ノイエ・ヴェジア城にて
…………………
──ノイエ・ヴェジア城にて
私とゲオルギウスを乗せたワイバーンはひたすらに南を目指して進んだ。
暫くして眼下にニルナール帝国のものだろう街や田園が広がり、それが広がっては、飛びすぎていく。
「私をどこまで連れていくつもりだ?」
「ノイエ・ヴェジア城。そこで皇帝とやらがお前を待っている」
私が尋ねるのに、ゲオルギウスがそう告げて返した。
ゲオルギウス今のところ紳士的だ、私に暴力を振るうこともしないし、縛り上げたりすることもない。私がナイフでも隠し持っていたらどうするつもりなんだろうか。実際に私はナイフなど隠し持ってはいないものの。
「なあ。アラクネアの女王──グレビレアっていったか。カティアって名前の子を知っているか。お前と同じ年くらいで、同じような黒髪に、同じようなブラウンの瞳をした少女のことだ」
「生憎だが知らないね。私がその子を殺したといいたいのか?」
不意にゲオルギウスが尋ねてくるのに、私はそう告げて返した。
「いや。カティアはアラクネアには殺されていない。南部統一戦争で死んだんだ。彼女は戦闘魔術師で、敵と交戦中に火球を浴びて死んだ。俺が見たときは酷い火傷を負っていた。酷い有様だった……」
ゲオルギウスがそう語る口ぶりは悲しげなものだった。
「大切な人だったのか?」
「ああ。とてもな。俺は妹を失った。竜の呪いかどうかはしらないが。その妹にカティアはそっくりだった。本当にそっくりだったんだ。俺は思った。カティアは妹の生まれ変わりに違いない、と」
私が尋ねるのに、ゲオルギウスが憑りつかれたようにして返した。
「そう告げたのか?」
「いや。似ているのは外見だけで中身はカティアとは違っていた。だが、いい子だった。大人になれば素敵な淑女になるだろう少女だった。まあ、ちょっとおてんばなところもあったけどな」
ゲオルギウスはよく喋る。敵とは思えないぐらいによく喋る。
「大切な人だったんだな」
「ああ。大切な人間だった。俺は彼女が死んだとき泣いちまった」
私が告げるのに、ゲオルギウスは小さく笑った後、黙り込んだ。
「……カティアの話をするのも久しぶりだ。長らく俺は眠らされていたからな。平和な時代に俺みたいなのは必要ないってな。だが、戦争が起きて俺は目を覚ますことができた。感謝しているぞ、グレビレア」
「そんなことで礼を言われてもな。少なくともニルナール帝国に関しては戦争を起こしたのは向こう側からだ」
私はニルナール帝国に喧嘩を売った覚えはない、相手が勝手に仕掛けてきただけだ。
「何にせよ、この戦乱の時代に乾杯だ。こんなことでも起きなければ、俺は永久に寝たままで、お前に出会うこともなかった。こういう戦争は大歓迎だ」
「私はどんな戦争だろうと歓迎はしないな。やらなければならないといわれるのであれば全うする覚悟はあるが」
ゲオルギウスは哄笑し、私は肩を竦めた。
「もうすぐ帝都だ。そしてノイエ・ヴェジア城だぞ。準備はできているか?」
「拉致されて準備も何もあるまいさ」
ゲオルギウスの告げるように広大な二重城壁の都市が姿を見せた。その中心部には堅牢な城塞が誇らしげに君臨していた。あれがノイエ・ヴェジア城という奴だろうか。センスはそこまで悪くはないな。
「直接降りるぞ」
「好きにしてくれ」
ゲオルギウスはそう告げ、私はそう返す。
ゲオルギウスと私を乗せたワイバーンは急降下していき、城の裏庭に当たる場所にある滑走路と思しき場所に降下していった、ワイバーンは速度を落としながら滑空し、地面に足を付けると走りながら速度を落とした。
「着陸だ。で、早速迎えが来たぞ」
ゲオルギウスがワイバーンからひょいと飛び降りるのに、私の視線はその先に向いた。痩せ型の男が私たちの到着を待っていたかのように滑走路脇に立っている。これが皇帝マクシミリアンではなかろう。
「さ、手を」
「一人で降りられる」
ゲオルギウスは私がワイバーンから降りるのに手を貸そうとしたが、私はひとりで勝手にワイバーンから降りた。凡人以下のステータスでも、介護が必要なほどではない。
「そのお転婆さはカティアに似ている」
ゲオルギウスはそう告げると、男に向けて進んだ。
「連れてきたぞ、ベルトルト。アラクネアの女王だ」
