王国の終焉(2)
…………………
攻撃の先手を斬ったのはアラクネアの腐肉砲だった。
腐肉砲が腐敗した肉の砲弾を放ち、それが城壁へと次々に命中していく。
「げほっ、げほっ……。何だ、これは……。毒か……!?」
腐肉砲の副次効果である周囲のユニットへの毒効果と建物への継続ダメージが城壁を揺るがし、城壁が崩壊を始める。腐肉砲は何度も何度も砲撃を続け、城壁を守備する兵士たちは毒を前に倒れ、城壁はパラパラと崩れる。
「城壁の守備に付け! 城壁を守れ! 敵が来るぞ!」
「何故バリスタに誰も付いていない! 蟲どもにはあれしか通用しないんだぞ!」
毒でやられた兵士たちが溢れかえる中、混乱した命令が飛び交う。
兵士たちは城壁の配置に付こうとするが、腐肉砲の毒がそれを阻止する。兵士たちは激しく咳き込み、口と鼻と目から血を流し、城壁の上で息絶えていく。
「腐肉砲は使い勝手がいいな。城壁を崩すのには時間がかかるけどその分敵のユニット数を減らすことができる。敵のユニットが減っていれば、城壁を破って内部での戦闘になっても有利になるから」
アラクネアの女王は城壁の上の混乱を眺めながらそう呟く。
万事順調だ。腐肉砲は確実に敵の戦力を削っているし、城壁も破壊しつつある。おまけで付け加えていた投骨機も城壁を削って破壊しつつあった。
「城壁は1分以内には崩壊する。第1陣出撃準備。第2陣、第3陣も続けて出撃準備。攻撃重点は東に置く。東への突破を最優先にしながら、南、北への突破を陽動として実行する。セリニアンは私と一緒に東から」
「じょ、女王陛下! 危険です! 攻城戦は激戦になります!」
アラクネアの女王は長年の経験からゲージを見なくとも、建物が崩壊するタイミングが分かる。もっともこれはこの世界の建物がゲームのそれを同じである場合と想定してからのことだが。まあ、崩れ具合を見ればいつ崩れるかの想像は付くだろう。
そして、セリニアンが案の定、私が戦場に向かうのを制止する。
「私は行くよ、セリニアン。これは私の戦争だ。何の役に立たなくても見届けるさ」
そう、マルーク王国の終焉を。
「……畏まりました。このセリニアン、全力で女王陛下をお守りします」
セリニアンがそう告げて拳を胸に当てる。
「ありがとう、セリニアン。君はとても頼りになる騎士だよ。それじゃあ、行こうか」
それからちょうど1分後に東、北、南の城壁が崩壊した。そこにリッパースワームの大軍が押し寄せる。ディッカースワームも地中から姿を出し、混乱に拍車をかける。城壁の中は大混乱だ。
「た、助けて、助けて!」
城壁付近にた哀れな兵士たちがスワームに飲み込まれていく。スワームたちは目に入るもの全てを八つ裂きにし、後に残るものは死体だけにする。徹底した蹂躙だ。
スワームは大通りを中心に展開し、そこから路地や建物の中に入り込んでいく。路地に逃げ込んで息を潜めていた兵士を貪り、家の中に避難していた民間人たちを引き千切っていく。
逃げ場などどこにもない。
「ママ……。怪物たちが街に入ってきたの……?」
「ここに隠れていれば安心だから。だから、静かにして。静かにしててね」
地下室に隠れた親子──リュドミラと息子たちがそう告げ合うのに、地下室の上の扉をスワームは這いずり回る音がする。リッパースワームの立てる不気味な足音が、地下室に響き、中にいる子供たちが震え上がる。
子供はまだ5歳と7歳に過ぎない。父親は東方鎮守軍に出兵して帰ってきていない。母親であるリュドミラに庇われて、息子たちは必死に息を飲んでいる。スワームの足音は響き続け、足音が聞こえる度に心臓がはじけ飛びそうになる。
「お願いだからどこかに行って……」
