葛藤(2)
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「敵は戦力を小出しにしているな」
私は敵と戦いながらそう呟いた。
斥候に出したリッパースワームはいい具合に敵を引き付けてくれた。
自分たちに都合のいい地形に敵を誘い込み、一挙に殲滅する。それが行えたのは斥候のリッパースワームのおかげだ。敵の軍隊は罠に血気盛んに飛び込み、真っ赤な血を流して地面に横たわっている。
だが、おかしなことに先に10万送り込まれた兵の次は15万の兵。本来ならばふたつの戦力を合流させて25万の戦力としてぶつけるべきだっただろう。戦力の集中は戦いの本質だ。戦力の逐次投入など打ち破ってくださいと捧げられた生贄のようなものだ。
「敵の政治決定に問題が生じているのでは?」
「そうかもしれない。クーデターが起きた後だから」
シュトラウト公国ではセザールからレオポルドへのクーデターが起きたばかりだ。それもレオポルドの三流貴族は反対勢力をこの戦時に粛清している。これでは纏まるものも纏まらないというものだ。
「フランツ教皇国の軍を待っているのではないですか?」
そう告げるのはリッパースワームの1体だ。
彼らの意見は私たちの意識を融合したものなだけあって、適切であることが多い。この間の15万の諸侯軍を殲滅した際にも、リッパースワームたちは集合意識で動き、集合意識に従って勝利を手にしている。
「確かにフランツ教皇国に通行許可を与えたならば、フランツ教皇国の軍隊が来るまでの時間稼ぎとして戦力の逐次投入ということもあり得る。時間稼ぎに使われる諸侯は潜在的なライバルというところか?」
シュトラウト公国の公爵は選挙で選ばれることになっている。三流貴族もといレオポルドにとってしてみれば、力を持った有力な貴族は自身の再選のための邪魔になる勢力というわけだ。だから、戦いで死んでもらおうと。
思えば思うほど苛立つ男だ。
「売国奴そのものですね。自国の戦力をすり減らして、他国の庇護下に入ろうなどとは。軍事力を握られてしまえば、その国の言いなりになるより他ないというのに」
「全くだ、セリニアン。私はこのレオポルドという男が大嫌いだ。殺してやりたいほどに憎んでいる。だから、殺す」
セリニアンが憤りを露わにするのに、私がそう告げる。
「このまま東に向かい続け、敵を殲滅する。敵の都市もだ。残っている敵の都市はマリーンの街を滅ぼした貴族の領地だ。遠慮せずに殲滅しろ。住民は全て肉団子にしてしまい、金は建物をアンロックするのに使用しろ」
私たちはもうすぐでシュトラウト公国の中ほどに行きつく。
貿易国家らしく整備された街道が私たちの進撃を後押ししている。私たちは前線付近に前進基地を設置しながら、前進を続けている。
私たちがやるべきことは簡単。
リッパースワームの津波で全てを押し流し、人は肉団子へ、金は建物のアンロックのための素材へと変えていくだけだ。
私たちは進む。鼓笛隊のリズムもなく、群れを成して進む。
ああ。城壁が見えるぞ。マスカレードスワームに城門を爆破させよう。
マスカレードスワームは擬態の他に“自爆”という特殊能力を持っている。その自爆を使えば、城門に穴を開けることも不可能ではない。私たちは各都市に潜伏させたマスカレードスワームを自爆させ、城壁をこじ開ける。
「神様、神様! どうかお助けを!」
城門が爆破されたことに城壁の兵士が叫び声を上げる。
神に祈ったところでどうにかなるものか。神なんてどこを探したっていはしない。いくら祈ったって意味などありはしない。我らが敵の全ては血の力を前に蹂躙されるだけの運命なのだ。
崩れた城門からリッパースワームの大軍が押し寄せる。彼らは城壁によじ登り、バリスタで彼らを狙おうとしていた兵士たちを屠る。魔術師たちを屠ることも忘れない。暴発した魔術が飛んできて、私の眼前で炸裂したのを見てセリニアンが大混乱に陥ったことはちゃんと明記しておく。
「女王陛下、ご命令を」
「いつも通りだ。踏んで、壊せ」
蹂躙。
街の市街地中にスワームは広がり、兵士も民間人を分け隔てなく皆殺しにする。
……これでいいのか?
