96話 大帝国の本気③
各地を圧迫していた駐屯軍は謎の魔術によって壊滅し、氷の兵団が逆侵攻を仕掛ける。
あるいは黒騎士によって指揮官クラスを暗殺する。
すべて
「ふん。ふたを開けてみればこの程度か。邪魔になると思った神聖グリニアの覚醒魔装士も大したことなかったようだな」
皇帝ギアスは疲れを吐き出すように言った。
執務机には書類の山が幾つも完成しており、その全てが処理済みだ。
大公ノアズも同じ執務室で仕事中であり、こちらはまだ書類を捌いているところだ。
「全くよぉ……神聖グリニアの連中以外で我が国の切り札を使うことになるとはよ」
「あまり良い選択でないことは確かですね」
皇帝と同じく書類にひと段落ついた大公サウズはノアズに同意した。
現在、スバロキア大帝国は貴族のほとんどが没落状態にある。死んだ貴族から縁者を探し出し、新しい当主として据える準備は済ませた。混乱はひとまず収まったと考えて良い。
「逆転……ここまで来るのに酷く手間と時間を取らされた。それと資源もな」
手間暇は勿論、資金面でも酷い目にあわされた。
帝都の銀行で窃盗が多発し、金庫の中身が奪われたのである。この金庫破りの手際、そして運び出しに全く気付けない隠密性は『灰鼠』と『赤兎』の仕業だ。それはすぐに分かった。
「それにしても、あの黒猫が分裂状態とはな。どう見るサウズ」
「こちらに味方するのは『天秤』『若枝』『白蛇』『幻書』に『暴竜』でしたね。あの最悪な裏組織が無償でこちらの支援をして下さるのは助かりましたが、何とも不気味です。それほどまでに恐ろしいというわけですか、『死神』は」
「奴らの話を信じるなら、あの冥王らしいからな」
「ルト元将軍を殺した腕前から古くから生きる覚醒魔装士だと考えていましたが、まさか魔物だったとは想像もできませんでした。こればかりは一本取られましたね。情報の正確さがいかに致命的な結果を生むか、よくわかりましたから」
魔物の『王』は特別だ。
通常の魔物が行使する魔導は、人間でいうところの魔装に近い。ただ、魔物ごとの種族である程度は固定されている。そのため、対処も簡単だ。しかし魔法は一線を画する。あれは一つの新しい法則であり、通常の法則の範囲内で動く魔装や魔術は通用しない。修行を積んだ覚醒魔装でギリギリついていけるかどうかというレベルだ。
つまり、『王』の魔物を倒すためには覚醒魔装士が複数名必要となる。
スバロキア大帝国がわざわざ不死王ゼノン・ライフを討伐していないことから分かる通り、『王』の魔物は討伐に対するメリットがまるでない。犠牲だけが増える相手だ。下手をすれば、切り札とも言うべき覚醒魔装士を失うリスクも孕んでいる。
挑むぐらいなら不干渉。
大帝国が不利益を被る存在となるのなら、ようやく重い腰を上げる。
それほどに慎重な対応が必要な相手だ。
「俺としても、ルト元将軍の件は悔やみきれねぇ」
最後の一枚を仕上げたノアズも同意した。
粗暴な口調に反して、彼にも大公としての資質と教養は備わっている。『王』の魔物の恐ろしさを認識していると同時に、ルトの重要性も理解していた。
「一人で一国に匹敵する
ルトは現役の将軍でもあったので、部隊として出しやすい。
覚醒魔装士はある程度の間だけ正規の軍人として活躍し、頃合いを見て皇帝から称号を授かる。そして称号を得た覚醒魔装士は最重要秘匿戦力となり、国籍すら消されるのだ。
その代わり、生活は保障されるし不自由もない。
来るべき時のため、存在を隠され続ける。
「しかし残念だ。
「仕方ありませんよ陛下」
「ああ。反省するべきことも多いが、利益も多い」
失ったものも大きいが、チャンスでもある。
これまで属国でしかなかった全ての国を吸収し、完全にスバロキア大帝国として支配する口実ができてしまったのだ。そして属国ではなく本国となった以上、これまでのように搾取はしない。法律に則って正当な税を徴収する予定である。
鞭かと思えば飴を与える。
これにより国民の感情を大帝国への恨みから感謝へとすり替え、統治を完璧なものにする。所詮、国民は自分の暮らしが豊かであれば支配者が誰であっても構わない。この反乱を理由に全ての属国の王族は皆殺しにするので、反乱の旗印も消える。
悪いことは重なったが、全てが悪いわけではない。
こうして軌道修正できたのも、ひとえに皇帝と大公が非常に優秀だからだ。四つの大公家から最も優秀な者を皇帝として選出するシステムが功を奏し、腐敗した帝政国家にはならなかった。自分でも国民でもなく、スバロキア大帝国を常に繁栄させるための働きを見せてきた。
その積み重ねが、逆転へと導いた。
