<< 前へ次へ >>  更新
86/365

86話 動く死体


 シュウは貴族にゾンビ化ウイルスを仕込んだ後、透明化して観察していた。勿論、魔力を消して更に霊化しているので完全なステルス状態である。

 魔術で開発されたウイルスは、脳を介して肉体を操る。またウイルスが食欲を刺激するため、目に留まった生物に喰いつくのだ。そして体液接触によってウイルスは感染するので、噛みつかれた生物もゾンビ状態となる。



「あー……」



 意味のない呻き声を上げながら感染者となった貴族は部屋を歩き回る。

 先程から殺害した彼の居室を歩き回ってばかりなのだ。



(知能がないのか。だから扉を開けることができない……)



 放置していればよいと思っていたが、そうもいかない。

 感染者を増やすためには、シュウが扉を開ける必要がある。

 仕方なく実体化して部屋の扉を開いた。

 貴族ゾンビは扉を開く音に反応したのか、そちらに向かって歩き出す。その歩みは特に不自然な所がない。虚ろな表情さえ見られなければ不審に思われることもないだろう。



(このままのペースだと、一晩で広げるのは難しいかもしれないな。もう少し増やすか)



 そんなことを考えている内に貴族ゾンビは扉を潜って廊下に出た。

 すると運が良いのか悪いのか、使用人の男に見つかる。



「リーブル様?」

「ぃ、あ」

「あの……」



 使用人は困惑しているようである。

 そんな彼に貴族ゾンビことリーブルが近づき、その首筋に噛みついた。血が噴き出るほど深く噛みつかれたので、痛みは相当なものだ。



「が、あぁ……ぁぁっ!」



 上手く悲鳴も出せないようだが、かなり暴れている。しかし、筋肉収縮率のリミッターを外されたゾンビの力は凄まじい。使用人は出血多量で意識を失い、倒れた。

 そしてゾンビウイルスは無事に感染し、血液を介して脳に辿り着く。あっという間に増殖してDNA転写を繰り返し、使用人を新しいゾンビに変えた。

 どうやら想定通りに感染しているようである。

 そこまで見届けたシュウは、すり抜けで屋敷の外に出た。そして陽魔術による結界を張る。これで屋敷の人間は誰一人として外に出られない。屋敷の中には何十人という人間がいるため、これでしばらくすればゾンビが量産される。



(あ、扉だけは壊しておかないとな)



 シュウは慌てて壁と結界をすり抜け、屋敷の中に戻る。

 そして手早く扉を壊した後、今度こそ外に出たのだった。

 結界はただ頑丈なだけでなく、振動を遮断する。つまり、音が漏れることはない。こうして外部に気がつれることなく、屋敷内でゾンビが増殖されることになったのだった。













 ◆◆◆












 帝都が夜の賑わいを見せ始めた頃、ゾンビは結界から解き放たれた。

 シュウは追加で四つの屋敷を襲撃し、皆殺しにしてゾンビウイルスを仕込んだのである。一体にだけ感染させて地道に増やすより、こちらの方が早い。すでにゾンビからゾンビウイルスを感染させる実験は成功しているので、前者の方法を選ぶ必要はないのだ。



(さて、ここからだぞ)



 屋敷から解き放たれたゾンビは、貴族街を見回る衛兵に襲いかかる。油断して深夜の外出を注意しようとした彼らは、あっさりと食いつかれてゾンビとなった。

 そして衛兵もゾンビとなり、あてもなく歩いていく。

 首筋から血を流している衛兵を見て慌てて近づいた仲間の衛兵も食いつかれ、またゾンビが増える。



(これは……思った以上に増えるな)



 まさか同じ人間に噛みつかれるなど想像もしないだろう。そして感染すればゾンビとなってしまうため、一撃でも死ぬ。

 まさか疫病という脅威だとは誰も思わない。

 そして襲ってくるのが貴族や使用人や衛兵であるため、健全な者も攻撃を躊躇う。



「おいおい。やめてくれよ旦那!」

「あ、ぁ……」

「く、くそ」



 衛兵以外にも、貴族が独自に雇った傭兵がいる。魔装士や魔術師たちが作ったギルドと呼ばれる傭兵組織は、金で雇える私兵としてよく用いられる。実際、革命軍リベリオン討伐隊にも幾つかのギルドが参加しているのだ。

