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王国の終焉

…………………


 ──王国の終焉



 アラクネアは北と南でも同じような手段でアーリル川を突破した。


 もはや、マルーク王国には自然の要害は存在しない。


 王都に至るまではいくつもの要塞が存在しているが、そんなものが我々アラクネアを相手に持つはずもないのだ。


「ここも陥落だ」


 またひとつの砦を落として私は呟く。


 砦は血の臭いで満ちている。死体がワーカースワームによって運び出され、肉団子に変えられては肉臓庫に運び出されていく。肉臓庫の肉団子は適時リッパースワームに変換されては、受胎炉から吐き出されていく。


 兵士が軍服や鎧ごと原型を留めぬミンチにされて、肉団子に変えられている景色は、普通ならば吐き気を催すもののはずだった。漂う死臭を嗅ぎ、粘着質な音が響くのを聞いているだけでも吐いておかしくない。


 だが、私はそんな状況を見ながらホットサンドを食べていた。


 これは砦の兵士たちが残した材料と器具で作ったもので、中にはチーズとハムが挟まっている。最近は干し肉と硬いパンばかりだったから、アツアツで柔らかく、チーズの風味が香ばしいホットサンドはご馳走だ。


「セリニアン」

「は、はっ! なんでしょうか?」


 私は私の傍らに控えているセリニアンに声をかける。


「ホットサンド、食べたい?」

「いえ。陛下の食べ物をいただくなど恐れ多い……」


 そう言いながらもセリニアンはちらちらと私のホットサンドを見ている。可愛い。


「ひとつあげる。作りすぎたから」

「光栄です、陛下!」


 セリニアンは骨を投げられた子犬のようにホットサンドに飛びついた。そして、もぐもぐとホットサンドを味わう。


 セリニアンたちスワームは別段食事を必要としない。ユニットには維持コストというものがなく、いくらでも作れるのだ。私のホットサンドを美味しそうに食べているセリニアンにも本来は食事は必要ない。


 だが、彼らも娯楽としては食事を食べたいときもあるだろう。


 幸い、私とセリニアンがホットサンドを味わえば、集合意識を通じて全てのスワームたちがホットサンドの味を味わうことができる。もちろん、生肉をいつも食し、生肉から作られるスワームたちが私が作ったホットサンドを美味しいと感じてくれるか微妙だが。


「北と南の部隊が配置についた」


 私はホットサンドを食べながら、集合意識を通じて北と南を進軍させていたスワームの軍勢が、王都シグリアを攻略可能な位置に着いたことを確認した。北と南は抵抗は乏しく、マルーク王国は鉱山地帯と穀倉地帯を失った。


 そして、私たちはここまで来る過程で、住民をひとり残らず殺してきた。殲滅だ。


 私はまだゲームの感覚でこの戦争を戦っているようだ。敵を生かして残しておけば勝利条件は達成されないというゲームのルール。私はそれを忠実に守って、マルーク王国と名の付くものは根絶やしにした。


 村も、街も、要塞も。


 生き残ったものはいない。彼らには逃げる時間すらなかった。リッパースワームの進軍速度はこの世界の住民が対応できるものではなかったわけだ。村人も、街の住民も、砦の兵士たちも、リッパースワームが近づいてくるのに気づいた時には遅かった。


 村は、街は、要塞は包囲され、リッパースワームが波状攻撃をかけるのに陥落した。スワームたちは捕虜など取らない。老人も、子供も、怪我人も、病人も、皆が肉団子の材料である。


 我ながらどうしてここまで冷淡な判断ができるのだろうかと疑問に思う。私たちが殺している相手は人間だ。そして、私の仲間はスワームだ。生物学的見地から判断するならば、私は人間の中に入り、そこで生活するべきだった。


 だが、私が選んだのはスワームと共に人間を虐殺すること。まるでサイコパスのように容赦なく、徹底的に、人間を虐殺している。


 これでいいのだろうか?


