87話 監獄都市
都市の運営は魔神教がしている。
魔神教の中でシェイルアート運営部が存在し、そこに所属する神官が中心となってこの都市を治めているのだ。
「ここが有名な監獄都市。大きい建物ばっかり!」
「あまり騒ぐな
「大丈夫大丈夫。ちゃんと仕事してる」
大帝国が秘匿する覚醒魔装士がシェイルアートへと訪れた理由はただ一つだ。
この監獄都市と呼ばれるこの都市に囚われている死霊魔術師を勧誘するためである。シェイルアートは凶悪犯罪者の他、危険人物を捕縛するためだけに存在している。中には魔神教に歯向かう異端者も閉じ込められているのだ。
勿論、死霊魔術師もここに閉じ込められている。
ここに囚われる危険人物は、ほとんどが処刑待ちだ。危険人物の保有する技術を聞きだしてから処刑台へと送るのである。危険な技術は対策を立てるためにも、しっかり聞きだしておきたいのだ。
「見つけたのか?」
「うん」
今、彼女は監獄に囚われている死霊魔術師を探すため、魔装の力を使っていた。
「じゃあ、やる。準備は?」
「いつでも構わん」
「
一見すると祖父と孫娘という組み合わせだ。
しかし、二人はこんな都市など軽く滅ぼせる存在である。何も知らないシェイルアートの住民は、まだ異変に気付かない。
◆◆◆
死霊魔術師と呼ばれる者たちは、誰もが優秀だ。
禁忌を冒してまで研究を続け、一定の成果を出している。限られた資金と資材をやりくりして、なんとか形にするのだ。その苦労は計り知れない。
シェリー・クロウもその一人である。
「あなたの隠した陽魔術の資料……いい加減、吐いてくれませんかねぇ?」
「……」
「教会の保有する魔術資料と組み合わせれば、復活の魔術も完成するかもしれませんよぉ?」
椅子に縛り付けられたシェリーは無言を貫く。
尋問を繰り返す異端審問官の粘着質な声が耳に障る。
「あなたは恋人を蘇らせたくて死霊魔術に手を出したそうですねぇ。どうやら復活の魔術を開発していたとかぁ……?」
「……」
「かつてあなたが学会で発表した新しい概念……『精神構造』でしたか? 画期的ですねぇ」
元はシェリーも魔術師だった。国から支援を受けて陽魔術について研究していたのである。そして助手の男と恋仲となった。
だが、彼と婚約した頃、病魔が彼を襲った。
開発中の陽魔術で手を尽くすが、シェリーは彼を看取ることになった。
それからである。彼女が復活の魔術を研究し始めたのは。
「精神構造は魔力で構成されている、でしたかぁ?」
「……」
「精神構造を修復すれば死者も蘇る、ですよねぇ?」
陽魔術で肉体構造を修復するように、精神構造を修復する。それがシェリーのコンセプトだった。だが、未知の構造である精神を修復するのは難しい。不完全な修復により、動く死体が大量に生まれた。
これにより禁忌とされ、邪悪な死霊魔術師として捕まったのだ。
彼女は正式な学会に所属する魔術師であり、動く死体も実験の失敗として扱われた。それで即処刑とならず、こうして彼女の研究データだけは搾取しようとしているのだ。
「……」
だが、彼女は何も言わない。
研究試料の保管場所には、彼女が最も大切にしている元恋人の体も安置されているのだ。調べられて見つかれば、確実に埋葬されてしまう。それは避けたい。
元恋人の死体は、魔術で保護している。
そして保護に必要な魔術は永続ではない。魔力供給しなければいずれ魔術効果を失い、腐蝕が始まってしまう。
(早く……早く抜け出さないと)
憮然として黙る表面的な態度に反し、内心ではかなり焦っていた。
シェリーは元々、正規の魔術師だった。ゆえに暴力的な尋問はない。だが、それも時間の問題かもしれない。異端審問官が痺れを切らせば、暴力という手段をとると容易に想像できる。
屈するつもりはないが、心を暴く魔装士もいるのだ。
魔装という暴力的手段を使われたら、シェリーでは抵抗できない。
「仕方ありませんねぇ。今日のところはここまでにしておきましょう」
異端審問官はずいっと顔を近づけ、そう告げた。
シェリーは無表情を貫きながらも内心で安堵する。
だが、異端審問官は笑みを崩さず捨て台詞を吐く。
「明日が楽しみですねぇ。ワタクシの上司が強硬手段の許可を出してくださったのですがぁ……それがどういう意味か分かりますかぁ?」
ビクリと肩が震えた。
恐れていたことが起こったのだ。
「本当に楽しみですよぉ」
嫌悪感すら湧く笑みを浮かべつつ、異端審問官は出て行った。
一人残されたシェリーは、ポツリと呟く。
「どうして神はあの人を二度も奪うの……」
幼い時から神の存在を信じていた。
婚約者が死の病に臥せった時も祷りを続けた。