 そしてギルド所属の魔装士は、忠誠ではなく金によって仕えている。

 ゆえに言葉が通じないと分かると攻撃をし始めた。



「足の一本は我慢してくれよ!」



 一太刀で迫る貴族ゾンビの足を切り落とす。足の骨は頑丈であり、斬り落とすのは難しい。それを簡単に斬ってしまうのだから、彼の実力は中々のものである。

 貴族ゾンビは血を噴き出しながら地面に倒れた。 

 だが、痛みで叫ぶ様子もなく呻きながら這って迫ってくる。まるで化け物だった。

 傭兵もこれには驚いた。



「嘘だろう? こいつ、不死属か!?」



 ゾンビウイルスは脳に寄生している。そして脳を介して全身を操っているのだ。

 つまり、頭を潰さなければ倒せないのである。

 また、ここにいる誰もが傭兵のように割り切るわけではない。特に警備を専門とする大帝国衛兵は、立場もあるので貴族に攻撃することはできない。そんなことをすれば間違いなく処刑である。気ままな傭兵は国を出るという選択肢もあるため、少しだけ大胆な手段に至れるのだ。

 衛兵たちは貴族を守らなければならない立場であるため、迷った末に傭兵へと武器を向けた。



「そこの傭兵! 貴様を拘束する」

「ふざけんじゃねぇ! 向こうがこっちを殺しに来たんだぞ」

「それでも貴族に刃を向けるなど看過できんのだ」

「ちっ……頭の固い奴め!」



 やってられないと思ったのか、傭兵は逃げだした。それに続いて、他の傭兵たちも次々と逃げていく。周囲には呻きながら人に襲いかかるゾンビが大量にいるのだ。今は少しでも人手が欲しい。

 衛兵たちにも苛立ちが募った。



「っ! あの守銭奴め!」

「隊長、それよりもアザール卿が止まりません。治癒はしたのですが襲ってきます!」

「ええい! 拘束だ! アザール卿は錯乱されているのだ!」



 とりあえずゾンビたちは錯乱していることにされた。

 衛兵は治安維持や警備を目的としている。そのため、法律上は滅多に殺害を許されない。その代わりとして逮捕権を有しているのだ。勿論、証拠さえあれば貴族でも逮捕できる。

 今回の場合は暴行の現行犯だ。



「縄を大量に持って来い! それと拘束に特化した奴も連れてこい!」

「援軍も要請しますか?」

「当たり前だ。貴族街で暴動だと伝えろ!」



 半分ほどヤケクソだ。

 貴族、使用人、私兵のゾンビが溢れている。ゾンビは一体一体が強力で、さらに一見するとゾンビなのか人間なのか見分けがつかない。

 そして動いていることもあり、ゾンビがすでに死んでいることにも気付けない。

 ただ錯乱して暴れていると考えたのだ。



「クソ……集団薬物中毒か? なんなんだ一体」

「隊長! フラターヌ通りに逃がしてしまいました」

「なんだと! すぐに止めろ。あそこは貴族御用達の店舗が並んでいる。人通りも多いのだぞ」

「すぐに行きます!」



 貴族街にも屋敷が並ぶ住宅地区の他、高級商店が並ぶ通りストリートもある。そこでゾンビが暴れたらと思うと恐ろしい限りである。

 ゾンビウイルスは噛みつきによって感染する。唾液から血液へと、体液を媒介として感染するのだ。

 つまり、噛みつかれても血が出なければ問題ない。不意打ちさえされなければ、魔装士が無意識に張っている魔力防御で充分に防げる。衛兵たちは徐々に対処し始めていた。だが、戦いを知らない貴族やその使用人はそうもいかない。

