先制攻撃(2)
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国境線から飛び出してフランツ教皇国を追撃するスワームたち。
そこで問題が生じた。難民だ。
フランツ教皇国とシュトラウト公国の国境には難民がいるのだ。陥落したシュトラウト公国から逃げ出してきた難民たちが。
「さて、彼らをどうしようか」
私は首をひねって考えた。
「肉としてしまえばいいのでは。アラクネアは肉が必要です」
「それもあるが、難民を無差別に手にかけるというのも些か私の思想と合わない」
彼らは戦争から逃げてきた難民だ。私が起こした戦争で生じた難民だ。
それを無差別に殺して、肉団子にするか? スワームらしくはあるが、ちょっとばかり私らしくない。いや、私らしくというよりも、これまで私と関わってきた人々らしくないと言った方がいい。
リナト、マリーンの街の人々、イザベル。
彼らは戦争難民を虐殺したって喜ばないだろう。それは強いものが弱いものを踏みにじるという彼らが遭遇した悲惨な事件の再現に他ならないのだから。
「ローラン。彼らの意見を聞いてきてくれ。シュトラウト公国に帰る気はあるかどうか。そして私たちアラクネアに従うかどうか」
「畏まりました、女王陛下」
こういうことはシュトラウト公国の人間だったローランに任せるのが適当だろう。
ローランはうろたえる難民たちを見渡す。
「諸君! 寛大なるアラクネアの女王陛下は諸君らをシュトラウト公国の地に受け入れても構わないと仰っておられる! 帰還を希望するものがいれば、手を挙げて申し出てほしい! 我々は決して君たちを傷つけない!」
もうシュトラウト公国の人間は十二分に苦しんだんだ。これ以上彼らを苦しめる必要はないだろう。祖国に帰り、祖国で暮らし、祖国で最期を迎えればいい。
「俺は帰りたい!」
「私も帰る!」
ローランの言葉にシュトラウト公国の難民たちが次々に手を上げる。
「よろしい。諸君らを受け入れよう。戦争での殺した、殺されたは水に流し、新しい関係を築いていこう。アラクネアとシュトラウト公国が共に発展していくという新しい関係と新しい未来を」
私はそう告げ、難民たちのために破城槌が開いた通路を指さす。
「アラクネアと共存なんてできるのか?」
「少なくともフランツ教皇国にいて異端審問官に処刑されるよりはましさ」
彼らの移住を促したのが、フランツ教皇国が勝利のためにと実行していた異端者狩りであることは皮肉としか言いようがない。
「移住希望者を管理してくれ、ローラン。下手なことが起きては困る」
「畏まりました、女王陛下」
やたら滅多ら、移民として受け入れていてはどういう問題が起きるか分かったものではない。ローランに任せて、受けれる難民はある程度絞る必要があるだろう。新しいシュトラウト公国には盗人やスワームを憎むものは必要ない。
「さて、問題がひとつ解決したところで、前進を続けよう。フランツ教皇国全土を躯で埋め尽くし、首都サーニアを血で染めろ」
私は命令を下し、スワームたちが作戦行動を開始する。
スワームたちは撤退を続けるフランツ教皇国の軍を追撃する。連合国の他の軍はこの際完全に無視だ。後で蹂躙してやればいい。今はフランツ教皇国を蹂躙することで私たちは忙しいのだ。
蹂躙し、蹂躙し、蹂躙する。
脅威となるのはクロスボウと鋼鉄の重装備くらいで、他はジェノサイドスワームには脅威ではない。しかも、フランツ教皇国は序盤に重装歩兵を全て投入したらしく、後になってくると軽装歩兵が目につき始める。
これは楽な戦争になりそうだ。
私はフランツ教皇国の半分を支配した時点でそう感じ始めていた。
だが、そう簡単にはいかないことはすぐに分かった。
この戦争に乱入者が現れたのだ。
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私たちは前進を続け、続け、続け、フランツ教皇国の半分を支配した。
生けるものは皆殺し。肉団子にして設置した前進基地にある肉臓庫と受胎炉に放り込まれる。そして、戦列に新たなスワームが加わる。斥候のリッパースワームと、主力を形成するジェノサイドスワームとポイズンスワーム。
