北の貿易国家へ
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──北の貿易国家へ
「シュトラウト公国に忍び込もうと思う」
私は朝食の席でそう告げた。
朝食を準備するのはマルーク王国で捕えた捕虜たち。彼らが憎き私たちのためにパラサイトスワームに操られて食事を用意する。ざまあみろだ。そして、今日はベーコンエッグとサラダとパン。別段豪勢でも何でもない食事だ。ちなみに100%エルフ産だ。
「シュトラウト公国、ですか?」
「そう。あの国はこちらから攻撃しやすい位置にある。途中の山岳地帯が面倒だけれど、フランツ教皇国やニルナール帝国に攻め入るより容易だ」
ニルナール帝国とフランツ教皇国に攻め入るにはエルフの森を通過しなければならない。自分から庇護を認めておいて、彼らの森を戦場にするようなことはしたくはない。それは間違っている。
そして、ニルナール帝国に攻め入るには、テメール川と呼ばれる大河を渡らなければならない。流石にこちらがワーカースワームで架橋できるといっても、川を挟んだ場所への侵攻は難しい。
そこでシュトラウト公国だ。
シュトラウト公国は旧マルーク王国領から北東に行った場所にある都市で、途中の山岳地帯を越えれば、易々と攻略できる。そして、シュトラウト公国を押さえれば、フランツ教皇国に攻め入ることも可能になる。
以上の理由で私は次の標的にシュトラウト公国を選んだ。
「彼らからはまだ何の被害も受けていないけれど、彼らの土地を押さえておかなければ本土決戦になる。多くのエルフやスワームが犠牲になるだろう。ここは先手を打ってシュトラウト公国を押さえておくべきだ」
これまではやられたらやり返すという原則だったが、今回計画しているのは先制攻撃だ。シュトラウト公国は何の被害も私たちにもたらしていないが、立地が問題なのだ。彼らの土地はアラクネアまでの道路になる。
恨むならその立地を恨みたまえ。
「畏まりました、陛下。では、私が調査を行ってきます」
「私も行くよ」
セリニアンが納得して頷くのに、私が軽くそう告げた。
「女王陛下がっ! ですが、危険です! 向こうは敵地に等しいのですよ!」
「私も時には人間に囲まれてみたいときもあるんだ。それにリーンの街では私も一緒に行動したじゃないか」
あまりにも“人間だったもの”に囲まれて過ごしていたせいで、人間との付き合い方を忘れてかけている。少しは生きた人間に囲まれて過ごして、社会復帰の準備を進めておくべきだ。
「それに自分の目で見ておきたいということもある。集合意識でも見えることかもしれないけれど、念のために自分で見ておきたい。そして、交渉したい」
そう、私たちの目的はシュトラウト公国を偵察するだけではない。偵察し、状況を把握し、しかるべき人物と交渉することにあった。
「ですが、やはり危険で……」
「そこはセリニアンが助けてくれるだろう?」
まだ決心がつかないセリニアンに私がそう告げる。
「私の騎士セリニアン。その身にかけて私を守れ」
「はっ! 畏まりました、女王陛下!」
セリニアンは忠実だ。こんな私に尽くしてくれている。
「あの、私はどうしたらいいでしょうか?」
そこで疑問の言葉を告げるのはライサだ。
「ライサも擬態が使えるからついてきてほしいな。弓の腕前、上がったんだろう?」
「ええ。以前の体では考えられなかったほどに硬い弓が引けるようになりました。命中精度もぐっと上がってます」
スワームの体となったライサは筋力が上昇し、信じられないほど大きな弓が引けるようになっていた。練習風景を見せてもらったが、バリスタ顔負けの大きさの弓矢を300メートル離れた場所にどんどんと当てるのは凄いとしか言いようがない。
「それから戦力としてはもうひとり用意してあるんだけど」
私がそう告げると、部屋の中にひとりの男性が入ってきた。私がパラサイトスワームで操り人形にしたマルーク王国の人物ではない。全く知らない顔をした男性だ。歳は30代ごろといったところだろう。
