夢うつつ
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──夢うつつ
敵とはまるで遭遇しなかった。
敵は都市を焼き払い、それで逃げ去っていった。
都市を焼けば私たちの進撃が止まるとでも思ったのだろうか。
「敵も自棄になっているな」
私はまたひとつ焼き払われた都市に入った。住民たちが虐殺されているところからして、諸侯軍の略奪に抵抗したか、レオポルドに反対する貴族の領民だったのか。いずれにせよ酷いものだ。
まあ、マルーク王国で同じことをした私たちが言える立場にはないけれど。
「今日はここで休憩だ、セリニアン」
「はい、陛下」
私たちは一日中進撃し続けたが、諸侯軍は戦いを避け続けている。シュトラウト公国軍の動きはまるで見られない。シュトラウト公国軍は諸侯軍よりも装備も練度もいいはずだが、彼らも戦いを避け続けているようだ。
敵が捕まらないならしょうがない。今日は休憩だ。
「今日は鍋にしようかな。いろいろと具材は手に入ってるんだ」
だしを取るための昆布。キノコや野菜や干し肉、と言った具材も手に入れている。今日は鍋パーティーと行きたいところだ。セリニアンやライサも喜ぶことだろう。頑張って作ろうじゃないか。
その前に少し喉が渇いたな。リッパースワームに水を汲んできてもらったし、それをちょっと飲むとしよう。喉がカラカラだ。
そう思った時だった──。
「うっ……」
胸に痛みが走り、喉が詰まる感覚に襲われる。げほげほと何度も咳き込んでも、状況はよくはならない。ただただ苦しさが広がるだけだ。胸から背中に、背中から腹部に痛みが広がっていき、私は地面に崩れ落ちる。
毒だ。そうか。焦土作戦で、井戸に毒を入れたな。やってくれるじゃないか……。
「女王陛下!」
セリニアンが私の異常に気付いて駆け寄ってきてくれた。
「女王陛下、大丈夫ですか! 何があったのですか!」
セリニアンが必死になって問いかけるのに私は床に転がるカップを指さす。
「水に毒が……! クソ、人間どもめ!」
セリニアンは私の仕草を理解して、憤る。これでセリニアンやライサたちが同じような被害に遭うことはなさそうだ。よかった。
よかった……。
「女王陛下! どうなさったのですか!」
「ライサ! 女王陛下が毒を受けた! 何か対策できる薬は持っていないか!」
続いてライサが駆けこんでくるのを感じる。セリニアンは必死だ。
「毒消しの薬草はありますが、それが効くかどうかは……」
「試してみてくれ! 女王陛下に逝かれてしまっては、私は、私は……」
泣いちゃダメじゃないか、セリニアン。君は騎士なんだから。
「女王陛下の口を開けさせてください。毒消しの薬はまず水に溶いてから……」
「ここに清浄な水がある。こっちを使ってくれ。井戸の水には毒が入れられている」
ライサとセリニアンが必死に私を回復させようとしている。だが、あまり意味はないかもしれない。痛みが全身に回って、もう喋ることもできない。この状態から助かることなんてあり得るのだろうか。
「できました! 女王陛下にこれを!」
「ああ。分かった!」
セリニアンが私にライサが水に溶いた毒消しの薬を飲ませる。
だが、ほとんど口から零れていってしまっている。
「クソ。しょうがない。女王陛下、申し訳ありません」
セリニアンがそう告げた後、私の唇に柔らかいものが接する感触がした。それがセリニアンの唇だと気づいたのは、私が完全に意識を失ってしまう寸前のことであった。
…………………
…………………
私は部屋にいた。
日本にある私の部屋だ。
炬燵があって、カレンダーが12月を指していて、冷蔵庫があって、私が毎日のように遊んだあのゲームがインストールされているデスクトップパソコンが部屋の主のように鎮座している。
「戻ってきた……?」
私は怪訝な気分で、自分の部屋を見渡した。
そして、冷蔵庫を開いてみる。ひんやりとした感触が冷たい。中には夕食にするはずだった豚肉にケチャップ炒めの材料とサラダが入っている。私が作ったものだ。
そうだ。あの私があの世界に落ちた日に作ったものじゃないか。
そうなると、パソコンの電源を付ければ……。
恐らくまたあの世界に戻れるはずだ。
戻れるはず、だって?
