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先制攻撃(4)

…………………


 なんとしても迅速にフランツ教皇国を落とさなければならない。


 ミッションアップデートはシングルミッションではよくあることだが、ここまで不意を突かれたのも初めてだ。私はスワームたちが強力なのをいいことに調子に乗りすぎていたのだろう。


 反省しなければ。我々にもできないことはあるのだと。


「敵兵はバウムフッター村には近づいていない、か。いい兆候だ。ジェノサイドスワームも何とか生産が間に合っている。完全な無防備にはならないはずだ」


 私は集合意識でバウムフッター村の様子を観察しながらそう呟く。


 バウムフッター村は突如として始まったニルナール帝国の旧マルーク王国領侵攻によって危機にさらされている。このまま放置していればいずれ発見され、光の神を崇めないものは殺してもいいという連中の手によって皆殺しにされるだろう。


 そうはさせない。約束したのだから。


「バウムフッター村はどうにかなる。今はフランツ教皇国だ」


 私たちは藍色山脈を抜け平原地帯を掃討し、ニルナール帝国との接触を避けながら首都サーニアを急速に目指していた。ニルナール帝国との交戦を避けているのは、余計なことでフランツ教皇国を落とすのが遅れるのを避けるため。


「セリニアン。前進速度は?」

「駆け足前進です。首都サーニアまでは残り2、3日かと」


 スワームたちには厳しいかもしれないが、今は速度が武器だ。全速力で前進して貰わなくては。フランツ教皇国を落とし、それから部隊はフランツ教皇国を経由してニルナール帝国になだれ込ませる。


 シュトラウト公国に戻るという案もあったが、それは放棄した。こちらがニルナール帝国を直接脅かす位置につけば、敵もそれに応じざるを得ないはずだ。わざわざシュトラウト公国まで戻り、旧マルーク王国を再解放するような時間はない。


 いずれは旧マルーク王国を取り戻し、エルフたちを安心させてあげるつもりだけれど、それは今ではない。


「少し疲れたな……」

「陛下。お休みを。もう3日も寝ておりませんよ」


 そうだった。ニルナール帝国の侵攻が始まってからすることが多すぎて眠れていなかったんだった。


「だけれど、今休むわけにはいかない、セリニアン。全てが危機的なんだ。旧マルーク王国はほぼ制圧されつつあって、いつ奴らの手がバウムフッター村に伸びるかわからない。シュトラウト公国でも防衛準備を始めているけれど、防げるか不明だ」


 敵はマルーク王国だった場所の半分を今や支配している。


 リッパースワームたちは勇敢に戦い、時間を稼いだが、そこまでだった。全歩兵戦力が重装歩兵化したニルナール帝国の侵略を前にしては、彼らは本当に時間を稼ぐことしかできなかった。


 だけれど、彼らが稼いだ時間のおかげで若干ながらバウムフッター村の防衛態勢が整えられたと思うと、彼らの死は無駄ではないと断言できる。


「それにニルナール帝国は……。この国は航空戦力を持っている。それが面倒だ」


 ニルナール帝国がこれまでの国家と大きく違うのはワイバーンという航空戦力を保有している点だ。これは確認された限りでは最大で3人乗りで、地上に向けて火炎放射を行ったり、上空から急降下して食らいつくなどの攻撃を行う。


 私は航空戦力の存在を考えて防衛準備を整えていなかった。アラクネアの対空ユニットは火炎放射で空を攻撃するファイアスワームや、毒針を飛ばすポイズンスワームだが、それらは旧マルーク王国領には1体もいない。


 不幸中の幸いは私が守るべきバウムフッター村は木々の生い茂る森林地帯に隠れており、ワイバーンによる航空偵察では発見できないこと。私たちの本拠地の洞窟も、発見することは不可能だろう。


 それにしても疲れた……。


 長らくスワームの集合意識にアクセスしていたせいか、私というものが曖昧になりつつある。私はグレビレア。アラクネアの女王。いずれ日本に帰る。18歳。大学1年生。忘れるな。それが私だ。私はスワームであって、スワームではないんだ。


「女王陛下。やはりお休みを。顔色が酷く悪いです。今、ここで女王陛下に倒れられてしまうことの方がアラクネアにとっては大きな損失です」


 セリニアンはよほど私のことが心配らしい。泣き出しそうな顔をしている。ここまで心配してくれるのは嬉しいな。


「分かったよ。少し休む。何かあったらすぐに起こしてくれ」

「畏まりました」


 セリニアンにそう頼むと私は馬車の後部座席で丸くなった。


 この戦争、本当に勝てるんだろうか?


