92話 軍団暗殺③
「気を付けよ『緋毒』」
「何度も言わせるな。理解している」
魔力が高まり、本部天幕の中が血のように紅い霧に満たされた。
シュウが霊系魔物であり、物質を通り抜ける霊体化状態ならばグロアの魔装は効かない。だが、それでもグロアは魔装を止めなかった。多少の牽制になると考えたのだ。
(ちっ……この弱点は知っていたが、改めて面倒だな)
グロアは気付かれないように舌打ちする。相手が物質に依存する存在ならば毒が効いた。勿論、魔力で実体化している魔物にも有効である。だが、霊体と実体を切り替えられる霊系魔物にだけは有効打がない。
この事実は大将軍であるグロアも熟知していた。
勿論、対策もある。
毒の密度を引き上げれば良い。
魔力がグロアの右手に集まり、深紅の剣が具現する。緋色の毒を凝縮した武装だ。
「ではやるぞ『緋毒』。吾輩に続け」
「ふっ……誰にものを言っている!」
流石に大将軍と覚醒魔装士だけあって強い。
シュウは以前にも『獄炎』のシュミット・アリウール大将軍を暗殺した。だが、彼は自宅で寛いでいたので今回とは状況が異なる。戦場で気を張っていたグロアがシュウの攻撃に気付き、初撃を躱したのは驚くべきことであり、同時に納得できることでもあった。
迫る黄金の巨体を観察し、その動きを読み取る。
(思ったより隙だらけだ)
シュウと
人間の思考は物理的な信号によって脳内で実行されている。
そのため、どうしても速度に限界がある。
しかし魔力による思考には限界がない。物理的な制限など存在しないため、魔力は時間すら超える。魔力で構築されている魔物の方が思考能力は高い。だからこそ、シュウは禁呪や神呪クラスの魔術を単独で発動できる。
そしてたっぷりと思考したシュウは、
(まっすぐでいい)
余計な魔術は必要ない。
正面から
ゆえに不敗。
少なくとも決して負けることはないのだ。
だが、黄金にして不敗である彼を殺し得る力は存在する。それが概念に干渉する魔法だ。新しき魔の法によって世界そのものを塗り替える。
「危険分子、『王』の魔物よ! ここで貴様は死ぬのだ!」
恐らくは無敵の鎧を利用してシュウを捕らえ、グロアの緋毒剣で仕留める算段なのだろう。だが、元から捕らえるつもりしかない攻撃など、シュウにとってはまるで意味をなさない。
だが、シュウは右手を引き絞り、魔術の加速によって心臓を貫いた。
「ば、か……な!」
「貴様の死は無駄にせんぞ
グロアは動揺することなく、貫かれた
女帝とすら言われるだけあって、冷酷ながらも効率的である。
しかし、やはりシュウには届かない。
(『
右手を
ただの人間でしかないグロアは死の力に耐え切れず、即死した。
同時に魔力が消え去り、赤い霧も消える。
「終わったな。思ったより苦戦させられた」
暗殺対象は全員殺した。
一方のグロアは走り寄る勢いのまま、
(さてと)
実体化したシュウは倒れたグロアを掴んで転がし、仰向けに寝かした。そして死魔力の貫き手で心臓部を抉り取る。これで主要な暗殺対象は同じ死に方で統一できた。
目的を達したならこの場所にいる意味はない。
加速の魔術陣を展開し、再び霊体化して『鷹目』との集合地点に向かう。
全ての物質を透過するので、直線的に帰還した。
空気抵抗すら無視して加速したシュウは、瞬間移動とも思える。
「戻った」
「やはり早いですね『死神』さん」
「お前こそな……」
シュウは暗殺。
『鷹目』は情報収集。
どちらも闇の組織に属するプロである。そして『王』の魔物と覚醒魔装士だ。この程度は当然と言えば当然である。
「Sランク魔装士を五人、それと金ぴかの覚醒魔装士を暗殺完了した」
「こちらも第三連隊と第四連隊の座標を捕捉しておきました。正確な方向と距離を地図で示せます」
「すぐに見せろ」
「どうぞ」
『鷹目』はサッと地図を広げ、二か所を指で差した。
そこはここから南へかなり向かった先である。『鷹目』の転移があればすぐに行けるのだが、シュウはそうしようとしなかった。
「その近くの
「ここですね。それとここ、あとはここにも」
地図で見ても
地の利がない場所で包囲戦術を使うのは愚策。
だが、質で劣る以上、数の利を生かした戦術が必要となる。そして戦術にこだわり、中途半端な包囲に失敗してこのような結果となっている。
「かなり距離があるな。引いたのか?」
「第三連隊と第四連隊にボロボロのボロにされたんですよ」
「だが、好都合だ」
「
「初めからそうすれば良いものを」
そして進軍し、引き返すことで第四連隊を挟み撃ちにする。
だが、初めからその戦術が選択されることはなかった。欲を出したのか、それぞれの連隊を同時に殲滅しようと考えた。それが失敗だった。
仕方なく一度引いて、片方ずつ作戦に切り替えたということだ。
「まぁ、その作戦も無駄になるな」
「もしやあれを?」
「ああ」
シュウは南を向いた。
そして振動魔術を発動して光を操り、遠くを見る。水でレンズを生み出し、光の操作によって補助をすれば数百キロ先であろうともハッキリ見える。
『鷹目』の示した座標を探し、まずは第三連隊の陣地を見つけた。経度はほとんど同じなので、時差もほとんどない。陣地は眠り、僅かな警備を残しているだけだった。
「始めるぞ」
