海という怪物(2)
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シュトラウト公国首都ドリス。ポワティエ大橋に面する城門。
その夜明け前の時間帯は非常に静かだった。
鳥の鳴く声もせず、波が岸壁に当たって生じる水音だけが心地よく流れていた。
「敵は来るんだろうか?」
「間違いなく来るだろう。ここは首都だぞ。敵がここだけは見逃してくれるとは思えない。間違いなくここも攻撃してくるはずだ。それを阻止するのが俺たちの役目ってわけだ。責任重大だぞ」
兵士たちは厳戒態勢で警備についていた。敵のスワームがいつ押し寄せてきても分かるように城壁では篝火が焚かれて、城壁の周囲を照らし出されていた。だが、夜明け前ということもあって、分かるのはポワティエ大橋の中ごろまでだ。その先の光景は闇に閉ざされている。
すると、不意にカチカチという異様な金属音が響いてきた。
「なんだ?」
「確認する」
その音に下士官が望遠鏡を覗き込んで、ポワティエ大橋を見る。
そこには蟲がいた。蟲の大軍がいた。ポワティエ大橋を埋め尽くさん勢いで虫がおり、それがカチカチと音を立てながら城門に向かって突撃してきたのだ。
「敵だ! 敵が来たぞ! 迎撃準備!」
城門前で兵士が叫ぶ声がする。
城門からポワティエ大橋を見れば、橋を覆い尽くさんばかりのリッパースワームの大軍が、城門に向けて津波のように押し寄せてきていた。見るものが見れば発狂してしまいそうな光景である。
「バリスタ、撃ち方始め!」
「クロスボウも叩き込め!」
兵士たちは迫りくるリッパースワームに向けて弓矢を放つ。威力が強力なバリスタやクロスボウの出番だ。ここは貫通力で劣る弓の出番ではない。機械弓の威力で確実にリッパースワームを貫いていくのである。
「魔術師も攻撃を開始しろ! 火の海にしてやれ!」
続いて出番が回ってきたのが魔術師たちだ。
彼らは無詠唱で放つことができる簡易魔術と詠唱が必要な高等魔術の両方を使い、ポワティエ大橋に火球の雨を降らせる。
簡易魔術で放たれた炎が命中して炎上すればそれで終わりだが、高等魔術で放たれた炎は異なる。炎は粘着質な可燃性物質をばら撒いたかのように対象にまとわりつき、いつまでも燃え上がる。
そして、炎を受けたリッパースワームたちは炎上し、1体、また1体が倒れていく。その屍を乗り越えて、後続のリッパースワームたちが押し寄せ、炎に突っ込んでは炎上を続ける。リッパースワームは炎など恐れぬがごとく前進し、魔術師たちを焦らせる。
「攻撃の手を緩めるな! 敵は数に任せて突破するつもりだぞ! なんとしてもここで食い止めて──」
シュトラウト公国軍の指揮官がそう叫んだ時だ。
城壁内で爆発が起きた。
城門内に第二陣地として用意された即席の柵が爆発によって消し飛び、そこ付近にいた兵士たちが地面に倒れている。謎の爆発によって八つ裂きにされた兵士たちが、まだ息のあるものは助けを求めながら地面をのたうっている。
「な、何事だ!?」
「分かりません! 現在、状況把握中!」
シュトラウト公国軍の指揮官がうろたえるのに下士官がそう叫んで返す。
だが、原因はすぐに分かった。
柵の傍に不審な民間人が駆け寄ってくると、それが突如として吹き飛んだのだ。爆発に巻き込まれた兵士たちが何メートルも吹き飛び、衝撃で内臓が破裂し、口から血を漏らし始める。
「まさか、都市内に破壊工作員だと!」
「どうするのですか指揮官殿!?」
あり得るはずがない。あれだけの爆発を起こすのは高等魔術でもなければ不可能だ。それを無詠唱で行い、かつそんなことができる人材を使い捨てにしているなどありえるはずがないのだ。
「城壁内にもクロスボウを向けろ! 敵の破壊工作員に警戒!」
総指揮官が叫んでいる間にも不審な男女が次々に近づいてくる。
そして、それにクロスボウを放とうとした瞬間、ぱかりと男女の顔面が割れてそこから牙が突き出し、背中からは昆虫の脚が現れ、その両脚は毒針を備えた尾になる。そんな怪物が凄まじい速度で城壁に突撃してきた。数は5体。
「な、なんだ、あれは!? あの男たちは蟲だったのか!? 人間の振りをした化け物がいたのか!?」
指揮官が大混乱に陥り、兵士たちも混乱し、クロスボウから弓矢が放たれるも命中しない。そのまま蟲たちは第2防衛線の柵を潜り抜け、城壁の傍で自爆を始める。
城壁が揺さぶられては指揮官たちが振り落とされそうになり、頑丈な首都ドリスを守る内側の金属製の城壁が歪み、思わず外れそうになる。
「内側の城壁が!」
「安心しろ! まだ外にも城壁はある!」
内側の城壁が音を立て崩れ落ち始めるのに、指揮官が叫ぶ。
首都ドリスの城門は非常時に備えて二重構造になっている。ひとつは木でできた城門でこれは外に設置されている。そして、その内側には金属製の更には頑丈な城門が位置しているのだ。
だが、その内側の城門は今や完全に崩壊してしまった。
残りは木の城門のみ。それでリッパースワームの大軍を押しとどめられるか?
