3.5.回復技能について
三つ目のコクラの実を食べ終えたと同時にアスレがバルトを連れて部屋に入ってきた。
バルトは心底眠そうな表情でぼーっとしているが寝ているところを起こしたのだろうか?
バルトは部屋に入ってくるなり俺と向かい合うようにして椅子に座る。
アスレは周囲の燭台についている火を一つ一つ消していく。
最終的には机の上にある燭台の明かりだけになってしまった。
周囲は薄暗く、机の上にある燭台が俺たちの顔をぼうっと照らす。
バルトが人差し指と中指を蝋燭の火に近づけて静かな声でぼそりと喋った。
「『静寂』」
周囲の空気が急に冷たくなった気がした。
だが嫌な冷たさではなく、まるで周囲を守るような空気の冷たさだったように思う。
バルトは眠そうにあくびをしてむにゃむにゃと口をもごもごさせていた。
「ふぬー……誰だい?」
「応錬だ」
「嘘つき。応錬君は蛇だよ」
「……アスレ、ちゃんと説明しといてくれよ……」
「何分眠そうだったもので……無理やり起こしてしまいましたし……」
呆れたようにため息をつく。
仕方がないのでアスレにした時と同じように無限水操で水を作り出して淡い緑色に発光させる。
それを見たバルトはおや?
といったような表情で首を傾げている。
【新しい技能を開発しました】
ここで? うっそだろおい……えーっと『回復水』?
なんだこれ。まぁ今はいいや無視だ無視。
「それは応錬君がアレナの姿を作ってくれた時に出した水……。え? 本当に応錬君?」
「だから俺だっつってんだろ」
「わぁ……! すごいすごい! 人間の姿になれたんだ! なんで今まで蛇のままでいたんだよう!」
「あの時はまだ人間の姿になれなかったの」
バルトは随分と興奮しているようで目を輝かせている。
眠気など何処かへ吹っ飛んだのか、楽しそうな表情で俺を見ていた。
その後バルトは納得したようにうんうんと頷いている。
「確かにこれは僕の静寂が必要な場面だったね」
「あ、いえ。バルト兄様。実は応錬殿が人間の姿になれたことを隠そうとしてバルト兄様を呼んだ訳ではないのです」
「あれぇ?」
久しぶりに自分の予想が外れたと言ってケタケタと笑った。
その笑う姿はやはり子供っぽく、年相応とはとても思えなかった。
これがアスレの兄だと言われても初めは信じられなさそうだ。
アスレは笑うバルトに真面目な顔つきで回復技能のことを話し始めた。
「バルト兄様。応錬殿は回復技能を使えるそうなのです」
「へー! すごい! ヒール? それともハイヒールかな? 応錬君だったらハイヒールが使えてもおかしくないかもね」
「……大治癒です」
「は!?」
へらへらしていた表情が一変して驚愕の表情に一瞬で変わった。
「え、応錬君! そんなやばい技能持ってるの!?」
「回復技能がやばいって言われる時が来るとは思わなかったよ。いいから早く説明してくれないか? 長いこと勿体ぶられているからさ」
「そ、そうか……確かにこれは僕の技能が必要だね……」
「おーい。聞いてるか?」
呆れたように聞くとようやくバルトも察してくれたらしく、ゴホンと一度咳ばらいをしてようやく話をしてくれた。
「まず知っておいてもらいたいことがあるの。ヒールとハイヒールの事ね。この二つを持っている回復師は割と多い。だけど戦闘中に使えるような物ではないんだ。大体は施設でゆっくり治す人が多いかな。でも国としてはどれだけヒールやハイヒールを持っている回復師がいても足りない状況なんだ。うちもそうだしね。だけど……治癒、大治癒を持っている人は別。この二つを持っている人は戦闘中でも速攻で効く回復を味方にかけてあげることができる。冒険者にとってはパーティーに一人は絶対に欲しい存在だよ。でもほとんどそういう技能を持っている人はいないんだ。ましてや広域治癒なんて持ってたら世界中から狙われてもおかしくな──」
「あ、ごめん。俺それも持ってる」
「馬鹿なの?」
「それと回復水っていう技能もさっき取得した」
「そんなに世界敵に回したいの!? 死にたいの!?」
「え、なにこれもやばいの?」
「やばいってもんじゃないよぉ!!!」
バルトが随分と取り乱している。
