13.間幕 視聴者の声
「――約一年前、私の娘ニアが病に倒れました。あらゆる医師、魔法医、魔草学の権威や都市伝説のような噂にもすがりましたが、その甲斐もなく、娘の病は悪化して行きました」
普段は裏も表も騙すような人の好い笑みを浮かべている彼は、この時ばかりは真摯に構え、端正な顔を引き締めていた。
第四階級貴人オルニット・リストン。
かつては、彼の父親であるガデット・リストンが、飛行船の事故で怪我をししばらくベッドから動けない状態となり、その穴埋めのために代理として立った一人息子であった。
まだまだ若く、今年で三十一歳になったばかりの――為政者としては若造もいいところである。
しかし才覚はあった。
拙く危なっかしいところもあったが、それも努力とフットワークで乗り越えてきた。
その姿を見て、少々早いがいい機会だとして、ガデットは家督をオルニットに譲り渡した。
それが六年前の話である。
前リストン領主ガデットは、今ではリストン領の端にある浮島で楽隠居生活だ。
――羨ましい話だと、第五階級貴人ヴィクソン・シルヴァーは思う。
「……はあ。今日も退屈ね」
オルニット・リストンの話が放映される中、シルヴァー家の末娘であるレリアレッドが、五歳の表情にしてはあまりにも達観した胡乱な瞳で、浮かぶ魔晶板を眺めている。
ほかの娘たちは、そもそも見ていない。
朝食に夢中か、今日はどこに遊びに行くかで相談している。
今年五十、奇しくもガゼットと同じ歳であるヴィクソンは、もうとっととシルヴァー領地を誰かに継がせてさっさと隠居したいと思っていた。
ただ、娘しかいないので、なかなか叶えがたい望みとなってしまっている。
それも娘ばかりが四人もいるのだ。
しかも一番の娘は、二十七歳を越えてなお結婚する意志も意欲もないようで、服飾関係の商会を起こして仕事にのめり込んでいる。
食卓に着く娘たちを見て、ヴィクソンはこっそり溜息を漏らす。
まだまだ後継ぎは見つからなさそうだ、と。
――ヴィクソンは冒険家になりたかった。
未開の浮島を冒険し、いろんな発見をしたり、魔獣と戦ったり、予想もつかない胸が躍るような冒険の毎日を過ごしたいと思っていた。
第五階級シルヴァー家の長男として生まれた以上、それが叶わないと悟ってからは、その願望を心の奥底にしまい封印していたが――
そんな彼の冒険心を再び燃え上がらせたのが、
末娘は「退屈」と言うが、その「退屈な映像」は、ヴィクソンには大いに響いた。
特に、時折放映される冒険家の姿である。
――導入を勧められた
王都アルトワールが王の権威の下、満を持して始めた企画ゆえに、義理だけでバカみたいに高価な魔晶板を購入はしたものの。
そもそも何をするものなのか、ヴィクソンには説明されても、理解できなかった。
やれ放送がどうとか。
遠い景色を見られるとか。
遠くを見たいなら遠くへ行けばいい。
今やどこの領主だって飛行船くらい持っているし、民間のレンタル飛行船というものもある。
いやいや、個人で所有する庶民だっているくらいだ。一人か二人乗りの小型船なら珍しくもないくらいだ。現にシルヴァー家のメイドが乗って買い物に出たりしている。
遠出はもう、あまり労力と時間を使わないのだ。
だから遠くの景色が見たいなら、直接行けるし、直接行けばいいと思う。
そう、思っていた。
だが景色などと違い、冒険家が冒険する姿を見ることはできない。
立場上、危険な未開の浮島に行くこともできない。
冒険家になりたいという願望を、少しだけ叶えてくれたのが、この
ヴィクソンの身体はすっかり老いてしまったが、心の中に閉じ込めていた冒険心は少年のあの頃のままにはしゃぎ出した。
いつも「飲みながら観よう」と用意する酒を飲むことさえ忘れて、食い入るように観入ってしまう。
――シルヴァー領地でも放送局を造りたいと、密かに思い始めたのはいつからだったか。
あまりにも高額な資金が必要とあって、どうしても踏み出せない。
もし本当に放送局を造ろうと思えば、シルヴァー家の蓄えをすべて吐き出しても足りないくらいだ。
正直、オルニット・リストンは