「引き続き城壁内に警戒しつつ、ポワティエ大橋の敵を攻撃しろ! 敵の勢いは増しているぞ! ここで我々が城壁を守り抜けなければ首都ドリスはお終いだ! そうすれば貴様らの家族も死ぬことになるぞ!」
指揮官が指示を出し、兵士たちがそれに従おうとしたときだった。
「指揮官殿」
「なんだ。早く配置につけ──」
見慣れぬ兵士が話しかけてくるのを指揮官があしらおうとし──。
その兵士が爆発した。
兵士から1メートルも離れていなかった指揮官は肉片すら残らず蒸発し、近くにいた兵士たちが爆発に巻き込まれて悲鳴を上げる。
「クソ! 兵士に変装して潜り込んでいるのか!? おい、見慣れない兵士がいたら通報しろ! そいつは敵かもしれないぞ!」
下士官がそう叫ぶ間にもリッパースワームの攻撃は続く。
だが、リッパースワームの突撃は、城壁での度重なる混乱を受けても阻止されている。ここに全兵力を結集させているのだから当然だ。過剰戦力とでもいうべき戦力が、レオポルドの命令で城壁に配置されていた。
「シュトラウト公国のために! 戦え! 化け物を食い止めろ!」
「おおっ!」
下士官が指揮官に代わって指揮を執り、兵士たちを鼓舞する。
リッパースワームの勢いは弱まり──いや、止まり始めていた。炎で黒焦げになったリッパースワームの死体を押し分けてでも進もうとしていたリッパースワームたちが、今ではクロスボウから弓矢が飛んでくるだけで回避行動をとるようになり、じりじりと後ろへと後退を始めたのだ。
「ははっ! 化け物どもが逃げていくぞ! ざまあみろ!」
「俺たちの勝利だ!」
城門の兵士たちはリッパースワームたちが後退していくのにそう叫ぶ。
「勝ったのか……?」
これまでいくつもの都市を蹂躙してきたリッパースワームたち。それが初めて撃退された。そのことを下士官は信じられずに、後退を続けるリッパースワームたちを見続ける。これで勝利したのであろうか?
いや、勝利したのだ。敵は逃げ去った。城門はかなりの損害を受けたが、最終的には落ちなかった。完全に守り抜かれたのだ。
「勝利だ! 勝利だ!」
「やったぞ! 俺たちの勝利だ!」
兵士たちは勝利を祝う。兜を脱ぎ捨て、クロスボウを掲げ、高らかと勝利を祝う。ついに傍若無人な侵略者の侵略を阻止できたことをどこまでも楽しそうに、嬉しそうに祝い続ける。
だが、その祝福ムードが続いたのも5分足らずのことだった。
「指揮官はいるか! 指揮官はどこにいる!?」
城壁の上にシルエット元帥が現れてそう叫び始めていた。
「指揮官殿は敵の攻撃を受けて戦死なさいました。今は自分が指揮を」
「そうか。ならば、ただちにここから移動して市街地に向かえ! 大至急だ!」
下士官が告げるのに、シルエット元帥がそう告げる。
「それは一体どういうことです? 暴動ですか?」
「暴動ですか、だと? 貴様は何も把握していないのか。まあ、無理もない。ここで激戦を繰り広げていたのだからな。だが、これは陽動だ。敵の本命の攻撃ではない。だから、撃退できたのだ」
下士官が目を見開いて尋ねるのに、シルエット元帥が溜息を吐く。
「敵は海から上陸してきた。現在市街地を制圧しつつある。こちらにも向かってきているぞ。ただちに準備を整えて、敵に向かえ。敵は我々が考えている以上の存在だ。もはや、何が起きてもおかしくはない」
「海から? そんな馬鹿な。敵は海を渡れないはずでは……」
シルエット元帥がそう告げ下士官がそう告げたとき、遠くで悲鳴が上がるのが聞こえてきた。
「さあ、戦いは始まっているぞ。ここには最小限の戦力を残して移動しろ」
「りょ、了解!」
悲鳴が次第に大きくなるのに、下士官は慌てて部下たちを纏めると、近接戦闘用の武器を装備させて城壁を下り、隊列を組んで首都ドリスの市街地に向かった。
「だから、私は言ったんだ。予備部隊を残しておくべきだとな……」
シルエット元帥はそう呟き、黒煙が立ち上り始めた市街地を見る。
市街地では上陸したスワームたちによる蹂躙が始まっていた。
ようやく勝てると思った戦いは一転して、敗北へと落ち始めたのであった。
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