 いいのだろう。


 私はスワームたちにアラクネアの勝利を約束した。その約束を守らなければ。たとえ、同じ種族である人間を敵に回してでも。それに私はゲームで何度も人間たちを虐殺してきたじゃないか。それと同じようなものだ。


 ちょっと現実になっただけ。それだけだ。


「女王陛下、お悩みですか……?」


 私がぼうとしながらホットサンドを齧っていると、セリニアンが心配そうに話しかけてきた。私たちの中の集合意識で私が人間とスワームに挟まれて悩んでいたのを察してくれたのだろう。


「いいや。悩んでないよ、セリニアン。私は憎い。リナトを殺した騎士団を送り込んできたマルーク王国が憎い。そして、何より君たちの勝利のために邪魔になるマルーク王国を滅ぼすべきだと考えている」


 私は最後のホットサンドを口に放り込むと、そう告げて立ち上がった。


「さあ、征こう、セリニアン。マルーク王国を滅ぼして勝利のために一歩進もう。それからは……考える。他の国が私たちに干渉するならば、マルーク王国と同じように容赦なく排除する」


「畏まりました、女王陛下」


 それから私たちは4つの砦を陥落させた。生き残りはなし。


 そして、私たちは王都シグリアを前にした。


 私は前進基地を王都シグリアの前方に設置し、これまでの略奪で手に入れた金で攻城兵器をアンロックし、投骨機の上位互換である腐肉砲をシグリア全面に向けて配置した。腐肉砲は腐肉を投射し、付近のユニットに毒の効果を与えると共に、施設を腐らせて倒壊させる。威力は低めだが、副次効果がえぐい。


 そして、ワーカースワームたちが12基の腐肉砲を配置したとき、攻撃の時間が来た。


 王都シグリアは住民の避難も十分ではないだろう。むしろ、周辺から安全な城壁に囲まれたシグリアに向けて無数の避難民が押しかけているはずだ。


 暫くの間、肉には困りそうにないな、と私は思った。


…………………


…………………


「世界の終わりだ! 異形の軍勢の手によって、城壁は破られるだろう! そして大いなる破壊がこの世界を覆うのだ! 光の神に祈っても無駄だ! 神ですらあの怪物たちの進軍を止めることはできない!」


 王都シグリアの大広場では中年の聖職者が演説をしていた。


 彼は実に奇跡的にある都市を脱出できた人物で、リッパースワームラッシュの恐ろしさを身を以て体験していた。そして、それをこの世の終わりだと判断するまでに至ったのだった。


 聖職者から信仰心を奪い去るほどのアラクネアの侵略。


「黙れ! ここでの集会は許可されていない! ただちに解散せよ!」


 信仰心を失った聖職者とそれに群がる民衆たちを騎兵が追い散らす。


「何だ! お前たち王国軍が弱いからこそ、俺たちは侵略を受けているのだろうが! 文句があるならばあの化け物の軍団を蹴散らしてみせろ!」


 民衆たちは騎兵にゴミを投げつけ、罵倒の言葉を吐く。


「怖いわね……。一体どうなってしまうのかしら……」


 そう呟くのは20代後半の若い母親だ。名前はリュドミラ。5歳と7歳の息子たちを連れて買い物をしていた彼女は、兵士たちと民衆が衝突するのを眺めて、恐怖を感じていた。いつものシグリアではない空気に、不安を感じていた。


「ママ。怪物が来るの?」

「僕たち食べられちゃうの?」


 リュドミラが民衆と兵士の衝突から距離を置くのに、息子たちが尋ねる。


「大丈夫よ。ここには立派な城壁がありますもの。そう簡単には破られることはりません。怪物たちは諦めてどこか他所に行ってしまうでしょう」

「それなら安心だね」

「怪物なんて怖くないぞ!」


 リュドミラと息子たちはそう言葉を交わして、自宅に戻っていく。


 そのころ王都シグリアの王城では悲痛な空気が流れていた。


 アラクネアの侵攻をついに彼らは食い止めることができなかった。黄土山脈は陥落し、アーリル川は突破され、王都までのいくつもの要塞も全てが蹂躙された。


「どうするのだ……?」


 イヴァン2世は宰相のスラヴァと軍務大臣のオマリにそう尋ねる。


「……現状、籠城するしかないかと。食糧庫には1年分の食料が保管されています。それで耐え忍んで、敵が去るのを待つしかありません」


「いつ包囲が終わるかなど分かるのか? 敵は永遠にシグリアを包囲し続けるかもしれないぞ。敵は人間の軍隊ではないのだ。敵は化け物の軍勢なのだ。財政の都合で撤退することなどありえないだろう」


