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93話 血液魔法


 万象真理フラロウス閻魔黒刃クロムリアは地下室を調べていた。

 ここは始祖吸血鬼ヴァンパイア・アンセスとなったシェリーの研究室である。



「結構、結構」

「満足した?」

「ああ。これは素晴らしいな」



 資料を一通り見た万象真理フラロウスは実に満足そうである。

 彼は陰属性について深く研究したのだが、シェリーの研究した陽属性についてはあまり知らない。真理を求める彼からすれば、この研究室は宝庫だ。

 万象真理フラロウスの魔装は真理を見つめる。

 彼の眼には世界の法則が情報として現れ、魔術陣の紋章も意味のある形として観測できる。



「魔力によって精神構造を生み出す魔術。これが陽魔術の一つか」



 陽魔術の総合的性質は創造、そして誕生だ。

 死体に精神構造を付与することで、動くようにすることができる。極めれば生命体を創造することも可能ということだ。



「動く死体騒ぎのヒントになった?」

「うむ。あれが人為的に可能な所業だと分かった。逆転魔術陣を組めば術式解除もできることだろう」

「さすが知識だけはある爺ちゃん」

「黙っとれ。歳は似たようなものだ」

「女性にそれは禁句」



 そして問題のシェリーは、ここに安置していた恋人の死体を持ち出し、今頃は復活の儀式を執り行っている頃だろう。



「では閻魔黒刃クロムリアよ。陛下に報告するとしよう」

「そうね。嫌がらせはあの始祖吸血鬼ヴァンパイア・アンセスに任せればいいし」

「儂の魂魔術もさらに洗練される。良いことばかりだ」



 嬉しそうに笑う万象真理フラロウスは実に機嫌が良い。

 だが、そこで所持していた魔道具に通知音が入る。この魔道具は通信用であり、その先は皇帝だ。緩んでいた表情を正し、即座に通信を開く。



「陛下、万象真理フラロウスです」

閻魔黒刃クロムリアです」

『情報は集まったか?』

「問題なく」

『では帰還せよ。危機的状況だ。お前たちの力がいる』

「といいますと?」

『十五の軍団が壊滅した。そして不敗黄金ガルドロスが暗殺された』



 それは二人に衝撃を走らせた。

 無敵の鎧を持つ不敗黄金ガルドロスが暗殺されたのだ。彼は寝ている間も魔装を発動し続ける男であった。ゆえに暗殺など不可能だ。その鎧であらゆる攻撃が吸収されてしまうのだ。全身を隙間なく覆われ弱点のない彼を殺す方法などないハズだった。



「暗殺者は誰なの?」



 閻魔黒刃クロムリアは緊張と好奇心の混じった声で質問する。



『帝都を騒がせた黒猫の暗殺者だ。恐らくな』

「なるほど、『死神』なのね……」



 納得すると同時に、その認識を改めた。

 『死神』はルト・レイヴァンと黄金不敗ガルドロスの覚醒魔装士二人を仕留めたことになる。覚醒したばかりのルトはともかく、二百年の時を生きる不敗黄金ガルドロスが殺されるというのは想像しにくい。