「そのようだな。それがかの悪名高いアラクネアの女王か」
痩せ型の男は値踏みするような視線を私に向けた。嫌になる。
「我々の方では悪名高いのは皇帝マクシミリアンだがな。あのものの悪名は轟いているぞ。火事場泥棒、小国苛め、二枚舌とな。私の悪評などマクシミリアンの悪評比べれば些細なものだろう」
「口を慎むことだ、お嬢さん。皇帝陛下は女子供だろうと容赦はされない」
私が小さく笑ってそう告げるのに、ベルトルトという男が険しい顔をした。
「たかが子供の言うことにムキになるなよ、ベルトルト。そんなことしてるとみっともないぞ。皇帝とてお嘆きになられるだろうさ」
「お前はもう引っ込んでいろ、ゲオルギウス。用は済んだ。貴様は次の任務が与えられるまで、静かにしていろ」
からかうようにゲオルギウスが告げるのに、ベルトルトが彼を睨む。
「子供扱いはしないでくれ。こう見えても立派な18歳。成人だ」
「おいおい。冗談だろう。それで18歳? ありえないね」
私が主張するのに、ゲオルギウスが笑う。こいつはむかつく奴だな。
まあ、18歳に見えないのは分かるけれども。何故かちんまいのが更にちんまりとしてしまったからなあ。
「で、私をどうするつもりだ? 公開処刑でもするか? そんなことをすれば暴走したスワームが全てを食らい尽くすことを約束しても構わないがな」
「処刑するつもりはない。今のところは、な。皇帝陛下がお前に会いたがっていらっしゃる。まずは皇帝陛下に謁見する機会を与える。失礼のないようにしろ」
失礼なのは人を拉致してきた皇帝陛下じゃないか。
「なら、さっさと案内してくれ。私も暇じゃないんだ」
「そういう失礼なことを絶対に口にするんじゃないぞ」
私が肩を竦めるのにベルトルトが私を睨む。
さてね。私はこう見えて口が悪いんだ。皇帝陛下だろうとなんだろうと知ったことではない。それに、勝手に人を拉致してきた相手に敬意を払うつもりもない。
だが、これからどうしたものだろうか。
このノイエ・ヴェジア城から逃げ出す手段を私は持っていない。それでも逃げ出さなければ。アラクネアは私が核となって構成されている。私がいなければただの蟲の群れとなるだろう。
いや、私がいなくなってもセリニアンやライサ、そしてローランが指揮を執ってくれるかもしれない。希望的観測かもしれないが、アラクネアは私がいなくても機能するのかもしれない。
それでも帰らないと。
セリニアンが私を待ってる。
セリニアン。今頃はどうしているだろうか。
彼女の意識を覗き込むと、悲しみと苛立ちに浸っているのが見えた。私を守れなかったことが悲しくて、腹立たしいのだ。ゲオルギウスに対しても怒っているし、自分に対しても怒っている。
大丈夫だ、セリニアン。絶対に帰るから。
さて、セリニアンのためにも、アラクネアのためにも脱出を準備しなければ。
…………………
…………………
私はベルトルトに案内されてノイエ・ヴェジア城を進んだ。
流石にこの段階では逃げ出すことは考えない。大人しくしておく。今暴れて枷でも付けられたら余計に脱出の道が遠のく。それは望ましいことじゃない。暴れるのはこれと言った瞬間に絞らなければ。
私は大人しくベルトルトについていく。反撃のチャンスを探りつつ。
幸いにして、ベルトルトやマクシミリアンは私が今の段階で外と連絡が取れるなどとは思ってもみないだろう。隙を突くとすればそれだ。外から救援を呼び込み、そのままこのノイエ・ヴェジア城を脱出する。
そこまで簡単に行くとは思っていないけれど、手がないわけではないと自分を安心させることはできる。
それからセリニアンには安心するようにメッセージを伝えておかなければ。私を追って今にも飛んできそうだ。だが、この城の警備はそれなりに強固で、その上ゲオルギウスまでいて、セリニアンが単独で挑んでも勝てる相手ではない。
セリニアン。今は待っていてくれ。私は無事だから。
「皇帝陛下。アラクネアの女王を連れてまいりました」
集合意識に集中していたとき、私たちはいつのまにか大きな扉の前に立っていた。
「入れ」
扉の向こうから低い男の声がし、近衛兵と思しき兵士たちが扉を開く。