「誰ですか、このものは?」
「紹介しよう。マスカレードスワームだ」
男性に警戒の視線を向けるセリニアンに私は男性──もといスワームを紹介した。
マスカレードスワーム。その戦闘力はリッパースワームと変わらないが、コストは倍以上かかる。その分、彼には重要な能力がある。
「マスカレードスワーム、擬態解除」
私がそう命じると、男性の顔がパクリと割れ、鋭く巨大な牙が現れる。背中からは蟲の脚が飛び出し、人間の脚はグルリと曲がって二本の毒針に変化する。
そして、現れた姿は完全なスワームであった。
「きゃっ! こ、これってスワームさんなんですか?」
「そう、スワーム。ただし、擬態できるスワームだ。敵の労働者ユニットに見せかけて敵地に侵入し、破壊活動を行うことができる特殊ユニットだ。今回の仕事にはもってこいの能力を持ったスワームだろう?」
人間の顔が裂けてスワームの顔が出てきたことに驚くライサに私がそう説明する。
マスカレードスワームの特殊能力は擬態。今はセリニアンやライサも使っているけれども、通常ユニットで擬態が使えるのはこのマスカレードスワームだけだ。彼らは敵の非武装ユニットに偽装して敵地に侵入し、自爆などの攻撃で破壊工作を行える。
今回のように潜在的敵国に侵入するのに使うのにはもってこいの代物だ。
「私、セリニアン、ライサ、マスカレードスワームでシュトラウト公国に侵入する。彼らがどんな生活を送っているのか、彼らがどんな政治形態を持っているのか、彼らが現在何をしようとしているのか。そういうことを調査する」
私はそう今回の調査の目的を告げた。
「もちろん地形的なものも調査する。シュトラウト公国に侵攻する場合には、どの経路を通るのが適切かどうかを調査しておかなければならない」
当然、戦争にも備える。シュトラウト公国を制圧し、フランツ教皇国への足掛かりとするために。フランツ教皇国とは恐らく戦争になるだろうから。
「マスカレードスワームは何体ほど?」
「私たちに同行するのが1体。そして別動隊が4人編成で16組侵入させる。いざとなれば彼らが私たちのサポートに当たる」
セリニアンが尋ねるのに、私はそう告げて返す。
「では、私たちはマルーク王国からの難民を偽装してシュトラウト公国に侵入する。正直なところ受け入れてもらえるかどうかは分からないけれど、国境を越えるにはこれしか方法がない」
私たちはマルーク王国の人間を皆殺しにしたばかりに、文章の偽造もできなくなった。こういうことならあらかじめ他国への通過を許可する書類を作成しておくべきだったなと今更になって後悔する。
「さあ、出発は今日の夕方だ。そうすれば明日の朝にはシュトラウト公国の国境に到達する。それまでは各自侵入のための準備を。なるべく難民に見えるようにしておいて」
私はそう指示を出した。
私はワーカースワームになるべく薄汚れた服を準備させ、セリニアンもいやいやながら鎧に泥を付けておく。ライサはどうやってエルフの自分がマルーク王国に難民として侵入できるかを考えて、結局のところ髪を解いて耳を隠す方法を選んだ。
マスカレードスワームは作戦に必要なものをマルーク王国の住民を肉団子にしたものを利用して、作戦に必要な分を作成。顔や性別、服装の違うマスカレードスワームたちが生産されて準備を整える。
馬車はたっぷりある。街を襲ったとき、私は万が一に備えて馬車はそのままにしておいたのだ。こうして取っておくと役に立つものもあるってものだ。
さあ、そろそろ夕方だ。出発しよう。
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私たちとマスカレードスワームは同時に出発し、同時にシュトラウト公国の国境線に到達した。途中の山岳地帯には山道が準備されており、これならば突破は楽になるなと私に感じさせていた。
「止まれ、止まれ!」
