89話 転生と変容
フラシオ王国とガルバ皇国……
(く……これで良いのだ……)
アレイ将軍は唇を噛む。
普段は犯罪者を捕縛するのが仕事であり、犠牲を出すことのないように立ち回る。だが、戦争においては犠牲を受け入れる作戦が必要だ。特に戦力で劣る連合軍側は、数の利で圧倒するしかない。
(上手く背後に回り込んでくれ)
希少な魔装士を少数精鋭部隊として編成し、大帝国軍第二連隊の背後へと回り込ませている。隠密効果を与える領域型魔装士のお蔭で可能となった作戦だ。
奇襲攻撃を仕掛けて大帝国軍の足並みを乱し、前面に展開する通常部隊で叩き潰す。数は連合軍が圧倒しているのだ。
「伝令!」
連合軍の野営地に一人の兵士が走り込む。
そして息を切らせながら叫んだ。
「作戦は成功です! 敵軍は崩れ始めています!」
「次の作戦に移れ!」
アレイは歓喜した。
これで北方の戦いを制することができる。魔装の力は絶大だが、絶対ではない。魔力も有限なので、大軍で攻め込めば敵を敗走に導ける。
(何とかなりそうだ)
大将としての責任は果たせそうだ。
アレイはそう考え、安堵した。
大帝国軍第二連隊との戦争初日は、連合軍有利に始まった。
◆◆◆
大帝国軍第二連隊と連合軍の衝突から半日。
互いに攻めきれず、戦いは翌日へと持ち越された。流石に夜間の戦闘を行うつもりはないのか、互いに陣地へと引き下がっていた。
そして大帝国軍の空気は重かった。
「これはどういうことだ」
第二連隊を任されたグロア・メネテス大将軍は怒りを顕した。
集められた各軍団の団長たちは口を閉ざす。
グロアは大帝国でも有名な女大将軍である。厳しく配下を躾け、彼女の率いる軍団は一糸乱れぬ最強の兵士となる。陰では女帝とすら言われているほどだ。
「何か言わぬか貴様ら!」
今年で四十歳になるとは思えない美貌と覇気。
重くのしかかる空気。
四人のSランク魔装士たちは口を閉ざしていた。口を開けと言われても、何かを言える空気ではない。
「敵は寄せ集めの反逆者だ。なぜ対等に戦っている。圧倒せよ! 私は
本来なら大帝国軍が圧倒的な勝利を収めたはずだった。
この体たらくは唾棄すべきものである。
グロアはそう言っている。
「明日は私が出る。そして貴殿にも出陣して頂く。我が軍はこのような所で停滞しているわけにはいかん」
女大将軍が見つめる先にいたのは黄金の鎧に包まれた大男だった。
各軍団長であるSランク魔装士だけが集められたこの場所で、彼だけが異質であった。
「よかろう」
黄金の大男は厳かに告げる。
「吾輩の力、敵軍に見せつけよう。援護射撃は存分に行うがよい。吾輩は決して傷を負わぬ。この
「ふっ……流石は我が国の切り札。私も期待している」
連合軍の奮戦は、大帝国に火をつけた。
余裕で勝てるという傲慢は捨て去られ、確実に叩き潰すという殺意が残る。
覚醒魔装士となって二百年の
「決まりだな。油断することは許さんぞ」
グロアは全員を睨みつける。
覚醒魔装士と援護射撃をする魔装士たちがいれば、一方的に敵を殲滅できる。
翌日、二度目の戦端が開かれた。
一方的な魔装の暴力により連合軍は壊滅。
◆◆◆
少し時は遡る。
監獄都市シェイルアートで悪だくみをする
そして
『時は来た』
「あなたは……『気まぐれな真理』フラロウス」
『シェリー・クロウ、貴様の望みを言え』
天井から上半身だけ覗かせた漆黒の悪魔。
黒い霧に包まれ、両目だけが紅く光っている。シェリーは恐ろしさを感じつつも告げる。
既に覚悟はできているのだ。
恋人を蘇らせるため、手段は問わない。
「私に、力を……」
『良かろう』
黒い霧のように揺らぐ悪魔、フラロウスは魔力を放つ。
すると、シェリーを中心として魔術陣が広がった。彼女の座る位置に一つ、その真上となる天井に一つ、そして部屋の四方にそれぞれ一つ。
これらの魔術陣は力を集め、圧縮するための魔術陣だ。
魔術陣はこれだけでなく、監獄都市シェイルアート全体にまで広がっている。
「ぐっ……痛っ」
『耐え忍ぶのだ。貴様が生まれ変わるのに必要な儀式だ』
「ええ……うっ!」
大量の魔力がシェリーへと流れ込み、彼女を変質させる。その肉体を分解し、随時造り替えるのだ。濃密な魔力は青白い光から黒へと変わっていく。密度が上がるほど、魔力は黒に近い色を放つ。そして最大まで密度が上がると、漆黒となる。
今のシェリーは黒い魔力に覆われ、呻いていた。
『そうだ。そのまま耐えろ』
フラロウスは術式を維持しながら甘い言葉をかける。
