戦勝祝い
…………………
──戦勝祝い
私には東部商業連合がニルナール帝国に勝利できたのかどうかは分からないが、東部商業連合の人々は勝利を祝いたがっているようだった。
この小国が横暴な大国に屈せず、独立を守り抜いたというだけで、それは勝利なのかもしれない。私もそう考えると心なしか、この勝利を祝ってもいいような気になってくる。困難の末にようやく掴んだ勝利だとして。
そうして戦勝祝いが行われる流れになった。
戦勝祝いが行われるのは、首都ハルハ。
復興途中のそこでニルナール帝国に対する戦勝祝いが華々しく行われることになった。まだどの建物も焼け落ちたままだが、人々は天幕で出店を出し、火災を逃れた連合議会議事堂を酒場に変えて、逞しく勝利を祝っていた。
「あの出店の串焼き、美味しそうですね」
「君たちは太らないから食べ放題だね……」
私たちは廃墟ながら賑やかなハルハの街を歩いていた。
「セリニアン。傷は本当に大丈夫か?」
「はい。女王陛下。問題ありません」
リントヴルムたちの戦いで傷を負ったセリニアンは復元器で回復させているが、本当に回復したか不安だ。もうここはゲームの世界ではないのだから。
「それより今日は勝利を祝いましょう。我々がニルナール帝国に勝利したことを盛大に祝おうじゃないですか。私たちはあの国に一矢報いてやったわけですから、これは祝わなくては」
「そうだね。あの国に一矢報いてやった」
ニルナール帝国はあれから完全にフロース川の対岸に撤退し、そこで守りを固めている。彼らとしてはフロース川が渡河不能、または渡河困難になったことで任務は達成できたのだろう。
突如として私たちに不意打ちを食らわせ、ハルハの街を焼野原に変えようとした連中にそれなりの報いを受けさせてやった。今はそれで満足しておくべきかもしれない。
ニルナール帝国は今や旧マルーク王国領をも併合して巨大化しているのだから。
「では、私たちも食べて、飲んで、騒ぎましょう!」
「そうだね。スワームたちも参加できればよかったんだけど」
スワームたちは流石に一般市民には刺激が強すぎるということでハルハの外にいる。それでも戦場での恩を忘れていないコンラードの傭兵団たちが、スワームたちに食べ物の差し入れをしてくれている。優しい奴らだ。
まあ、私たちが楽しめばその楽しみは集合意識で全てのスワームに共有される。私たちだけで楽しみを独占するわけではない。
「セリニアン。一番頑張ったんだし、何かリクエストは?」
「肉が食べたいですね。ともかく肉です」
セリニアンは本当に肉食系女子だな。
「なら、まずはあそこの串焼きからにしよう。ライサも食べたがってた」
「楽しみです」
私たちは串焼きや揚げ物などを頬張りながら、戦勝ムードに浸っているハルハの街を満喫した。店が焼け落ちている飲食店でも出店をだして商売に勤しんでいる。私たちがハンバーグとミックスグリルを堪能した店はオープンカフェになっており、私たちはまたいろいろなメニューを試してみた。
デザートには甘いお菓子に決まってる。
私たちはアイスクリームに似た冷たいお菓子や、ドーナッツ、砂糖菓子をたらふく堪能した。今日摂取したカロリーだけで、一週間は持ちそうだ。その分太ると思うと、乙女としては何とも言えない気分になる。
だが、いいじゃないか。今日は祝いの場だ。
羽目を外して楽しもう。今回の戦いではあまりに背筋に悪寒が走るような事態が多かった。いまぐらいはそのことを忘れて、いや戦争のことなんて忘れて精一杯楽しもう。今日は戦勝祝いなんだ。
「よう。女王陛下!」
そんなことを私が思っていたときに随分と気さくに声をかけてくる人物がいた。
「コンラード。議員たちは議事堂に集まって式典をしているんだろう? 出席しなくていいのか?」
「何言ってるんだ。今回の勝利はあんたのおかげだぜ。議員たちはほとんど何もしてない。今日の宴の主賓はあんただ。さ、来てくれ。みんなが待っているぞ」
私は議員たちは議事堂で新しい議長の選出と、今回の勝利を祝うセレモニーをやっていると聞いていた。なのにコンラードはこんなところをうろついている。彼の性格からしてセレモニーが退屈で抜け出してきたとも考えれられるが。
「分かったよ。ちょっと顔を見せればいいだろう?」
「さあてね。議員たちはみんなあんたの顔を拝みたがっているぞ」
私が尋ねるのにコンラードはにやにやした笑みを浮かべる。
「はあ。行くしかなさそうだな。だが、過大な歓迎はやめてくれよ。私は結局のところ、ニルナール帝国に勝利できたわけじゃないんだからな」
「おっと。議員たちはそうは考えてないぞ。今回の戦いで東部商業連合が大国を相手にして独立を守り切れた。勝利できたと思ってる」