だが容姿が子供っぽいためなんだか駄々をこねているようにも見えないでもない。
アスレとウチカゲも驚いているがバルトほどではなかった。
バルトは立ち上がりながら机に手を強く叩いてから捲し立てるように説明してくる。
「あのね! 回復師ってだけでどこの国からも引っ張りだこで利用されることがほとんどなの! 大治癒持ってるなんて知られたら確実に国中から狙われる! それに冒険者からも狙われるの! 味方がどれだけいても勝てなくなーるーの! それに加えて回復水だって? 一生回復水作りさせられることなんてざらだよ!? それが嫌だったらぜっっっっったいに誰にも言わない事! むやみに回復技能を使わない事! いいね!」
「お、おう」
普通に怒られてしまった。
心配してくれてはいるのはわかるがなんだか大げさな気がする。
俺の返事に対してバルトやアスレは満足してくれているようだが俺はあまり納得できていなかった。
そういえば回復技能についてあまり理解がない。
ヒールとかハイヒールは聞いたことないしどんな技能なのかわからない。
これがわかればどうしてそこまで必死になって忠告してくれているのかがわかるかもしれない。
「なぁ。その……ヒールとかハイヒールの違いを教えてくれないか? 俺は人間の世界に疎くもあれば技能に関しても疎いんだ」
「ああ……そうだったのね。じゃあまずヒールからね」
バルトは席に座って自分を落ち着かせるように一度深呼吸をする。
それから長い説明が始まった。
「ヒールは回復師であれば誰もが持っている技能だよ。魔力を対象に送り込むことで治癒力を高める技能なんだ。だけど結構不便でね……外傷しか治せないし、治すのにも時間がすごくかかる。かすり傷だけでも十分は使うかな。大きな切り傷だと一時間は使うと思う。魔力消費は少ないんだけどね」
ヒールは回復技能の中で一番簡単に使うことができて取得しやすい技能らしい。
回復師は勿論、冒険者のパーティーの中にもヒールを持っている人物は多いらしい。
戦えない回復師は医療院に勤めさせ、戦える回復師は冒険者の命を繋ぎとめるために同行を許可しているらしい。
だがヒールは魔力……もといMP消費が少ない代わりに治療時間がものすごく長いらしい。
確かに戦闘中では使えないし、一人の怪我を治療するのには一人で当たらなければならないらしいので、冒険者はいざ知らず治療院では常に人が足りない状況なのだとか。
「その時間を大幅に短縮させた技能がハイヒールだよ。その代わり魔力消費が激しい。十分な魔力を所持していないと発現すらしないからハイヒールだけでも珍しい技能と言えるんだ。ハイヒールを持っているというだけで国の専属回復師にさせる国もあるからね。それに誘拐事件とか多いよ……」
多分人間は訓練で技能を取得することの方が多いだろう。
でも魔力……もうMPじゃなくて魔力でいいか。
その総量で取得できるかできないかも決まってしまうのかもしれないな。
これは人で言う素質に当たる部分だな。
しかしハイヒールをもっているだけで誘拐されるとか……怖すぎなんだが……。
どれだけ回復師が重宝されているかがわかる気がする。
「ハイヒール持っているだけで肩身が狭くなりそうだな」
「実際その通りなんですよ。うちの回復師も数年前に誘拐されたことがあります。犯人は冒険者の一団でしたが……他国でも似たようなことが多くあるようです」
「医療院はアスレに任せてたからね。こういうのはアスレのほうが得意かも」
「興味はないなぁ……。で、技能の回復はヒールと何が違うんだ?」
三人は俺の言葉に首を傾げた。
「応錬様。大治癒を持っているのであれば回復は持っていてもおかしくないのですが……持っておられないのですか?」
「んぁ? 持ってたって言ったらいいかな? 大治癒を作るために使っちまったし」
「……え? それどういう事?」
俺は大治癒を作るのに回復技能の全てを合成しただけである。
進化したあのダトワームが多く回復系技能を持っていたためすぐに作ることができたが……。
合成したという事を伝えると、全員が怪訝そうな顔をして首を傾げている。
もしかしたら合成は俺にしかできないのかとも思ったが、零漸は合成できていた。
人間はできないのだろうか?
