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誘惑と助言

…………………


 ──誘惑と助言



 私は意識が戻ると懐かしい雰囲気に目が覚めた。


「ここは……」


 私の寝具。私の部屋。


 私が借りている大学まで一番近いアパート。


 コンビニにも近いし、本屋にも近い。ファミレスだって傍に立ってる。そんな恵まれた環境で私は大学生活を送っているのだった。


「ゲームのしすぎかな」


 なんだかリアルな夢を見ていた記憶がある。だが、それが何なのかを思い出せない。酷くリアルだったのに、どうして私は全てを忘れてしまったのだろう。実際は大したことはない夢だったのだろうか。


「────さん」


 私は自分の名が呼ばれるのに酷く懐かしい感じがした。


 だが、私の部屋にいるのは誰だ?


「目覚めましたか。ここは異常な空間なので目を覚まさないのではないかと心配していたところです。目を覚ましてくれてよかった」


 そう告げるのは以前にも話した記憶がある白装束の少女だった。


「ここは……。私の家……?」

「それを再現して構築した世界です。あなたのいるべき本当の世界ではありません」


 私の家なのに、私の家じゃない?


「────さん。私はあなたの魂を必死に導こうとしました。たとえあなたの過失が何だったとしても、あなたは導かれるべき存在なのです。それを歪められ、あの世界へと閉じ込めれてしまった。私の失態です」


 白装束の少女はそう告げる。


「あなたは、誰?」

「私はサンダルフォン。魂の導き手。それだけです」


 少女はサンダルフォンと名乗った。


「あなたはあの過酷な世界においてまだスワームの意志には完全に飲み込まれず、辛うじてでも自分の意志を貫いている。それは素晴らしいことです。ですが、永遠にそれが続くとは私には思えない。いずれ、あなたもあの世界の一部に取り込まれ、そしてまた別のゲームをやらされる」


「あの世界……?」


 何のことだろう。私は海外旅行をしたこともなければこの日本から出たこともないのに。他の世界など知らない私は知らない。私は所詮は知識の盲人であるというのに。


「大丈夫です。必ずあなたを助け出します。もとはと言えば私の過ちのため。その責任は私にあります。だから、私があなたを救うのは当然のことなのです」


 私は誰かに助けてもらわなくちゃいけなかっただろうか。


 そうだ。助けるということで思い出した。私は助けなくちゃいけない。


「私をあの世界に戻して」


 私はいつの間にか白装束の少女にそう告げていた。


「……戻るのですか、あの世界に。ここで救援が来るまで待とうとは思いませんか?」

「私の助けを必要している子たちがいるんだ」


 そうだよ。セリニアン、ライサ、ローラン、スワームたち。


 どうして私は彼らのことを忘れていたのだろう。私は彼らに勝利を約束したというのに、こんなにも簡単に約束を忘れてしまうだなんて。


「……作られた世界。囚われた人々。その中にあなたは本当に戻るのですか?」

「私を必要している子がいるなら」


 セリニアンが泣いている姿が脳裏に浮かぶ。私が何も言わずにいなくなったら、彼女はどれほど泣いてしまうだろう。そんなセリニアンの姿を私は見たくない。


「あなたは本当に善良な魂を持っているのですね。たとえ、それが人でなくとも救わなければならないという思いは私にも伝わってきます。あなたは心の奥底から慈悲が満ちている。だからこそ、私は導かなければばならない」


 サンダルフォンと名乗った少女はそう告げて私を見つめる。


「本当にあの世界を生き抜ける自信がありますか?」

「ある。私には頼もしい同胞たちがいる」


 少女の問いに私はそう返す。


「はい。そこまでですよ、サンダルフォン」


 不意に私たちの会話に乱入してくるものが現れた。


 それは黒いゴシックロリータファッションに身を包んだひとりの少女だった。


「横取りはよくないと思いますよ、サンダルフォン。彼女の魂は私のもの。昔からあなたたちはこう言っていたではないですか。────には神の救いはないと」


「それは昔の話だ、サマエル。薄汚い二枚舌の悪魔め。貴様のせいでどれだけ彼女が傷ついているのか理解していないのか?」


 サンダルフォンは現れた少女をサマエルと呼んだ。


「ころころと教義が変わるあなたたちの方こそ二枚舌では? 私の主義主張は一貫していますよ。────した魂は我々のもの。他の誰にも手を出させない、と。サンダルフォン。あなたは本気であの子を救うつもりですか?」


