85話 帝都の異変
神聖グリニアとその属国で騒ぎとなった悪魔騒動は、Sランク聖騎士の出動によって収束した。その顛末まで観察したシュウ、アイリス、『鷹目』はそれぞれで動き始めていた。
「これで三件。完了だな」
夜に備えて明かりを付けたばかりの貴族屋敷で、一人の貴族が息絶えた。
暗殺者『死神』として動くシュウは、スバロキア大帝国の貴族を三人ほど暗殺した。その貴族は
すでに
(もう少し早く開戦して欲しかったが……)
黒猫の幹部会合は二日後である。
それまでに大帝国が滅びる可能性を示さなければならない。
(いっそ、覚醒魔装士を暗殺できたらいいんだけどな)
大帝国から覚醒魔装士がいなくなれば、
それならば、大帝国そのものを弱体化させる方が簡単である。
元から方法は考えていた。
シュウは死体となった貴族に魔力を向ける。そして魔術陣を発動した。
この魔術はシュウが普段から使っている魔術とは異なる。曖昧なイメージによって構成された魔術だ。なので、非常に脆い。他に暗殺した二人の貴族でも試し、そちらでは失敗したのだ。
(DNA転写で増殖し、脳を乗っ取る)
数分ほどかけて魔術が終了する。
すると、死魔法で殺された貴族が起き上がった。目は虚ろであり、何もない空間を見つめている。口からは涎を垂らし、獣のような唸り声をあげていた。
「完成だ。中々いい出来じゃないか?」
魔術によって特別なウイルスを生み出し、死体に仕込む。ウイルスは死体にDNAを転写することで生体情報を書き換え、タンパク質合成を促して自らを増殖させる。結果としてウイルスが死体を乗っ取り、魔術効果で動き出す。微小な力のウイルスが一斉に脳へと干渉し、メモリとして保存されている『人体の動き』を実行させるのだ。飢餓感を刺激すれば、目に付くものを喰らい始める。
前世で見たパニックホラー映画を参考にした魔術だった。
大帝国の禁書庫にあった死体を操る魔術をベースとして、オリジナルで感染要素を加えている。
「
貴族を感染源にしたことで、一番初めに広がるのは貴族となる。
これで大帝国の混乱は免れないだろう。
帝都アルダールに恐怖の夜が訪れた。
◆◆◆
アイリスはというと、自宅で魔術書と睨めっこしていた。右手にはペンを持ち、何枚もの紙にメモを取っていた。
彼女は非常に残念な娘だが、優秀な魔術師でもある。保有する莫大な魔力によって、戦術級魔術すら単独で操るのだ。今は禁呪について勉強中である。
「むむっ……」
詠唱することなく、思考力によって魔術陣を描く。
これは魔術陣に含まれる紋章の意味を理解しなければできないことだ。禁呪の魔術効果を分析し、それを一つ一つ分解して組み立て直す。それがアイリスの仕事である。
シュウの《
「ふぅ。ふあぁ……」
本から目を離し、欠伸する。
疲れたらしく、両目と右手を休ませた。
改めて散らばったメモを見直すと、禁呪の書を解読した内容が乱雑にメモされている。あとで整理しなければならない。
(大まかな分解は終わりましたねー。あとは組み立て……)
アイリスが取りかかったのは風の第十三階梯《
シュウが考案した立体魔術陣は、横方向と縦方向に分かれる。
横方向に展開した要素の魔術陣を展開し、それを重ねる。そして縦方向に魔術陣を結合するのだ。魔術とは高位のものであるほど複雑な魔術陣を必要とする。すると、平面では表現に限界があるのだ。
魔術陣は世界へと干渉するための言語だ。
魔素というエネルギーかつ媒体によって現象を引き起こす。
だが、魔素そのものに意思は存在せず、機械的な反応しかしない。魔術陣は言語の一種であり、文法にそって世界へと伝わる。具体的には、設定された順番通り一方向に魔術陣が反応する。ゆえに、同じ効果の魔術要素が不連続的に必要となった場合、何度も同じ魔術陣を敷く必要がある。これを解消するのが立体魔術陣だ。
コンピュータプログラミングと同じ手法を利用しているのだ。
まず、
そして
横魔術陣が要素。
縦魔術陣が魔術設計のフローチャート。