ますます面倒な話だ。私がやったことと言えば、ニルナール帝国軍の侵攻軍を辛うじて撃退と言えるレベルまで追い込み、それからこの国の多くの財産が焼かれるのを見ていただけだというのに。
「なら、議事堂に行こう。セリニアン、ライサ。一緒に行こう」
「はい、女王陛下」
私が告げるのにセリニアンとライサが頷く。
「では、エスコートさせていただきましょう、お嬢さん方」
コンラードはまるで似合ってない上流階級風のお辞儀をすると、セレモニーが開かれているだろう議事堂へと私たちを案内した。
「議事堂も完全に無傷だったわけじゃないか。まあ、あれだけのワイバーンが飛来すればな。無傷であることの方がおかしいか」
議事堂も一部は崩れ落ち、石材は焼け焦げていた。それでもその立派な建物は今も地にしっかりと立っている。これが勝利の象徴だとでもいわんばかりに。
「ささ、入れよ。みんな待ってるぜ」
コンラードはそう告げて押し込むように私たちを議事堂に突っ込んだ。これが紳士のエスコートとはどうにもこうにも。
「皆さん! ご注目! 今回の勝利の立役者たるアラクネアの女王グレビレア様がお越しになりました!」
そう告げる女性の声が響き、議事堂全体がざわめく。
「我々東部商業連合の独立を守るための戦いにおいてアラクネアは力強い同盟国でした。横暴なニルナール帝国の侵略を阻止し、我々の誇りある祖国の地を守り抜けてたのは、アラクネアとの同盟が成立していたからに他ありません」
「東部商業連合万歳!」
「アラクネア万歳!」
議事堂の初期の席に座っている女性がそう告げ、議員たちが万歳の声を上げる。
「ニルナール帝国は我々を侵略するのを100年間は延期するだろう。アラクネアと東部商業連合が強く同盟を結んでいる間は、奴らはまるで手が出せない。奴らがどんな化け物を持ち出してきても、我々はそれを打ち砕く!」
「そうだ! 東部商業連合は横暴な大国に屈しない! アラクネアとの同盟はそれを成し遂げるぞ! 東部商業連合とアラクネアに栄光あれ! これからも我々は誇りある独立国として存在し続ける!」
万歳の声に続いて、アラクネアと東部商業連合の同盟を褒めたたえる声が響く。
やめてくれ。私は私のために戦っただけだ。君たちの祖国の独立には敬意を払うが、戦っているときはそんなことは考えていなかった。
「我らが偉大なる同盟者アラクネア万歳!」
「スピーチを! スピーチを!」
議事堂は熱気に包まれ、私に視線が集まる。
こういうのは苦手だし、私がやるべきではないと思うのだが。
私はそう思いながら、壇上に上がる。
「東部商業連合の皆さん。今回の同盟が早速有効に機能したことをとても嬉しく思う。いえ、ある意味では残念だ。できれば同盟が機能するような事態になるべきではなかった。戦争は忌まわしいことなのだから」
そうだ。戦争は起こらないに越したことはない。
だが、戦争をやるならば必ず勝つべきだ。敗者には名誉も命もない。
「我々はこれからも共に戦えることを望んでいるが、多くは望まない。我々はこれよりニルナール帝国に向けて進軍するつもりだ。その戦争に諸君を巻き込むつもりはない。だが、援助してくれれば幸いだ」
今回の戦いでは多くの物資を消耗し、多くの兵を失った。補給は必要だ。
「今は今回の勝利を祝おう。これは勝利と言える。我々はニルナール帝国の侵略からこの国を守り抜いた。これは勝利の一部だ。君たちの勝利だ。君たちが力を合わせて勝ち取った勝利だ。傭兵団と冒険者、それを援助したものたちの勝利だ」
そう、これはアラクネアだけの勝利ではない。
東部商業連合の傭兵団が、冒険者ギルドが、そしてそれを後方で支えるものたちがいてこその勝利だ。彼らが誇るべき勝利だ。
その傭兵団のコンラードと冒険者ギルドのケラルト、彼らを金銭的に支えたホナサンがそれぞれ私を見つめてくる。勝利を誇るべきは君たちだよ。私じゃない。君たちが諦めなかったから、私も諦めずにいられたんだよ。
「私たちは更に先の勝利に進む。ニルナール帝国をこの地上から抹消するか、このアラクネアに隷属する存在にする。そうなれば君たちを脅かすものは何もなくなるだろう。もう独立を脅かされることもなければ、都市を焼かれることもない」
私の言葉を議員たちは静かに聞いていてる。
「私は勝利する。アラクネアは勝利する。そして、真の勝利が得られた日には、真の戦勝祝いを開こう。それに君たちが参加してくれることを願うよ。今日、私が招待された時のように、君たちを招こう」
私はそこまで告げて演説を終わらせた。
演説は苦手なのだ。人前でなにやら偉そうなことを喋るのは気恥ずかしくなる。
「アラクネアの女王万歳!」
