温泉へ
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──温泉へ
「温泉がある?」
私の下にそれを伝えたのはほかならぬライサであった。
「そうです。女王陛下。なんでも東部商業連合の北部の島に温泉があるそうなんです。景色は絶景で、お肌にもいいとか。行ってみませんか?」
ライサはそのように私を温泉に誘ってきた。
景色のいい露天風呂。確かに魅力的だ。仕事を放りだして出かけたくなってくる。
「だけれど、ライサ。やらなきゃいけないことがいろいろとあるんだよ」
そう、今の私はそれなりに多忙なのだ。
ニルナール帝国にの次の攻撃に備えて軍を動かし、東部商業連合の再建作業のために派遣させるワーカースワームの数を調整し、これまでの戦いで使った資源の再補充の見込みを付けなければならない。
ついでに言うと私自身、この世界の魔術について勉強しなければ。
ニルナール帝国は再び沈黙に入ったが、あの国はトリッキーに動いてくる。リントヴルムという怪物まで加わった状態では、この戦争の勝敗がどうなるのか本当に分からなくなってきた。
「そうですか……。残念です……」
私の言葉にライサががっくりと肩を落とす、悲しい感情が集合意識を通じてピリピリと伝わってきてしまう。
はあ。そこまでされたらしょうがない。
「ライサ。分かった。温泉に行こう。温泉の場所は」
「ここです! ここに温泉施設と宿泊施設があるそうです!」
私が尋ねるのに、ライサが喜び勇んで地図を広げる。前から準備してあったらしく、いろいろと書き込みやしわがあるのが可愛い。
「島、か。島となると輸送手段が必要になるが、その手配はできそうなのか?」
「た、多分、島に向かう船とかがあるでしょうし。それに便乗すれば……」
やれやれ。我らがエルフどのはそこを考えていなかったらしい。
「船が1週間以内に見つかったら考えよう。それか他の──」
私たちがそう会話していたとき、私が司令部としている天幕の前に暴風と吹きたてて何かが舞い降りてきた。突然のことにライサが弓を構え、私は何が起きていいようにいつでも逃げ出せる姿勢を取る。
「女王陛下! ご覧ください!」
だが、どちらの警戒も不要だった。
暴風を吹き荒らした犯人であるグリフォンを連れていたのはセリニアンだったのだ。
「セリニアン。そのグリフォンはいつぞやのグリフォンか?」
「はい。陛下。本当ならば半年で転換炉に入れるはずだったのですが、こいつらときたらいくら食べても大きくなるのでついつい育て過ぎてしまいました。ですが、この者たちがいれば空中での勝利が得られますよ!」
私たちはシュトラウト公国の冒険ギルドでグリフォン討伐を請け負い、その際にセリニアンは3羽の雛を得ていた。いずれは転換炉に入れるということでセリニアンに面倒を見させておいたが、いつのまにかとんでもない大きさになっていた。
「だが、これは使えるな」
私の頭の中で温泉旅行とグリフォンがつながった。
「セリニアン。このグリフォンに私たちは乗れるのか?」
「はい! そこ辺りはしっかりと躾てありますからね! どこへでも飛んでいけすよ! これで女王陛下の移動も楽になるかもと思います!」
セリニアンはどこまでも自慢げだ。これまで生き物を育てるなんてことをしたことがなかった彼女には嬉しくてたまらないのだろう。自分が育てたものが、私たちの役に立つということは。
「よし。決まりだな、ライサ。船は準備しなくてもいいぞ」
「ということは?」
私が告げるのにライサがグリフォンたちを眺める。
「そうだ。グリフォン特急で私たちは運んでもらうことにする。それならば行き来も楽なものだろう。ちょっとした休暇なら移動時間も減らさなければ、な」
私はそう告げてまだ何事かを読み取れていないセリニアンを見つめた。
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東部商業連合沖合1キロメートル。
「おおっ! おおっ!?」
私はスワーム化したグリフォンに揺さぶられながらその上空を飛行していた。
セリニアンはグリフォンスワームの初陣が温泉旅行なのにちょっとがっかりした様子だったが、このグリフォンスワームは本当に役に立つ。リッパースワームよりも素早く、そして力のあるグリフォンスワームは各地を巡るのに好都合だ。
「女王陛下! 大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫だ。問題はない」
セリニアンが呼びかけるのに私が辛うじてそう返す。
3頭のグリフォンがいるのだから、それぞれひとりずつ乗ればいいではないかと考えた私であったが、それは大間違いであった。
グリフォンの空を駆ける速度は私が体験したものを超えており、時折大きく揺さぶられることもあって、私は今にもグリフォンから振り落とされそうであった。どうして私はひとりずつ乗ろうなんて提案したんだろうか。今になっては悔やまれる。
「女王陛下! 手綱をしっかり握ってグリフォンを刺激しないでください! それだけでだいぶ安全なはずですから!」
「わ、分かった、セリニアン! 頑張ってみるよ!」
そうはいってもこのグリフォンときたら私が何も命じなくとも素早く移動したがるのだ。私が必死になって抑えているつもりなのだが、グリフォンの言葉は理解不能で、集合意識を通じても速く飛びたいという感情だけが溢れている。
「しょうがない。振り落とされないように努力するか……」
私は諦観の念で現状を受け入れた。
そして、もうひとりの初グリフォンライダーであるライサは──。
「これ、とっても気持ちいいですね! 最高です! グリフォンに乗れる日が来るなんて思ってもみませんでした! 風が気持ちいいです! 下には海が見えますし、眺めも最高ですねっ!」
ライサはご機嫌だ。
彼女はグリフォンに乗るのは初めてだというのにどこまでも楽しそうにグリフォンでの空の旅を楽しんでいる。あそこまで楽しんでもらったならば、グリフォンとしても本望というところだろう。
「ライサ。楽しいか?」
「はい! とっても! 外の世界にはこんな楽しいことが残っているのですね!」
エルフの森という閉鎖された場所から外に出たライサにとっては見るもの全てが珍しいのだろう。彼女はいつでもどんな光景にでも新鮮さを感じ取って、それを楽しんでいる。少し羨ましくなるぐらいだ。
「セリニアン。君のおかげでライサが喜んでいるぞ。ありがとう」
「そ、そんな! 私はただ戦力増強を考えただけでして、決して空を飛んで楽しみたいだとか、そういう気持ちは……」
セリニアン、照れてるな。
「それで、後どれくらいで島には到着するんだ?」
「残り10分程度です。ああ、もう見えていますよ。あの島です」
私が尋ねるのにセリニアンが遠くを指さして告げる。
ここから僅かに離れた場所に島が浮かんでいた。もうもうと湯気が立ち上り、小高い丘の周りは緑に囲まれた島だ。大きさで言えば桜島のスモールサイズバージョンというところだろうか。
「着陸できそうな? いきなりグリフォンが宿屋の前に降りてきたらお店の人がびっくりするだろうし、店から離れた場所に降りたい」
「なら、あの開けた場所がいいでしょう。幸い、畑などではなさそうです」
私が島の上空に近づきながら告げるのに、セリニアンが島の一角を指さす。
なるほど。確かに開けているし、野菜などが栽培されている様子もない。加えていいうならばグリフォンの大好物である牛や馬の姿も見当たらない。着地地点としてはもってこいの場所だな。
セリニアンとライサはスムーズに降下していき着陸したのだが、私のグリフォンスワームだけはいつまでも飛びたがっており、なかなか降りてくれなかった。島の上空を旋回すること40分あまりでようやく地上に降りてくれたが、よく分からない密林の中に降ろされた。
泣きたい。
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