「合成……ですか……」
「ああ。俺の技能のほとんどは合成して取得した技能だ。お前らはできないのか?」
「ん~これは魔物限定かもしれませんねぇ。人は鍛錬により技能を取得します。剣技であれば剣を振り続ける事。魔法であれば魔力の流れを感じ取る事。そうしているとふとした拍子に技能が発現するんです。バルト兄様の『静寂』も小さいころ私とバルト兄様で蝋燭一本でボードゲームをしていた時に発現しましたしね」
合成はとりあえず俺と零漸だけができる物のようだ。
他にできる奴がいるかはわからないが少なくとも人間はできないらしい。
人間は本当にひょんな事から技能を発現させるようだ。
どういう理屈かはわからないが、それもまたその人物の素質が関係しているのだろう。
「あったね~そんなこと。結局母様にばれて随分怒られたっけ……」
「おい。話がずれてるぞ。合成や技能の発現についてはわかったから回復について教えてくれ」
二人が懐かしそうに昔のことを思い出して話始めたので、これはまずいと思って話題を無理やり戻してやる。
「ごめんごめん。回復は自分だけに使える技能だったはずだよ。これは多くの冒険者が持っている技能だね。魔力消費は激しいけど危険な時の助けになる優秀な技能だね。これの上位互換は超回復だよ。自分で自分を回復する技能はそんなに珍しい技能じゃないんだ。自分の魔力で自分を癒すわけだから相性は抜群なんだよね」
「相性なんてあるのか」
「そうだよ。だから女の人には女の回復師が、男の人には男の回復師がヒールで治療することがほとんどかな。でもそれを無視した回復技能が治癒だよ。ヒールやハイヒールと違って誰にでも速攻性のある回復で傷を塞いでいく。魔力を相当持っていないと使えない技能だけどね。そしてその上位互換が大治癒。魔力消費は少ないし連発できる」
治癒は相手の傷に応じて魔力消費が決まる技能だ。
これは大治癒も同じだ。
だが大治癒は深い傷にも効くという能力がある。
その度合いはどれほどの物かはわからないが殆どの大怪我にも対応できるというのはすごいとしか言いようがない技能だ。
治すのに時間はかかってしまうようだが。
治癒ならまだしも大治癒を持っている人物は歴代で指で数えるほどしかいないらしい。
その人物も何かしら悪い連中に追われていたり国に拘束されていたりと碌な扱いは受けていないようだ。
だがそれも噂であり、本当はどうしているのかは知る者すらいないのだという。
今は何人の者が大治癒を使えるのかすらもわからない幻の技能となっているらしい。
その話を聞いてようやく自分の技能の危なさを理解することができた。
人間の世界に馴染めないなんて俺は嫌だ。
大治癒や広域治癒はできる限り潜めておくことにしよう。
確か零漸も回復系技能を持っていた気がする。
今はどうなっているかわからないがもし再会できた時はくぎを刺すように注意しておくことにしよう。
「……流石に追われ続けるのは勘弁だな」
「本当に気を付けてね? 初めに話してくれたのが僕達で本当に良かったよ……。あ、あと回復水ね」
「これは何が危ないんだ?」
回復水。
これがまず何かわからないので久しぶりに技能の確認をしてみることにする。
===============
―回復水―
回復能力のある水を作り出す技能。体内の怪我に大きな効果がある。
===============
ああ、こりゃ狙われますわ。
多分だがヒールや治癒のほとんどは外傷による傷を治すことがほとんどだろう。
大治癒だと内臓まで治してくれるかもしれないがこれは試していないのでわからない。
技能を確認した後、すぐにバルトが回復水について説明をしてくれた。
「回復水は回復薬と違って水だけで作れるって所がすごいんだ。それに内臓の傷によく効く。骨が折れたりアキレスの腱が切れたりしたときは筋肉や繊維にダメージが入る。最悪肺とかに骨が刺さったりするしね。そういった傷は大治癒でもなかなか治せないんだよ。でも回復水なら別。外傷を治すことはできないけど骨折して傷ついた筋肉の繊維や肺、肝臓とかにも速攻で効くんだ」
見えない傷は大治癒でも治すことができないらしい。
目に見えてわかる骨折は治せると思うが骨に入ったヒビなんかは治すことはできないのだろう。
だがそれを可能にするのが回復水。
技能一つで強力な回復効果を持つ水をすぐに生成できるのだ。
効果も即効性だしな。
「これは回復薬でも治すことができるけど、回復薬は薬草を使って調合する。それに作るのも体に効き始めるのも時間がかかっちゃうんだ。薬草の調達もお金がかかるし作るのにも買うのにもお金がかかる。回復水は魔力を消費するだけで簡単に回復薬以上の効力を持つ水を作ることができるんだ。誰もが欲しがる技能だし、その技能を使う人物がいればすぐにでも手元に置いておこうとする奴らはゴロゴロいる。病気は薬じゃないと治せないけどね」