「東部商業連合とアラクネアの同盟こそが真の団結だ!」
私の演説が終わると喝采が上がった。それなりに受けはしようだ。これでまるで受けなかったら、私は恥ずかしくてこの場から逃げ出していただろう。
「アラクネアの女王は謙虚だが野心を持った方だな」
「ああ。今回の勝利を我々の勝利だとして、ニルナール帝国を滅ぼすと宣言するなど」
議員たちはざわざわと騒いでいる。
「グレビレア様」
「なんだい、ケラルト。冒険者ギルドの用事か?」
私が演説を終えて壇上から降りると冒険者ギルドのギルド長ケラルトが声をかけてきた。いつも通りの仏頂面で、何を考えているのか分からない表情をしている。この不愛想な女性にも慣れてきて、愛着を感じているぐらいだ。
「ニルナール帝国に向かわれるのですね?」
「ああ。ニルナール帝国と我々は戦争状態にある。どちらかが滅びるまで戦争は続くだろう。そして私は負けるつもりはない」
ケラルトが尋ねてくるのに、私はそう告げて返した。
「では、皇帝官房第3部には用心なさってください。ニルナール帝国の諜報組織です。こちらも冒険者ギルドから何名かを派遣していましたが、そのうち数名が皇帝官房第3部に拘束されて行方不明になっていますから」
「皇帝官房第3部か。覚えておこう」
私が諜報戦を行うことは難しいかと思うが、用心するに越したことはないな。
「そちらの冒険者が侵入しているといったが、その情報を買うことは可能だろうか?」
「もちろん。我々がどうしても明かせない情報以外は値を付けて販売します」
よし。これでニルナール帝国の情報が手に入る。
ニルナール帝国は派遣国家であるにもかかわらず情報露出が少ない。どういう統治機構なのかすら不明だ。マスカレードスワームやパラサイトスワームを侵入させるにせよ、その国の情報はあった方がいい。
「後で情報を買いに行くよ。よろしく頼む」
「ええ。お待ちしております。そして、今回の勝利に感謝します」
ケラルトはそうとだけ告げると去っていった。
「グレビレア嬢」
「次は君か、ホナサン」
次に私に話しかけてきたのは銀行家のホナサンだった。
「この国を守っていただくのに相当な資産を消費したと思いますが、我々からの資金援助を受けるつもりはありませんか?」
「生憎だが返せる見込みは薄いぞ?」
ホナサンが告げるのに私が肩を竦めた。
「これは融資ではありません。純粋な資金援助です。独立を金で買うという発想は最低の発想かもしれないが、我々にできることと言えば金を出すことしかない。やれることをやらせてはもらえないだろうか」
ふむ。銀行家というのはがめついものだと思っていたが、案外人情があるのだな。
「ならば、喜んで受けさせてもらおう。後で返せる分については返す。だが、期待はしないでくれ。アラクネアの家計は今は火の車だ」
「受けていただけることに感謝する。これで私も救われた気分になる」
ホナサン。金を借りるわけじゃないが返せる分についてはいずれ返すよ。ニルナール帝国を滅ぼせば、それなりに纏まった金が手に入るだろうから、ね。
「よう。英雄さん! なかなかのスピーチだったぜ!」
「コンラード。次は君は演説をしてみたらどうだい」
次はコンラード。彼は泡の立つシャンパンのグラスをふたつ持ち、一方を私に押し付けてきた。酒は苦手なんだけどな。
「俺は演説するって柄じゃない。部下を相手に怒鳴るだけだ。議員になってもなかなか議論で勝てたためしがなくてな。議員には正直向いてないのかもしれない」
「それじゃダメじゃないか。議員らしく弁論の勉強もするといい。君が打ち出す政策はそこまで悪いものではないと思うぞ」
彼が豪快に笑うのに、私も小さく笑った。
「これからも俺たちの力が必要なら言ってくれ。いつでも力になるぞ」
「期待しておく。だが、今はこの国を守ることを優先してくれ」
下手にコンラードの傭兵団を動かすと、ニルナール帝国が再侵攻してくる可能性があった。その危険性は冒したくない。
「じゃあ、女王陛下。今後の幸運を祈る」
コンラードはそう告げて去っていった。
「格好良かったですね、女王陛下!」
「女王陛下のお言葉に群衆は聞き入っていましたよ」
私がライサとセリニアンの下に戻るとふたりまでそんなことを言う。
「からかうな。私は正直なことを言っただけだ」
私は気恥ずかしい気分になりながらそう返す。
「さあ。今日はもう疲れたし、食べ過ぎた。宿屋に帰って寝よう」
こうして東部商業連合を巡る戦いは終わった。
当初の目的であった東部商業連合を経由してニルナール帝国に攻め込むプランはダメになってしまったが、まだ他に方法はあるはずだ。いざとなればドレッドノートスワームを使ってフロース川を強行突破してやるとも。
…………………