海という怪物
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──海という怪物
聖騎士ローラン・ド・ロレーヌが率いていた2万5000名の騎兵の壊滅。
それはレオポルドに衝撃をもたらした。
レオポルドは騎兵は戦果を上げるだろうと思っていたのだ。彼は信じていたのだ。たとえ使い捨てでも敵の進撃を押さえることぐらいはできるだろうと。フランツ教皇国の軍が到着するまでの時間は稼げるだろうと。
だが、時間は稼げなかった。
斥候の報告によれば、怪物の大軍はドリスに向けて突き進んでいる。
「ロレーヌ公! どうなさるのですか!?」
「現状の守備戦力で守り切れるのですか!?」
頭が痛い。酒のせいではないだろう。ストレスのせいだ。
「うるさい! 将軍たちに私は全てを任せる!」
レオポルドはそう言い放って机をどんと鳴らした。
「それはあまりにも無責任です!」
「将軍たちはフランツ教皇国の軍が到着しなければ勝ち目はないと……」
生き残った議員たちは口々にレオポルドにそう意見する。
「黙れ! 出ていけ! さもなければ全員首を吊るすぞ!」
レオポルドはそう叫び、議員たちを公爵官邸から追い出した。
「クソ、クソ、クソ。何故上手くいかない。何故俺がやることは失敗するんだ!」
レオポルドは世界を呪いながらそう叫ぶ。
昔からだった。昔からレオポルドは失敗続きであった。
家業を継ぐも失敗し、弟のローランに頼る羽目になった。経営はローランが関わった途端に上向きになり、誰もが家業の主はローランだと思っている。実際はレオポルドの受け継いだ事業だというのに。
結婚生活も上手くいかなかった。彼は妻を娶るも、すぐに他の女性に手を出し、それが原因で相手の家を激怒させてしまった。幸い金の力で黙らせたものの、妻とは離婚となり、愛人とも次第に上手くいかなくなった。
そして、今度はこれだ。
なんとか憎きシャロン公を弾劾して追い出し、その首を吊るしてやった。だが、その途端に西からは怪物が押し寄せ始めて都市を蹂躙していき、瞬く間に首都ドリスに迫りつつある。
頼りの綱だったフランツ教皇国は事実上シュトラウト公国を見捨てている。彼らの軍はまた一兵たりとも国境を越えておらず、遠征に向かう準備の途中だという回答が返ってくるだけであった。
何もかも上手くいかない。何をしても失敗する。
「畜生! 畜生! 何故だ! 何故俺のやることは上手くいかない! 俺には才能があるはずだ! 経営者としても、政治家としても、貴族としても! なのに、どうして世界は俺を破滅させようとする!」
レオポルドは自分の過ちを認めない。自分は常に正しく、間違っているのは周囲だと思い込んでいた。
家業が失敗しかけた時も、それは弟のローランが家業を奪おうとしたからだと思った。結婚が失敗に終わった時には妻が偏屈なのが悪いと思った。
そして、今度の失敗は様々なものに責任を擦り付けた。
シュトラウト公国軍の将軍たちが無能だからだ。兵士たちが訓練をまともにやっておらず弱兵だからだ。諸侯たちの戦略が間違っていたからだ。フランツ教皇国が援軍を寄越さなかいからだ。
いくら責任転嫁しても、シュトラウト公国が風前の灯火なのは変わりがない。
敵は首都ドリスに迫っている。レオポルドは将軍たちに命じて、生き残っているシュトラウト公国軍を全軍首都ドリスに集結させたが、それ以上の命令は出せなかった。何と命令していいのか分からないのだ。
「ロレーヌ公閣下」
レオポルドがブランデーを呷っているとき、声が掛けられた。
「どうした、セバスティアン・ド・シルエット元帥。ようやくフランツ教皇国の援軍が到着したか?」
「いいえ、閣下。フランツ教皇国の援軍はまだ到着しておりません」
「クソ。フランツ教皇国の屑どもめ」
やってきたのはシルエット元帥という軍人だった。
彼は長年シュトラウト公国軍に奉仕しており、歴戦の勇士であった。レオポルドは首都ドリスの防衛計画をシルエット元帥に丸投げしており、この首都ドリスを守る首都防衛軍の指揮官であった。
「閣下。フランツ教皇国はどれほどで援軍に向かえるといっているのですか?」
「不明だ。奴らはペテン師だ。奴らを信じたのに裏切られた」
シルエット元帥が尋ねるのに、レオポルドは投げやりにそう返す。
「ならば、籠城しなければなりますまい。幸いにしてここは沿岸都市。補給は船で行えます。いくらでも籠城することは可能でしょう」
