アトランティカの動乱
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──アトランティカの動乱
「アルバトロス号が帰ってくるぞ! 今回は船のおまけつきだ!」
アトランティカの見張り塔で、ここまで聞こえる海賊の声が上がる。
イザベルのアルバトロス号を先頭に私とセリニアンたちの搭乗する中型商船、そしてリッパースワームたちを満載した大型商船が続いている。これがいわゆるトロイの木馬というものだろうな。
アルバトロス号は巧みな操船で岩礁を抜ける。後続の2隻の船もアルバトロス号の海賊の操船によって岩礁を潜り抜け、海賊の根城たるアトランティカの中に入っていく。
「女海賊イザベルのお帰りだ! 今日は何を持ってきてくれたんだ!」
「ああ。実に有益なものだよ」
海賊たちが尋ねるのにアルバトロス号の海賊がそう告げる。
「さあ、今回のお宝は2隻の船に積んであるんだ。立派な船だろう。高く売れるぞ。買いたい人間がいたら、売ってやる。お手頃価格でな。乗せてある積み荷を降ろしたら、取引開始だ」
「こんな立派な船が持てたら略奪し放題だろうな!」
イザベルの言葉に海賊たちが物欲しげに眺める。
「で、今回はどれだけ持っていかれるんだ?」
「4割だと。ブラスコからの命令だ。4割はアトランティカに納めなくちゃならん。気の毒だが、幹部会の命令だ。従ってくれ、イザベル」
「なら持っていきな、4割。財宝は山ほどあるから痛くもかゆくもないね」
アトランティカへの上納金はかつては10分の1だったのに、それがいつの間にかじわじわと値上がりしている。海賊たちはこのことにじわじわと不満を覚えているとのことだった。確かに上前をはねられ続けたら、腹も立つだろう。
「なら、4割いただいていくぞ」
海賊たちは楽し気に桟橋から梯子を架けながら、2隻の船に積んであるお宝を目にしようとする。そこで待っているものも知らずに。
「ん……? 家畜か何かでも攫って──」
船倉に蠢くものを見つけた海賊が次の瞬間、地面に倒れた。激しく痙攣し、泡を吹きながら床に転がった。
「な、なにが……!?」
「お、おい! あれを見ろ! あれは何だ!?」
そこで海賊たちはようやくリッパースワームの姿に気付いた。リッパースワームたちは私たちが隠れていた船倉からガサガサと音を立てて、表に這い出し、外にいた海賊たちに襲い掛かっていく。
「ひいっ! 化け物! 化け物だっ!」
「か、神様! 光の神、海の神、船の神、海賊の神! とにかく、神様お助けえ!」
リッパースワームはその外見だけで制圧力があるな。この外見を見て、立ち向かおうと考えられるのは極僅かな命知らずだけだろう。私にとってはとっても可愛らしい蟲たちだけれども、ね。
「船から化け物が溢れてくるぞ!」
「呪いか!? アトランティカの財宝の呪いか!?」
埠頭の海賊たちは碌な武器もなく、リッパースワームの姿を見て凍り付くだけだった。私は流血沙汰は避けられそうだと一安心する。
「お前ら! 聞けっ!」
ここでイザベルがアルバトロス号の船上から埠頭にいる海賊たちを見渡して叫ぶ。
「幹部会は腐ってる! かつてのアトランティカは確かに海賊たちが助けあう場所だっただろう! だが、今のアトランティカは違う! 幹部会に牛耳られて、幹部会のいいように上前をはねられる搾取の世界だ!」
イザベルがそう叫ぶのに、海賊たちがリッパースワームたちを警戒しながら、その言葉に耳を傾けた。
「あたしはもうこんなアトランティカにはうんざりだ! あたしは事の元凶たる幹部会を打ち倒し、新しいアトランティカを造る! 本当の海賊たちの共同体だ! 納める上納金は最小限度! 幹部会は投票で常に入れ替える!」
「おおっ! それこそがアトランティカだ!」
イザベルの言葉に海賊たちが歓声を上げる。
やはり彼らも不満を思っていたんだな。イザベルの言う通りに、海賊たちは上前を撥ねられるのに苛立っていたようだ。私だって自分のアルバイト代から店のためと言われて半分も持っていかれたら腹が立つ。
「幹部会を血祭りにあげるものたちはこの蟲たちと共に戦え! 幹部会と運命を共にしたい奴は蟲に食い殺されろ! さあ、選べ!」
リッパースワームの異形の外見を前にした海賊たちはイザベルの言葉に迷う。
不満があるからと言って、ここで幹部会を裏切っても大丈夫なのだろうか。幹部会から手酷い報復を受けたりしないだろうか。そもそもこのアトランティカの革命と言える戦争に勝算はあるのだろうか。