『貴様がその痛みに耐え抜いた時、目的を達成する力を得るのだ』
術式の正体は魔力をシェリーへと集め、魔物に転生させるというもの。そして魔力はどこから集めているのか。勿論、シェイルアートに住むすべての人間からである。
シェイルアートに仕掛けた魔力を抽出する魔術は
「貴様シェリー! 何をして……悪魔だと!?」
「馬鹿な。どうやってここに」
「早く排除だ!」
シェイルアートでは人々が魔力を奪われ、倒れている。魔力は生命力から生成されるエネルギーであり、大量に奪われると死に至ることもある。
そんな大事件が起これば、即座に教会が専門の者に調査させる。
僅かな時間でシェリーの独房が術式の中心であると見抜いた力量は流石であった。
『ふむ。邪魔が入ってきたようだ』
ドロリと粘液質な霧が床にまで滴る。それと共に悪魔フラロウスも落ちてきた。
同時に黒い刃が鞭のようにしなる。異端審問官たちは即座に首を飛ばされ、血飛沫が散る。シェリーもそれを見て怯えた。
シェリーは死霊術師として捉えられているが、その研究は死者を蘇らせるというもの。生きた者を殺して死者に変えるといった残酷なものではない。ゆえに、彼女自身は死に対してあまり耐性がなかった。
「ひぃ……」
一瞬、痛みも忘れる。
思わず儀式を止めたいと思ってしまった。
だが、目的のために止める訳にはいかない。
そんな葛藤をしている間に儀式は完成した。
『くるぞ!』
「う……あぁ、う、あああああああああああああああっ!」
『生まれ変われ! 不死属、
シェリーは激痛に襲われる。
魂すら造り替えられるような、深い痛み。そして、痛みは徐々に快感へと変わった。
「あ、ぁ」
漆黒の魔力は繭となって彼女を包む。
そして次の瞬間、内包された魔力が弾け飛ぶ。圧縮された魔力は、解放されるだけで高威力の攻撃となり得る。独房は破裂した魔力で破壊され、轟音と共に消し飛んだ。
そして誕生したのは災禍の魔物。
「はぁぁぁぁぁぁぁ……!」
繭の中から現れたのは漆黒のドレスに包まれたシェリーだった。しかし、その瞳は深紅であり、あらゆる生物を誘惑する。
そして彼女からは理性すら失われていた。
「私、目的……彼を蘇らせなきゃ」
魔力の吸収は止まらない。
シェリーの転生は完了したが、シェイルアートには生きている人間がまだ残っている。その全てから魔力を奪い取るまで術式は完了しない。
都市から集められた魔力がシェリーへと入っていく。
吹き飛ばされた独房の周辺では魔装士たちが集まり始めていた。
「何でこんなところに魔物が!」
「だめだ! 逃げよう! 魔力がもうない!」
彼らが聖騎士だったなら、魔物の殲滅という教義のために戦っただろう。しかし、彼らはシェイルアートの警備を任されただけの魔装士だった。
だが、生まれ変わったシェリーは逃さない。
「その血、頂くわ」
瞬間移動を思わせる速度で動き、目に付いた二人の魔装士の頸動脈を裂く。そして噴き出した大量の血がシェリーの体に吸い込まれた。
まるで沁み込むように、その全てが吸収される。
不死属の中でも吸血鬼の系統は、血を媒介して魔力を吸収する。それが吸血鬼系統の魔導だ。そして位階が上がるほど、その吸収能力も向上する。下位ならば直接吸い取るしかなくとも、
「あはぁ」
『生まれ変わった感想はどうかな?』
「最・高!」
肉体だけでなく、精神すら造り替えられた。
シェリーは殺しをいとわない、完全な魔物となってしまった。
それでいて人間としての『記録』を保有し、目的を失っていない。
『貴様は力を得た。思うがままにするのだ』
「もっと、もっとよ! もっと力を! これだけの魔力があれば!」
シェイルアートの魔力はまだまだある。
この場所は危険人物も収容されているため、そういった者たちが持つ莫大な魔力が全てシェリーへと奪われる。
シェリーへと魔力が集まり続け、やがて新たな種族へと変化する。
「まだ魔力が足りないわ。もっとよ……」
だが、彼女は満足していない。
恋人に復活の魔術をかけるためには、さらなる魔力が必要だ。
『ほう。まだ魔力を求めるか』
「そうね」
『ならば行くがよい。思うがままに魔力を吸収するのだ。人を襲い、街を壊し、国を滅ぼせ。そして最強の魔を得た時、貴様は恋人を蘇らせるだけの力を手にするだろう』
フラロウスは唆す。
そして理性の消えたシェリーは思うがままに、目的のために魔力を集める。
『予定通り。あとは待つだけか』
シェイルアートを蹂躙し始めた