リュドミラは光の神に、祖父母の霊に、あらゆるものに祈った。
だが、現実は非情だ。
リッパースワームが長い鎌を突き立てて地下室の扉をこじ開け、そこに隠れていたリュドミラたち親子を見つけ出した。
「きゃああっ!」
「ママ、ママ!」
リュドミラたち親子はリッパースワームによって八つ裂きにされ、その肉塊が地下室に転がる。手足がなくなり、頭蓋骨が貫かれた死体が、ゴロリと地下室に転がる。彼女も彼女の夫と同様にリッパースワームの餌食になった。
家の中は地下室までスワームが人間の臭いを嗅ぎつけて襲い掛かる。屋根裏でも同じこと。スワームたちから逃れる術などない。どこにいようともスワームたちは死を運んでくる。平等な死を。
「酷いものだ」
アラクネアの女王はその光景を眺めてそう呟いた。
「人間に慈悲など必要ありません、女王陛下。特に敵であるものたちには」
「全く。慈悲何て持っていても何の役にも立ちやしない。私たちが信じるのは確かな暴力だけってわけだ。とても嬉しい話じゃあないか」
セリニアンが告げるのにアラクネアの女王が親子が殺された家を出る。
「さあ、続けよう。大量虐殺を。そうするしか他に術はなかったんだから」
アラクネアの女王──私はそう告げて西の大通りを進む。
王城を落としたら王冠でも被ろうか。そんなことを考えながら。
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私とセリニアンはリッパースワームの津波と共に前進する。
これだけ密集しているのにリッパースワームは私はぶつからない。彼らは慎重に私を避けて進んでいた。彼らにぶつかられれば私など吹き飛ばされてしまうだろうから、彼らの繊細な配慮に感謝した。
「北と南に敵の防衛戦力が分かれている。このまま中心部まで押し切り、北と南の戦力の背後を突く。そうすれば敵は総崩れも同然だ。残るは王城に押し入って、マルーク王国の国王とかそういう偉い人間を皆殺しにする」
そして、マルーク王国という国家を地上から消滅させる。
「光の神の名において止まれ!」
ああ。そんなことを考えていたら敵の防衛戦力と出くわした。ほとんど最初の攻撃で片づけたと思ったんだけど、城壁から離れて配置されていた戦力もいたようだ。
「止まらないよ。私たちは進む。君たちは死ぬだけだ」
「貴様、人間ではないのか?」
スワームたちを引き連れて前進する私を見て、防衛戦力側の指揮官が怪訝そうな顔を浮かべる。どうして人間の少女がスワームたちと共に行動しているのか理解できないという表情だ。
「人間、ではないよ。化け物の心を持った化け物だ。人間であることをやめた人間の敵だ。君たちが倒すべきはこの私だ。そうしないとこの侵略は止まらない。どこまでも続く。君たちがたとえ船で逃げても追いかけて始末する」
私は高らかと宣言する。
そう、もう私は人間じゃない。アラクネアの女王だ。人間の敵だ。
私の意識はスワームたちの集合意識に引きずり込まれ、人間としての私の意識は消えかかっている。逆にスワームたちも私の意識に引き摺られて、純粋なスワームではなくなっている。
純粋なスワームだったらエルフたちすら手にかけただろう。
「そうか。貴様が首魁なのか」
防衛戦力の指揮官は頷いてみせた。
「ならば、貴様を打ち倒すのみ! 天におられる光の神に仕えしもの。今ここに降臨されることを願います、ハリストエル様!」
防衛戦力の指揮官がそう唱えると、天から光が降り注ぎ、その光に照らし出されて巨大な猟犬が姿を現した。リッパースワームの3、4倍はありそうな大きさだ。私など一飲みにされてしまうだろう。
『人間たちよ。困難に遭遇したか……?』
