とりとねこのぬいぐるみがライバルに会いに行く話。
大雨が多い夏でした。
夕立ちなんていう生易しいものじゃなくて、ちょっと常軌を逸した雨。
テレビや新聞ではそれを、ゲリラ豪雨とか線状降水帯とか、そんな名前で呼んでいました。
夕立ちという言葉の持っていた、夏の夕暮れの情緒のような風情は消えてしまいました。
だからというわけではないでしょうが、今年の夏はやたらめったら暑いだけで、かつての夏が持っていた賑やかさの影の寂しさのようなものも消えてしまったような気がします。
さて。
一人暮らしのOL、マキさんの部屋では、居候の間抜けな顔をした白いとりと三毛のねこのぬいぐるみがふこふこと暮らしていました。
有名キャラクターでも何でもない、商品名もただの「とり」と「ねこ」の、お値段も千円するかしないかの大量生産のぬいぐるみですが、ほかのぬいぐるみとはちょっと違うところがあります。それは、自分たちで勝手に動いて喋ることです。
ふたりで部屋中を動き回って遊んだり、テレビを見て笑ったり、お風呂にたらいを浮かべて船遊びをしたり、気ままにぬいぐるみ生活を楽しんでいます。
どういう原理で動いているのかはわかりませんが、とにかく動き始めたものは仕方ないので、もうすっかりマキさんも慣れっこで、彼らが動くに任せています。
ぬいぐるみなので別にエサ代もかからないしトイレの必要もないので、ほっておいてもかまわないのです。
そんなある日の夜のことです。
マキさんはいつものようにクッションを抱えて寝っ転がって、テレビをつけっぱなしにしてスマホをいじっています。
別にテレビを見ているわけではないんだけれど、音がないのも寂しいのでつけっぱなしにしているという感じです。
とりとねこは、ふたりで『とりとねこが転んだ』をしています。ルールは完全に「だるまさんが転んだ」で、掛け声が違うだけですが、このふたりはかたくなにこっちをやります。
鬼はとりのようです。ふこりと床に顔を伏せて、掛け声をかけます。
「とりとーねこがー、こーろーんだー」
「すたたたた」
ねこは自分で効果音を出しながら、部屋の壁からとりに向かって駆け寄ります。
いくら体の小さなぬいぐるみとはいえ、ワンルームの狭い部屋なので距離を詰めるのは簡単です。
案の定、顔を上げて振り向いたとりの目の前には、もうねこがいました。
とりが次に「とりとねこがー」と始めたら、間違いなくタッチされてしまうでしょう。
ですが、とりは「ふふふ」と笑いました。
「もうこんなところまで来ているとは、やるな、ねこくん」
ねこは返事しません。
動いたら負けだから、当たり前です。
「だが、ぼくにタッチはできないよ」
とりは言いました。
「くらえ、目からビーム!!」
とりの目からビームが出ました。
いや、嘘です。別に何も出てはいません。
出てはいないのですが、目からビーム、と言われたらとっさによけてしまうのは小学生男子の習性です。だって、もしも本当にビームが目から放たれたら、よけなければ死んでしまうのですから。
「にゃっ」
見えないビームをかわしたねこを、とりの手羽がびしりとさしました。
「はい、ねこくん動いた!」
「しまったー!」
ねこが頭を抱えます。
「ふふふ。ぼくの目から出るビームをよくぞかわした」
「あぶなかったよ、まる焦げになるところだった」
「あはははは」
「うふふふふ」
そういうところはふたりとも小学生男子とあまり変わりません。
マキさんは楽しそうなふたりを横目にスマホをいじりながら、このけものたちは何やってるんだろうとぼんやり考えています。
家の壁とかに穴が開くから、目からビームはやめてほしいなあ、などと思いながらも、マキさんは小学生男子ではないので、しょうもなさすぎて口には出しません。
つけっぱなしのテレビでは、最近の不安定な天気についてのニュースが流れていました。
『線状降水帯の発生により氾濫が懸念されている地域では、国交省が一級河川の点検を指示し……』
「にゅっ」