この手の事業は、少し待てばコストは下がるものであるからして。
そんなリストン領の放送局が造っている映像「リストン領遊歩譚」。
つまらなくはない。
だが末娘が言うようにやや退屈。あまりにも刺激がなさすぎる。
あれは高年齢層が喜びそうな映像と言わざるを得ない――まあヴィクソンは高齢なので、地酒と特産品の取り寄せはよく利用しているが。
「あ……」
自分の放送局を造って冒険ものの番組ばかり流したいなぁ、と最近いつも考えている妄想は、末娘が発した小さな声で壊された。
妄想から現実に意識を向けると――魔晶板にはオルニット・リストンの息子の姿がアップで映っていた。
――なるほど、と頷く。
まだ十代にもならない子供だが、すでに将来が約束されているかのような美しい顔立ちである。
将来は絶対に婦女子を泣かせまくる青年に育つだろう。
同年代ということもあり、末娘は気に入ったようだ。
一人でもいいから婿養子を取るか、さっさと嫁に行ってほしい。
まだ五歳の末娘に、心の中で言い渡しておく。リアルに言ったら娘たち全員の矛先が向くので言えないが。
そして――命が助かったという、車いすに座った白い女児が写る。
病的なまでに白い肌に、魔力切れを連想させる灰色のような白い髪。
それらに合わせたかのようにフリルのたくさん付いた白いドレスを着た姿は、吹けば飛ぶように、触れれば壊れそうなほど儚く、そしてひどく脆そう見えた。
透き通った青い瞳が、魔晶板越しにヴィクソンを見据える。
――その瞬間、ヴィクソンは思った。
(……本当に子供か?)
直前に映ったオルニット・リストンの息子が子供らしく緊張していたせいか、次に映った白い少女の落ち着きぶりは、かなり異質に見えた。
本当に子供なのか、と疑いたくなるくらい、堂々たる平常心、緊張のなさ。
貴人らしいとは思うが、それも老獪な人物だ。あれは決して子供ができる表情ではない。
「あの子――」
気づけば、娘たち全員が魔晶板を見ていた。
口を開いたのは、今年二十七歳になる長女である。
「――なんであんなにダサい服着てるの?」
服のことはよくわからないが、貴人の子供の格好なんてあんなものだろうとヴィクソンは思った。
「あの子――」
次に口を開いたのは、少し前に二十歳になった次女である。
「――いい。可愛い。お兄ちゃんも妹も。兄妹。兄妹で美形な子供。ぐふふ。妄想。加速」
小さい頃から絵を描くのが好きで、今も描いているが、最近はどんな絵を描いているかは知らない。
男だったら犯罪者として訴えられそうな顔をして不気味にぐふぐふ嗤う次女に、しばらく結婚は無理かな、とヴィクソンは思った。
「あの子――」
次は、来年からアルトワール学院高等部への進学が決まっている十五歳の三女。
「――強そうね。すごく」
天破流という武術にのめり込んでいる三女は、次女並みに不可解なことを言った。
あんなにも小さく痩せ細り、強さの欠片さえなさそうな女の子を見て、「強そう」とはどういう意味か。ヴィクソンにはわからない。
「へー……――」
そして最後に、末娘が呟いた。
「――この白い子、五歳か。わたしと同い年なんだ」
それが一番普通の感想だな、とヴィクソンは思った。
――普通ゆえに厄介だと感じたのは、これより数か月後のことである。
「お父様!」
朝食の席で、最近不機嫌そうに魔晶板を観ていることが多い末娘が、ついに爆発した。
「私もニア・リストンのように
オルニット・リストンの感謝の意を述べる映像から、ちょくちょく映像の世界に出てくるようになった白い少女ニア・リストン。
これまでとは違う年齢層を狙い始めた映像は、末娘のすべてを刺激した。
同い年ゆえに思う、「この子には負けたくない」という対抗意識。嫉妬。自分の方が優れているという自信。
貴人の娘ゆえに、やや奢り高ぶっている部分はあるかもしれないが。
しかし、親の贔屓目を抜いても、ヴィクソンは末娘がニア・リストンに負けているとは思わなかった。
――きっとこの時だったのだろう。
後にニア・リストンと双璧をなす赤き偶像と呼ばれる、レリアレッド・シルヴァーの誕生の瞬間は。