なんで戻ろうとするんだ。私は帰ってきたんだ。私のいるべき世界に。
そう、やっと戻ってこれた。
私は携帯電話を探す。どこかにおいてあるはずだ。
あった。ケーブルに繋がれて、充電中になっているスマートフォンがひとつ。私は大急ぎでそれを手に取って、アドレス帳から自分の両親の電話番号を押して、スマートフォンを耳に当てる。
「もしもし、母さん? ねえ、母さん?」
『はいはい。どうしたの?』
母さんだ。母さんの声がする。
「母さん。私、人間を大勢殺しちゃったよ」
『何を言っているの。ゲームの話でしょう。勉強もちゃんとするのよ』
信じてもらえるはずないか。
「母さん。元気でね。私は元気だから」
『まあ、親孝行ね。年末には帰ってくるんでしょう。楽しみにしてるからね』
私はそうとだけ告げて、スマートフォンを切った。
「ああ。帰ってきたんだ。やっと帰ってきたんだ」
だけれど、胸の中には寂しさがあった。
セリニアンはあれからどうなったんだろう。ライサはあれからどうなったんだろう。スワームたちはあれからどうなったんだろう。
シュトラウト公国を陥落させることはできたのだろうか。フランツ教皇国には勝てたんだろうか。ニルナール帝国とはどうなったんだろうか。
みんな元気にしてるだろうか。
そう考えると私は自然にパソコンの電源に手を伸ばしていた。
電子音が響き、パソコンが起動する。
無地の壁紙が貼られたデスクトップから、私はマウスであのゲームのアイコンをクリックする。ゲームが重苦しい音楽と共に起動し、起動前にバージョンアップを行う。こんな表示はあっただろうか?
バージョンアップは完了し、ゲームが起動する。
私は無造作にセーブしたゲームのロード画面に映り、最新のものをクリックする。それは聞いたこともないマップ名のセーブで、私が選んだ陣営はいつも通りアラクネアであった。どこか懐かしさを感じる。
私はそのゲームをロードすると、ゲームが開始された。
私の陣営は西にある国を占領し、次にその東にある国に攻め込んでいるところだった。リッパースワームの大軍勢が処理落ちしそうなほど存在しており、私が愛してやまない英雄ユニット、ブラッディナイトスワーム“セリニアン”も存在していた。このアーチャーエルフスワーム“ライサ”というのはバージョンアップで追加されたユニットか?
私は無作為にリッパースワームの集団を選択すると、前方に前進させる。
敵だ。
敵ユニットと遭遇した。
私は一旦リッパースワームの集団を後退させると、敵を引き付け、それから他のリッパースワームで一斉に取り囲んで袋叩きにした。
脱走する敵ユニットもいるが、そこまでの脅威ではない。私は完全に敵ユニットを包囲殲滅した。敵の死体は“捕食”の効果により、肉団子に変えられる。そして、肉臓庫に運ばれていって、次のスワームを生み出すための材料になるのだ。
よく見れば肉臓庫に貯蔵されている資源の数は相当数になっている。ここは新ユニットを作って投入するのもありかもしれない。
私がそんなことを考えながらマップを捜索していたとき、その私が作ろうとしていた集団が見つかった。なんだ、私はもうこのユニットを作っていたのか。自分のやることはいつもワンパターンだな。
まあ、そのユニットは遠いので今は手元にあるユニットだけで片づけるしかない。
リッパースワームを偵察に送る。よく見ればマスカレードスワームもいて都市の情報を送ってきてくれている。私はそれらの情報に基づいて、軍を動かす。
敵のユニットと施設は殲滅しないと勝利にはならない。
その条件に従い、私は敵の都市のユニットを労働者ユニットだろうと生かさず皆殺しにし、敵の防衛戦力を壊滅させる。敵の防衛戦力はリッパースワームの損害を考えなければ、容易なことだった。
私は屠り、屠り、屠り、前進していく。
そして、敵の主力戦力だろう騎兵戦力に出くわした。
騎兵の突撃効果は大きい。私は無理な前進はせず、ブラッディナイトスワーム“セリニアン”と遠距離火力を持ったアーチャーエルフスワーム“ライサ”を待機させつつ、敵の騎兵突撃を迎え撃つ姿勢を取った。
敵騎兵は私の思ったように突撃してきて。初級にユニットであるリッパースワームが紙切れのように屠られる。だが、その空いた穴をブラッディナイトスワーム“セリニアン”が埋める。彼女が剣を振るい、アーチャーエルフスワーム“ライサ”が援護射撃を与えて、セリニアンをバックアップする。