これにより禁呪を圧縮すると、直径数キロもの巨大魔術陣が、両手で持てるボールサイズにまで変化するのだ。
(えっと……まずは上空の温度と圧力操作だから……)
かつて第一階梯も使えなかった落ちこぼれのアイリスも、今では立派な魔術師だ。
シュウのため、そしてシュウに認めてもらうため、彼女は夕食を食べる間も惜しんで精進し続ける。
◆◆◆
帝都アルダールは慌しさで満ちていた。
帝都民は誰一人として敗北すると考えていない。
スバロキア大帝国が誇る大量のSランク魔装士とその軍団は最強である。その最強軍団によって大陸の半分を実効支配していた。彼らにとって帝国軍は本当に誇りなのだ。
出陣したのは帝国の六十四軍団の内、二十軍団。つまり二十人のSランク魔装士が
(これは壮観ですね)
帝国軍に潜入している『鷹目』は伝令部隊として追随していた。彼は自身の持つ転移の魔装を明かしているため、その移動能力を買われて独立伝令部隊として活躍している。
今は軍団の一つと共に進軍していた。
その名も機装軍団。
『機装』の魔装士、アディル・クローバー大将軍が率いる軍団である。彼は他に四つの軍団を統率し、進軍していた。
大帝国は二十の軍団を四つの連隊に分け、四つのルートで進んでいる。
そしてアディル大将軍が率いる第一連隊は正面から迎え撃つルートで進んでいた。
「そろそろ日も暮れるか……」
馬に騎乗するアディルは呟いた。
正面からは沈もうとしている太陽の赤い光が差し込んでいる。野営の用意をするべきだろう。必要とあれば夜間進軍もするが、会敵はまだ先のことであるため必要ない。
アディルと馬を並べる女性が返す。
「今日はここまでにしましょう」
「そうですな、
女は連隊長であり大将軍であるアディルが敬意を払うほどの相手だった。白髪碧眼の若い女であり、軍服には紋章もない。その代わり、純白のマントを纏っていた。
これは覚醒魔装士にだけ許された装備であり、魔術による補強がされている。戦闘でも破れないという特注品だ。
「アディル連隊長。そこの伝令兵を借りても?」
「勿論です」
覚醒魔装士が超法規的存在とは言え、建前上は連隊長に従っている立場だ。軍の統率問題として、このような許可が必要となる。
「伝令兵、陛下にこれを渡しなさい」
「はい」
伝令兵として手紙を受け取った『鷹目』は早速とばかりに転移する。
何年も前から大帝国軍の魔装士として活動している『鷹目』にとって皇帝の住まう城も慣れたものだ。伝令として頭角を現してからは、皇帝に伝えるべき速報を運んでいる。今回も連隊長専属という形だが、実質は
(さてと、信用を得るのに苦労しましたが、美味しい役職を頂きましたね)
『鷹目』が転移先として指定したのは帝都で購入しているアジトだ。
この場所は帝都の外れにあるため、誰も訪れることがない。多少の魔術を使ってもバレないのだ。
そんなアジトで、躊躇うことなく
(ふむ……)
内容は
そこで『鷹目』は手紙を封筒に仕舞い、小さな魔道具の上に置く。すると、開かれた封筒が元通りに修復された。『鷹目』が勝手に手紙を開いたという痕跡は完璧に消したのである。
ちなみにこの魔道具は『鷹目』が注文して『白蛇』に作らせたものである。
(今回は書き換える必要もなさそうです)
必要とあらば最重要機密文書すら書き換える。
情報操作のプロ、『鷹目』は実に大胆であった。
続いて城へと転移する。そして受付へと走り、皇帝とアポイントを取るのだ。『鷹目』は第一連隊長専属の伝令兵としての証書を持っているため、あっさりと皇帝との謁見を許される。
謁見といっても、『鷹目』はただの兵士だ。
貴族たちが利用する謁見の間ではなく、普通の執務室に通される。ただの軍事行動における伝令如きで謁見の間は使わない。
「許可が下りました。案内役の方が訪れるまでお待ちください」
「わかりました。ありがとうございます」
「いえいえ。お疲れ様です」
情報収集が得意なだけあってその気になれば一人でも皇帝の執務室に行ける。だが、案内して貰うのが様式美であり、同時に皇帝の安全のためだ。下手な疑いを避けるため、素直に案内を受ける。