「ほう。これが大陸が恐れたあのアラクネアの女王か。意外だな。もっと化け物のような見た目をしているものとばかり思っていたが」
扉の先にいたのは嫌味な笑顔を浮かべたまだ壮年の男だった。
これが皇帝マクシミリアンか。もっと年寄りだと思っていたが。
「歓迎しよう、アラクネアの女王。ようこそ、ノイエ・ヴェジア城へ。まあ、大した歓迎はしてやらんがな」
「私もお前のような男から歓迎を期待してはいない。期待しているのは、さっさとこの城から出してくれることだけだ」
マクシミリアンが告げるのに私はそう告げて返す。
「ははっ! 大陸中を探してもこの俺を恐れないのはお前ぐらいだろう。他のものはこの俺とこの俺の配下にあるニルナール帝国を恐れるというのにな。こんな小娘が私を恐れないとは」
「恐れる理由がない。お前がエルフの森に送り込んできた軍勢は鏖殺してやった。まだリントヴルムに余裕はあるか、皇帝?」
敵はまだエルフの森に侵攻した侵攻軍の全滅を知らないだろう。リントヴルムが80体全てが肉汁と化してしまっているということを。兵士たちも毒針と牙で皆殺しにされたということを。
「……事実か、ゲオルギウス」
「事実だ、皇帝。こいつらの蟲たちはリントヴルムを平らげた。あの調子なら生き残った兵士はいないだろう。カティ──グレビレアが言う通りに、エルフの森にいった奴らはひとりとして帰ってこないだろう」
マクシミリアンが静かに尋ねるのに、ゲオルギウスが飄々とそう返した。
「やってくれるな、アラクネアの女王」
「いくら褒めても構わないぞ」
マクシミリアンが無表情に告げるのに、私はちょっと笑ってやった。
「確かに讃えるべき功績だ。リントヴルムを80体も送り込んだのに、それが蹂躙されるとは。だが、そちらも無傷ではあるまい。何を失った?」
「……貴様らは戦いとは無関係のエルフたちを殺した。私が庇護を約束したものたちだ。この報復は必ずさせてもらうぞ」
私たちはリナトに続いて多くのエルフの仲間を失った。
このことを私は許すつもりはない。あの虐殺を命じたマクシミリアン、お前にはそれなりの償いをしてもらうぞ。
「今の貴様に報復が行えるとは思えないがな。今のお前は囚われの身のひとりの娘にしかすぎんのだからな。従える騎士もいなければ、率いる軍勢もいない。貴様を殺すも生かすも俺次第だ」
マクシミリアンはそう告げて笑うと、私の方を見つめた。
「どうしてお前のような小娘が獰猛な蟲たちを従えている? お前の何が特別だ?」
「さあな。私には人望があるんだろう。どこかの誰かと違って」
私だってどうして女王になったのか分からない。何故この世界に来たのか分からない。分からないことだらけだ。傲岸不遜な皇帝と話しているより不安に思えてくる話だ。何が起きて、どうしてこうなった?
「まあ、いい。話はゆっくりと聞くとしよう。お前は長らくこの城に滞在することになるだろうからな」
「うんざりさせられるな」
すぐに殺そうとしないだけましとするか。
「ベルトルト。女王を部屋に案内してやれ。丁重にな」
「畏まりました、皇帝陛下」
マクシミリアンが命じ、ベルトルトが頷いた。
「ゲオルギウス。お前は報告のために残れ」
「残ってください、だろう。俺が忠誠を誓ったのはアウグストゥスだけだ。フリードリヒだろうが、お前だろうが、命令を受ける筋合いはない」
ほう。ゲオルギウスは自由な男だな。そのゲームの中の指導者だったアウグストゥスがいるのかどうかも分からないのに。
「だが、我々抜きではお前は暮らしてはいけないだろう」
「やれるかもしれないぞ。何せ蟲の怪物が跋扈しているような時代だ。俺も化け物殺しになって、それで生計を立ててもいいんじゃないか」
マクシミリアンの言葉にゲオルギウスはそう告げる。
本当に自由な男だ。
「分かった。残ることを望む。報告を頼む。これでいいか?」
「ああ。報告してやるさ。あの酷い状況をな」
こうして、マクシミリアンとゲオルギウスは話し始めた。
「何をしている。行くぞ、アラクネアの女王」
「行けばいいんだろう」
私はもう少し彼らのやり取りを見ていたかったが、ベルトルトに促されて、ノイエ・ヴェジア城の城内を進み始めた。
これからどうなるのだろうか。
敵地の最中にあって、私は脱出の術が思い浮かばなかった。
…………………