「はい、ハリストエル様。邪悪なるものたちが我々の国を滅ぼさんとやってきました」
猟犬が重々し声で告げるのに、防衛戦力──聖エルジェーベト騎士団の団長がそのように告げた。
「何か困ると天使頼りか。芸がないな、君たちも」
私は3度目の天使との遭遇に肩を竦める。
「ほざけ。貴様らのような光の神を崇めぬ蛮族どもは、天使様に屠られるがいい。去れ、邪悪なるものたち!」
「やれやれ。次は神を崇めない奴は蛮族か。そんな理由を付けずとも我々は蛮族だよ。正真正銘の蛮族だ。敵を殺し、敵から奪い、それで成り立っている蛮族だ。神など崇めていようがいまいが関係ない」
光の神というのがどんなものかは知らないが、私が崇めることは一生なさそうだ。
『邪悪なるもの。覚悟するがいい。その神を愚弄せし態度は罪である』
「いくらでも愚弄しよう。そうはいっても光の神とやらについては私は何も知らないから言えることは限られるがね。せいぜい、弱者をいたぶってそれを正義とする連中が崇める神だということぐらいか」
ハリストエルと名乗った天使が告げるのに、私はそう告げて返す。
『ならば、覚悟するがいい。その罪は死を以て償させる』
「セリニアン、やって」
ハリストエルが身を低く構えるのに、私はセリニアンに命じる。
「お任せを、女王陛下」
そして、セリニアンが前に出た。黒い破聖剣を構えて、ハリストエルに向ける。
『覚悟っ!』
「はあっ!」
襲い掛かってくるハリストエルに、セリニアンが尾から糸を吐き出して一気に建物の屋上に跳躍する。ハリストエルはそれを追って建物の壁を駆け登り、壁に爪を突き立てて一気に屋上に上った。
『逃げるか、邪悪なるもの』
「ほざけ。女王陛下を戦いに巻き込まぬようにするためだ」
ハリストエルが重々しい言葉で告げるのに、セリニアンは不敵にそう返す。
「貴様こその牙は飾りか? その爪は飾りか? 飾りでなければ証明してみるがいい。私は私の存在価値を貴様の死をもってして証明するっ!」
セリニアンはそう叫んでハリストエルに破聖剣を向けた。
『愚かな! 蟲が天使に勝てるとでもいうか!』
「ああ。既に2体始末した!」
ハリストエルが駆け、セリニアンが駆ける。
ハリストエルの牙とセリニアンの破聖剣が交錯する。
「くっ……!」
ハリストエルの牙はセリニアンの右頬に傷をつけた。
「この程度!」
そして、セリニアンの破聖剣がハリストエルのわき腹に突き刺さる。
『おのれっ! これは破聖剣か!』
ハリストエルは初めてそこでセリニアンが持っているのが、聖なるものを打ち破る堕落した聖騎士の剣──破聖剣だと気づいたようだ。随分とまあ遅い。
「覚悟しろっ! 犬! その首を刎ね飛ばしてくれる!」
『舐めるな、蟲!』
セリニアンとハリストエルの戦いはヒートアップした。
「くうっ……! 攻撃が重い……!」
『この程度か、蟲!』
恐ろしい速度で爪と牙が突き出され、セリニアンがそれに必死に応じる。ハリストエルの巨体から繰り出される攻撃は重く、素早く、セリニアンは些か押されているように感じられる。
「セリニアン。目を狙え。感覚器をまず潰せ。それから始末すればいい」
「畏まりました、女王陛下!」
私は苦戦しているセリニアンに指示を出す。
セリニアンはハリストエルの攻撃を回避しつつ、私の指示に従ってハリストエルの顔面を狙う。顔面にある感覚器を。眼球と鼻だ。
狙い、狙い、狙う。
執拗に、猟犬以上に猟犬のように。ひたすらにセリニアンはハリストエルの眼球を潰そうと破聖剣を繰り出す。
「セリニアン。君だけが頼りだ。任せているよ」
「はい、女王陛下! お任せください!」