「もう覚醒魔装士を隠しても意味がない。討伐軍を引き上げ、あとは覚醒魔装士たちに任せよう。折角見せたのだから、中途半端よりも完璧に見せつけるつもりでな」
「さすがに神聖グリニアの連中も覚醒魔装士の投入は控えるだろうぜ。間違いなく勝ったなァ」
「嫌がらせは
「任せておけ」
「それと
「明日までにまとめましょう」
そして
「それと陛下、どうやら動く死体の事件は収束するようですね。こちらは
「細菌だと? 病気だったというのか?」
「病気は病気ですが、魔術で変異したものです」
「つまり人為的だと?」
「そういうことになりますね」
人為的に引き起こせるということは、犯人を見つけないかぎり終わらない可能性が高いということ。いつ引き起こされるかもわからないバイオテロに怯えなければならないというのは、ギアスにとってもストレスとなる。
だが、そこには思わぬ朗報があった。
「この細菌につきましては黒猫の幹部が対応しています。『若枝』と『幻書』が対抗策を練ってくださっています。闇の組織に依存したくはありませんが、
「そんなものは今更だ」
国家という組織は可能な限り、闇組織に頼るべきではない。
非合法な方法を利用し続ければ、国民はそれが正しいことだと誤認するようになる。それは治安の乱れに繋がり、国家の崩壊にもつながる。故に、裏組織の利用はここぞという時でなければならない。
だが、ギアスはもう気にしていなかった。
大帝国で活動する魔装士ギルドのいくつかとも契約することで、表向きは民間組織に依頼したということになっている。その中に闇組織も混じっているだけの話だ。叩けば埃の出てくるような細工だが、パッと見ただけでは分からないようになっている。
貴族のほとんどが死んだ以上、ギアスの動きを深く調べることができる者はいない。
表向きの細工さえしてしまえば、バレないという自信があった。
「こちらは初動が遅れて負けなくてもいい戦で負けそうになった。ようやく反撃だ」
やっと、という表情を隠すことなくギアスは語ったのだった。
◆◆◆
徐々に
「覚醒魔装士が想像以上に強いな」
「ええ、特に
「国なら禁呪で消せないのです?」
「アイリスさんの意見は尤もですが、禁呪で消したところで再展開されますからね。やはり
それに覚醒魔装士は
悪魔のような黒騎士を操る
「それともう一人、恐らくは凄腕の剣士と思われる覚醒魔装士もいます」
「恐らく、か」
「はい。複数の情報から推測したものですので。そして唯一、活動を見せていない覚醒魔装士でもあります。他の魔装士は動きがありましたので、何とか情報を集められました」
「どちらにせよ、三人の覚醒魔装士を先に殺さないと
「ええ、そこで新しい依頼です」
『鷹目』が一枚の紙を見せる。
それは
「ここに記されている通り、覚醒魔装士を一人殺すだけで千金貨。三人殺せば追加で二千金貨を支払うという契約を結んでまいりました」
「つまり合計で五千金貨か」
一般人なら一生遊べる大金である。
だが、金貨そのものに意味はない。金貨が通用するスバロキア大帝国は滅びる予定なので、金貨はいずれ使えなくなる。シュウは金貨ではなく、金貨に使われている金が欲しかった。
金はどこででも換金できるので、スバロキア大帝国が滅亡した後でも役に立つ。
紙幣が一般的な神聖グリニアや周辺国で流通している以上、スバロキア大帝国が消えた後はやはり紙幣が中心の世界となるだろう。今のうちに金を溜めておけば、魔神教が支配する世界でも働くことなく生活することができる。
「しかし『死神』さん。一つ問題があります」
「問題?」
「
「それは面倒だな」
暗殺するにしても、対象の居場所が分からなければ話にならない。
今までもシュウは暗殺対象の情報を他人任せにしてきた。それゆえ、シュウ自身は情報収集能力が高いとは言えない。まして秘匿対象者である覚醒魔装士の場所は簡単に分かるはずもない。
「……仕方ない。とりあえずは
「でもシュウさん。その後はどうするのです?」
「おびき寄せるしかない。話は『鷹目』から通してくれ」
「そういうことですか。しかし効率的ではあります。
「まぁな」
シュウと『鷹目』は分かり合っているようだが、アイリスには何のことか分からないらしい。それが悔しく、頬を膨らましていた。
「もう! またシュウさんと『鷹目』さんだけで悪だくみしているのです!」
最近、アイリスはほとんどやることがない。
シュウが何をしているかぐらいは教えて貰えるが、それにかかわらせては貰えない。アイリスにとって、それは不満だった。
「私も禁呪の縮小化を頑張ったのですよ! 私にも仕事が欲しいのです」
「アイリスにもか……」
シュウは少し考える。
そして間を開けてから答えた。
「なら、手伝ってくれ」
その言葉にアイリスは心からの笑みを浮かべた。