「だが、敵の怪物は瞬く間に都市を陥落させるのだぞ。そのような怪物の軍勢を相手に本当にドリスは持つと思うのか?」
シルエット元帥の言葉に、レオポルドが不快そうにそう告げて返した。
「可能です。よく思い出してください。この首都ドリスの地形を」
「ドリスの地形……?」
ドリスは沿岸都市だ。広大な港と造船所があり、経済の中心地だった。
「このドリスは事実上の島です。大陸との繋がりはポワティエ大橋だけ。ポワティエ大橋を落とせば、怪物たちは首都ドリスには到達できません」
「確かに、確かにそうだ! いくら怪物が無数にいても、奴らは海や川を渡れない。渡れるならば今頃はニルナール帝国に攻め込んでいるはずだ。そうではないということはドリスを守り抜けるぞ!」
首都ドリスは沿岸から僅かに離れた場所に浮かぶ島である。そこから大陸を繋ぐのはポワティエ大橋という大きな橋で、平時は行商人や貿易商たちが馬車で行き来している。戦時となった今は封鎖され、無人だ。
「だが、ポワティエ大橋を落とすのは難しいだろう。いくら魔術師たちがいても、ポワティエ大橋を完全に破壊してしまうことは不可能なはずだ」
「確かに完全に破壊するのには時間がかかります。ですが、これで敵の進撃ルートは限られるということは間違いありません。敵は間違いなくポワティエ大橋を通過して、首都ドリスに迫る」
ポワティエ大橋は非常に頑丈な構造物だ。それを破壊しようというには爆薬もなにも存在せず、魔術師の攻撃魔術に頼るしかないレオポルドたちには難しい話である。
だが、敵はポワティエ大橋を通る。間違いなく。それしか敵が首都ドリスに攻め入る手段はないのだから。
「ポワティエ大橋に戦力を結集させ、バリスタを浴びせ、魔術攻撃を浴びせ、城門は固く閉ざし、迫りくる怪物たちを迎撃しましょう。そうすれば籠城は成功するはずです。ポワティエ大橋がいかに巨大でも展開できる戦力は限られるのですから」
ポワティエ大橋は巨大な橋だが、横幅はリッパースワームが5体も並べば封鎖されてしまうほどの広さだ。
シルエット元帥はこれをチャンスと見做し、敵が少数の戦力しか送り込めないのをいいことに城壁が突破される前にポワティエ大橋に火力を浴びせかけ、押し寄せるスワームを迎撃しようと考えていた。
「なるほど、なるほど。確かにいいアイディアだ! ただちに全軍をポワティエ大橋に集結させろ! そうしてあらんかぎりの攻撃を浴びせかけてやれ! 全てのバリスタもポワティエ大橋の城門に集結させるのだ!」
レオポルドは勝利の気配を感じ取って威勢よく叫ぶ。
「お待ちを。万が一の場合があります。全軍をポワティエ大橋に集結させるのは危険かと。一部は予備として都市内部に留めておくべきです」
「元帥。他にどのような侵入経路があるというのだ? 怪物たちが水面を歩いてくるというのか? それとも船を操って迫ってくるとでもいうのか? どちらもあり得ない。あり得るのはポワティエ大橋からの侵入だけだ」
レオポルドはシルエット元帥の言葉には耳を貸さなかった。
「さあ。ただちに行動に移れ、元帥。後で視察に向かうからな。ちゃんと全軍がポワティエ大橋に集結しているかどうかを確認するために」
「畏まりました、閣下……」
レオポルドは既にこの作戦を立てたのは自分だと思い込み始めている。自分こそが首都ドリスを救うことができる救世主であると。シルエット元帥は弱腰で、自分の作品を台無しにしようとしていると見做していた。
「ああ。ああ。やっと勝てるぞ。ついに勝てるんだ。俺は成功した!」
シルエット元帥が去った公爵官邸でレオポルドはそう叫び、勝利を祝うために高級なブランデーの瓶を開けて、グラスになみなみと注いだのだった。
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「ふむ。あれが首都ドリスか」
遠くから首都ドリスを眺めるのは私だ。
私は事前の偵察活動で首都ドリスが海に浮かんだ要塞だと聞いていたが、確かにこれを落とすのは非常に手間がかかりそうだ。真正面から橋を渡って突撃すれば、熱烈な歓迎を受けて、軍は酷い打撃を被り、攻撃も失敗するだろう。
かといって回り道できそうな通路はない。首都ドリスは橋で大陸と繋がれているだけで、周囲は完全に海に覆われている。
「どうしたものだろうね、セリニアン」
「私にも分かりません……」
