リーンの戦い(2)
本日2回目の更新です。
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「撤退だ! 撤退しろ! ここで戦って勝てる相手じゃない!」
マルーク王国軍は1時間に渡ってリーンの街に流入した蟲に対処しようとしたが、それは全て無駄に終わった。
その硬い外殻は剣では切れず、弓矢は弾かれ、なによりそんな怪物が何百、何千、何万と存在するのだ。1万5000名を誇る東方鎮守軍でも対応できるものではなかった。彼らは数の暴力に押しつぶされ、牙と鎌で八つ裂きにされる。
「撤退!? どこに逃げろっていうんだ!?」
第1歩兵連隊第3大隊の大隊長であるゴランは自らも剣を取って戦いながら、撤退の命令を聞いて愕然とした。撤退しようにも四方は蟲に囲まれており、逃げ場などどこにもないではないか。
「大隊長殿! 西口の門が開いているそうです! そこから逃げましょう!」
「ああ。そうしよう。その前にこの怪物たちをどうにかしないといけないがな!」
副官が告げるのに、ゴランは襲い掛かってきた蟲をクレイモアで切り倒してそう返した。蟲は普通の長剣や弓矢は効果がないものの、クレイモアやハルバードといった重い武器ならばその外殻を叩き潰すことができた。
「クレイモアやハルバードを持った兵は道を切り開け! 行くぞ!」
「おおっ!」
ゴランはそう叫び、西口へと向けて駆ける。
街ではそこら中で悲鳴が上がっている。虫たちは兵士と街の人間の区別をつけるつもりはなく、目に入ったものは片っ端から餌食にしていた。昨日の晩、第1大隊の指揮官と飲んだ酒場でも看板娘の恐怖に染まり切った悲鳴が響く。
だが、今のゴランたちには街の人間を助けているような余裕はなかった。自分たちが生き残るだけで精いっぱいであった。いくら悲壮な悲鳴が聞こえてきても、助けを求める声が耳に届いても、全ても無視して西口に走る。
「止まれ! 友軍か! 所属は!」
「第1歩兵連隊第3大隊だ! 撤退命令が出ている!」
途中、何とか統制を取り戻そうとしている上級将校と遭遇した。
「撤退だと! このリーンの街を放棄するつもりか! あのような蟲どもなどに! そのようなことになればマルーク王国軍一生の恥だ! 配置に戻って戦い続けろ! 撤退は許可しない!」
「だが、撤退命令が出ているんですよ!」
上級将校が頑なに撤退させまいとするのに、ゴランが叫ぶ。
「撤退命令など出ておらん! チェルノフ大将は最後の一兵までこの街を守れと命令された! さあ、現場に戻って戦い──」
上級将校がゴランたちを街に戻そうとしたとき、地中から牙が突き出して、上級将校を上半身と下半身に切り分けた。そして、悲鳴を上げる彼を地面の中に引きずり込んでいった。助けるものは誰もいない。
「よし、撤退だ。こんな戦いやってられるか」
ゴランの言葉に生き残っていた第3大隊の兵士たちが頷く。
「西口はもう少しだ。もう少しで西口に到着する。そうなればこの地獄のような街の外に出られるぞ。もう少しだ」
ゴランは自分と兵士たちを鼓舞しながら駆ける。
だが──。
「逃げ出すつもりか」
西口は開いてなどいなかった。
いや、西口の城門は確かに開いていたが、蜘蛛の糸のようなものが城門を覆い尽くし、誰も通れないように塞いでいた。強行突破を試みて、糸に絡まり、そのまま蟲に屠られた死体がいくつも貼りついている。
「そりゃないだろう……」
ゴランの表情が絶望に落ちた。
「さて、ここを通るというならばこの私が相手になろう。ブラッディナイトスワーム“セリニアン”がな」
セリニアンと名乗った女性は、この街を襲っている蟲の半身に美しい女性の上半身を持った怪物だった。返り血のような深紅の色をした鎧を身に纏い、黒い長剣を手にして、ゴランたちの前に立ちふさがる。