私は集合意識にありったけのセリニアンへの信頼の感情を向ける。
それからだ。一転して戦いがセリニアンの優位に向けて傾き始めたのは。まるで魔法のようにセリニアンが立ち直った。
「はあっ!」
『ぐうっ! おのれっ!』
ハリストエルは分からなかっただろう。
何故今にも食い殺せそうだったセリニアンが一転して優位になっているのか。何故セリニアンに闘志がみなぎり、ハリストエルを押しているのか。何故セリニアンがそこまで戦うことができるのか。
簡単だ。彼女は騎士だからだ。騎士だから私の盾となり剣となってくれる。私が信頼すれば、必ずそれに応えてくれる。
そのことがハリストエルには分からなかっただろう。
そして、ハリストエルの繰り出す攻撃は全てセリニアンに弾かれ、逆にセリニアンが攻勢に転じた。牙と爪の間から、セリニアンはハリストエルを狙って攻撃を叩き込む。そして、ついに──。
『があっ!』
セリニアンの破聖剣がハリストエルの右目を貫いた。巨大な猟犬の体はよろめき、苦痛から別の建物の屋上まで引き下がる。
『おのれ、おのれ、おのれ、おのれっ! よくもっ!』
ハリストエルは血も流さずに叫び、より獰猛な表情でセリニアンを睨みつける。
「セリニアン。手負いの獣は用心して仕留めろ。奴らは生死の境で生を見出す」
「はい、陛下!」
ここまでくればセリニアンの勝算は高い。だが、油断はできない。
手負いの獣には注意しろ。昔からの格言だ。獣は生存本能が強い。天使がそうなのかは知らないが、その生存本能のためにアドレナリンが前進を駆け巡り、鼓動が激しく脈打ち、生へ、生へ、敵を食らって生へと突き進むのだ。
『邪悪なるものに慈悲は必要ない! この場で八つ裂きにしてくれる!』
やはりハリストエルの動きは先ほどより速いものになっていた。
セリニアンはやれるだろうか?
「八つ裂きになるのは貴様だ、犬!」
セリニアンはやった。殺った。
ハリストエルの潰れた右目の方向──死角から回り込み、ハリストエルの太い首に破聖剣を突き立て、一気に引き裂いた。ハリストエルの首は皮一枚で繋がっているだけとなり、建物の屋上から転がり落ち、地面に横たわる。
そして、例のごとく光の粒子となって消えていった。
「ま、まさか、ハリストエル様が!」
「天使様が! 天使様が! そんな!」
よほどハリストエルは期待されていたのだろう。何せ王都を守る騎士団の天使だったのだ。それが撃破されたとなれば、彼らにはもはや打つ手なしと言ってもいい。文字通りのお手上げ、だ。
「屠れ、屠れ、屠れ。皆殺しにしてしまえ。みんな仲良く肉団子だ」
「女王陛下万歳」
私が歌うように告げるのに、スワームたちが一斉に動く。
「た、助けて! 助けてくれ!」
「応戦しろ! ここを抜かれれば市民たちが殺されるぞ!」
あるものは恐怖から逃げし、あるものは恐怖に立ち向かう。
聖エルジェーベト騎士団は戦った。
リッパースワームに手足を切り落とされながら、頭を砕かれながら、はらわたを引き裂かれながら、彼らは懸命に戦った。無駄だと知りながらも長剣を振るって戦った。そして、その全てが無駄になった。
「お終いだ」
私の前方に広がるのは聖エルジェーベト騎士団だったものたちの物言わぬ死体だけ。彼らは2体、3体のリッパースワームは排除できたが、それだけだ。
「女王陛下、前進を?」
「そうだ。前進しろ。このシグリアを躯で包め。我々の栄光はそこにある」
リッパースワームの1体が尋ねるのに、私は集合意識を通じてもそう告げる。
「進め、進め。女王陛下のために」
「進め、進め。女王陛下のために」
リッパースワームたちは全てを蹂躙していく。
私の思った通りに。
…………………