「そのつもりだ、サマエル。たとえ────した魂でも救われるべき権利がある。今をかつての価値観で判断するな」


 サマエルが小さく笑うのに、サンダルフォンが彼女を睨み殺しそうな視線を向ける。


「どうでしょうね。本当に救われる権利などあるのでしょうか。────した魂なんて穢れているじゃないですか。そんな魂を持ち帰って、我らが忌まわしき主はお嘆きになられないのですか?」


「なられない。主はひとりでも多くの魂が救われることを祈っておられる。この子の魂とて同じこと。彼女は苦難の末にそう決断したのだから」


 私は何を決断したのだろう。


「やはり、納得がいきませんね。ここは、あの子に決めてもらおうじゃないですか。あなたについていくのがいいか、私についていくのがいいかを」


 そう告げてサマエルは私の方に視線を向けた。


「救いはあります。どうか救いの道を選んでください、────さん」

「君がいるべき場所はあの世界だ。人々と異形が殺し合う世界だ。そこに安らぎを見出している。そうだろう、────?」


 全く異なるふたりの少女が私に呼びかける。


 だが、私の気持ちは彼女たちにはない。


「あの子たちを助けさせて。お願い。それ以外のことは望まないから」


 セリニアンはきっと泣いている。慰めてあげなくては。


「契約不成立、ですね」

「彼女はきっと救いの道を選びます」


 サマエルは肩を竦め、サンダルフォンは私に歩み寄る。


「その“ぱそこん”の電源を付けてください。それであの世界に戻れる」


 サンダルフォンは優しく私にそう告げた。


「私は必ずあなたの魂を救います。必ずです。だから──」


 私はパソコンの電源を入れる。


「決して人の心を忘れてしまわないでください」


 私は落ちていく感触を感じながら、サンダルフォンに向けて確かに頷いた。


…………………


…………………


「──陛下! 女王陛下!」


 気が付くと私はソファーの上にいた。


「サンダルフォンは? サマエルは?」


 私はさっきのリアルな夢のことを思い出してそう告げる。


「そのようなものはおりません、女王陛下。もしかして、記憶が……?」

「大丈夫だ。君のことはどこまでもちゃんと覚えているよ、セリニアン」


 セリニアンのことを忘れたりするものか。私の大事な仲間を。


「ううっ……。よかったです。本当によかったです……」


 セリニアンはぐずぐずと泣きながら私の胸の中に顔を埋めた。


「ライサ」

「はい、陛下」


 私は泣いているセリニアンを泣かせるがままにして、ライサに問いかける。


「ここに他の兵力は派遣された?」

「いいえ。静かなものです。もう城壁と市街地での戦闘も終わったようですから」


 そうか。シュトラウト公国での戦闘は終わったのか。


 苦労した。冒険者としてシュトラウト公国に忍び込みあれこれやらされて、大陸諸国会議では会議をかき乱すのに苦労し、そして内戦が起きたら介入しなければならなかった。私はこれまで感じなかった疲労をずっと感じた。