「やむをえん! 強行突破だ! 弓兵は援護! 重装歩兵は前に出ろ!」
ゴランはもはや目の前の女性を同じ人間だなどとは思わず、敵として対処した。実に的確な判断だ。
分厚いプレートメイルに身を覆い、手にはクレイモアやハルバードを手にした重装歩兵が前列に進み出て、後方では弓兵がセリニアンと名乗った女性──いや、怪物に向けて弓矢の狙いを定める。
「かかれ!」
弓兵が一斉に弓矢を放ち戦いが始まった。
「甘い」
セリニアンは尾の部分から糸を吐き出すと、通りに面していた建物の屋上に飛び乗り、弓兵の放った弓矢を全て回避する。
「行くぞ!」
そして、重装歩兵めがけて一気に降下してきた。
「ぐああっ!」
セリニアンの剣は重装歩兵の目の部分を覆う薄い部分を貫き、眼球から目を押しつぶして絶命させる。どこまでも巧みな剣術だ。
「怯むな! 進め!」
ゴランは危機的状況にあると理解しながらも、戦うしかないことも理解していた。ここで逃げようとすれば、あのセリニアンという怪物は容赦なく追撃を仕掛けてくるだろうし、また怪物で溢れる街に戻ることになってしまう。
ここはセリニアンを撃破して、何とか西口より脱出する。ゴランはそう決意した。
「所詮人間どもはこの程度か」
重装歩兵3体が同時にセリニアンに襲い掛かるのに、セリニアンは背中から飛び出した昆虫の脚部で重装歩兵2体の胸を貫き、長剣で重装歩兵1体の喉を貫いた。重装歩兵は大量の血液を吐きながら地面に崩れ落ち、起き上がることはなかった。
「さあ、かかってこい人間ども。全員殺して同胞を生み出す糧としてくれる」
セリニアンは長剣と2本の脚部を構えてゴランたちと対峙する。
「重装歩兵は防御だ! 弓兵は射続けろ!」
重装歩兵の鈍い動きでは軽装で素早いセリニアンの相手はできないと判断したゴランは重装歩兵を盾とし、弓兵で片を付けることにした。
「鈍い、鈍い、鈍い!」
弓兵たちが弓矢を放つのをセリニアンは己の剣と尾で叩き落としていった。何十、何百という弓矢が放たれたがセリニアンに傷を負わせたものは1本としてない。
「む、無理だ! こんな化け物相手に戦えない!」
「誰か助けてくれ!」
弓兵たちは自分たちの攻撃が全ていなされるのに恐怖して逃走を始めた。
「待て! そっちは怪物だらけだぞ! 皆殺しにされるぞ!」
ゴランが制止するのも虚しく、逃げ出した弓兵は路地裏から飛び出してきた蟲に押さえつけられ牙と鎌で滅多刺しにされた。悲鳴が響き渡り、やがて静かになる。
「まだ戦うか。それとも大人しく糧となるか」
セリニアンは剣を構えて重装歩兵とゴランたちに対峙する。
「誰が黙って餌になるかよ……!」
ゴランは覚悟を決めて、重装歩兵と共に一斉にセリニアンに襲い掛かった。
だが、またしても攻撃は不発に終わった。
重装歩兵たちは足元をセリニアンが放った蜘蛛の糸に取られて転倒し、唯一突破したゴランの剣はセリニアンに受け止められてしまった。
「まだだ!」
ゴランは諦めずに攻撃を繰り返す。
右、右、左、上、右。あらゆる角度から素早く剣を繰り出すが、セリニアンの剣術は並みはずれていた。彼女はゴランの攻撃を一発も通過させることなく、全て弾き飛ばし、逆にゴランに向けて剣を放って彼の右腕に深い傷を負わせた。
「畜生……」
「大丈夫ですか、大隊長殿!」
ゴランが負傷に呻いているとき、糸から脱出した重装歩兵が駆け付けた。
「一斉にかかれ! 奴が対処できるのは3人までだ! それ以上は対処できない!」
「了解!」
ゴランが命令を叫ぶのに、重装歩兵が5名で一斉に襲い掛かった。
「誰が対応できるのは3名までだと?」