そして、私たちがシュトラウト公国の国境線に到達したとき、国境線を警備している騎兵たちが私たちの馬車に向けて進んできた。
「なんでしょうか?」
「なんでしょうか、ではない! ここから先はシュトラウト公国だ! 通行許可は取っているのだろうな!」
私が作り笑顔で告げるのに、騎兵隊の指揮官が叫ぶ。
「それが……私たちはマルーク王国から脱出してきたもので、そういうものは持っていないのです。突如として国が崩壊してしまいましたから……。ここまで来たのも命からがらというところでして……」
私は今度はウソ泣きをする。
「むっ! そうだったのか。マルーク王国は確かに崩壊したと聞いている。だが、生き残りがいたとは驚きだ。ここは私の権限で通行を許可しよう。通りたまえ。そして、幸運を祈るお嬢さん方」
「親切にありがとうございます」
騎兵隊の指揮官はここから先の都市などにも入れる通行許可書を私たちに発行すると、それを手渡してくれた。
殺伐とした世界だと思ったけれど、意外に人間の暖かさがある人もいるんだなと私は思う。できれば、あの騎兵隊の指揮官さんを殺さずに済めばいいけど。私は親切にしてもらった人を些か殺しすぎている。
「シュトラウト公国最初の都市はマリーン。今日はここで過ごすとしよう。情報を探るのはすぐにでも始めたい。宿屋を取って荷物を置いたら、動き始めよう。時は金なりともいうからね」
「了解しました、女王陛下」
あの騎兵隊の指揮官が書いてくれた通行許可書は都市を通過するにも有効だった。私たちは都市の検問を僅かな通行料で通過でき、最初の港湾都市マリーンに入り込めた。
「女王陛下、海です! 海です!」
「海だね。でも、そんなに興奮しない、ライサ」
マリーンは海に面した都市だった。
半盆地の半分を海が占めているという地形で、斜面には建物が並び、そこからいくつもの商船が行きかう海を見下ろすことができた。船の多さはマルーク王国の港湾都市とは比較にならず、この国家が交易で栄えていることを窺わせる。
「す、すいません。私、海見るのなんて初めてでしたから……」
「そうか。ずっと森の中で暮らしていたからか。海は広くて、綺麗だけれど危険だよ。簡単に人を飲み込み殺す」
ライサが告げるのに、私は海を見渡してそう告げた。
「アラクネアのようですね」
「そう、アラクネアのように」
海はアラクネアのようだ。
広大にしてひとつに繋がっている。そして、一度怒り狂えば破壊を振りまき、全てを海中に飲み込んでしまう。本当に海とはアラクネアによく似ているよ。
「宿屋はどこに宿泊しますか?」
「どこでもいい、と言いたいところだけれど、それなりの場所がいいな。ふかふかのベッドがあって、食事が美味しいところ。ガイドブックがないからどこが三ツ星かなんて分からないけれどもね」
セリニアンが告げるのに、私が呑気にそう返した。
「私は警備が容易なところがいいと具申します。女王陛下に万が一のことがあってはいけません。宿屋は私が選んでも?」
「任せるよ、セリニアン。確かにここは潜在的な敵地でのんびりしている場合じゃない。私も浮かれていたようだ」
こうも人々が行き交い、のどかな風景を見ていると気が緩んでしまう。
ここは潜在的敵地なのだ。城門を観察し、城壁を観察し、警備の兵士を観察し、いざこの都市を落とすときのことを考えておかなければ。海を見てのんびりしてるような暇はないのだ。残念なことだが。
「あの宿にしましょう。あそこは大きく、内部と周辺にマスカレードスワームたちを配備することも可能です。そして、治安が特に悪い地域というわけでもなさそうですから。それに──」
私はセリニアンが指さす宿屋を見る。その宿屋は宿屋街というべきところにある宿屋でその中でももっとも高級そうだった。
「海側の部屋からは海が見渡せますよ、女王陛下」
「ありがとう、セリニアン」
セリニアンは本当に優しいな。
こんな騎士が仕えてくれる私は幸せ者だ。
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