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戦争の爪痕

…………………


 ──戦争の爪痕



 東部商業連合首都ハルハの上空にワイバーンの群れが現れたのは私たちがドレッドノートスワームの出現によって戦局を挽回できると考えていたときだった。


「ワイバーンだ! ワイバーンが来たぞ!」


 こちらに防空戦力がないことをいいことに西のフロース川上空から高高度で潜入したワイバーンの編隊は急降下し、ハルハの街に火炎放射を放った。


「助けて! 助けて!」

「ああ。燃える……。俺の店が燃える……」


 怯えに怯えて避難場所を探すもの。先祖から代々引き継いできた店舗を焼かれて茫然とするもの。そんなものたちが首都ハルハには溢れかえった。


 首都ハルハには防空戦力は存在しない。その全てをアラクネアの女王であるグレビレアが前線に配置したから。よって首都ハルハは完全な無防備だった。時折、対空用のバリスタが放たれても数が少なすぎて当たりはしない。


「避難場所はこっちだ! こっちに市民を誘導しろ!」


 ワイバーンの炎が荒れ狂う中で、民兵が頑丈で、燃えにくい地下室へと住民を誘導する。その誘導に従って逃げようとする市民と、それを炎で舐め尽くすワイバーンだち。地上はまさに地獄絵図と化していた。


「こっちだ! こっちに避難しろ! 急げ!」


 それでも民兵隊の指揮官は声を張り上げて市民を避難所に誘導する。


「あそこよ。あそこに行けば安全なの。お母さんにの手をしっかり握って離さないようにしてね。絶対に離してはダメよ?」

「分かったよ、お母さん」


 多くの家族が逃げ出したように、この家族も留守中の父親の代わりに母親がふたりの子供と共に避難所に避難しようとしていた。ワイバーンの攻撃は苛烈を極め、次々にハルハの市民たちが焼かれていく中での脱出だ。


 まさに命がけの脱出。


「いくわよ!」


 母親は走り出し、子供たちも走る。一生懸命、彼らは避難所を目指す。


 ワイバーンがそれを狙って火炎放射を浴びせるがそれは周辺の家屋を焼いただけに終わった。このままならば無事に安全な避難所に避難でき、助かることができる。


 母親がそう思っていた時、ワイバーンの炎の熱に耐えきれなかった家屋が崩れ落ち、親子の方へと倒れこんできた。


「行って!」


 母親は子供たちを前に投げ出すようにして、倒れ込んだ。


 その母親に崩れた家屋が倒れこんできたのは次の瞬間だった。


「ぐうっ……」


 母親は家屋の下敷きとなり、子供たちは逃れた。


「行って! あの避難所まで走って!」

「でも、母さんの手を放しちゃいけないって!」


 母親が避難所を指さすのに子供たちが母親に倒れかかった家屋を取り除こうとして、必死になるが、それは手に火傷を負わせただけに終わった。


「お母さんはもういいの! あなたたちだけでも生き延びて!」

「いやだよ! そんなの嫌だ!」


 母親が必死に叫ぶのに、子供たちが泣きじゃくる。


 そして、まだ子供たちが生きていることを確認したワイバーンの騎手が急降下して子供たちを焼き尽くさんとした時だった。


「はあっ!」


 バリスタのように太い弓矢がワイバーンに襲い掛かり、ワイバーンはもがきながら地上に落下していった。子供たちを狙った騎手も振り落とされ、地面に衝突して、地面で赤い染みに変わった。


「行って! 避難所に急いて! この人は私たちが助けるから!」


 ワイバーンを撃ち落とし、そう告げるのはライサだ。ライサが長弓を持ち、民兵隊と一緒に周辺住民を救助しながら戦っていた。


「ライサさん! 2時の方向からワイバーンだ!」

「任せてください!」


 民兵が告げるのに、ライサが2時の方向を向いて弓矢を番える。


 そして、放つ。


 放たれた弓矢はワイバーンを貫き、騎手が振り回されながら地上に落下していった。


「他には!?」

「6時の方向にワイバーン!」


 ライサは次々にワイバーンを叩き落していく。ワイバーンたちは反撃しようにも、ライサの狙撃が正確過ぎて、まるで近寄れず、次第に仲間たちが数を減らしていくのに恐怖を感じ始めていた。


「4時の方向!」

「3時の方向!」


 ライサは弓矢を放ち続ける。そのスワームになってから向上した身体能力によって、ワイバーンに弓矢を浴びせ続ける。


「こっちは救助した! 次だ!」

「了解です!」


 家屋の下敷きになっていた母親を救助した民兵隊が告げるのに、ライサが駆ける。


 アラクネアの女王には救援信号を送っているがまだ返事はない。向こうは今まさに最終決戦が行われているところであり、このハルハが襲われているなどまるで思っていないのだ。ハルハをただワイバーンで焼き尽くすなどという蛮行を敵が行うとは。


「グレビレア様。急いでください。このままじゃ、ハルハは……」


 ライサの狙撃は驚異的だが、限界がある。首都ハルハを襲った全てのワイバーンを撃墜するなど不可能だ。そして、まだハルハには避難していない市民が五万といる。


 それだけの避難民が避難する時間を稼ぐためにライサは戦う。まだ魔女の一撃の後遺症が残っていたとしても戦い続ける。


 ここがアラクネアの女王と共に思い出を作った街だから。


…………………


…………………


「……遅くなってすまない、ライサ」

「いええ。大丈夫です。集合意識で女王陛下たちがどれほど大変だったかは知っていますから」


 アラクネアの女王が到着したのはワイバーンが最後の攻撃に出ようとしていたときだった。あらゆる方面から一気にこの首都ハルハを焼き尽くそうとするときに、アラクネアの女王──私は到着した。