セリニアンは怪しく笑うと、尾をくねらせて重装歩兵と相対する。
そして、襲い掛かった5名の重装歩兵は──。
「なっ……」
ゴランの目を疑う結果となった。
セリニアンは糸で2名の動きを封じみ、その隙に3名を長剣と昆虫の脚で貫いて排除し、それが片付くと糸で動きが封じられている2名を長剣でひとりずつ始末していった。
鮮血が迸り、セリニアンの鎧に飛び散るが、深紅のセリニアンの鎧には血の色は目立たず、溶け込んでいった。
「さあ、最後はお前だ」
セリニアンは長剣をゴランに向けてそう宣言する。
「畜生……。この怪物どもめ……。エルフが黒魔術で召喚した悪魔か!」
ゴランは片手で長剣を構えながらそう叫ぶ。
「エルフが我々を呼んだだと? 何をふざけたことを。私は偉大なるアラクネアの女王陛下によってこの世に産み落とされたのだ。エルフなどに召喚されたものではない。アラクネアはエルフなどを超越した偉大なる文明っ!」
セリニアンは堂々とそう宣言する。
「アラクネ、ア? それがお前たちの国の名前なのか? いったい何故俺たちの国を侵略しようと思った! 貴様らは野蛮人の文明なのか!」
「何を愚かな。先に手を出したのはお前たちだ。お前たちが我々と友好関係にあったエルフたちを襲い、女王陛下はそのことに激怒された。そうマルーク王国をこの地上から抹消することを決意なさるほどに」
ゴランが痛みをこらえて叫ぶのに、セリニアンは静かにそう告げた。
「お前たちの国はこの地上から抹消される。国の民はひとりとして生かしてはおかない。そう、女王陛下は決意された。私はその命令に従うのみ。恨むならば、バウムフッター村を襲った聖アウグスティン騎士団とやらを恨むのだな」
「やはり、聖アウグスティン騎士団をやったのはお前たち──」
ゴランが最後の言葉を言い切る前にセリニアンがその首を刎ね飛ばした。
鮮血が噴き上げ、セリニアンの鎧を更に朱色に染める。
「ご苦労様、セリニアン」
「女王陛下!」
セリニアンがゴランたち第1歩兵連隊第3大隊を始末したとき、背後から少女の声が響いた。アラクネアの女王だ。この血生臭い戦場には不釣り合いな、壮麗なドレスに身を纏った彼女が、セリニアンの下にやってきた。
「けど、喋りすぎだ。雑魚は適当に始末すればいい。いちいち会話をしてやる必要などない。そんなことをしていたら時間がいくらあっても足りない」
「も、申し訳ありません、女王陛下!」
肩を竦めてアラクネアの女王が注意するのに、セリニアンが頭を下げる。
「まあ、いい。格好良かったからね、セリニアン。流石は私の誇る英雄ユニットだ。君のことは大切に育てていって、やがて世界最強のスワームにしてあげるから。だから、死なないでね?」
「はっ。必ず生き残ります」
アラクネアの女王が優し気に告げるのに、セリニアンは思わず涙してしまった。
「泣かない、泣かない。セリニアンは子供じゃなくて歴戦の猛者なんだから」
「すみません。女王陛下のお言葉がありがたすぎて……」
えぐえぐと泣くセリニアンの頭をアラクネアの女王がよしよしと撫でてやる。
「さあ。ここでの戦いを終わらせよう。そして、次の街へ、その次の街へ、そして最後は王都シグリアを落とす」
「畏まりました、陛下」
アラクネアの女王はそう告げ、セリニアンが付き従う。
リーンの街での戦い。
駐留していた東方鎮守軍は壊滅し1万5000名の戦力が丸々消滅した。そして、リーンの街に暮らしていたものたちも皆殺しとなり、15万人近い住民が死亡した。
だが、これは悪夢の始まりに過ぎない。
アラクネアの女王によるリッパースワームラッシュは始まったばかりだ。
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