グレゴリアの英雄
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──グレゴリアの英雄
「液中酸素濃度正常」
「対象のバイタルに異常なし」
ノイエ・ヴェジア城の離れにある地下施設には、ある人物が人工的な昏睡状況に置かれていた。それはかつて国を救った英雄であり、同時に国を滅ぼしかねない恐ろしい怪物でもあった。
「宮廷魔術師長。ゲオルギウスの状況は?」
「未だに眠っております、官房長官閣下。穏やかな眠りについております」
ベルトルトは陸軍参謀本部への伝達を終えるとこの地下施設にやってきていた。
「覚醒は可能なのか?」
「それを望まれるのであれば。ですが、我々はこの猛獣を制御する術を未だに有していないことをお忘れなく。我々は怪物が手に負えなくなったから眠らせたのです」
ベルトルトが尋ねるのに、宮廷魔術師長がそう答える。
「確かに我々はこの怪物を持て余し、結果として眠らせることにした。だが、怪物が必要となるならば、覚醒させねばなるまい。皇帝陛下は化け物を相手に戦われておられる。我々にも化け物が必要だ」
「化け物を以てして化け物を制す、ですか。あまり賢い方法とは思えませんな。一度覚醒させれば、また眠らせるのにどれだけの将兵が犠牲になるのか。それをご理解してはいただけませんか?」
ベルトルトの言葉に宮廷魔術師長が渋い表情をしてそう返した。
「これは決まったことだ、宮廷魔術師長。やりたまえ」
「……畏まりました。どのような結果になっても知りませぬぞ」
ゲオルギウスが覚醒すると何が起きるというのだ?
「脳の抑制を解除! 覚醒までエーテルを流しこめ!」
エーテルとは魔術師たちが魔術を行使する際に使用する触媒である。空気中に存在し、魔術師はその濃度によって魔術の威力を高めるのだ。
「脳の抑制を解除!」
「バイタル、急激に不安定化! 危険です!」
それの頭部に刺さっていた針が外れると、心拍数などをモニターしていた水晶がアラームを発し、ここにいる全員に危険が近づいていることを知らせた。
「どうするのですか? このまま続けますか?」
「やりたまえ」
宮廷魔術師長の言葉にベルトルトが短く告げる。
「バイタル、依然として不安定!」
「対象、覚醒しました! 繰り返します! 対象、覚醒しました! ゲオルギウスが目を覚まします!」
それは男であった。身長2メートルはあるだろう大男だ。
手足と首、腰が金属の鎖で抑制されているが、男はそれを強引に引っ張り、金属の鎖を破壊した。最初は手を、次に足を、最後に首を腰を。全ての鎖を破壊し、半透明の液体で満たされたカプセルを叩き割って外に出た。
長い金髪を腰まで伸ばした男。その表情は肉食獣のそれであり、その目に宿るは猛獣の眼光であった。
どこまでも筋肉質な体を引き摺るように動かしたその男は、突如としてカプセルから出てきた男に怯えている宮廷魔術師のひとりを捕らえると、無造作にその首をへし折った。鈍い音を立てて首の骨が折れ、宮廷魔術師は痙攣しながら地面に崩れ落ちる。
「ひいっ!」
そして、またひとりの宮廷魔術師が男の目に捉えられた。
男は鎖を引き摺りながら宮廷魔術師に近づくとその鎖を思いっきり宮廷魔術師に叩きつけた。それによって宮廷魔術師の肉が抉れ、血を流しながら、宮廷魔術師は苦痛の中でバタバタと暴れまわる。
だが、暴れまわるのもすぐにおわった。男がその頭を踏みつぶし、脳漿が撒き散らされて宮廷魔術師はびくびくと小さく痙攣しながら、最後は動かなくなった。
「ほ、ほら、こういう結果になると思っていたから止めたのです。どうなってもしりませんよ、私は。責任はそちらで取ってください!」
宮廷魔術師長はそう叫ぶと地下室から出ようとする。
だが、彼は地下室を出ることはできなかった。その頭部にバイタルをモニターしていた水晶がめり込んだことによって。宮廷魔術師長はがくりと倒れ、階段に血がポタポタと滴り落ちていく。
そして、男は最後にベルトルトを見ると、思いっ切り跳躍して飛び掛かった。
「……なんだ。お前か、ベルトルト」