戦力のほとんどはフランツ教皇国に投入していた。
フランツ教皇国を倒すことこそが今やるべきことだったからだ。
「さて、次の難関はこの山岳地帯の突破か」
私たちの前方に広がるのは広大な山岳地帯。
これはフランツ教皇国を南北に分けるもので、切り立った崖のように険しく、整備された山道だけが唯一の通過点だった。その通過点が既に塞がれていることは想像するまでもない。
「ここは強行突破しか他に方法はないな。海賊たちに頼んで海上輸送してもらうのも手だろうが、それだと時間がかかりすぎる。敵に対応の余裕を与える。何せ、スワームたちは泳げないのだから」
海賊船で輸送してもらっているところを察知されて沈められれば、スワームたちは一瞬で海の藻屑だ。貴重な肉を大量使用して作ったジェノサイドスワームやポイズンスワームの軍隊を、そんなことで失いたくはなかった。
だからと言って正面突破をしても同じくらいスワームたちは犠牲になるだろう。少しは頭を使わなければならない。
「……別に山道を無理に通らなくてもいいわけだ」
そうだ。確か朝鮮戦争では中国軍が……。
「ジェノサイドスワーム。突破を命じる。計画は私が指示する通りだ」
「畏まりました、女王陛下」
私は集合意識を通じてジェノサイドスワームの一団に指示を出す。
「ポイズンスワームは裾野から制圧射撃。敵を山道に釘付けにしておけ。決して奴らを山道から移動させるな。ジェノサイドスワームの別動隊は山道を経由して陽動を。とにかく、敵に我々が山道を必要としていると思わせて」
「畏まりました、女王陛下」
ポイズンスワームたちは制圧射撃だ。敵にこちらの意図を悟らせず、かつ敵を移動させないための攻撃を加えることがその役割。
「さあ、かかって。作戦開始だ」
上手くいくかどうか。私は忌々しい光の神になんて祈りたくないので、お稲荷さんにでも祈っておこう。
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フランツ教皇国を南北に分ける藍色山脈の山道はフランツ教皇国陸軍の手によって完全に封鎖されていた。山道には木製の柵が設置され、更には崖を切り落として岩によって完全に封鎖している。
彼らはもう北の難民、市民、軍の残党を見捨てたわけだ。
「異常はないか」
「異常ありません、大尉殿!」
この藍色山脈の山道を封鎖している中隊のひとつの将校が尋ねるのに、若い兵士が元気よくそう告げて返した。
「お前の恋人はサーニアに暮らしているんだったな?」
「ええ。だから、安心ですよ。もし、ここから北に暮らしているんだったら、命がけで助けに行きますから」
将校が告げるのに、兵士は二ッと笑ってそう返した。
「恋人に会いたくてたまらないんじゃないのか?」
「正直、そうですね。早く戦争が終わってくれるといいんですけれども」
兵士にはサーニアに恋人がいた。レストランの給仕で、この兵士とは部隊で開いた宴会の時に出会った。気立てのいい娘で、兵士とはすぐに打ち解け、恋仲に落ちるまでは僅かなものであった。
この戦争が始まってからも、まだ手紙のやり取りは続けており、兵士にとっては生きて恋人の下に帰ることこそが目的であった。もちろん獰猛な怪物たちから、恋人を守るというのも彼の役割だったが。
「!? 大尉殿、敵です!」
その時だった。山道に敵の姿が見えたのは。
「迎撃用意だ! ただちにバリスタの配置につけ! ここで1匹たりとも蟲を通すな!」
「了解!」
将校の命令で兵士たちは配置につき、迫りくる怪物に備える。
「向かってきたのは近接攻撃型の蟲と遠距離攻撃型の蟲か。遠距離型がやっかいだな」
山道を迫りくるスワームはジェノサイドスワームとポイズンスワームの2種類。
「敵が攻撃を始めました!」
「備えろ! 毒針には注意しろ! 命中したら助からないぞ!」
ポイズンスワームの毒針の威力は既に知れ渡っている。命中すればこの世のものとは思えない激痛を味わい、その果てに死に至り、どろどろに溶けてしまう威力があるものだということは。
兵士たちはポイズンスワームの毒針を防ぐためにクロスボウを構える兵士を別の兵士が鋼鉄の盾を持ってカバーし、ポイズンスワームの毒針から身を守る。
ポイズンスワームの毒針が雨のように降り注いできたのは次の瞬間だった。