 言い換えれば、想像を絶する力を持っているということだ。



『こちらは色々と事態が動いている。最速で帰還せよ』

「御意」

「必ず」



 皇帝の命令は絶対だ。

 それは覚醒魔装士でも同様である。

 どうやら祖国を離れている内に取り返しのつかない事態に陥ったらしい。二人はそのように認識した。



「急ごうお爺さん」

「言われなくとも分かっておるわ小娘」



 二人は欲求のままに動くが、愛国心は本物である。

 生み出した始祖吸血鬼ヴァンパイア・アンセスなど放置して、二人は帰国した。










 ◆◆◆










 月の光すら闇に喰われた新月の夜。

 瓦礫の山となった都市で、魔力の光が輝いていた。その中心にあるのは一つの遺体。祭壇のようなものに寝かされ、地面と空に巨大な魔術陣が広がっている。

 そして祭壇の側には、漆黒のドレスを纏った美女がいた。



「ルーヴェルト……すぐに会えるわ」



 二つの都市を滅ぼして手に入れた魔力を使い、恋人を復活させようとしているのだ。

 術式は完成させた。

 陽魔術をメインとした精神創造……いや、復元の魔術。

 世界に刻まれた情報、肉体に刻まれた情報、それらを元にルーヴェルトの魂を蘇らせる。



「魔力は充分。やっと、やっとよ」



 シュウの死魔法と異なり、シェリーの魔導はそれほど効率的ではない。

 血液から魔力を奪い取るという性質上、どうしてもロスが生まれる。死魔法のように全てを奪い取る力ではない。

 そのせいで二つも都市を滅ぼすことになった。



「完成ね」



 魔術陣の光が消える。

 復活魔術が完成したのだ。不可能と言われていた死者蘇生を、大量の魔力によって成し遂げた。勿論、魔術理論はある程度構築されている。だが、大半は魔力による願いの伝導で完遂した。

 魔力は意志を伝える。

 そして世界は魔力の願いに従い、魔術陣を自動で生み出す。

 だが、シェリーの願いはそれほど強かったということだ。



「目を覚まして」



 シェリーはルーヴェルトの顔を両手で包み、しっとりとした声で呼びかける。

 閉じた瞼がピクリと動いた。

 そしてゆっくりと開かれる。



「君は……」



 ルーヴェルトはジッとシェリーを見つめ、呟く。



「シェリー、どうして」



 起き上がり、自分の体を確かめる。

 そしてシェリーの全身を眺めた。闇のようなドレスと、変わらず美しいシェリーの姿。そしてルーヴェルトの記憶に残る、自分の死。

 一体全体、どういうことなのだろうか。ルーヴェルトは不思議に思った。



「生き返ったのよ。あなたは」

「復活の魔術、だって……?」

「そうよ」



 そしてルーヴェルトはジッと見つめ、冷たい声音を吐く。



「君はシェリーじゃない。魔物だ。その魔力は……シェリーじゃない」



 彼も魔術師の助手なだけあって、無系統魔術はマスターしている。その感知によって、シェリーが膨大な魔力を抱えていることに気付いた。

 そして魔力の質も全く違う。

 目の前の女はシェリーではないと考えた。

 だが、シェリーは本物である。ただ、魔物に転生しただけだ。



「私は魔物よ。不死属になったの……悪魔が転生させてくれたのよ。貴方のために」

「悪魔だと……それに転生!? それに復活って」



 不死属への転生は死霊術師に見られる魔術だ。

 自身の肉体を魔力で再構成し、同時に周囲の魔力を吸収して魔物へと転生する。転生する魔物は色々とあるが、人型の不死属が最も簡単だ。



「どうしてだ! 君が邪悪な死霊術の……それも奥義に手を出して……」

「ルーヴェルト、貴方を蘇らせたかったの」

「違う! どうして禁忌に触れた! いや、触れたんですか先生……」



 恋人としてではなく、助手として答える。

 ルーヴェルトは魔術師の端くれだ。勿論、シェリーを魔術師として尊敬していた。陽魔術という治療や結界に関する技術の研究において、シェリーは多くの論文を提出している。

 致命傷からの復活という、究極の回復魔術に届こうとしていた。

 その技術を応用して、ルーヴェルトの死後から死者の復活を研究し始めたのである。

 教会として死者の復活は禁忌ではない。それが魔物ではなく、人として蘇らせるならば禁止として指定していない。死という現象を克服しただけだと考える。

 魔神教が崇める魔装神エル・マギアは魔装の神。仮に魔装の力で復活が可能ならば、それは是であると認められる。魔術という技術によって成し遂げても同様だ。

 だが、シェリーは人体実験を大量に行った。

 これは流石に認められない。さらには失敗した陽魔術で動く死体を量産してしまい、死霊魔術師として手配されたのである。

 魔術そのものは禁忌ではない。



「貴方は人間のままよ。死者蘇生の魔術をかけたの」

「ですがなぜ先生は魔物に。それに悪魔ということは、魔物と契約したんですか!?」

「ええ」



 シェリーは笑みを浮かべる。

 元々、死霊術師として捕まり、死刑待ちだった。

 恋人であるルーヴェルトを蘇らせるためなら、悪魔と契約する。

 だが、その契約によってシェリーは魔物となってしまった。姿だけでなく、その精神性までもだ。シュウが人間に興味を抱かないのと同じく、シェリーもルーヴェルト以外は興味がない。