上手くいった。敵の騎兵は突撃の速度が弱まり、ただの馬に乗った歩兵と化し、それを周囲を取り囲むリッパースワームたちが屠っていく。リッパースワームは次々に犠牲になるが、敵もこの波状攻撃には耐えられない。
次の瞬間にはリッパースワームはブラッディナイトスワーム“セリニアン”と共に騎兵集団を殲滅しており、進撃路は確保されていた。
そして、私は更にスワームを前進させる。
どの都市もマスカレードスワームが潜入しており、彼らの自爆攻撃によって城門が開かれる。開かれれば虐殺が待っている。私のスワームたちは区別なく敵を殲滅していき、敵施設を破壊する。
どこまでも一方的な蹂躙。敵に重装歩兵などがいればこちらも苦労しただろうが、敵ははそれも軽歩兵と軽騎兵で、リッパースワームでも屠れる存在だった。もちろんこちらのユニットもやられるが、ブラッディナイトスワーム“セリニアン”が生き残っていればそれでいい。他のユニットは経験値が貯まるわけでもなく使い捨てだ。
こちらは圧倒的物量にものを言わせて敵を蹂躙し、敵国の半ばまで差し掛かった。
それにしても、お腹が減った。
ゲームは置いておいて、食事をするべきなのかもしれない。今日の晩御飯である豚肉のケチャップ炒めとサラダでご飯を食べよう。そうしよう。それがいい。頭にカロリーが回っていないとゲームでも負ける。
私がそう思って席を立ったとき、ゲーム画面が電子音を奏でた。
何だろう通って私が画面を見ると、そこにはメッセージが届いていた。それも2件。
“ここでゲームオーバー?”
そう書かれたメッセージを私は開く。
“君はまだまだやれるはずだよ。あの世界こそが君のいるべき場所なんだ。他の場所に行ったって君の才能は評価されはしない。愛おしい蟲たちに誓った言葉を忘れたわけじゃないだろう。君は彼らを勝利に導くと約束したんだ。絶対の勝利へと”
書かれていることは意味不明だった。
私がいるべき場所はここだ。この日本だ。ここが私のいるべき場所なんだ。毎日、毎日、退屈な講義を消化しながら、あのゲームで遊ぶ日々こそが私のいるべき世界だ。他にどんな世界があるっていうんだ?
私はそう思いながら2件目のメッセージをクリックする。
“目を覚まして”
タイトルはそうなっていた。
“女王陛下。目を覚ましてください。私たちにはあなたの導きが必要なんです。どうかを目を覚ましてください。そして再び我々を率いてください、お願いです。死なないでください”
2件目のメッセージを見ると涙が出てきた。
どうして私が悲しいのかは分からない。ただ誰かが私の助けを必要としていて、それに答えるのが私の義務だと、そう思えた。そうしなければ、このメッセージを送ってき人は泣いてしまいそうだから。
「行かれるのですか?」
不意に私の部屋の中に声が響いた。
私がゆっくりその方向を向くと、ひとりの少女がそこに立っていた。白装束の少女が私の方を悲しそうな目で見つめていた。
「悪魔はあなたの魂を捕らえました。そして、ゲームをプレイさせている。悪魔のゲーム。出口も、終わりもないゲーム。あなたはそこに戻ってしまうのですか。あなたはそれでいいのですか?」
少女は悲し気な表情で私に向けてそう問いかけてきた。
「でも、行かないと。みんなが待っている」
みんな? みんなとは誰だ?
「そうですか。あなたは行ってしまうのですね。私たちが作ったこの空間も無意味でしたか。残念でなりません」
少女がそう告げたとき、部屋の中が崩壊を始めた。壁の錆が落ちるようにバラバラと部屋を構築していたものが全て剥げていく。
「ここは私の部屋じゃなかった……?」
「そうです。私があなたの記憶を再生して作った空間。ここならばあなたにも魂の安息を得られたというのに。残念でなりません。本当に残念でなりません。あなたが再び悪魔が作ったゲームの世界に戻ってしまうというのは」
うろたえる私に少女は淡々とそう告げる。
「ですが、いずれあなたの魂を救ってみせます。あなたが悪魔の描いた檻の中に閉じ込められてしまう前に。だから──」
少女がそう告げて私に手を伸ばす。
「決して人の心を忘れないでください、────さん」
「待って。私の名前は──」
少女がそう告げたのを最後に私の意識が途絶えた。
彼女が告げた私の名前は何だったんだろうか。
それだけが私に残るひとつの疑問だった。
その名前が分かったとき、私は本当に私の世界に戻れる気がしていたから。
…………………