「ああ。私だ。ゲオルギウス」
ベルトルトの目に降り立った男──ゲオルギウスはベルトルトの顔を見るとつまらなそうな顔をし、ベルトルトは頷いてみせた。
「老けたな、ベルトルト。しわも増えていれば白髪も増えている」
「いろいろとストレスが多いのだよ、今の仕事は」
ゲオルギウスはベルトルトの顔を覗き込んでそう告げ、ベルトルトは小さく笑う。
「皇帝は……まだフリードリヒか? あの男にはちょっとばかり借りを返させてもらわなければならん。どこにいる?」
「墓の下だ。フリードリヒ陛下は崩御された。今の皇帝はマクシミリアン陛下だ」
ゲオルギウスが犬歯を覗かせてそう尋ねるのに、ベルトルトはそう告げた。
フリードリヒはマクシミリアンの前の皇帝であり、ゲオルギウスを眠らせることを決定した皇帝である。ゲオルギウスを鎖でつなぎ、魔術によって数年間昏睡状態におくという判断を下した皇帝だ。
「はっ! あのフリードリヒがくたばるとはな。世界は相変わらず儚い。俺のように長く生きるものはエルフぐらいか? だが、エルフは貧弱で話にならん。俺の相手になるようなものはこの世には存在しない」
ゲオルギウスは手枷と足枷を引き千切り、溜息を吐く。
「いいや。いる。怪物が現れた。お前に匹敵するだろう怪物だ。だからこそ、こうしてお前を眠りから覚ましたのだ。お前にはその怪物の相手をしてもらいたい。ただし、皆殺しにするような仕事ではないぞ」
「けっ。俺に何を命じるつもりだ? 俺と匹敵する化け物など“ネクロファージ”の奥底にいる化け物くらいだろう。もしや、ニルナール帝国は既に大陸を統一したのか?」
ベルトルトの言葉に、ゲオルギウスが首をひねる。
「違う。今も大陸は戦乱の時代だ。お前の好きそうな大戦乱の時代だ。我々は大陸の半分を手にしたが、残り半分は敵が握っている。敵の名はアラクネア。異形の蟲たちによる恐るべき帝国だ」
アラクネアの名は知れ渡った。もう誰もアラクネアを知らないものなどいない。
押し寄せるスワーム。廃墟と化す街や村。呆気なく消滅する国家。
それらの恐怖に帝国臣民は震えている。
「アラクネア……。どこかで聞いたようなことがある気がするが、まるで思い出せんな。しかし、蟲など竜で容易く踏みにじれるだろう。何故そうしない?」
「竜は敗れた。アラクネアの蟲たちは高度に組織化されており、そして強力だ。そう簡単に相手ができるならば、わざわざお前を起こしたりはしない」
アラクネアの名をゲオルギウスはどこかで聞いた気がしていた。遠い昔に。
「いいだろう。竜を破る相手となれば愉快な戦いが行えるはずだ。化け物が化け物を殺す愉快な戦いの始まりだ。さあ、俺はどこにいけばいい?」
「今は覚醒した体に慣れておけ。それから場所については皇帝官房第3部が調査して報告する。それからひとつ、言っておくべきことがある」
ゲオルギウスが高らかと哄笑するのに、ベルトルトが彼を睨む。
「アラクネアの女王は生け捕りにしろ。歳は14歳、黒髪にブラウンの目。周囲には常に護衛がついている。その護衛は“熾天使メタトロン”とリントヴルムを屠ったと聞いている。油断してかかるな」
「ほう。メタトロンを殺ったのか。それは面白い。だが──」
ベルトルトの言葉にゲオルギウスが目を細める。
「14歳に黒髪とブラウンの瞳か。思い出すな。カティアのことを……」
ゲオルギウスはそう告げて深くため息を吐く。
「カティアのことはしょうがないことだった。あれは避けられなかったのだ」
「そう思いたいな。俺がもっと戦っていれば、死なずに済んだとは思いたくはない」
ベルトルトが告げ、ゲオルギウスはそう呟いた。
「さあて、まずは服を持ってきて。それから食い物だ。逆でもいいがな」
「服から用意する。上で待て。退屈だからと言ってそこらのものを殺すなよ」
ゲオルギウスはそう告げ、ベルトルトがそう応じた。
かくて、ニルナール帝国の英雄は覚醒した。
その血生臭さと共に。
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