 変質した精神はまさしく魔物だった。

 望むものは力によって手に入れる。



「……あなたが魔物と契約し、不死属になったというなら僕は討伐しなければならない」



 正直、ルーヴェルトは魔物となった恋人を信じることができない。

 そして魔神教を信じる者として、魔物となったシェリーの魂を解放しなければならない。ルーヴェルトはそう考えた。

 攻撃魔術を展開し、その手をシェリーに向ける。

 アポプリス式魔術の炎属性。

 最も攻撃力の高い魔術としてよく用いられる。つまり、ルーヴェルトの殺意を示していた。だが、シェリーからすれば酷い裏切りである。



「どうして? ねぇ」



 無詠唱で構築された魔術は第一階梯《火球ファイア・ボール》。高い魔力を持つ始祖吸血鬼ヴァンパイア・アンセスなら、無意識の魔力で弾くことができる程度の威力だ。

 悪魔と契約して、都市を二つも滅ぼして、ようやく蘇らせた恋人だ。

 よくやった、愛しているという言葉を待っていた。

 しかし、返ってきたのは軍用攻撃魔術。



「どうして? ルーヴェルト」

「君は僕の愛したシェリーじゃない」



 これはシェリーにとって明確な裏切りだった。ある意味、魔物としての精神は純粋である。その心を裏切られたことで、彼女の想いは形となって現れた。



「違う……」

「シェリー?」

「貴方はルーヴェルトじゃない」



 意志とも言える力が魔力に力を与えた。

 世界を塗り潰す、新たな法則として。



「私のルーヴェルトを、取り戻さなきゃ」



 シェリーは両手を伸ばし、ルーヴェルトの頬に触れる。

 強大な魔力を感じ取ったルーヴェルトは緊張した。発動した《火球ファイア・ボール》も、この距離では自分にまで被害がくる。ゆえに使えない。

 瞳から色が消えたシェリーは『魔法』を使った。



「ルーヴェルトを永遠に愛するの」

「がっ……ごはっ!」

「永遠に」



 口、鼻、耳、そして両目。

 顔中の穴から血液が流出し、それがシェリーに吸収される。ルーヴェルトはあっという間に顔を青ざめさせる。血が失われたことで、ルーヴェルトは二度目の死を迎えた。

 そして三度目の生を受ける。



「血は命の源。私の知らないルーヴェルトを殺して……」



 シェリーはさらに魔力を込めた。



「私の愛したルーヴェルトを取り戻す」



 死んだルーヴェルトは再び血気が良くなり、目を覚ました。

 血に濡れていた服も綺麗になり、すっかり元通りだ。



「シェリー……」

「ルーヴェルト、生まれ変わった気分はどう?」

「ああ……君のことだけが見えるよ」



 恋人としてのルーヴェルト。シェリーの記憶にあるルーヴェルトがそこにいた。

 命の源、血を操る法則。

 シェリーの血液魔法がこの世に生まれた瞬間だった。









 ◆◆◆












 ファロン聖国は神聖グリニアとかかわりが深い。地理的には神聖グリニアの南西であり、信仰深い国民ばかりである。魔神教の大聖堂も国民の税金で維持されているほどだ。

 莫大な財で維持される大聖堂は素晴らしく、観光地としても有名である。

 国名からとってファロン大聖堂と呼ばれるほどである。



「おお! 帰還しましたか!」



 ファロン大聖堂のバルトロイ司教が笑顔を浮かべた。

 近隣の都市に派遣した聖騎士の部隊が帰還したのだ。ファロン聖国の守護者とも呼ばれる偉大な聖騎士ルーメンを派遣したので、恐らくは朗報だろうと考えている。



「早くこの部屋にルーメンを呼んでください。勿論、彼の他にも数名ほど」

「はい」



 報告に来た神官は部屋から去っていく。

 だが、かなり時間が経ってもやってこない。バルトロイは首を傾げた。汚れた装備を綺麗にしているということもあり得るため、わざわざ呼びに行くこともしないが。