「ぐえっ……」
不運な何名かの兵士が毒針の直撃を受けて、激痛を味わいながら、肉汁と化す。
「バリスタ、クロスボウ、撃ち方始め!」
それでもフランツ教皇国は撤退はしない。彼らにとってはここが最終防衛線なのだ。ここを敵に明け渡してしまえば、後は広がる平原を敵に蹂躙されるだけである。そうなればもう勝ち目はない。
ここで決戦に挑む。その覚悟で兵士たちはクロスボウとバリスタを次々にジェノサイドスワームとポイズンスワームに向けて叩き込み続ける。
1体、また1体とスワームが撃破されていき、スワームの勢いが弱まる。ポイズンスワームも低い発射レートながら毒針を放ち続けるが、次第にバリスタの攻撃を受けて撤退に追い込まれていく。
「連中が逃げていくぞ!」
「ざまあみろ!」
兵士たちは撤退を始めたスワームたちを見て、歓声を上げる。
これでフランツ教皇国は守られた。敵はこの藍色山脈を越えることができずに、北に留まるだろう。そして、いずれはフランツ教皇国からの反撃によって南部も奪還され、加えてシュトラウト公国も解放される。
「やったぞ。カレン、次の休暇には君に会えそうだ」
あの恋人が首都サーニアで待っている兵士も勝利を誇る。
だが、その希望は一瞬で絶望へと叩き落される。
「て、敵だ! 敵だぞ!」
「そうだよ。敵ならもう逃げ出してるぞ」
兵士のひとりが叫ぶのに、他の兵士が笑いながらそう告げた。
「違う! 後方だ! 敵が後方から現れた!」
そう、後方だ。
ジェノサイドスワームが500体ほど後方に現れ、後方からこの山道を封鎖している地点まで迫りつつあったのだ。
「後方からだって!? そんなばかな!? どこを通って……」
将校は兵士の知らせに驚愕する。
将校が驚愕するのも当然だ。
スワームたちは断崖絶壁を乗り越えてこの藍色山脈を踏破したのだ。
スワームにとって障害物を踏破するのは朝飯前のことだ。断崖絶壁だろうが、易々と乗り越え、敵が思いもよらぬところから敵を奇襲する。スワームは海や川の通行は非常に難しいこととなるが、山ならばスワームの天下だ。
アラクネアの女王はジェノサイドスワームの一団を山道を迂回突破させ、後方から襲撃する道を選択した。そして、それは大きな成功を収めつつある。敵は完全にスワームは前方から攻めてくると思い込んでおり、あっという間に後方に回り込まれてしまった。
「後方にバリスタを向けろ! 歩兵たちも後方に向けて──」
将校が必死に支持を出そうとしたのが弓矢によって遮られた。
「やりました。バリスタの射手も片付けます」
「ご苦労様、ライサ」
ライサだ。彼女の弓矢が将校の頭を貫いた。
「セリニアン。正面からの圧力を。敵を挟み撃ちにして」
「了解です、女王陛下!」
続けて山道の正面からセリニアンがライサの支援を受けて突撃する。
「敵だ! 敵の化け物が前方から!」
「弓兵! 弓兵! クロスボウを──」
慌てる山道の兵士に、セリニアンが切りかかる。
セリニアンの一撃で兵士の首が刎ね飛ばされ、血飛沫が舞い上がる。ひとりの兵士が切り倒され、またひとりの兵士が切り倒され、屍の山が築かれていく。
「うおおっ! ここは通さないぞ!」
あの恋人の待っている兵士もクロスボウを手にセリニアンを狙う。
「甘い」
だが、放たれたクロスボウの刃はセリニアンの剣によって狙いを逸らされ、セリニアンの頬をかすめて飛び去ると、セリニアンは一気に兵士との距離を詰める。
「ぐうっ……」
そして、セリニアンの刃が兵士の胸を貫いた。
「あ、ああ……。カ、レン……」
兵士は最後にそう言い残してこの世を去った、
「女王陛下。山道は制圧できたようです。ジェノサイドスワームの一団と合流しました。敵の後方は壊滅状態。これならばこの山道を抜けることが可能ですよ」
山道の向こう側からジェノサイドスワームがやってくるのを見て、セリニアンがそう告げる。山道の防衛体制は本当に壊滅状態だった。ジェノサイドスワームの奇襲を受けて、後方にいた兵士たちは屠られ、山道の守備兵たちは挟み撃ちにあって壊滅した。
「ご苦労様、セリニアン、ライサ。これで戦争の終わりは近いだろう」
アラクネアの女王はこれで勝利を確信した。
それが覆されるとも知らずに。
…………………