遠見の魔術を維持したまま、シュウは小石を拾う。
そして手元に立体魔術陣を発動させた。
立体魔術陣は広がり、シュウを包み込むほどとなる。
(反物質を生成、高密度魔力で保護、反応促進、魔素結界、エネルギーの完全熱変換)
次々と魔術陣を重ね、それを立体化によって連結する。球状の魔術陣の中心で小石は魔力に包まれ、漆黒の小さな球体ができあがった。
久しぶりの発動であっても淀みない。
準備は整った。
左手の上に漆黒の球体を浮かべる。黒い雷が閃いた。
「それが?」
「ああ。俺の切り札、《
左手を斜め上に伸ばし、右手は後ろへ。
弓を引き絞るような姿を取る。
そして加速魔術陣を五重に重ね、計算によって落下位置を補正する。勿論、狙うは大帝国軍第三連隊の陣地だ。
「まずは一つ目」
シュウはそう言って放つ。
漆黒の滅びは闇に紛れ、空の向こうへと消えていった。
さらに遠見魔術を操作してさらに南へと向け、第四連隊の位置を捕捉する。再び小石を拾い上げ、立体魔術陣を形成した。
反物質生成によって小石を反物質へと変換し、空気と反応しないよう高密度魔力で保護する。あまりにも密度の高い魔力により、黒く見えるのだ。そして反応促進で反物質による対消滅反応が一気に引き起こされるよう補正し、さらにそのエネルギーが全て熱に変換されるように魔術で整える。そして反物質を包み込んだ高密度魔力を利用して、着弾と同時に魔素結界を発動。その結界で対消滅により生じたエネルギーを完全に閉じ込める。
あとは死魔法により、破壊し尽くした内部のエネルギーを食い尽くす。
地形破壊、環境破壊、気候変動を同時に引き起こす神呪だ。
「二発目だ」
再び五重の加速魔術陣が張られ、今度は第四連隊の陣地に向かって放たれる。
漆黒の一撃、《
「終わりだな。これで大帝国軍は第一連隊だけが残った」
「そのようですね。第二連隊も明日には瓦解するでしょう。帝都は動く死体事件で大慌てですから、
「報酬は?」
「手筈通り、金や宝石などの物品で。大帝国の通用金貨は使えなくなりますからね。しっかりと
「受け取りは?」
「これから行こう。俺は幻術で変装を……お、魔力がきたな」
シュウは大量の魔力が入り込んでくるのを感じた。まだまだ
「さ、行こうか」
二人の黒猫幹部、『死神』と『鷹目』はその場から消えた。
◆◆◆
数日後、帝都の城で皇帝が叫んだ。
「馬鹿な! 第二、第三、第四連隊が全滅だと!?」
「いえ、正確には第二連隊は潰走です……」
「どうでもいい! それはどういうことだ。どうなっている。なにがあったんだ!」
流石の皇帝ギアスも取り乱さずにはいられない。
第二連隊についてはSランク魔装士と覚醒魔装士たる
そして第三連隊と第四連隊は巨大クレーターを残して完全消滅。
合計で十五の軍団が消えた。
伝令は一通り説明する。
「――そして第二連隊で見つかった団長方の死体、そして第三連隊と第四連隊の状況から推測して魔物の仕業かと思われます」
「魔物だと?」
「ラムザ王国という小国で冥王と呼ばれる『王』が暴れました。その冥王の残した痕跡と、第三および第四連隊の陣地跡地が一致しています」
ギアスは目を見開いた。
まさか『王』の魔物という天災に見舞われるとは思わない。
だが、残る第二連隊は説明がつかない。Sランク魔装士たちが暗殺されたということは、間違いなく『死神』の仕業である。
(だが、『死神』は強すぎる。幾ら暗殺でも
おそらく『死神』は覚醒魔装士だろうと予想している。それは間違いなのだが、ギアスたち皇帝と大公はそのように誤認していた。
そしていくら覚醒魔装士だったとしても、これほど容易く暗殺を実行するのはおかしい。
ギアスは前提条件を改めた。
資料で読んだ『死神』の実績、出現時期、出現場所、推察される能力。それらを統合すると一つの真実が浮かび上がってくる。
(いや、馬鹿な……)
ギアスはその答えを自分で否定した。
だが、状況証拠としては整いすぎている。
「まさか……『死神』と冥王は……」
そう呟いて口を閉ざす。
首を振り、伝令に話しかけた。情報を集めるために。
「……
「北は鉱山の大街道は抑えられました。南部の食糧地帯も幾つか……」
ギアスは怒りを抜くようにして息を吐く。
怒鳴り散らしても仕方ない。
目の前にいる伝令は悪くないのだ。
「第一連隊はどうなった?」
「順調です。直接的な衝突を避け、遠距離からの攻撃で前線を維持しているようです。少しずつ賊軍の兵站を削り、疲労したところを一気に殲滅させる予定だったと思われます」
大帝国軍は無茶をする必要はない。
少しずつ削り、殲滅させればよいのだ。だが、そうもいかなくなった。
(帝都防衛に残した
切り札とも言える覚醒魔装士は他にもいる。神聖グリニアへ嫌がらせをさせた
余計なことをさせず、まずは国防を確かなものにする。
そしてギアスは
(そうだ。動く死体について情報を集めたのか……?)
特に進展がないのならば、もう二人を遊ばせておく余裕はない。
ギアスは溜まった書類を片付けるため、再び机へと向かう。今夜も眠れそうにないと悟り、頭を掻きむしった。残念ながら大公たちも全員別室で仕事中だ。自分だけサボるわけにはいかない。
大帝国も少しずつ、ひずみが大きくなっていた。