「しかし遅いですね」



 あるいは怪我をしているのかもしれない。

 バルトロイはそう思った。

 今回、彼は魔物の討伐のために聖騎士を派遣した。その魔物は不死属であり、既に幾つもの都市を滅ぼしている。念のため、守護者とも呼ばれる男を送ったのだ。

 都市を滅ぼしたということは、その魔物は最低でも災禍ディザスター級だ。

 場合によっては破滅ルイン級も考えられる。

 ルーメンが怪我をしたのならば、まず間違いない。



「しかしこの聖都が穢されることがなくてよかった。感謝します」



 神に向かって祈りを捧げていると、扉が三度叩かれた。

 ルーメンがやってきたのだと考え、すぐに扉を開いた。すると、予想した通り聖騎士服の男が立っている。バルトロイもよく知るルーメンである。



「よく帰ってきました。着替えていたのですか? 随分と遅かったようですが」

「そんなところですよ」

「さぁ中へ。ところで他の聖騎士たちは?」

「彼らにはちょっとした仕事を頼みました」

「そうですか? しかし仕事ですか」

「ええ、バルトロイ司教は気にしないでください」



 ルーメンがそういうのなら、気にする必要のないことなのだろう。バルトロイは納得した。

 そして彼を招き入れる。



「ともかく、入りなさい」

「いえ、ここで充分です」



 だが、ルーメンは拒否した。

 そして予備動作もなく貫き手でバルトロイの腹を貫く。



「なっ……ぜ……」

「私は崇めるべき真の神を知ったのです。我が真の神を邪魔する貴方も、きっと分かります」

「まこ……と……の神?」



 ルーメンは手を引き抜いた。

 内臓にダメージを受けたバルトロイは致命傷だ。すぐに治癒すれば助かるが、このままでは死に至る。司教であるバルトロイも陽属性魔術を使える。だが怪我を負って発動に集中できるほどの術者ではない。

 このままでは死ぬ。

 そう悟った。



「どう……して、ですか」

「喜んでくださいバルトロイ司教。我が神は貴方に会ってくださるそうです。さぁどうぞ」



 そう言ったルーメンは横に移動して膝をつく。

 まるで崇めるべき何かを待っているかのようだった。いや、事実として待っていた。生まれ変わったルーメンの新たなる神、シェリーを。



「貴方が馬鹿な神を信じる愚かな司教ね」



 漆黒を纏った女が現れる。

 シェリーは易々と大聖堂に侵入し、こうして最奥までやってきた。バルトロイにはシェリーが魔物であると分かり、恐れる。



「まも、の……なぜ」



 人型の魔物。恐らくは不死属だ。

 間違いなく始祖吸血鬼ヴァンパイア・アンセスである。それはバルトロイが聖騎士に命じて討伐させようとした魔物だ。

 監獄都市シェイルアートを滅ぼしたことをきっかけに存在が確認され、それ以降も幾つか都市を滅ぼしている。すでに魔神教の高位神官の間では情報が伝わっていた。



「私の血液魔法は愛を与えるの。そして私だけを愛するようになるの」



 血を全て抜き取り、シェリーの魔力を含んだ血を与えることで奴隷を生み出す。

 シェリーに全てを捧げ、血の一滴まで従う忠実な奴隷。

 聖騎士すら、それに抗うことはできない。



「今頃、私の部下たちは我が神の信徒を増やしていることでしょう」



 そして血の奴隷となった者がそうでない者を殺して血を与えることで、新たな奴隷を生み出す。そうして鼠算式に血の奴隷が増殖する。



「さぁ、血をあげるわ。もう、誰にも裏切らせない」



 シェリーのその言葉を最後に、バルトロイは生まれ変わった。

 魔装神を崇めるファロン聖国は、この日を境に堕ちた。










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