──決して人の心を忘れないでください。
あの少女の声が脳内にこだまする。
私は人としての心を失っただろうか。人としてやるべきではないことをしているのだろうか。私の心は怪物になってしまったのだろうか。
「女王陛下、お悩みですか?」
「少しな、セリニアン」
集合意識を通じて私の不安が伝わったのかセリニアンが私に話しかけてくる。
「私はまだ人だと思うか、セリニアン?」
私はセリニアンにそう尋ねた。
「女王陛下は人です。誰が何と言おうとも人です。ですが、同時に我々アラクネアの女王でもあります。女王陛下は我々を導いてくださる存在。ただの人ではありません」
「そうか」
私はまだ人。だが、私は言わなかったか? 私は化け物の心を持った化け物だと。
……まあ、深く考えてもどうしようもないだろう。
私たちは戦争という非日常的行為に手を染めているのだ。戦争とは核爆弾を落として、何十万という人間を殺したものが戦争を終わらせた英雄としてもてはやされる世界だ。そんな世界にいる私に多少の狂気が混じっていてもおかしくはない。
私は戦争を終わらせるために、そして報復のために街を蹂躙する。
殺人。肉団子。略奪。
全ては戦争を終わらせるためだ。このシュトラウト公国を巡る戦いを終わらせて、アラクネアの安息を手に入れるためのものだ。私は無意味な殺戮には手を染めないし、手を染めさせない。
それにきっと私が人の心を失ったとしても、アラクネアのスワームたちは受け入れてくれるだろう。居場所があるのは幸せだ。
ただ、もうこれで私が本来いるべき場所である平和な日本からは遠ざかったように思える。永遠にあそこには帰れないように思える。両親や友人たちと会うこともないように思える。
それが少し寂しかった。
…………………
…………………
「兄さん!」
シュトラウト公国首都ドリス。
そこにある公爵官邸で声を荒らげるのはローランだ。
「兄さんはどこだ!?」
「ロレーヌ公は二階でお休みになっていますが……」
ローランが手近にいた使用人を捕まえて問い詰めるのに、使用人がそう告げて返す。
「この非常時にお休みとはね……」
ローランはため息を吐くと、兄を探して二階に上っていた。二階は公爵の寝室と執務室があるはずだが、休んでいるとすれば寝室だろう。
「兄さん!」
ローランは声を張り上げて、寝室の扉を開いた。
「何の用だ、ローラン?」
レオポルドは確かにお休み中だった。多数の娼婦に囲まれ、酒を飲みながら、男たちと談笑していた。戦時下にあるべきシュトラウト公爵の姿ではない。このような姿が民衆にしれれば反乱が起きるだろう。
「何の用か、だって? 兄さんは自分の治める国がどうなっているのか理解しているのかい? 西からは怪物たちが押し寄せてきて、諸侯軍は壊滅。こんな状況でよく酒が飲めたものだね!」
そう告げるとローランは酒瓶を掴み窓の外に放り投げた。
「何をカリカリしている、ローラン。諸侯軍には多少力を削いでんもらった方がいいといっただろう。諸侯軍が壊滅しても、我々の勝利は揺るがない。我々にはフランツ教皇国軍という力強い味方がいるのだからな」
そう告げてレオポルドは新しい酒瓶を開けると、男のひとりに酒を注いでやった。
この男たちこそフランツ教皇国から派遣された軍の指揮官たちだ。フランツ教皇国の軍は国境に待機しており、命令があればいつでも国境を越える準備ができていた。
まだ彼らが国境を越えていないのは、レオポルドが諸侯たちの力を削ぐためにアラクネアに諸侯軍を始末させているからに他ならない。
「なら、ただちにフランツ教皇国の軍を投入してくれ、兄さん。もう前線は崩壊しかかっているし、都市は次々に陥落している。それとも兄さんは廃墟の王としてこの国に君臨するつもりなのかい?」
「何を言う! 私は出来る限りのことはしてきた! 都市には兵力を配置したし、敵に渡るだろう都市には焦土作戦を仕掛けた! これで敵の侵攻は大きく鈍ったはずだ! 誰も私を非難することはできんぞ!」