「意識はお戻りになられました、女王陛下」

「ああ。戻ったよ、ローラン」


 私がセリニアンとライサと会話していると、ローランが地下室から戻ってきた。


「兄の死体はそちらでいう肉団子にしました。これが相応しい扱いかと」

「どうだろうね。肉団子にするのには複数の意味合いが込められるから」


 ひとつは憎き敵をただの肉の塊として処理すること。ひとつは仲間として戦列に加わってもらうということ。ひとつは何の意味もなくただ処理すること。


「しかし、女王陛下が倒れられたときには肝を冷やしました。まさかバシリスクの毒がまだ残っていようなどとは。お体に不調はありませんか?」


「女王陛下。何か苦しいことがあればおっしゃってください。私、村の薬師さんから様々な薬を分けてもらってきていますから」


 ローランとライサの両方が私の心配をしてくれている。


 これだけ恵まれた指導者もいないだろう。


「女王陛下。もう本当に、本当に、本当に、大丈夫ですか?」

「ああ。私は完全に大丈夫だ。セリニアンこそ、甘えた症は治ったかい?」


 セリニアンが尋ねるのに、私はちょっと意地の悪い笑みを浮かべる。


「も、申し訳ありません。ですが、本当に女王陛下がご無事でよかったです……」


 セリニアンは涙でぐしょぐしょになった私の胸から顔を上げると、またぐすぐすと泣き出してしまった。


「セリニアン、ライサ、ローラン、そしてスワームたち。心配をかけて本当に申し訳なかった。だが、私は無事だ。こうしてまた君たちを率いることができる」


 私は集合意識にも働きかけてそう宣言する。


「だが、我々の完全勝利はまだまだ先だ。シュトラウト公国を罠に嵌め、我々に対して敵意を持っているフランツ教皇国を打ち倒さなければ戦争はまだ終わらない。いずれこの国にもフランツ教皇国の軍隊が攻め込んでくるだろう」


 フランツ教皇国は今回は影に徹したが、実際はシュトラウト公国を崩壊させた仕掛け人だ。彼らがシュトラウト公国が壊滅するのを待ち、壊滅した後にシュトラウト公国を乗っ取ろうとしていたのは明白だ。


「フランツ教皇国を打ち倒す。そして、我らがアラクネアが永遠の平穏を手にするまで、諸君らが望む絶対の勝利を手にするまで私は戦う。付いてきてくれるか、諸君?」


 私がそう問うのに集合意識が同意の声で満ち溢れる。


 セリニアンは静かに剣を突いて服従の姿勢を取り、ライサとローランは跪いて服従の証とした。誰もが私の意見に賛同している。それはとても恐ろしくもあり、またととても嬉しいことであった。


「我らアラクネアに勝利を。ただ望むな。努力せよ。そうすればそれは得られる」


 私はそう告げて演説を終わらせた。


「どうだった、セリニアン。私の演説もどきは?」

「とてもいい言葉でした。私たちは勝利に邁進します。女王陛下の言われるとおりに」


 私がセリニアンに尋ねるのにセリニアンはにこりと笑ってそう返す。


「で、問題はこのシュトラウト公国をどうするか、だ」


 シュトラウト公国は粛清と戦争の影響で人口が激減してしまった。ここから立て直すには相当な努力が必要だろう。


「どうにかなりますよ。我々は今までいくつもの困難を乗り越えてきた。今回も同じように苦難を乗り越え、再び世界に誇る貿易国家として繁栄していくでしょう。いや、そうしなければならない」


 私のつぶやきにローランがそう告げて返す。


「それに戦後復興も大事ですが、まだシュトラウト公国にとっての戦争は終わっていない。フランツ教皇国という裏切り者が残っている。奴らを始末しなければ、真の平和は訪れないし、真の復興もなしえない」


 シュトラウト公国を見捨てたフランツ教皇国。このことは後悔させてやろう。


 私はそう決意して公爵官邸の窓からその光景を眺めた。


 既に戦闘は終結してるが魔術師が放った魔術攻撃の影響で市街地からは煙が立ち上っている。あれを消火して、市街地を再建するにはどれだけの日数がかかるだろうか。そう思うと眩暈がしてくる。


 だが、こちらにはワーカースワームという縁の下の力持ちたちがいる。この首都ドリスが再び機能するために手腕を振るってくれるだろう。


 そう思うと私は心が安堵するのを感じた。


 破壊だけではなく、再生も行えるのだと知ると安堵する。


…………………

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