「……なんて肩身が狭いんだ回復師……。あ、広域治癒は?」
「一瞬で一定範囲の味方を複数人回復してくれる人物を欲しがらない部隊はいないと思うけど」
「封印するわ」
どれ使っても碌なことにならなさそうだという事がわかった。
俺がこの技能を使えるようになる時は俺がめちゃくちゃ強くなるしかなさそうだ。
この話は俺たちだけの秘密という事になって密会は終了した。
だが隠してもらう代わりに必要であれば使ってくれという条件は無理やりだが飲み込んでもらった。
アスレたちからは何かあればすぐに頼ってくれと言われたので、ガロット王国に来たら真っ先に宿として使わせていただくことにしよう。
バルトは蝋燭の火をフッと息をかけて消した。
すると冷たかった空気がいきなり熱を持ち始め、妙な感覚だったがそれはすぐに収まった。
俺たちはアスレの部屋を出て自室へと戻る。
バルトとは全く反対の方向だったのでそれぞれがおやすみと言って別れた。
部屋までは少し距離がある。
ウチカゲは隣を歩いており、時折後ろを向きながら警戒を怠らない。真面目なことだ。
「そういえば……」
「なんですか?」
「テンダと姫様はなんで俺の技能の事をあんなに軽く見ていたんだ?」
このことをウチカゲに聞いていなかった事を思い出してそれとなく聞いてみる。
ウチカゲはすぐに理解してくれたようだ。すぐに説明をしてくれた。
「実は姫様が使えたんですよ。あの技能」
「ほぉ?」
「身近にあったものですから珍しい物とは知らなかったんでしょう」
そりゃ関心も少ないわ。
だが姫様は外の事なんて知らないだろうからわかるとして、なんでテンダは大治癒のことを知らないんだ。
まぁ今考えても仕方ないか……。
「テンダは意外と世間知らずだったか」
「ははは。確かにそうかもしれませんね。村の防衛ばかり考えていましたし……俺はいろんなところに行ったりしましたけどね」
「お、その話は長旅の時に聞かせてもらうとしよう。じゃ、おやすみ」
「はい。おやすみなさいませ」
ウチカゲと別れてサテラの部屋に……。
ん? 不味くね?
サテラは別の部屋にいる。
多分もう寝ているだろうけどこのまま行くのは良くないのではないだろうか。
「う、ウチカゲ」
「はい?」
「俺このままサテラの部屋に行くのは不味くね?」
「……蛇のお姿に戻られればいいのでは? サテラも応錬様が人の姿になるところを見たほうが良いかと思いますし」
「あ。それもそうか」
ということでMPを100使って蛇の姿に戻る。
やはり体は熱くなるが痛みは全く感じない。
だが妙なことに服が消えていた。
どこを探しても見当たらない。
吸収したのだろうか……?
え、あらやだ。まじで?
え、どうなってんのこれ!
「では応錬様。おやすみなさい」
おいこらちょっと待てウチカゲぇ!
何知らん顔して逃げようとしてんだ今の俺に違和感を感じろ!
あ! 逃げやがった……。
剛瞬脚使いやがったな……?
ああ……もういいや。とりあえず今日は寝よう。
◆
―深夜―
アスレはバルトと一緒にガロット城にある地下牢へと来ていた。
三人の護衛を付けて暗い地下階段を降りている最中である。
今からこの二人が行おうとしていることは、事情聴取。
このような事態になってしまった以上、話は聞かなければならない。
本当であれば兵士たちにまかせればいいのだろうが、ここは自分自身で聞いておきたかったのだ。
それはバルトも同じ意見だったようで、アスレに賛同してこのように地下へと降りてきている。
特に目立った会話もなく、暗い地下に響き渡る数人の足音だけが響く。
そのまましばらく歩いていくと、牢屋が見えてきた。
だがこの地下牢も非常に広い。
なにせ脱出用の出入り口にも使われるものなので、道が複雑なのだ。
だがそこはこの地下牢の警備をしている兵士たちに任せておけばいい。
兵士たちは一切迷うことなく、ラインドとラッドのいる牢屋まで連れて行ってくれた。
二人の牢屋は別々であるが隣同士だ。
近づいてみてみれば、ラッドは憎しむようにこちらを睨んでいる。
「貴様ら……! 俺様をこんなところに閉じ込めて良い気になるなよ! 絶対に復讐してやる!」
暗く良く響く地下にその声は大きすぎる。
非常にうるさく思うが、今はこいつに構っている余裕はない。
一番話を聞きたいのは元王であるラインドだ。
「父上」
「……アスレか……」
その姿を見て私とバルト兄様は首を傾げた。
地上にいた時と様子が全く違うのだ。
憑き物が落ちたような……言ってしまえば昔の父親の面影が何故か戻っていた。
「私は……私は一体何をしていたんだ……」
「え?」
