社交界(4)
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「シャロン公。本当に我が国は危機的ですな」
「西に化け物。南にニルナール帝国。両ばさみとはこのことです」
第13代シュトラウト公爵こと、セザールは列席者たちの言葉に相槌を打っていた。
彼が本当に列席者の話に興味があるかどうかは不明だ。彼はどの話も興味深そうに聞いているが、どこまで興味があるのかどうか分からない。政治家として相手の話を興味深く聞いてみせる術を身に付けているだけかもしれない。
「シャロン公閣下……」
そこにひとりの女性の声が響く。セリニアンだ。
セリニアンはドレスの胸元を限界まで開き、顔を赤らめながらセザールに近寄っていた。彼女が迫るのにセザールの周りにいた列席者とセザールが思わず、目を見開き、そして慌ててセリニアンの胸元から視線を逸らした。
「き、君はどなたかな? どこかであったかな?」
「いいえ。お会いするのは初めてです。ですが、我が主人が是非ともシャロン公閣下とお話ししたいと仰っておられて……」
セザールが顔を赤くして尋ねるに、セリニアンがそう告げて私の方を指さす。
「そうか、そうか。ならば、時間を割くとしよう。諸君、少し失礼するよ」
セザールも男だ。セリニアンの誘惑に乗らないはずがない。
セザールはセリニアンに連れられて私の方に近寄ってきた。私は精一杯の作り笑顔を浮かべて、セザールを出迎えた。
「初めましてだ。シャロン公閣下。私はグレビレア。冒険者をしている」
「ああ。あなたが噂の冒険者か。なんでも登録初日にグリフォンを討伐して、続いてマンティコアも討伐したそうですな。巷では女王というあだ名で呼ばれているとか。我が国の魔獣の被害は馬鹿にならないから、冒険者が活躍するのは望ましいことだ」
私が軽く自己紹介するのにセザールはうんうんと頷いてそう返した。
「だが、私はこの国の冒険者であると同時に別の役割も担っている。君も関心のあることだろう」
「私の関心のあること……?」
私の言葉にセザールは警戒の色を浮かべた。
「私はアラクネアの女王。マルーク王国を滅ぼした怪物の長だ」
「なっ……!」
予想通りのリアクションだ。目を見開き、信じられないという顔をしている。
酒場や冒険者ギルドで女王というあだ名で呼ばれていた人間が本当に女王だとは思わないだろう。そんなことを思う奴がいたら、頭がどうかしてる。田舎のファミレスで合衆国大統領と呼ばれている人間を本当に大統領だと思うようなものなんだからな。
「……どうやってそれを証明する?」
「今からシュトラウト公国にマルーク王国を滅ぼしたスワームの集団をなだれ込ませて証明してもいい。もちろん、私はそんなことをしなくとも貴公が私の言い分を信じてくれると思っているが」
セザールの言葉に私は悪い笑みを浮かべてそう告げる。
「別室で話しましょう。確かに私の関心のあることだ」
そう告げると、セザールは私とセリニアンを連れて迎賓館内にある別室へと向かっていった。
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「さて、アラクネアの女王、でしたか。マルーク王国を滅ぼした理由は何です?」
セザールが案内した別室は人払いがされ、私、セリニアン、セザールしかいない。
「単純だ。報復と本能。私はエルフの友人がいたのだが、それをマルーク王国の騎士団とやらに殺された。その報復がひとつ。そして、もうひとつは我らがアラクネアは本能のままひたすらに外部に向かって拡張していく蛮族なのだ」
セザールの問いに私は軽い調子でそう答えた。
「報復は理解できるが、本能とは……。本能が侵略を求めていると?」
「そういうことだ。攻め、食らい、滅ぼし、奪う。それがアラクネアを構成するスワームの本能。女王である私が抑えているからまだ理性が利いている範囲だ」
セザールの問いに私はそう返す。
アラクネアは本能として略奪と殺人を行う蛮族だ。本能が外部への拡張と略奪を促している。その本能を抑えているのは、私に残された理性だけというわけだ。
「では、このシュトラウト公国も滅ぼすと?」
「それは交渉次第だ、シャロン公。私としては無意味な犠牲は出したくない。私も君たちと同じ人間だから、な」
私はその同じ人間を殺し、殺し、殺し尽くしたじゃあないか。いまさら何を言っているのだろうか。
「ならば、我が国に何を望まれる?」
「フランツ教皇国までの進撃路となってもらいたい。我々はフランツ教皇国を攻撃するつもりだ。その際にこの国を通るのが一番やりやすい」
フランツ教皇国はあの排他的な光の神を崇める連中の総本山だ。戦争になるのは間違いない。ならば、戦争に備えておかなければ。そのためにこのシュトラウト公国を押さえておく必要があるのだ。
あるものは言ったものだな。我が国は道路ではない、と。
「……我々は同じ要求をフランツ教皇国から突き付けられている。マルーク王国を解放するための軍の通過の許可だ。今は保留しているが、いずれ回答を迫られるだろう」
ああ。フランツ教皇国も同じ考えなのか。
「では、どちらと手を結ぶか考えられることです。我々を敵に回すとマルーク王国の二の舞となることは保証してもいいがな」
「随分と苦しい選択を強いられる。我々はフランツ教皇国を敵に回しても、打撃を被るのだ。フランツ教皇国の軍も馬鹿にならないものだからな」
私が小さく笑って告げるのに、セザールが険しい表情を浮かべる。
