスローズ)ことルシーダである。


「では今日の稽古を始める。まずは柔軟体操を」


 だいたい全員が揃ったところで、ユリアンが指示を出す。

 一人で身体を伸ばす者、二人組で体操をする者、すでに終えている者と様々だが――


「押しましょうか?」


「け、結構、よっ」


 床に座り、足を開いて上半身を前に倒すシャロだが、やや身体が固いようだ。


「というか、あなたはなんで、そんなの、できるのよっ」


 息も絶え絶えになるほどぐーっと無理やり身体を伸ばしているシャロは、すぐ横で片足で立ち、もう片方の足を垂直に上げて、上げた己の足を顔に付けている私を見ている。


 なぜかと問われれば、武に柔軟性は付き物だからだ。

 身体が固いと動きづらいし、咄嗟の動きで腱が切れたりする恐れもあるし、とにかく稼働領域が狭くなる。一流ほど身体は柔らかいものなのだ。


 子供だけに、ニアの身体は元々結構柔らかかった。

 これくらいできるようになるまでに、そう時間は掛からなかった。


 もう片方の足も上げてしっかり腱を伸ばすと、今度は両足を揃えて立ち、上半身を前に倒す。顔が自分の両膝に付くほどに。


 そんな私を、シャロは苦々しい表情で見ていた。


「押しましょうか? ほら遠慮せず」


「ちょ、やめ、触らないたたたたたたっ!」


「あーこれは固い。固いなぁ」


「痛い痛い痛い痛いっ!」






「では稽古を始めよう!」


 痛がるシャロをいやがらせがてら手伝い柔軟を終え、私としてはこのまま型の訓練でもしたいのだが……まあ、今はそれどころではないので、ホテルに帰ってからやるとして。


 私とシャロは二人して少し離れ、台本を広げてセリフを読み合う。


 ――今回の「恋した女」の主演と、その子供役だからだ。


 一回通してセリフの掛け合いをした後、私は言った。


「今日は言わないの?」


「は?」


「なんで私が素人の面倒を見ないといけないんだか、って」


 初日を含めて昨日まで、必ず稽古の前に入れていたことだが。


「……可愛くない子」


 可愛くないはお互い様だろう。シャロだって今のところ全然可愛げはないし。そもそも私は「子」ではないし。


 ――だが、少しは余裕が出てきたかな。


 シャロの些細な変化を感じ、私はあの夜、ルシーダに言われたことを思い出していた。





 花の香りがする紅茶とドライフルーツの入ったパウンドケーキが並べられるが、誰も手を付けない。


 ルシーダが真剣な面持ちで話し出したからだ。


「気を悪くするかもしれないが……実は、君の人気と度胸を利用したいと思って呼んだんだ」


 ほう。利用とな。


「はっきり言いましたね」


「『ただの子供』に話すつもりはなかったよ。でも君はむしろ、ちゃんと話しておいた方が思い通りに動いてくれそうだと思って。


 物分かりはいいし、頭もよさそうだ。

 最初は魔法映像(マジックビジョン)で堂々と受け答えをする君を見て気になり、叔母様に君の印象を聞いたんだ。


 ――子供とは思えないほど度胸があり、また非常に落ち着いている。納得できれば憶えも早い、と。


 このディナーの席で、私も同じ印象を持ったよ」


 子供とは思えないほど、か。

 実際その通りなので、その辺は勘弁してほしい。さすがに本物の子供のようには振る舞えない。


「――今度の演目『恋した女』には、いずれ劇団の看板女優になるだろう、若い役者を主演に起用するつもりなんだ」


 若い役者を主演に。

 主演と言うと、例の「子供を捨てる未亡人役」か。


「ルシーダさんではなく?」


「そう。今度の主演は、今のところ無名の新人だ。というか今度の劇でお披露目という形になるかな。これまでに端役はあったが、主演は初めてだから」


 ……なるほど、後進の育成でもあるのか。


 男役は目の前の「氷の二王子」でだいたい足りるから、看板女優が欲しいのだろう。ルシーダは男装の麗人という側面もあるので、女形専門の女優が。


「実力はあるし、度胸もいい。もちろん看板女優になれるだろう風格もあると思う。


 何より、主演は彼女がずっと目指していた目標だ。

 当然やる気も漲っている。


 ――問題は、やる気が漲り過ぎていることだ」


 ああ、わからなくはない。


「気負いがすごいのですね」


「その通りだ。気合が入り過ぎていて、ちょっと回りが見えていないところがある」


 いざチャンスを前にして力が入り過ぎている、と考えるとわかりやすいだろう。よくあることだ。


「まあ、稽古を続ければ少しずつ落ち着いて、最終的にはいい感じになるとは思うんだ。


 ――ただ、彼女と向き合うことが多い役……『子供役』がね。これといった子がいなかったんだよ。今の彼女にぶつけたらケンカになったり潰されそうな者ばかりでね」


 ふうん。


「じゃあいっそのこと外から調達しよう、と」


「そう。そしてそう考えた時、私は君を思い出した。魔法映像(マジックビジョン)で常に落ち着いて振る舞う君なら、彼女と向き合えるのではないかと。


 おまけに、彼女の踏台に丁度いい人気者でもある――君の人気、王都でもかなり上がってきているんだよ」


 ほう、王都で私の人気が上がっていると。


 どこかで私に対する規制が掛かっているのか、リストン領でさえあまりそういう声は聞こえてこないのだが。王都ではそうなのか。


 まあ、がんばって出演してきた甲斐はあったかな。


「つまりやる気が空回りしている主演女優の相手役として。そして私の人気を利用して、無名の主演女優の知名度を上げたいと」


「うん。どうかな?」


 ルシーダはテーブルの上に手を組み、笑みを……いや、笑みは浮かべているが笑っていない、少しふざけているが真面目な顔を見せた。


「――君を利用したい汚い大人の策略に、協力してくれないかな?」


 …………


「勝手になさったら?」


 と、私はここでようやく、ずっと気になっていた花の香りがする紅茶を口に入れた。おお、香りが鼻から抜け、体内に広がる……これはすごい。高い茶葉だろうな。


「――私は劇団氷結薔薇(アイスローズ)の役者として呼ばれただけです。そこにどんな事情や利権、策略があろうと、私は私の仕事をするだけ。


 仕事以上を望むならどうするかはわかりませんが、仕事の範囲内なら、どうぞ好きなだけ利用してください。それも含めて依頼を受けたつもりですから」


 ――そして仕事が成功すれば、私の人気と知名度も上がり、今後また役者の仕事が舞い込む可能性がある。


 特に今回は、いつものリストン領ではなく、王都での仕事である。

 こちらでの人気と知名度を上げる絶好のチャンスでもあるのだ。


 そう考えれば、利用するのは私も同じ。

 私も彼らの依頼を利用するのだから。


 ――まあ、話の内容は憶えておくが。





 要するに、主演女優シャロ・ホワイトと足並みを揃えろ、と。

 そういう話である。





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