「父上。まず説明してください。どうして奴隷商なんかと結託して自らの納める領地の領主、アズバルを手にかけ、前鬼の里、はたまたテンダ殿がいた鬼の里を襲ったのですか?」
それを聞いたラインドはようやくこちらを向いて目を合わせた。
だがその表情を見た私とバルト兄様は非常に驚いてしまった。
何故かというと……逆にラインドが驚いた顔をしていたからだ。
「まて……待ってくれ……。どういうことだ! 私は一体何をしたんだ!」
「ごめんアスレ。此処は僕が話してもいいかい?」
「分かりました……」
これには流石のバルト兄様もただ事ではないと思ったのだろう。
バルト兄様はしゃがんで牢屋の奥にいる父上と目線を合わせる。
「何も……覚えていないのですか?」
「わ、わからん! アズバルは……アズバルはどうしたのだ!?」
「死にました」
「!!」
確かに報告ではアズバルは死んだ。
それは間違いないだろうし、その娘たちも奴隷に落とされている。
片方は助かったが、もう片方はまだサレッタナ王国に囚われているままだ。
このことをバルト兄様は全て父上に教えた。
それに追い打ちをかけるように、此度の戦争の事、そして奴隷商の結託のことも事細かく伝えていく。
「そ、そんなことが……何故……そ、それは私だったのか! 私だったのか!!?」
「間違いありません」
「ああ……ああああ! アズバル……! アズバっ……アズバル……!!」
その声は悲痛な物であり、力なく鉄格子を握ってずるずると体を地面に落としていく。
私は父上がアズバルとどういう関係だったのかは知らないが、ここまで取り乱すという事は良き友だったのだろうという事くらいはわかる。
だが話を聞くに……父上はこの度の一件のことを全く覚えていない様だ。
これは……一体どういうことなのだろうか。
「バルト兄様」
「うん。父上は嘘を言っている様子はないね」
「……何かに乗っ取られていたのでしょうか?」
「それは僕にもわからない。父上。最後に覚えているのはなんですか?」
「最後……」
父上は涙を流しつつも、バルト兄様の言葉を聞いて思い出そうとしていた。
すると、ばっと顔をあげて鉄格子に縋りつく。
「女だ! 夜……尻尾の生えた女が私の寝室にやってきた!」
「いつの話ですか?」
「……わからん……。私がどれほどの間記憶を失っているのかわからんのだ……」
そこまで言うと、父上は後ろにあった古びたベッドに腰を下ろす。
「すまん……私ではここまでしか力になれん」
「いえ、それで結構です」
バルト兄様はすっと立ち上がって目を閉じる。
また何か考え事をしているのだろう。
しかし、尻尾の生えた女などはこの世界に沢山いる。
そこから一人を見つけ出せなどというのは不可能に近いだろう。
ましてや、父上は正気を取り戻した。
ということはもう用が済んだという事に違いない。
父上にもう一度接触する事もあるかもしれないが、その可能性は非常に低い物だろう。
「なぁ……一つ聞いても良いか」
「はい」
「どっちが王になった」
「私です。アスレ・コースレットです」
「……そうか……。アスレ。お前に正式に王位を授けたい」
「!」
以前の父上からは聞けるとは思っていなかった言葉が飛び出してきた。
だが、今の状況ではそれは口約束のような物になってしまうだろう。
気持ちは嬉しいが……もう父上を公の場に出すことは非常に難しくなってしまっているのが現状である。
「気持ちだけ、確かに受け取っておきます」
「いくら何かに取り付かれていたとしても……私のせいで……苦労を掛けることになってしまった。本当に済まない」
「父上ぇ! そんな奴は殺さねばなりません! 俺たちをこんなところに──」
「黙れぇええ!!!!」
叫んだのは他でもない父上だった。
今までラッドには一切怒りを表さなかった父上が怒ったことに、私達三人は非常に驚いた。
「お前はもう黙れ……何も喋るな……」
「な……な……っ」
父上はもう一度私の顔を見る。
「厚かましい願いで済まない。アズバルの領地を……助けてやってくれ……復興してやってくれ……あいつとの約束なんだ……」
「……わかりました」
「すまん……すまん……」
最後には牢の地面に手をついて土下座までしていた。
バルト兄様も何か思う所があるのか、何も言わずにその約束を静かに見届けてくれた。
「アスレ。いこう」
「わかりました」
バルト兄様に促されて、私たちは牢屋をあとにする。
後ろからは父上がすすり泣く声が聞こえ続けていたが、それも次第に消えていった。
「アスレ」
「なんでしょう」
「この問題はこの国だけの問題。だから応錬君には頼んじゃダメだよ。僕たちだけで解決するんだ」
「わかっております」
その言葉を最後に、その牢屋から聞こえる音はなくなった。