死した彼のためにも祈り続けた。
だが、祈りが報いられることはなかった。
『神は応えぬ』
「そうかもしれないわ」
『神は敵だ』
「そこまでは思わないわね」
『祈りは届かぬ。願いをかなえるのは我の役目だ』
そこでシェリーも気付いた。この部屋にもう一人誰かがいると。
椅子に縛り付けられ、精神をすり減らす尋問が繰り返されていたのだ。シェリーも注意散漫となっていたのである。
気付いた彼女は慌てて周囲を見渡す。
すると、天井に黒い染みが浮かび上がっていた。ポコポコと泡が溢れており、毒々しい雰囲気を醸し出している。
「誰?」
『儂の名はフラロウス。貴様の願いを叶える者だ』
「願いを……?」
ボゴッと鈍い音がして、染みから闇が溢れる。その内側に二つの赤い光があった。
睨みつけられるようであり、シェリーは震えた。
「あ、悪魔……?」
『好きに呼ぶがよい。儂は『気まぐれな真理』。貴様は儂の目に適ったのだ死霊術師よ』
「私よりも相応しい悪魔にピッタリの死霊術師はいるわ。例えば……アルター・スカルスとかね」
『ほう!』
アルター・スカルスは監獄都市でも有名な死霊術師だ。
とある国の貴族に魔術師として取り入り、当主やその家族を
一番初めにトップである貴族を
人間を魔物に転生させるという、魔神教からすれば禁忌中の禁忌を侵したのだ。
『知っているぞ! アルターという小僧のことならな』
「あの男の方が相応しいのでなくて?」
どうやら悪名高いアルター・スカルスはフラロウスも知っていたらしい。いつの間にか、シェリーは冷静さを取り戻して普通に会話していた。自分の知る知識の範囲内で会話できるからだろう。
これで全く意味の分からない話でもされたなら、混乱したままフラロウスに願い事を行ってしまったかもしれない。
「あなたは何者なの?」
『言ったはずだ。儂は『気まぐれな真理』であるとな。貴様は儂の気まぐれに選ばれた。アルターという小僧は選ばれなかった。それだけのことだ。さぁ、願いを言え』
「願い……?」
天井から噴き出る闇。
闇の中に潜む赤い瞳。
そんな怪しい存在を信じられるはずがない。まして、最も大切な婚約者のことを願えるはずもない。だが、フラロウスはシェリーの願いを知っているかのように囁く。
『婚約者を蘇らせたいのだろう?』
「……っ!」
『今の貴様は何もできぬ小娘。だが、儂が手を貸せば貴様は生まれ変わる。魔神教の神官共を出し抜き、そして最も大切な婚約者を蘇らせるだけの魔力が手に入るぞ』
シェリーの心は揺れた。
事実、明日の尋問では魔装士による読心が実行される。このまま明日までに何もできなければ、シェリーは大切なものを失うのだ。そして用件を聞きだせば、シェリーも処刑されるだろう。
甘い言葉がシェリーの固い意志を溶かす。
『儂を受け入れろ。力を求めよ』
「私は……」
『降ってきた幸運を逃せば、貴様は全てを失うぞ』
三十年近い信仰と、自身の願い。
平衡を保っていた天秤が片方に傾く。
「私は……私に、力をください」
契約は成った。
天井で蠢く闇は消え去り、フラロウスは最後に言葉を残す。
『今夜、貴様は生まれ変わる』
◆◆◆
眷属を消した
「思ったより上手くいったね!」
「そうだな」
捕まった死霊魔術師を誘惑し、力を与える。これによって表向きは手を汚さずとも、実質的な圧力をかけることができる。
だが、元はシェリーではなく、アルターをターゲットにしていた。
「まさか陛下から急な要望があるとは思わなかった」
「向こうも大変そうだよね。私たち、戻らなくていいのかな」
「こちらにも陛下が任せてくださった仕事がある。中途半端では戻れんよ」
「それもそうか」
皇帝ギアスは帝都に出没した動く死体について頭を悩ませた。そしてそれが可能かどうか、
ただ、どのような仕組みかすぐに答えることはできなかった。
そこで、死体を魔術で動かしたというシェリーに注目したのである。何かのヒントになるかもしれないと考え、力を与える死霊魔術師として選んだ。
「
「わかっておるわ。シェリーという女の正確な位置はわかるか?」
「うん、わかる。どうするの?」
「この監獄都市……シェイルアートそのものを魔術儀式場にする。その中心に力を集め、シェリーとかいう女を不死属に転生させる」
人間を不死属の魔物に造り替える。そんな魔術なら
だが、死体を人間のまま動かす方法は分からない。
理論上可能なのは分かるのだが、その方法までは思いつかない。
そんな
「あの女を不死属にして隷属させる。術式は複雑になるぞ」
「私も手伝った方がいい?」
「シェイルアートに仕掛ける術式の隠蔽を手伝ってもらうぞ、
「うん」
そして二人の覚醒魔装士が