「ジレンマだな。その苦悩は理解できる。だが、決めてもらわなければならない。我々の側につくか、フランツ教皇国の側につくのか。決めなければ両方から攻撃されるという悲惨な事態になるぞ」
可哀想なセザール。片やマルーク王国を滅ぼした化け物の集団。片や熱心な信仰心に満ちた隣国。どちらかを選ばなければならないなんて酷い話だ。
「それに加えてニルナール帝国からも圧力がかけられている。ニルナール帝国軍の駐留を認めるようにとの要請が来た。事実上の軍事占領の要求だが。もし、要求を無視するならば、我々がマルーク王国を滅ぼした怪物に襲われても無視するというのだからね」
おやおや。事態はより複雑らしい。
「ニルナール帝国の要請は期限付きか?」
「ああ。大陸諸国会議が終了するまでには結論を出せという話だった」
私が尋ねるのに、セザールが渋い表情でそう返した。
「大陸諸国会議? そういうものがあるのか?」
「ある。招集されるのは10年振りだが大陸諸国を招集し、この大陸を襲っている問題について話し合う場だ。我が国も招かれている」
大陸諸国会議か。内情を知ることができれば、有益そうだが。
「では、こちらも期限付きにしよう。大陸諸国会議が終了するまでは待つ。終了後には選んでもらおう。ニルナール帝国を駐留させるのか、フランツ教皇国に通行許可を与えるのか、それとも我々に通行許可を与えるのか」
「そちらに許可を与えれば、恐らく我が国はフランツ教皇国とニルナール帝国から袋叩きに遭う。そちらは我が国にいかなる支援を与えられるか? 軍事的な保護を与えられるのか?」
私が選択を強いるのに、セザールが苦しい表情でそう尋ねてきた。
「軍事的な支援は与えられる。我々アラクネアの軍事力はマルーク王国を滅ぼしたほどのものだ。フランツ教皇国とニルナール帝国の両方に攻撃されても、十二分に保護できるだけの力がある」
そうはいったものの、実際のところはシュトラウト公国を完全に保護できるだけの戦力を送り込めるかは不明だ。フランツ教皇国とニルナール帝国の両国を同時に敵に回せば、それなり以上の軍事力が必要とされるだろう。マルーク王国を滅ぼしたときとはわけが違う。
「それを信じたいところだ。だが、我々には外交の他にも問題がある。国内問題だ。フランツ教皇国に通行許可を与えてマルーク王国に攻め込むべしという派閥が存在しており、それへの対応に苦慮しているのだ」
「ふむ。そういうと貴公は戦争はどのような形でも望まないと」
「戦争は金にならない。商売人のすることじゃない」
実に交易国家らしい回答だ。確かに戦争は金にならないかもしれない。その民を皆殺しにしてその肉を貪り、略奪の限りを尽くすのでなければ。
「興味本位で聞くが、その派閥とは?」
「ロレーヌ侯爵家がフランツ教皇国と繋がっている。あの国の代弁者といったところだ。あれは我が国の貴族ではなく、フランツ教皇国の貴族と言った方が正しい」
ロレーヌ。ああ。私たちに突っかかってきた三流貴族か。
「どうすれば政治的フリーハンドを得られる?」
「政治的フリーハンドを得るのは事実上不可能だ。歴代のシュトラウト公爵の中で派閥の言いなりにならなかったものなどいはしないんだからな」
どうやら国家主席はあまり力のある立場ではないようだ。実に残念なことだが。
「貴公としてはどちらを選択するのが適切だと思う?」
「私はマルーク王国を滅ぼした相手とは戦争などしたくはない。そして、フランツ教皇国も、ニルナール帝国も完全な保護は約束していない。そうなればあなた方にかけるのが適切というところだろう」
よし。一応セザールは我々の側だ。
「ところで大陸諸国会議に我々が出席することは可能だろうか?」
「貴公たちが、か? アラクネアとして出席するのか。相当難しい話だと思うが……」
私は自分でも突拍子のないことだと思いながらもそう尋ねる。
「では、マルーク王国としてはどうだ?」
「マルーク王国として出席するなら、マルーク王国の人間でなければ」
私の問いに、セザールがそう返す。
「それなら準備できる。問題は滅んだと思われている国が出席できるかどうかだ。どうすればいいと思う?」
「私が手配してもいい。見返りは考えておこう」
あまりにも大きな見返りを求められないといいのだけれど。
「では、お互いによく考えて結論を出そう。今言えるのはそれだけだ」
セザールはそう告げて会談を終わらせた。
「女王陛下。これでよろしいのですか? わざわざ交渉などせずとも軍を無理やりに進めてもよかったと思いますが」
「口で解決できる問題は口で解決してもいいじゃないか、セリニアン。暴力ばかりで解決していると頭を使うことを忘れる」
不満そうなセリニアンに私がそう告げて席を立つ。
「それに敵に橋や街道を破壊されてしまっては、せっかくの通路の意味がなくなる。無血占領ができるのがもっとも望ましい。最悪なのはこのシュトラウト公国を舞台にフランツ教皇国、ニルナール帝国と戦争になるってとこだろうな」
本当にこのシュトラウト公国に愛着が湧いているんだ。戦争で破壊されることは避けたいものだな。どうしようもなければ、全てを破壊する覚悟はあるけれども。
私はそう考えてセリニアンと共に晩餐会に戻った。
晩餐会では他に得られた情報はなく、そのまま終わった。
シュトラウト公国のおかれた厳しい状況。はてさて、どうなるやら。
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