 オマリが険しい表情で告げるのに、スラヴァがそう指摘した。


「他国の援助を頼めないのか? フランツ教皇国やシュトラウト公国ならば、我々の窮地を救ってくれるのではないか?」


 イヴァン2世はそう告げて、スラヴァとオマリを見つめる。


「既に外交で助けを求めています。ですが、援軍の出発には4ヵ月かかり、到着までにはさらに時間がかかるとのことです。これでは間に合いません」


 マルーク王国の救援要請にフランツ教皇国が応じた。


 だが、フランツ教皇国は軍を準備するのに4ヵ月、派遣には更に数ヶ月の時間がかかるという絶望的な知らせを伝えただけに終わった。


「なんたることだ! なんたることだ!」


 イヴァン2世は半狂乱になって叫ぶ。


「既に天使を擁する騎士団は残りひとつとなった。それだけが最後の切り札だ。だが、どこで戦えばいいというのだ。あの蟲どもはシグリアの街の四方を覆い尽くしており、どこから侵入してきてもおかしくないというのに」


 イヴァン2世は蟲によって自身の王都が包囲されていることを理解していた。そして、蟲がどこから入ってきてもおかしくはないことも理解していた。


「ならば、宝玉を使われては……? 宝玉の力ならば逆転することが可能になるかもしれません」

「宝玉だと。あれを使った歴代の王がどうなったのかを知ってお前は言っているのか」


 オマリがおずおずと告げるのに、イヴァン2世が彼を睨む。


「無論、存じております。ですが、今は国難の時。宝玉を使うならば今を置いて他ありません。宝玉によって何十万ものマルーク王国の民が救われるならば、犠牲も無駄にはなりますまい」


「むう……。それはそうだが……」


 オマリの言葉にイヴァン2世が考え込む。


「本当に我々の軍では防ぎきれないのか? 城壁をフランツ教皇国からの援軍が来るまで持たせることはできないのか?」


「不可能でしょう。既にあの蟲どもは黄土山脈を突破し、アーリル川を突破し、数々の要塞を突破しているのです。王都の城壁だけで防ぎきれるものだとは……」


 イヴァン2世が必死に尋ねるのにオマリが沈痛した面持ちで告げる。


「……分かった。ならば、城壁が破れしときに宝玉の力を解放しよう。願わくばそれによってマルーク王国の民が救われることを願って」

「ご決定に敬意を示します」


 イヴァン2世が決意を秘めてそう告げるのに、オマリとスラヴァが頷いた。


「では、変化があれば知らせろ。私は宝物庫に向かう」


 イヴァン2世はそう告げて軍議から退席した。


 イヴァン2世が去った後も軍議は続き、将軍たちを交えて、どうすればシグリアの城壁を持たせることができるか。食料の分配はどのようにすればいいか。いざという場合に脱出可能な経路はないか。そういうことが話し合われた。


「まさか、宝玉を使うことになろうとは」


 広間から出たイヴァン2世は悲痛な面持ちで宝物庫に進んでいた。


「お父様。どうなさったのですか?」


 そんなイヴァン2世に声をかけるものが。エリザベータだ。


「あ、ああ。国のためにどうしていいか考えていたところだ」

「そうですか。流石はお父様です。常に国のことを考えておられるのですね。わたくし、尊敬します」


 イヴァン2世が告げるのに、エリザベータが尊敬の眼差しで眺めた。


「エリザベータ。こうしてお前と話すのも最後かもしれん。私は戦いに行くのだ」

「そんな! ステファン様も戦死されて、お父様まで失うかもしれないだなんて! 誰か他の方に任せてください! お父様は国王陛下なのですから!」


 エリザベータの婚約者であったステファンがアーリル川の戦いで戦死したという知らせは届いていた。エリザベータは嘆き悲しんだが、今は少しでも前向きに生きようと努力している最中であった。


 だというのに、次は父親が戦いに向かうという。これまでの噂からして絶望的な戦いに臨むことになる。死ぬ危険性だって高い。そんな場所に父親が向かうというのは、絶望でしかない。