 煌びやかな明かりの灯るフラターヌ通りで狂気と恐怖が吹き荒れた。









 ◆◆◆








 ゾンビウイルスの脅威は一晩と経たずに拡大した。

 その理由の一つとして、感染者が貴族であったことが挙げられる。既に動く死体となっているため、本来は容赦する必要などない。しかし、それが分からない内は貴族に攻撃できず、犠牲を払ってでも逮捕するしかなかった。

 流石に衛兵の数が足りず、感染者が次々と感染者を増やす。

 皇帝ギアスも対策には頭を悩ませていた。



「犠牲者のリストは?」

「未だ作成中です」

「逮捕した奴からの事情徴収はどうだ?」

「会話ができませんので……なんとも……」



 苛立ちが募る。

 調査した衛兵の報告には碌なものがない。被害は広がるばかりで、原因も不明だ。



「捕らえた貴族の様子はどうだ? 治療は進んでいるのか?」



 広がる被害は衛兵に任せるしかない。一応は帝都に残った軍団も派遣したので、しばらくすれば収束するだろうと判断した。この際、多少の被害は目を瞑ることにする。

 問題は大量の逮捕者である。

 よりにもよって問題を起こしたのは貴族であり、後処理のことも考えると非常に頭の痛い問題だ。



(邪魔だった貴族はこれを理由に隠居させるか)



 腹黒い策略を巡らせつつ、会議に参加している宮廷医の答えを待つ。

 宮廷医は額の汗を拭きながら答えた。



「そ、それが……」

「どうした? 治療方法が分からぬのか?」

「い、いえ。その、あの」

「ハッキリと言え。それとも貴様は何一つ仕事をしなかったのか?」

「そそそそんなことはございません!」



 何か躊躇っているような様子だ。

 ギアスは遂に苛立ちを露わにした。



「さっさと言え! 今は貴様のような鈍間に時間を費やしている暇はないのだ!」

「ひぃっ!」

「治療の方はどうなっているのだ!」

「ち、治療は不可能です……」

「やはり禁止薬物なのか?」



 宮廷医は首を横に振る。

 そして体を震わせて答えた。



「あれは……あれはそんなものではありません」



 彼は宮廷医としてゾンビとなった患者を調べた。暴れまわる患者をベッドに縛り付け、普段の診察のように記録を取った。

 肌の様子、爪の色、瞳孔、口臭など……そして最後に心拍数もだ。

 その最後の記録を取った時、彼は身を振るわせた。



「あの患者には……脈がありません。心臓が止まっているのです」

「馬鹿なことをいうな!」



 激しく反論したのは衛兵隊の隊長である。現場を副隊長に任せ、報告に来ていたのだ。

 実際にゾンビと戦った彼は、あれが死体だったと信じられないのだ。



「死体が動いていたとでも言いたいのか!」

「ひっ……そ、その通りです。鎮静剤も睡眠薬も効きません。麻痺毒は多少ですが効果を確認しています。痛みに対する反応が消えており、温度感覚もないようです。触覚は確認しました」

「馬鹿な……馬鹿な……」



 隊長は力なく着席する。

 どう考えてもあり得ないことだ。死体が動くなど、絵本に出てくる邪悪な魔術師の話ではないか。子供を脅かすための御伽噺に過ぎないはずだった。

 皇帝ギアスはそんな彼を無視して宮廷医に尋ねる。



「麻痺毒だけ効くのだったな。神経に作用する薬は効くということか?」

「く、詳しくはまだ……」

「あれらが死体というのなら、実験せよ。あらゆる毒薬を使い、その性質を探れ。そして魔術師は魔術や魔道具による作用でないか調べよ」



 ギアスとしては相手が死体と分かって逆に安心した。

 すでに死んでいるのなら、犠牲を払って救う必要はない。衛兵を引き上げさせ、軍による圧倒的な力で滅ぼし尽くせばよいのだ。

 尤も、捕らえたゾンビはしっかりと解析するつもりだが。



(あとで万象真理フラロウスと連絡を取るか……奴は死霊魔術に詳しかったはずだ)



 東の地で魔神教に嫌がらせをしている万象真理フラロウスとの連絡を取ることにした。







<< 前へ次へ >>目次  更新