 私は荒れ果てたハルハの街に衝撃を覚えながらもポイズンスワームに対空射撃を命じ、首都ハルハからワイバーンを追い払った。ワイバーンは肉汁となって地面に落ち、振り落とされた騎兵が地面に転がる。


「この野郎! よくも俺たちの街を!」

「ニルナール帝国の屑どもめ!」


 落下したワイバーンの騎手は市民にリンチにあっていた。


 ハルハの住民にとってすれば彼らはハルハの街を無差別に焼いた無法者だ。親類、友人が焼かれたものもいる。それなりの報いを受けさせなければ気が済まないというところなのだろう。


 まあ、私が口を出すことでもない。


「吊るせ! この野郎を吊るせ1」

「吊るし上げろ!」


 民衆たちはヒートアップしていき、まだ無事な建物にロープをかけるとニルナール帝国のワイバーン騎手の首を吊るし始めた。ワイバーン騎手は抵抗したが、それも虚しく吊るし上げられ、もがき苦しんだ末に死んだ。


「他の連中も吊るせ!」

「吊るせ! 吊るせ!」


 どうやら民衆の怒りは当分収まりそうになさそうだ。


 かくいう私も少しの苛立ちを覚えていた。


 私たちが食事をしたレストランは瓦礫と化している。私たちが観光をしたバザールは焼き払われている。私たちが買い物をした商店街は未だに炎がくすぶっている。


 彼らはただただ平穏を望んだというのにニルナール帝国は前線ではなくハルハにワイバーンを差し向けて廃墟にした。その卑劣な連略に私は苛立っていた。


 北東部での戦闘を終えたコンラードの傭兵団もハルハに入った。彼らは焼き払われたハルハの様子を眺めると、罵倒の言葉を吐き、私以上に苛立っている様子を見せた。それもそうだろう。ここは彼らの街なのだ。彼らが憤るのは当然のことだ。


「野郎ども! この程度のことでへばってるんじゃねーぞ!」


 そんな苛立ちと沈痛の中でコンラードが声を張り上げる。


「これぐらい街を破壊された程度でこの世の終わりみたいな顔をしてるな! 俺たちの首都ハルハは陥落しなかった! 今も俺たちの手にある! ニルナール帝国は悔し紛れに火を放っていっただけだ!」


 コンラードはそう告げて部下たちと市民を鼓舞する。


「なら、連中が悔しがるぐらいに再建してやろうじゃねーか! 連中が焼き払ったはずなのにどうしてここまで立派な都市があるのかと躊躇うほどに立派な建物を建てて、街を盛り上げていこうじゃないか!」


 コンラードは扇動ではなく本心からそう告げているのだろう。


 彼の言葉には熱意が籠っていた。私には欠けているものを彼は持っている。君はどこまでも立派な傭兵団の団長なんだな。君に率いられる部下たちはきっと幸せに違いない。


「女王陛下。私たちも女王陛下に率いていただけることに幸運を感じております」

「そっか。それはよかった、セリニアン。私には彼のような気合の入った演説はできないからね」


 私はそう告げてコンラードを見つめる。


「街の再建には俺たち傭兵団も協力するぞ! 少なくとも隻眼の黒狼団はハルハを再建すことに全面的に手を貸す! たとえ無償であったとしてもな!」


 コンラードの言葉に拍手がこだまする。


 家財を焼かれてしまったものたちは、商品を焼かれてしまったものたちは、再建への道筋を描けないだろう。だが、傭兵団が手を貸してくれるのであれば、少しは将来への希望を見出せるのかもしれない。


「私たちアラクネアも諸君の再建に手を貸そう。我々には優秀な作業員がいる。そのものたちが諸君らの家や店舗を再建する手伝いをするだろう。私にとってもハルハは思い出深い都市なのだから」


 私はコンラードの演説に乗るようにしてそう告げた。


 ワーカースワームたちは一度知識を得れば木材や金属を加工することが可能だ。私たちも破壊だけではなく、再建のためにその力を振るうことができる。そして、今は破壊よりも再建が必要だ。


「流石はアラクネアだ! 頼りになる同盟者だ! さあ、お前ら! 沈んでないで自分たちの都市を取り戻すために戦え! アラクネアだけに任せてはおけないだろう!」

「そうだ! 俺たちの都市は俺たちが再建する!」


 コンラードがそう告げるのに、市民たちからも声が上がり始めた。


「ハルハの再建を! それは俺たちがニルナール帝国を相手に勝利した象徴になる! ニルナール帝国ですらハルハを破壊することは不可能だったっていう象徴にな!」


 コンラードの言葉は心地いい。どこまでも前向きで、熱意に満ちている。


 そこまで言われてしまっては私たちが退くわけにはいかない。私は各地のワーカースワームたちを呼び寄せ、首都ハルハの再建任務に投じることにした。


 最初は上手く建物が作れないワーカースワームでも、熟練の技術者の腕前を観察すれば群れ全体で同じことができるようになる。


 ワーカースワーム。頑張ってくれ。


 私たちは次の戦争のために準備を進めないといけない。


 全ての元凶であるニルナール帝国を打倒するための戦いの準備を。


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