「国王だからこそやらねばならんのだ。私がいなくなっても強く生きろ、エリザベータ。マルーク王国の王女として誇り高く生きろ。私はお前がきっと私が去った後もこの国を繁栄させてくれると信じているぞ」


「お父様……」


 イヴァン2世が諭すように告げるのに、エリザベータが涙をぬぐう。


「はい。私はマルーク王国の第2王女として誇り高く生きます。たとえ、それが困難であってもあの蟲たちが排除されれば、国を再興することに全力を注ぎます。どうか、お父様もお気をつけて」


「ああ。気をつけよう」


 気をつけても、もはやどうにかなる問題ではないことはイヴァン2世はエリザベータには告げなかった。告げる必要もないからだ。


「では、お前は安全な場所にいなさい。地下室などがいいだろう。安全な場所に隠れて化け物たちが通り過ぎるのを待ちなさい」

「はい、お父様」


 イヴァン2世はそう告げてエリザベータを送り出した。


「国王陛下」


 次に話しかけてきたのは、近衛兵であった。


「あの化け物たちがエルフが召喚したものだというのは本当なのですか? エルフたちが生贄を捧げてあの怪物を異世界から召喚したのだと噂になっています。エルフがあの怪物たちを操っているのだと」


「くだらぬ噂だ。エルフたちにそのような力はない。もしあれば、もっと早く使っていただろう。エルフ風情があのような怪物を使役するなどありえないことだ」


 近衛兵が尋ねるのに、イヴァン2世がそう返す。


「それよりもエリザベータをしっかりと守ってやってくれ。頼むぞ」

「はっ! 命を懸けてもお守りしますに懸けてもお守りします!」


 とはいえど、あの怪物はどこから現れたのだろうか。エルフの森から現れたことは間違いない。だが、エルフの森のどこにあれだけの数の化け物が潜む場所があったというのだ。やはりあればエルフが黒魔術で召喚した悪魔なのだろうか。


「エルフ……。全ての元凶め。エルフさえいなければこのようなことにはならなかったものの。忌々しい森の蛮族たちめ」


 エルフさえいなければ調査の必要などなかった。聖アウグスティン騎士団が壊滅させられるようなことはなかった。それから化け物があふれ出したように、藪をつついて蛇を出すようなこともなかった。


 全て光の神を崇めぬエルフが悪い。


 イヴァン2世はそう信じていた。


 その頃王城の外では聖職者たちが光の神に祈りを捧げて、この未曽有の脅威が去ることを願っていた。城壁は鋼鉄のように守られ、怪物たちが諦めて去っていくことを願う祈りが捧げられていた。


 一部の聖職者はこれは光の神による裁きなのだと言い、これまで強欲な生き方をしてきた人間への懲罰だと叫ぶ。今からでも遅くないので贅沢品は燃やしてしまい、神聖な食べ物であるパンと水だけで生きる質素な生き方をすれば困難は去ると叫びまわった。


 いずれにせよ、そのような祈りや信仰の解釈は無意味だ。


 シグリアの城壁外には攻撃準備を整えた数十万のリッパースワームがおり、城壁を破壊するための腐肉砲の準備も完了している。


 アラクネアの女王が一言命じるだけで、シグリアは地上から消滅する。


 それでも人々は祈る。


 自分の無事を。家族の無事を。友人の無事を。国家の無事を。人間種の無事を。


 神に縋る人々は大聖堂に押しかけ、大司教にこの困難が去るように祈りの場を設けることを求める。もうすでに1日で9回も祈りの場が設けられているというのに、人々はそれでも祈るという。


 祈りは高らかと唱えられ、空に昇っていく。外に響いていく。


「祈ってるな」


 アラクネアの女王はシグリアの街が一番よく見える場所に腰かけていた。


「無意味なことです。神に祈ろうとも何も変わりません」


「まあ、そうだ。祈ってどうにかなるなら、軍隊も何も必要ない。祈ったってなあにも変わりはしない。ただ自己満足に浸るだけさ。南無阿弥陀仏と唱えったって何も救われはしないのと同じこと」


 セリニアンが告げるのにアラクネアの女王が立ち上がる。


「セリニアン。攻撃だ。シグリアを落とす」

「畏まりました、陛下」


 0500時。アラクネア、シグリアへの総攻撃開始。


…………………

本日21時頃に次話を投稿予定です。

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