忍び込む毒(2)
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「異端審問を本格化させた奴が分かった」
私はシュトラウト公国とフランツ教皇国の間に作った大規模な前進基地において、そのように集まったスワームたちに向けて宣言する。
「パリス。パリス・パンフィリだ。この男がこれまで埃を被っていた異端審問を本格化させ、異端者狩りを行わせている。今や異端審問はあらゆる方面に手を伸ばしており、事実上の秘密警察と呼んでいい」
私は憎々し気にパリスの名を語る。
この男が活発化させた異端審問のせいでイザベルは苦痛を味わったのだ。上半身の皮を剥がれ、火炙りにされたのだ。そう思うと憎々しさが殺意を越えたレベルにまで向上してくるのを感じた。
「それに加えて神秘調査局という部署が動いているのが確認されている。これは純粋な情報機関であり、ニルナール帝国や我々について調査を進めている。我々についてどれだけ知られているか不明だが用心した方がいい」
神秘調査局についても私は情報を得ていた。
情報源は例の娼館。パラサイトスワームを植え付ける前に、娼婦の体を使って引き出した情報を私は得ていた。
神秘調査局は対外調査の他に防諜を行っているそうだが、内部の捜査の方は異端審問官たちに役目を奪われて機能していないそうだ。その分、対外調査──ニルナール帝国と私たちについての調査は進んでいることだろう。
私たちは国境を防護壁で閉ざしたが、壁とは越えるためにあるようなものなのだ。
「よって、プランAの準備が完了し次第、我々は軍事作戦に移る。プランAとはフランツ教皇国を地上から抹消するための作戦だ。我々は3つの軍に分かれて、東西において作戦を決行する。我々は完膚なきまでに、この地上からフランツ教皇国との名の付くものを消し去る」
地上から抹消する。マルーク王国の時と同じだ。この地上からフランツ教皇国という名のそれを消し去り、地上から抹消する。
「抹消だ。フランツ教皇国は地上から抹消する。これは決定事項だ。フランツ教皇国と名の付くあらゆるものを地上から抹消する」
私は冷たく、毅然とそう告げた。
「それでよろしいかと」
「海賊さんを酷い目に遭わせたものはそれなりの目に遭うべきです」
私の言葉にセリニアンとライサが頷く。
「ですが。フランツ教皇国はマルーク王国より広く、シュトラウト公国より強いです。その点は大丈夫なのですか?」
そう尋ねるのはローランだ。
ローランの疑問は理解できる。ローランの言う通りフランツ教皇国はマルーク王国よりも広く、そして既にスワーム対策を整えてた点でシュトラウト公国よりも強力であることが予想される。
「その点はこれからの作戦でかき乱す予定だ。フランツ教皇国にはそれなり以上の苦痛を味わってもらう、特に異端審問を活発化させたパリスには、な」
私はパリスに報いを受けさせるつもりだ。
パリスの考えた異端審問のせいでイザベルは苦痛を味わった。その痛みと屈辱をパリスに味わわせずにして誰に味わわせるというのだ?
「……女王陛下。些か感情的になっておられませんか?」
「なっていないよ。私はいつもと同じ。スワームの集合意識に引き摺られて人の心を失った。私はもう人間じゃない。感情的になることなどありえない」
ローランが心配した様子でそう告げるのに、私は断固としてそう返した。
「スワームに感情があるか? ないだろう。私はスワームと一緒だ。私もまたスワームだ。感情的になることなどありえない。そういうことだよ、ローラン」
そう、私はスワームだ。人間じゃない。感情のないスワームと同じで、私に感情があるはずがないのだ。
だが、最近のスワームは感情を持っていないか?
よく泣いてしまうセリニアンも、他の勝利に歓喜するスワームたちも、皆感情を持っているのではないか?