「にゃっ」
とりとねこが急にニュースに反応しました。
「マキ!」
「な、なによ」
「今、ニュースがぼくらのことを!」
「ことを!」
とりとねこはふこふこりんとテレビの前に陣取ります。
「いや、別にあなたたちのことなんかやってないよ」
マキさんは改めてテレビを見ました。
画面には日本地図と雨雲の動きが映し出されていて、キャスターがそれを解説しています。
「ほら。線状降水帯っていうすごい雨が降る現象のことを言ってるんだよ」
「いーや。ぼくらのことを言ってた」
「言ってた」
なぜかふたりは自信満々でテレビにかじりついています。
「だから、言ってないってば」
そのとき、画面がぱっとどこかの大きな川の映像に切り替わりました。
『〇〇県内の〇〇川、〇〇川などの一級河川では……』
「ほらー!」
「言ったー!」
とりとねこが騒ぎますが、マキさんは「は?」と困惑。
「なにが?」
「イッキュウカセンって言った!」
「言った!」
「はい」
マキさんは頷きます。
「言いました。それが何か?」
「一級化繊って言ったら、ぼくらのことだろう!」
とりが胸を張ります。
「フォルム、手触り、愛くるしさ! どこをとっても一級化繊!」
ねこも両腕を広げます。
「ああ……」
マキさんは、真面目に聞いて損したという顔をしました。
「カセンって、化学繊維のことじゃないよ。川のこと」
マキさんはテレビ画面を指さします。
ヘルメットをかぶったリポーターの横に、「一級河川」という看板がありました。
「ほら」
「なんだってー!」
「がーん!!」
「大雨が降るから、川が氾濫しちゃうっていうニュース。一級河川とか二級河川とかあるのかな? 国が、特に大事な川を一級河川って指定してるんだって。ほら、うちから駅の方にちょっと行ったところの、橋がかかってるタカラ川っていうのがあるでしょ。あれも確か、一級河川だよ」
「なんてことだ」
マキさんの説明に、とりはがっくりと肩を落とします。
「ぼくも国に大事にしてもらいたい。一級化繊として」
「は?」
「国に面倒を見てもらいたい。ぬいぐるみ省とかに」
「クリーニングとか綿の補充とか」
ねこもおかしなことを言い出します。
「ぜんぶメンテナンスしてほしい。国に責任をもって」
「あのねえ」
マキさんはあきれ顔でため息をつきます。
「厳しいことを言うようだけど、とりさんもねこくんも普通のお店で買ったノンブランドのぬいぐるみだから、一級化繊というのは無理があるよ。せいぜいノーマル化繊って感じで」
「がーん!」
「がーん!!」
「まあいいじゃない。一級とか二級とか、関係ないよ。天はぬいぐるみの上にぬいぐるみを作らずって偉い人も言ってるでしょ」
「ぼくらはメイドインチャイナだから、作ってくれたのは天じゃなくて中国の人たちだぞ」
「そうだそうだ」
マキさんの適当なフォローは、意外にも正論で返されました。
「とにかく明日も大雨が降るみたいだし」
やさぐれているとりとねこを尻目に、マキさんはあくびをしました。
「出勤のとき、嫌だなあ」
結局、川が氾濫するほどではありませんでしたが、大雨のせいで電車が止まったりして、マキさんもかなり苦労したのですが、それは置いておいて、それから数日後のことです。
すっかり雨のことなど忘れたみたいに、空はいいお天気でした。
マキさんは今日も会社へ出勤です。ご苦労様。
適当にお見送りを済ませたふたりは、出窓から外を覗きました。
「さて、ねこくん」
「はいさ」
「マキはこの前、タカラ川も一級河川と言っていたじゃないか」
「言ってたかなあ」
「言ってたんだよ」
とりは言葉に力をこめます。
「一流は一流を知るというじゃないか。僕らも一級化繊として、一級河川に挨拶に行こうじゃないか」
「ええっ」
ねこは腕としっぽをぴこりと振り上げます。
「タカラ川まで行くの?」
「ああ。ぼくらもそのくらいの冒険をしてもいい年頃じゃないか」
「そういえばそういう年頃だった!」