 私はエルフたちとの約束を果たせるんだろうか?


 私はスワームたちとの約束を果たせるんだろうか?


 そうだ。私はもうひとつ約束していたはずだ。


 だが、その約束とは何だっただろうか……。


 思い出せない……。


…………………


…………………


 ピアノの音が聞こえる。


 どこか楽し気なリズムの曲で私は目を開く。


 私はまるで見覚えのないホールにいた。劇場のようなホール。そこで私は椅子に座っており、ホールの演台ではひとりの少女がピアノを奏でていた。なめらかな動きで、ピアノを奏でていた。


「おや。起きられましたか?」


 ピアノを奏でていた少女はふと手を止めると私の方を向き手招きした。


 黒尽くめのゴシックロリータファッション。


「サマエル?」


「そうです。あなたのサマエルです。どうですか、私の作ったこの空間は。なかなかのものでしょう。スカラ座にだって負けちゃあいませんよ。私のピアノの演奏もよかったでしょう?」


 まあまあだったかな。悪い演奏じゃなかった。


「サマエル。サンダルフォンは?」

「彼女は今はいませんよ。時にはひとりで立ち向かったらどうですか? 悪意と快楽の誘惑に対して。この私に対して」


 いつもならいるはずのサンダルフォンの姿が見えない。


「あなたはあれだけの環境にいて、まだまだ狂っていない。それが残念でなりませんよ。もっと狂うべきだ。スワームの集合意識に身を任せて理由なき大量殺戮に手を染めるべきだ。それこそがあなたの歩むべき道だというのに」


「何故そんなことをしなければならないというんだ? 私は私であり続ける。スワームの集合意識に飲み込まれたりはしたくない」


 サマエルが囁くような声で告げるのに、私は首を横に振った。


「スワームの意志に身を委ねていてれば今頃はこんな困難には直面していなかったというのにです、か?」


 サマエルがそう告げてピアノを鳴らす。


「スワームの集合意識に任せて、あらゆるものを食らい続けて増殖し、増殖し、増殖し、その数によって全てを押しつぶしてしまえば、ニルナール帝国なんかにあなたが後れを取ることなどなかった。今頃はニルナール帝国すらもアラクネアの一部となっていたでしょう。それでもスワームの集合意識に身を委ねるのは無意味だと?」


「……それはただの殺戮だ」


「殺戮は殺戮。いい殺戮や悪い殺戮はありませんよ」


 確かに私はあれこれと理由をつけて人を殺してきた。


 だが、結局人を殺したことには変わりない。


 大勢の人を殺したのいうのは事実だ。私は自分の戦いを常に正しいものだと信じて行ってきたが、実際は間違っていたのかもしれない。私の行動はスワームの集合意識が求めるものと変わりないのかもしれない。


 いい殺戮も悪い殺戮もない、か。


 いい戦争がなければ、悪い戦争もないと言われたものだな。それと一緒か。


「だけれど私はスワームの集合意識に身を任せるつもりはないよ。私は人であり続けるためにもスワーム集合意識には飲まれない」


「それは残念。そうした方があなたが約束したものはなされるというのに。そう、あなたがスワームに約束した勝利が」


 私が断言するのに、サマエルは不協和音を奏でながら私に告げる。


「あなたは何故約束したんですか? スワームの勝利を。食い殺されるのが恐ろしかったからですか。なら、今約束を放棄してしまえばいい。スワームはもうあなたに従順だ。逆らうことなどありえない。分かっているでしょう?」


「……スワームたちは裏切らない。スワームが私を裏切らないように、私もスワームを裏切らない。約束したことだから、私は約束を果たす。ただし、私のやり方で」


 スワームはもう私を裏切らないのは知っている。だから、私が彼らの勝利など無視して、戦争など知らぬ顔をして、スワームたちが全滅しても済ましていても、スワームたちは私に報復しようなどとは考えない。