「こいつらはマルーク王国とシュトラウト公国を滅ぼした怪物たちだ。どんな海賊だろうとこの怪物には勝てやしない。あたしたちも勝てなかった」
「そんな怪物どもをなんで連れてきたんだ! アトランティカが蟲によって乗っ取られちまうじゃないか!」
イザベルが告げるのに、海賊が叫ぶ。
ごもっともな意見だ。そろそろ私の出番か。
「安心しろ、諸君」
私は中型商船のデッキに上がり、興奮する海賊たちに話しかけた。
「私はアラクネアの女王。この怪物たちを率いるものだ。君たちが流血を望まないのであれば、私も流血を望まない。そして、私はこのアトランティカを征服するつもりは全くないと明言しておこう」
「アラクネアの女王……?」
私がそう告げるのに、海賊たちが怪訝そうに私の方を見る。
だが、彼らが私の言葉を疑ったのも一瞬ことだ。
スワームたちが頭を下げ、腕を上げる仕草を一斉に私に向けて行い、私の背後から出てきたセリニアンが私に跪いて頭を下げるのを見ると、海賊たちの表情は驚愕のそれへと変わった。
これで分かっただろう。私がスワームを率いるアラクネアの女王だと。
「本当にこの怪物たちを従えているのか……?」
「本当かよ……」
海賊たちは呆気に取られ、リッパースワームと私を見つめる。
「私から諸君に提案がある。我々の同盟者になってもらいたい。我々は諸君に金銭的な支援を行おう。私たちはマルーク王国とシュトラウト公国を征服し、富に満ち溢れている。その富で君たちの力を買おう」
私は作り笑顔を浮かべて、海賊たちにそう告げた。
「同盟……?」
「そうだ。我々が支援するのでフランツ教皇国を攻撃してもらいたい。それがこの同盟の大きな目的だ」
海賊たちをフランツ教皇国に差し向ける。
何もフランツ教皇国の海軍と戦わなくともいい。商船を襲っていれば、フランツ教皇国の海軍はその対策に動かなければならなくなる。そうなってしまえば、フランツ教皇国の海軍がシュトラウト公国の広い沿岸地帯を襲うという最悪のケースも避けられる。
「さあ、どうだろうか。この同盟に賛同していただけるか?」
「決めろ、お前たち。腐った幹部会の下で奴隷として暮らすのか、大陸最強の勢力と手を組んで大儲けするのか」
私とイザベルが同時にそう問いかける。
「幹部会はクソだ! 俺は同盟に賛成するし、幹部会の連中もぶっ殺してやる!」
「そうだ! クソ幹部会の下で奴隷のようにこき使われるのはごめんだ!」
埠頭にいた海賊たちは全員が革命に賛同した。
「いいぞ、お前たち! では、船長どもをここに全員連れてこい! 連中にもどうするのかを選ばせなくちゃならん! 隷属か富かだ!」
イザベルが海賊らしくワイルドにそう告げ、海賊たちがリッパースワームたちと共にこのアトランティカの海賊たちの船長たちを集めに行った。多くの船長が訳も分からないままに埠頭に連れてこられた。彼らはリッパースワームに怯えている。
「イザベル! どういうつもりだ! この怪物たちは!」
「あたしの同盟者さ。場合によってはあんたらの同盟者にもなる」
連れてこられた船長のひとりがそう叫ぶ。
「私はアラクネアの女王だ。その怪物たちの主。君たちとの同盟を望んでいる」
「そして、私はこの女王陛下と組んで幹部会を一掃することを望んでいる」
船長たちに私とイザベルがそう告げ合う。ここまでは実に理性的だ。
「幹部会を殺るのか?」
「ああ。南京虫より面倒な幹部会なんてうんざりだろう。上前を今度は4割持っていくって? 次はどれだけ持っていかれる? 5割か、6割か?」
船長のひとりが尋ねるのにイザベルがそう返す。
「君たちも儲けは自分たちのものにしたいだろう。イザベルはそれを実現するつもりだ。そして、私は彼女に手を貸す準備がある。この怪物たちをイザベルの目的のために使うつもりだからな」
私はイザベルの理想郷は本当に上手くいくのかは知らなかったが、少なくとも戦争が終わる数年間は海賊たちにはフランツ教皇国の海軍を押さえておいてもらいたい。それから先は……なるがままに任せる、だ。
「俺は賛成だ。幹部会にはもううんざりだ」
「ジルベルト。賛成してくれるか」
まずひとりの船長が賛成した。
「俺も賛成だ」
「賛成意外に他に選択肢はないだろ? 反対したら俺も怪物の餌だ」
そして、次々に船長たちがイザベルの提案に賛成していく。
「賛成だ」
そして、最後の船長がドンと机を叩いて賛同した。
「決まりだ。幹部会を潰すぞ」
イザベルと私は実に悪い笑みを浮かべた。
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