ねこはとりの言うことを何でも鵜呑みにします。
「じゃあさっそく出かけよう」
「わーい」
ふたりはふここここ、と玄関のドアまで走って、そこではたと気づきます。
鍵がかかっています。ふたりは開けることはできますが、鍵を持っていないので外からかけることはできません。
「開けっぱなしで行くのも不用心だよねえ」
ねこが言いました。
「マキに怒られるよね。泥棒が入るかもしれないし」
「ふむ」
とりは手羽をくちばしの下に当てます。
「ならまあ、これでいいだろう」
とりはドアをふこぺた、と這い上ると、チェーンロックをがちゃんとかけました。
それから、ドアを開けます。
チェーンロックのせいでドアはほとんど開きませんでしたが、手乗りサイズのぬいぐるみのふたりはその隙間を余裕ですり抜けました。
「ほら。これなら人間は入れないだろう」
「さすがとりさん!」
ふたりはドアを閉めると、アパートの廊下をふここここ、と走りました。
途中で、大きな段ボールを抱えた宅配便のお兄さんとすれ違います。
「ごくろうさまでーす」
「おつかれさまでーす」
とりとねこはその足元を挨拶しながら駆け抜けました。
「あ、どうもー」
段ボールで視界のふさがれたお兄さんは、ぬいぐるみに挨拶されたことに気付かず、そう挨拶を返してくれました。
「ん?」と振り向いたお兄さんが無人の廊下にぞっとして、「あのアパートは出る」という噂が広まってしまったのはまた別のお話。
階段をぽこぽこと下りたふたりは、いよいよ外へと飛び出しました。
日差しがさっとふたりを照らします。
「ぐわあああ、まぶしいいい」
「灰になるううう」
いつもの吸血鬼ごっこをしながら、てんころりんと走っていきます。
ふこーん、ふこーん、と歩道を走っていくと、前と後ろを先生に挟まれた保育園児たちの行列に出くわしました。
これから、もう少し先の大きな公園に行ってみんなで遊ぶのでしょう。
二人一組で手をつないで歩いている園児たちのうちの一人が、てんころてんころ走っているぬいぐるみに気が付きました。
「せんせー! あそこ!」
その子は大きな声を上げて指さしましたが、園児たちが怪我をしないように細心の注意を払っている先生がそちらを見たときには、もうとりとねこはいませんでした。
「どうしたの、よしくん」
「いまねー、あそこをちっちゃいのが走ってった!」
「あらそう。トカゲでもいたのかしらね」
先生はあまり深く考えず、そう言いました。
「ちがうよー、トカゲじゃないよー、もっとふこふこしたやつー」
「あら、なにかしらねえ。たぬきでもいたのかしら」
「たぬきじゃないよー、もっとちっちゃかった」
そんな会話をしているころには、とりとねこはもう歩道を走り抜けて橋のすぐ近くにたどり着いていました。
ふたりの目の前には、二車線の道路とそれを一直線に貫く横断歩道。
小さなぬいぐるみにとっては、まさに大河のような道幅です。
とりが歩行者用信号を指さします。
「あの信号が緑色になったら出発なんだ」
「さすがとりさん!」
昼間の人気のない時間。ふたりのほかには歩行者はいません。
しばらく待っていると、車の流れが止まって、歩行者用信号が青に変わりました。
「よし、ごー!」
「ごー!」
ふたりは横断歩道をふここここ、と走ります。
止まっている車の運転手さんたちは、バンパーよりも低い背丈の一級化繊たちにまるで気が付きません。
途中の中州みたいなところを抜けて走っていると、信号が点滅し始めました。
「とりさん、ぴこんぴこんってカラータイマーみたいになってる!」
「いそげねこくん! あれが赤になるとアウトだ!」
「ひえー」
ころりんころりん。最後は転がるようにしてふたりは反対側にたどりつきました。
ぶぶー、と車が発進し、横断歩道を通り過ぎていきます。
「ふいー、あぶなかったねー」
「ああ。これぞ冒険だな」
「冒険だね」
ふたりはふこふこと頷き合いました。
そして、ふたりはついに一級河川のタカラ川に到着しました。
「おー」
