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先制攻撃(3)

…………………


 藍色山脈を奇襲によって突破した私たちはスワームたちをちまちまと山を越えて輸送しながら南進の準備を進めていた。


 天然の要害だった藍色山脈が落ちれば、後は平原が広がっているだけだ。連中の首都サーニアまでは街道まで整備されている。スワームたちを行進させれば、瞬く間に首都サーニアは陥落し、忌々しいフランツ教皇国の連中は始末できる。


 パラサイトスワームからの情報だと軍事作戦はほとんどパリスと将軍たちが仕切っているようで、検邪聖省をも押さえたパリスには誰にも逆らえず、全てが言いなりになるがままだったようだ。


 だが、パラサイトスワームを使えば敵の指揮系統を攪乱できる。既に枢機卿が3名と大司教が4名、パラサイトスワームの影響下にあるのだから。


 パリス。こいつにはそれなりの報いを受けてもらおう。


「女王陛下! 大変です!」

「どうした、セリニアン?」


 慌てた様子でセリニアンが駆けてくるのに、私は集合意識をセリニアンに合わせる。


「……ニルナール帝国が旧マルーク王国に侵攻。加えてフランツ教皇国にも宣戦布告。やってくれるな、あの国は……!」


 完全にやられた。


 戦力のほとんどはフランツ教皇国に向けられている。ニルナール帝国は大陸諸国会議で孤立したこともあって、軍事作戦には当面出ないだろうと考えていた。攻めてくるならば周辺国との不和を解消してからだと思っていた。


 だが、現実はそんなに甘いものではなかった。ニルナール帝国は周辺国もろともアラクネアを叩くつもりなのだ。なんという冒険家精神にあふれた国家だろうか。自分たちも二正面作戦になるのにそれを恐れないとは。


 だが、事態はどこまでも危機的だ。


 旧マルーク王国とニルナール帝国の間にあるのは頼りない防護壁と、眼球の塔。それもポイズンスワームなしの。


 敵は攻城兵器で簡単に防護壁と眼球の塔を破壊して突破するだろう。そして、その先にあるのはリッパースワームという頼りない戦力だけ。もう重装歩兵に戦力を切り替えつつある敵には通用しないものが、500体から600体存在するだけだ。


「陛下。どうなさいますか?」


 決断しなければならない。


「旧マルーク王国を守り抜くことは不可能だ。放棄する。現在交戦中のスワームは可能な限り時間を稼げ。後方のワーカースワームはシュトラウト公国へ。リッパースワームはバウムフッター村の守備に向かえ」


 旧マルーク王国は放棄するしかない。


 旧マルーク王国には北部に金鉱山があり、各地の基地には様々な施設があるが、それら全てを守り切れる戦力はない。ここは素直に諦めて、無人の地である旧マルーク王国をニルナール帝国にくれてやるより他ないのだ。


 だが、バウムフッター村だけは守り抜かなければ。彼らには庇護を約束したのだ。その約束を破るわけにはいかない。


 よって、前線を少数のリッパースワームで支えつつ、残りはバウムフッター村に撤退させ、バウムフッター村付近にある拠点の受胎炉からジェノサイドスワームたちを作りだして送り込む。幸い、万が一のことがあろうかと資源は残してある。僅かだけど。


「今から戦力を大規模機動させる手段はない。あの山道をようやく越えてここまで来たんだ。旧マルーク王国領を失うのは痛い。シュトラウト公国を経由して背後から攻撃を受ける可能性もある」


「でしたら、自分だけでも侵攻の阻止に!」


 藍色山脈は戦力を機動させるのに向いていない。山道はスワーム2体がようやく通れるほどの広さぐらいしかなく、既に無力化されたも同然のフランツ教皇国から兵力を旧マルーク王国に移す手段はないのだ。


 それどころか、敵がどちらを本命としているか分からない以上、ニルナール帝国のフランツ教皇国侵攻軍に背中を見せることで本命の戦力まで壊滅する可能性がある。そうなったら本当に絶望的だ。


 だからといって……。


「セリニアン。君は歴戦の騎士で、一騎当千の戦士だ。だけれど、君ひとりでひとつの国の侵攻は押さえられない。限界があるんだよ。誰にでも限界が……」


 その限界を真っ先に私が露呈してしまった。本来それはあってはならないのに。


「女王陛下。このことは誰にも想像できませんでした。ニルナール帝国の動きは完全に予想外のものです。ご自分を責められないでください」

「そうだといいんだけれどね……」


 よくよく考えればニルナール帝国の侵攻は予想できるものであったはずだ。あの国にもマスカレードスワームを潜入させ、様子を調査しておくべきだった。フランツ教皇国を私たちが攻めたという情報は、馬ならば7、8日で届くはずだ。そして侵攻開始の丁度7日後にニルナール帝国の侵攻は起きてしまった。


 もっと侵攻速度を加速させるべきだった。私ののろのろとした動きがニルナール帝国に私たちがフランツ教皇国に侵攻に手間取っているという印象を与えてしまったのかもしれない。そのためにニルナール帝国は侵攻の決断を……。