ローランが告げるのに、レオポルドがいきり立つ。
「それが全て無駄だったってことだよ。敵の戦力は既にシュトラウト公国の中ごろに差し掛かっている。今頃は前線を突破して、更に進んでいるかもしれない。そもそも人間を食らう化け物を相手に焦土作戦なんて通じると思ったのかい?」
焦土作戦はアラクネアの女王グレビレアを2、3日意識不明にしただけで、さしたる効果を上げていない。スワームたちは焦土の中を進み続け、その進軍速度はまるで鈍っていない。そして、彼らは焦土作戦の過程で殺された人間たちの肉を肉団子にして仲間を増やしている。
「焦土作戦は効果がないといいたいのか?」
「少なくとも今までの結果としては効果がなかったね」
レオポルドが睨むのに、ローランが告げる。
「……ならば、フランツ教皇国の軍のお力を借りるより他あるまい。国境を越えることを現時点を以て許可します。前進してください」
レオポルドは渋々という具合にフランツ教皇国の指揮官たちに告げる。
「全軍が国境を越えるには最短で14日かかりますが、よろしいでしょうか?」
「なっ……! 何故そんなに時間がかかるのですか? すぐにでも我が国に救援に来ていただかなくては!」
フランツ教皇国の指揮官の言葉に、レオポルドが慌てる。
「何せ、ずっと国境で待機していましたからな。野営地を畳むのにも、進軍のための補給を得るのにも時間がかかるというものです。こればかりは仕方のないものだとお考え下さい」
フランツ教皇国の指揮官が言っていることは一部は事実だ。彼らは長い野営によって疲弊し、軍を進軍のために再編成するのに時間がかかる。野営地を畳み、物資の補給を得るのには7日間はかかる。
だが、全てが事実ではない。彼らはシュトラウト公国が壊滅するのを待っているのだ。壊滅したシュトラウト公国をフランツ教皇国に組み込んでしまうために。
「だから言ったんだ。外国の軍をそこまで信用するべきでないと」
ローランはため息交じりにそう告げた。
「ああ。そうでした。ローラン卿には聖騎士の称号が与えられるとのことです。これまでの戦いでの恐れを知らぬ戦いぶりと、民衆を守った功績から、教皇猊下より聖騎士の称号が与えられます。どうかこれからも聖騎士の名に相応しい戦いを」
「あなた方のための時間稼ぎのために聖騎士になれというわけか……」
フランツ教皇国としては完全にシュトラウト公国が陥落しても面倒だ。ある程度の余力は残しておいてんもらいたい。そのためにローランを聖騎士に任じ、士気を高めてもらおうというわけだ。自分たちのために。
「いいでしょう。聖騎士の称号をお受けしましょう」
「それはよかった。では、これを。本来なら教皇猊下から直接授けられるものですが、時期が時期ですので私の手から」
そう告げてフランツ教皇国の指揮官は聖アグニヤ騎士団の騎士団勲章を、ローランの胸に止めて授けた。
「私には何もないのか?」
「この戦いに勝利すれば、シュトラウト公爵にも叙勲があるでしょう」
不満そうにレオポルドが尋ねるのに、フランツ教皇国の指揮官が告げる。
「それまで生きていれば、だけれどね。奴らは凄まじい速度でこのドリスを目指している。フランツ教皇国の指揮官方も戦う気がないならさっさと退散するべきだ。連中に八つ裂きにされたくはないでしょう?」
ローランがそう告げるのに、フランツ教皇国の指揮官は一瞬むっとしたが、ここが前線に近いと聞かされて、退散することを選んだ。
「兄さん。虎の子の騎兵を全て投入するよ。異論はないね?」
「好きにしろ」
ローランが尋ねるのに、レオポルドはそう告げて酒瓶を傾けた。
「我々に勝利がありますことを」
ローランは最後にそう祈り、軍の指揮へと戻っていった。
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