通常、案内役は皇帝を世話する専属執事かメイドが行う。
今回の場合は執事だった。
「第一連隊の専属伝令兵の方ですね。お疲れ様です。早速ですがご案内しましょう」
一端の兵士にも礼儀正しい対応である。
『鷹目』は緊張した態度を装い、無言で頷いて彼について行く。複雑な城の通路を躊躇いなく進んでいくと、いかにもな装飾の扉の前へと辿り着いた。
そこで執事はノックする。
「本日も伝令兵をお連れしました」
「入れ」
そして開くと、書類と格闘する皇帝ギアスがいた。
執務机は合計で三つあり、一つは皇帝、残る二つは大公が利用している。皇帝の業務は週替わりで大公二人が手伝うことになっているのだ。今週はイスタ家とヴェスト家の大公である。
書類から目を離したギアスは『鷹目』に声をかけた。
「お前か」
「
『鷹目』はスッと手紙を差し出す。
実はコッソリ中身を拝見したなど、おくびにも態度に出さない。
内容を確認したギアスは、相談役でもある大公イスタとヴェストに尋ねた。
「まだ会敵はなしだ。進軍速度を上げるか?」
「国境の防衛軍からも会敵の情報はありませんわ。必要ないかと」
イスタの発言は尤もである。
皇帝としてはさっさと
なのでギアスはその意見を採用する。
「ではそのように返答しよう」
白紙を取り出したギアスは、さっと
「ではすぐに持っていけ」
時差の関係もあり、帝都ではすでに日が沈んでいる。丁度、夕食時といったところだ
だが、第一連隊のいる位置はまだ夕方である。時差から距離を計算すると、まもなく大帝国軍と
皇帝としてはこまめに連絡を取りたい。
「お前には忙しく働いて貰うぞ。覚悟しておけ」
「御用命があればなんなりと申しつけください」
「ふ……良い心がけだ」
うやうやしく礼をとりながら手紙を受け取る。
後で中身を確認し、
『鷹目』にはそれが楽しみで仕方なかった。
だが、そこで執務室を激しく叩く音が聞こえる。皇帝のいるこの執務室にそのような行為をするなど、普通は赦されない。『鷹目』を案内してきた執事は眉をひそめつつ対応した。
「何事です。この部屋をどこだと思っているのですか!」
「緊急の案件です!」
その声は皇帝専属のメイドだった。執事からすれば同僚であるため、声を聴くだけで分かる。勿論、ギアスも世話をして貰っている立場上、誰が来ているのか理解した。
皇帝が世話を任せているほどの女だ。
信頼もできる。
無礼は一旦置いておき、中へと入れることにした。
「入れ」
「失礼いたします」
「何があった?」
「貴族街で暴動が起こっております。首謀者も目的も不明です」
「なに?」
貴族街で暴動というのは信じられないことだった。
民衆が不満を覚えた場合、暴動という形で主張することはある。しかし、それは権力や金のない一般人がすることだ。貴族が暴動という愚かな行為を選択するハズがない。
ゆえにギアスも、イスタもヴェストも困惑していた。
「どうなっている? 貴族が暴動だと? 偽の情報ではないのか? それとも平民の反乱か?」
ヴェストはメイドを疑った。
この時期に暴動となると、
同じくイスタも疑惑の目を向けた。
「平民が貴族街に入ることもあり得ませんわ。最も警備が厳重な場所に暴動を起こせるほどの平民が入り込むことなど有り得ません。もしそんなことがあれば、もっと早く報告されていますわ」
「こんな夜に面倒な……今日は眠れぬかもしれんな」
ギアスは溜息を吐いた。
そして命令する。
「まず伝令兵……お前はすぐに行け。確か転移が使えるのだったな。ここで転移して構わん」
「かしこまりました。感謝します」
「で、イスタとヴェストは情報を集めろ。軍を適当に使って良い。鎮圧も頼むぞ」
頷くイスタとヴェストを横目に、『鷹目』は転移を実行する。
(どうやら『死神』さんも始めたようですね。近くで見れないのは残念です)
帝都は恐怖に包まれる。
皇帝たちが慌てているところを見れないのは心残りだが、目的のためには『鷹目』は動く。手紙の中身を確認するため、帝都の隠れ家へと転移したのだった。