「いや。もう考えてもしょうがない、か」


 今更理由探しをしてもしょうがない。起きたことに対処しなければ。


「本拠地の受胎炉はジェノサイドスワームをありったけ作って、バウムフッター村に向かわせろ。旧マルーク王国の全ての施設は放棄していい」


 集合意識の中で声がこだまする。


「これは敗北なのですか、女王陛下?」

「我々は負けたのですか、女王陛下?」


 いいや。負けてなんていない。必ずやり返してやる。


 そのためにも今は全力でフランツ教皇国を葬り去らなければ。


 この忌々しい国を片付けたら、次はお前だ。ニルナール帝国。


…………………


…………………


「上陸せよ、上陸せよ!」


 旧マルーク王国領とニルナール帝国の境にあるテメール川。そこをニルナール帝国陸軍の大部隊が渡河していた。ボートを漕ぎ、投石器によって破壊された城壁の後に向けて兵士たちがボートをこぎ続ける。


「こうも簡単にテメール川が渡れるとはな」


 兵士たちがテメール川を越えて旧マルーク王国領に攻め入る様子を丘の上から眺めているのはニルナール帝国皇帝マクシミリアンだ。彼がニルナール帝国陸軍の軍服姿で、この侵攻作戦を眺めていた。


 作戦名は“偽装動員作戦”。


 フランツ教皇国への侵攻を準備しているように見せかけ、実際の主力はテメール川の向こうに位置する旧マルーク王国領だ。


「マルーク王国領はこれで我々のものですね、陛下。これまで待っていた甲斐がありました。これも蟲どもに感謝しなければ」


「そうだな。マルーク王国を攻め滅ぼしてくれたアラクネアにはどこまでも感謝しなければなるまい。せいぜい暴れるだけ暴れてもらい、世界の均衡を乱してもらおう。そうすれば我らがニルナール帝国は更に拡大する」


 ニルナール帝国はアラクネアの脅威を逆に利用することにした。アラクネアがこの大陸で暴れまわり、世界の軍事バランスが崩壊したところをあらゆるところに進出して征服するのだ。


 フランツ教皇国への侵攻もその一環だ。


 フランツ教皇国はアラクネアの侵攻を受けて軍は壊滅状態にある。そこに攻め込めば確実にフランツ教皇国の一部を手に入れることが可能になるのだ。


「フランツ教皇国も天罰が下ったというところか。あの傲慢な光の神の総本山は本物の神によって祓い清められるというところなのだろう。いや、そんな詩的なものでえはないか。ただ、蟲どもに食らい尽くされるがだけ」


 マクシミリアンが冷たくそう告げるのを聞くのは皇帝官房長官のベルトルトだ。彼が皇帝マクシミリアンの傍でその言葉を聞き逃すまいと神経を集中させていた。


 皇帝の言葉は全て聞いておかなければならない。皇帝の言葉を聞き逃すということがあってはならないのだ。そんなことをすれば、皇帝の怒りを買い、八つ裂き刑となることは避けられない。マクシミリアンは歴代の皇帝の中でも冷酷無比なのだから。


「陛下! 上陸第一陣が蟲たちとの交戦を開始! 敵の抵抗は軽微とのこと!」

「アラクネアの女王も詰めが甘い。我々がテメール川を渡らぬとでも思ったか」


 将軍が報告するのにマクシミリアンが肩を竦める。


「さあ、前進しろ。1ヵ月以内にはマルーク王国をいただく。それからはシュトラウト公国だ。フランツ教皇国は一部しか手に入るまいから、守備に徹するだけだな。連合国の他の国々も蟲たちの脅威から保護してやれば大陸は我々ニルナール帝国のものだ」


 既に連合国を形成していた国々への外交的圧力はかかっている。このまま蟲どもによって蹂躙されるか、ニルナール帝国によって保護されるか、どちらかを選べという圧力がかけられている。


 ほとんどの国が既にニルナール帝国の圧力に屈する見込みだ。残りも時間の問題。


「問題は東部商業連合とナーブリッジ群島だけだな」


 そう告げてマクシミリアンは視線をベルトルトに向ける。


「はっ。既に内偵は進んでおります。東部商業連合は我々との同盟を拒むでしょう。そしてナーブリッジ群島も同じく」


「愚かな連中だ。アラクネアと我々の間に挟まれて身動きできまいだろうに。まあ、どちらも簡単に料理はできる。今は自由にさせてやるか」


 ベルトルトが報告するのに、マクシミリアンが頷く。


「さて、“龍の巣”を更に活発化させなければな。蟲どもも変わった手を使うようになってきたと聞いている。ワイバーンだけでは些かばかり、危ういかも知らん」


 マクシミリアンはそう告げるとボートで渡河していく兵士たちを眺める。


 彼らは人間の兵士たちだ。


 だが、その上空を飛んでいるワイバーンは違う。


 彼らは大陸のどこにもいなかった生命体だ。魔獣にしては従順であるし、動物にしては獰猛だ。そして、このような生き物がいるのがニルナール帝国だけというのも、奇妙な話である。


 不可解なワイバーンの存在。


 それが何を意味するのか知るのは皇帝マクシミリアンとベルトルトだけである。


 いや、もうひとりだけ存在する。


 暗がりの中でステップを踏んでこの狂騒曲に合わせて踊る悪魔がひとり。


…………………

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