いや、それでも私に感情はもうないはずだ。スワームは報復など考えない。スワームは特別な死を前にして怒りや悲しみを覚えない。スワームは全にして個、個にして全。全体の利害だけを考える。個別のことには目もくれない。
そのはずなんだ。
「まず敵に内部混乱を起こさせる。それからゆっくり料理してやればいい。指揮系統を失った軍隊ほど脆いものはないぞ」
私はセリニアンたちにそう告げて、そうそうに自室に戻り、ベッドに横になった。
私はなんでこんな世界で戦っているのだろう。
私は何故大切な人を失うのだろう。
私は何故……。
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気が付くと私は自分の家にいた。
私が借りているアパートの一室。
「サンダルフォン?」
私は常にこの空間にはサンダルフォンがいるものだと思っていた。
「残念。サンダルフォンはいませんよ」
そう告げるのは黒装束の処女。
確か名前はサマエルと言った少女だ。
「あなたはいよいよこれからひとつの国家を滅ぼすのですね。これで3ヵ国目ですか? 随分と多くの人々を手にかけたでしょう。あなたは大量殺人者だ。あなたほど冷淡に人を殺し続けた人はいませんよ」
サマエルは私に笑いながらそんなことを告げる。
「殺した。ああ。殺したとも。だが、後悔はしていない。私は必要な殺人だけを行ってきた。このゲームに勝利するために必要な殺人だけを、自分たちに危害が加えられたときのための殺人だけを行ってきた。そこに悔いはない」
「ならば、あなたの中に潜むどす黒い感傷は一体何なのでしょうね?」
私が告げるのにサマエルが私の胸を指でなぞる。
「ここにはどす黒い感情が蠢いていますよ、────さん。あなたは実際は必要以上の殺人に手を染めているのではないですか? 薄暗い復讐心に身を燃やしているのではないですか? 本当は殺したいから殺しているのではないですか?」
サマエルの言うことに私は反論できなかった。
私は……イザベルの仇を取るために復讐を行おうとしているのではないか。私はイザベルの死によってフランツ教皇国を完全に消滅させようとしているのではないか。私は個人的な理由のために殺人をしているのではないか。
「そのまま殺し続けましょう。両手を血に塗れさせましょう。スワームの意志に任せて殺し続け、増え続け、更に殺し続けましょう。全てを皆殺しにしましょう。あの大陸の全てを殺し尽くしてやろうじゃないですか」
サマエルは私に向けてそう告げる。
そうか。スワームの集合意識に身を任せて殺し続けるのがいいのかもしれない。
それが楽だ。もう何も感じずに済む。悲しみも、怒りも、何もかも。
「さあ、殺しの行進を始めましょう。殺し、殺し、殺し、殺し続けて血塗れの街道を作りましょう、あの街道を真っ赤に染めましょう。殺すことこそがあなたの使命。殺すことこそがあなたの役割。殺すことこそがあなたの義務」
サマエルが歌うように告げる。
そうだ。殺すだけじゃないか。殺し続けることだけじゃないか、私のやれることなんて殺すことしかないじゃないか。このままスワームの意志に心と体を委ねてしまい、殺戮の輪の中に加わろうじゃないか。
私がそう考えていたときに衝撃が走った。
「黙れ、サマエル」
凛とした少女の声が響く。
「サンダルフォン……?」
「はい。サンダルフォンですよ、────さん」
私が問いかけるのに、白装束の少女──サンダルフォンがそう答える。
「────さん。あたなはスワームの意志に呑まれてなどいません。あなたは親しい人が殺されたから、その報復に動いている。それは当然の感情です。誰かに批判されるべき感情ではありません。人として当然の感情です」
「だけれど、私は……」
私は無関係の人々も皆殺しにするつもりだ。
「あなたの怒りは深く、底にまで達しています。他の関係ないものにまで当たり散らそうとするのも当然でしょう。それに彼らは無関係ではない。今の体制を支えてきたという罪を抱えているのですから」
「それでいいの、サンダルフォン……?」
私は本当は心配だったのだ。私の意識がスワームと同化しているのではないかと。
「いいのですよ。怒りの感情は人の感情。あなたが何の理由も持たずに人々を死に至らしめようとしたならば止めたでしょうが、今回ははっきりした理由がある。故に私は止めませんよ。────さん、ですが忘れないでください」
サンダルフォンが私の顔を見つめる。
「決して人の心を忘れないで。無意味な虐殺に手を染めないでください。あなたはまだスワームという組織の精神に取り込まれてはいません。そのあなた自身の心を守り抜いてください。今はそれが必要なのです」
サンダルフォンは諭すように私にそう告げた。
「あれれ? そんなのでいいんですか? この子が最初に人を殺した時点で裁かれる存在ではないのですか? そうですよね? それとも────した時点で、その運命は決まっているということですか?」
「黙れ、サマエル。この人はまだ人の心を持っている。そのことに押しつぶされそうになっているだけだ。貴様が作り出した状況によってな」
サマエルが歌うようにして告げるのに、サンダルフォンが彼女を睨む。
「さあ、戻ってください、────さん。もうすぐあなたの魂は救われます。人としての心をあなたが忘れないでいる限りは……」
「待って、サンダルフォン。本当に私はこれで──」
意識が落ちていく中、私はサンダルフォンに問いかけようとするが、彼女は優し気な笑みを浮かべたまま落ちていく私を見つめ続けた。
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