「でたー」
『一級河川』と書かれた青い看板をふたりは見上げます。
「一級化繊meets一級河川」
「とりさん、かっこいい!」
ふたりは、雨の影響でまだ水位の高い黒く濁った川面を見下ろしました。
川下では数日前に雨はやみましたが、川上の山間部では昨日も雨が降っていたのです。
「やっぱり一級河川はすごい迫力だな」
「かっこいいねえ」
ふたりがしばらく橋の上から川を見下ろしていると、そこを通りかかった腰の曲がったおばあさんに話しかけられました。
「あれまあ、こんなところにぬいぐるみがふたつ。誰が置いたのかしらねえ」
「誰も置いていないぞ、おばあさん」
「ぼくらは自分の意思でここにいます」
ふたりが答えると、おばあさんは目を真ん丸にしました。
「おやおや。ふたりともお話ができるのかい。えらいねえ」
「えへへ」
「てへへ」
「それにとってもかわいいねえ」
「ぐーん」
「ぎゅーん」
ふたりのかわいいポイントがたまっていきます。
かわいいポイントは、誰かにかわいいと言ってもらえると付与されるポイントで、たくさんたまると記念品と交換できるらしいです。
「おばあさんはどこに行くんだ」
「行くんだ」
「これから公園でお散歩よ。年寄りは歩かないと足がすぐにだめになっちゃうからねえ」
「なるほど」
「雨でしばらく外に出られなかったでしょう。だから、今日はしっかり歩こうと思って」
「ふむふむ」
「それはいいこと!」
とりとねこはしばらくおばあさんとお話をしました。
おばあさんは、
「この歳になるとなかなか話し相手がいないから、話を聞いてもらえてうれしいわあ」
と言いました。
「ぼくらも、マキ以外と話すことってほとんどないよねー」
「うむ。それじゃあおばあさん、ぼくらはウィンウィンの関係だな」
「そうねえ。ウィンウィンねえ」
おばあさんとふたりはぴこりとハイタッチをします。
それからさらにしばらくお話しした後。
「じゃあぼくらはそろそろ帰ろうか。おばあさんも公園に行かなければならないし」
「そうだね。おばあさん、お散歩がんばってねー」
「はいはい。ふたりも気を付けて帰ってね」
おばあさんと手を振り合って別れたふたりは、またもと来た道をふこふこと歩き始めたのでした。
「とりさん、一級河川、すごかったね」
帰り道で、ねこがとりに話しかけます。
「ごーっていってたよ。でっかくて、黒かった」
「ああ。でっかくて、黒かったな」
とりはふこふこと頷きます。
「さすがは一級河川だった。ぼくらも同じ一級化繊として恥ずかしくないぬいぐるみにならないとな」
「そうだねー」
そんなことを話しながらふたりは、午後の人気のない道を家まで帰ってきました。
アパートのドアを開け、チェーン錠の隙間から部屋に潜り込みます。
もちろん、内側からチェーン錠をはずして鍵を掛け直すというアリバイ工作も忘れません。
「かんぺきだね、とりさん」
「ああ。これでこそ一級化繊の仕事」
とりとねこは顔を見合わせて、くふふふふ、と笑いました。
これなら、まさか今日ふたりが冒険に行っていたとは、お釈迦様でもマキさんでも気づくわけはありません。
「さ、クッションに埋まってテレビでも見ようじゃないか」
「わーい。ぼく、通販番組見る―」
ふたりはふこふこといつもの生活に戻ったのでした。
「ただいまー」
今日も仕事に疲れたマキさんが帰ってきました。
「あー、つかれたー」
「おかえりー」
「えりー」
迎えに出てきたとりとねこを見て、マキさんは「ん?」という顔をします。
「ふたりともずいぶん汚れてるね」
「えー? そうかなー?」
「ふつうだよー」
ふたりはぴひょー、と吹けない口笛を吹いてごまかそうとしましたが、マキさんはふたりを持ち上げてまじまじと眺めました。
「うん。これはだめ」
そう言うと、時計を見ます。
「この時間ならまだ洗濯機回せる」
「えー」
「きゃー」
ふたりは、ぽこりと夜の洗濯機に放り込まれます。
ふたりの新たな冒険が始まるのでした。