 だけれど、私は約束を果たす。彼らに約束した勝利を果たす。たとえ、相手が異形のものだったとしても、人間でなかったとしても約束を果たさなければ。


「はあ。サンダルフォンが入れ込むだけはある人ですね。そんなことをしたってまるで無意味だというのに。この世界そのものが無意味。あなたの夢のようなもの。いや、そこまで言ってはいけませんね。夢と言っても現実でもあるのですから」


 じゃんとピアノを鳴らしたサマエルがため息を吐く。


「いいことを教えてあげましょう」


 不意にサマエルが私の方を見つめてそう告げる。


「あたなはまだ自分の両親が生きていると思っていますね?」

「それはそうだろう」


 そういえば父さんと母さんと最後に話したのはいつだっただろうか。


「残念。どちらも既に死んでいますよ。そして、あなたの母親は──」


 サマエルが椅子から立ち上がり、私に眼前に顔を近づける。


「あなたが殺した」


 その言葉に私の思考が固まった。


「私が、殺した……?」

「そうですよ。あなたが殺したんです。この人殺しさん」


 父さんは、母さんは死んでなどいないはずだ。まして私が殺したはずがない。


「嘘を吐くな」

「嘘ではありません。都合よく記憶が改変されているだけです。ほら、客席を見て」


 私が怒りから告げるのに、サマエルは劇場の観客席を指さす。


 そこには医者がいた。書類と生体認証スキャナーを持った医者が。


 私はあの医者を知っている。見たことがないはずなのに知っている。


 突然私は酷い眩暈に見舞われた。世界がぐるぐると回る。


「ほら。思い出してきた。あなたが殺したのですよ。自分の母親を。あなたは酷い人だ。なんて酷い人なんだ。平気で殺人に手を染められる理由も、これでわかるというものですよ。あなたは酷い人だ」


 サマエルが私を責める声から耳を塞ぎ、しゃがみ込む。


 違う。違う。違う。私は殺してない。殺してない。殺してない。


「そこまでだ、サマエル」


 不意に凛とした声がこの劇場で響いた。


「あら。サンダルフォン。よくここが分かりましたね」

「お前たち悪魔のやることはすぐに分かる」


 サンダルフォンだ。白装束の彼女がサマエルを睨んでいた。


「サンダルフォン、私は……」

「あなたは母親を殺してなどいません、────さん。あの悪魔の言うことに耳を貸さないでください。悪魔は言葉で人を誑かします。二枚舌のその口から吐く言葉で」


 そう告げてサンダルフォンは優しく私を抱き締めてくれた。


 サンダルフォンが何者なのかは分からない。だけれど、サンダルフォンと一緒にいると落ち着く。サマエルにかき乱された心が落ち着いていくのが分かる。それはサンダルフォンの優しさのためだろう。


「失礼ですね、サンダルフォン。私は事実しか言っていませんよ。この人は自分の母親を殺したんです」

「違う。殺してなどいない」


 サマエルが告げるのに、サンダルフォンが鋭くそう告げる。


「────さん。あなたは立派に生きています。相手が異形のものだろうとも約束を忘れずに果たそうとする。その姿勢は評価されるべきです。どんな悪意が向かってきても、その姿勢を忘れないでください」


「忘れないよ」


 スワームたちと約束したんだ。彼らを勝利させると。


「そして、どんな憎悪が向けられても忘れないでください。人としての心を。感情的になりすぎてはいけません。冷静なあなたでいてください」

「分かったよ、サンダルフォン」


 最近の私は少しばかり感情的になりすぎていたかもしれない。大切な人を失うとそうなってしまうんだ。こればかりはどうしようもない。


「では、また会いましょう、────さん。私はきっとあなたを救ってみせます。この悪意に満ちた悪魔のゲームから、必ずや」


 サンダルフォンがそう告げるのに意識が落ちていく。


「サンダルフォン。私は本当に──」


 私は本当に母さんを殺していないのか?


…………………

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