私がセリニアンに尋ねるのにセリニアンががっくりしてそう返す。
「せめて船が使えればな。船が使えれば、海路で侵攻できる。だけれど、スワームたちは船を操縦できない。私にだって無理だ。やはりあの橋を強行突破するしか他に方法はないのだろうか?」
船を使うことはスワームたちにはできない。川も海も渡れない。だが、ゲームではそれでも問題ないように設定されていた。だが、今回はそういうわけにもいきそうになかった。現実とはかくも残酷か。
「船が使えればいいのですか」
そこで私に話しかけてくる人物がひとり。若い男の声だ。
「そうだよ、ローラン。船があれば犠牲も少なく、あの島を制圧できる。まあ、夢のまた夢だけれどもね」
私に話しかけてきたのはローランだ。
ただし、スワームになったローランだ。
ナイトスワーム“ローラン”。それが彼の新しい名前。
ライサの時と同じように背中からは昆虫の脚が飛び出し、毒針を潜めた尾部が流れるように垂れている。ライサと違うのは、彼の場合脇からも腕が生えているという点だ。それも爪が大きく、人間の手のように動かせる脚が。
「それでしたら、船を雇うというのはどうですか?」
「生憎、これまでの都市で港湾都市というのは三流貴族の軍勢に虐殺されて、生き残りはいなかったよ。私たちが船を雇うのは不可能だ」
ローランが提案するのに、私は首を横に振る。
「では、自分が操船しましょう」
「なんだって? 君は船が扱えるのか?」
ローランがさりげなく告げた言葉に私は目を見開いた。
「一応は。兄さんの家業を手伝っていたときに船に乗る機会があって、操船技術を学ばせてもらった。一通りのことはできますよ。ただし、海が荒れていないときに限られますけれどね」
なんとまあ。騎士としても優秀で、まともな精神を持っていて、船まで操船できるとはローランは多芸だな。これは私も見習わなくてはならない。
「ローラン。実際に船を動かしてみて、それから操船方法を集合意識に吸収させて、全スワームが君と同じことができるようにしてほしい」
「畏まりました、女王陛下。港湾都市で無事な艦船を集めて、アラクネアの軍団がドリスに攻め入れるようにします」
私が命じるのに、ローランは馬に跨って港湾都市へと向かっていった。
「女王陛下。あのものは信用できるのですか?」
ローランが去ると、セリニアンが訝しむような表情を浮かべて尋ねてきた。
「信用できるよ。彼は全てに裏切られた。その憎しみは集合意識を通じて分かっている。私には彼の憎悪が伝わってくる。彼は恨みを晴らすつもりだ。兄であるレオポルドを殺すことによって。フランツ教皇国を滅ぼすことによって」
「確かにあのものの恨みは伝わってきますが……」
集合意識を通じて感じるローランの感情は恨み、憎悪、怒り。そういった負の感情が集合意識を通じて私に伝わっていた。
彼は自分と自分の祖国を裏切ったレオポルドとフランツ教皇国を憎んでいる。ならば、信用できるだろう。私たちの敵もレオポルドとフランツ教皇国なのだから。
「セリニアン。私たちはひとつの巨大な意識を共有する兄弟たちだ。嘘は吐けない。だから、私はローランを信じるよ。セリニアンを信じるようにね」
私はセリニアンに向けてそう告げた。
「私を信じるように、ですか。私とあのローランのどちらをより信じられますか?」
「それはセリニアンさ。君はずっと私の傍で私を守ってくれてきていた。私の自慢の騎士だ。誰よりも信頼しているよ、セリニアン」
セリニアンのジェラシーが滲む問いに私は小さく笑ってそう返す。
「そのお言葉非常にありがたいです……」
「セリニアンはすぐに泣いちゃうな。それじゃ騎士として恥ずかしいぞ」
セリニアンは私の言葉にまたぐずぐずと泣き始める。
私にとってスワームはどの子も可愛いものだ。これまで主力だったリッパースワームも、様々なものを作ってくれるワーカースワームも、地中で寝るのが好きなディッカースワームも、変装の達人であるマスカレードスワームも、エルフであることをやめたライサも。
そして、セリニアンも大好きだ。
彼女は私の大切な騎士。決して失いたくない騎士。
「それじゃ作戦を立てようか。船で攻め込むだけでは芸がない」
私はそう告げて、首都ドリスを見渡すと作戦を脳内で組み立てていった。
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